プロローグ
オウリ。
俺の名だ。桜理と書く。姓はない。
出来損ないが家名を名乗ることは許さん──と言われたからである。
ファンタジーな世界観に和風な名字は似合わない。アホか。頼まれても名乗る気ねぇよ、と思ったが、口には出さなかった。が、当時の俺は中学一年生。反抗期の真っただ中だ。顔が物語っていたらしい。ぶん殴られた。親父は手が早い。
《ゼノスフィード・オンライン》
サードアームズ社が開発、運営するVRMMO‐RPG。
VRとは電子的に異なる世界を作り上げる技術だ。
厳密に言えば若干違うらしいが、昨今ではそういう認識で問題ない。
元々は軍事目的で開発されたと言われている。仮想現実で死亡してもデータ上のことでしかない。復活できるのだ。安全に演習を行える。データを弄れば様々な環境での演習も可能となる。国は軍事目的の開発を否定するが、VR技術と軍事との親和性の高さから、誰も信じる人がいないのが現状だ。
さて、開発の動機はともかく、VRは可能性を秘めた技術だった。
まずVR技術に目を付けたのは一般企業だ。
仮想現実上に社屋を用意してやれば、どこからでも出社できるようになる。ワールドワイドに展開する多国籍企業にとって大きなメリットだ。支社が地球の裏側にあったとしても、仮想現実であれば一瞬で訪問できるのだ。それは自社だけに限った話ではない。他社を訪れる際もまた同じ。企業はこぞって仮想現実に社屋を構えるようになった。
需要が生まれれば技術は磨かれていく。
度重なるコストダウンの果てに、仮想現実は個人でも手が届くようになった。仮想現実にアクセスするためのヘッドセットが家庭にある光景も珍しくなくなった。
それに目を付けたのがゲーム会社だ。
仮想現実上に異世界を構築し、そこで冒険を繰り広げるのだ。
そうして生まれたのがVRMMO‐RPGというジャンルである。
《ゼノスフィード・オンライン》──《XFO》もその一つのタイトルだった。
《XFO》の舞台となるのは剣と魔法の世界《ゼノスフィード》。
ヒューマン、エルフ、ドワーフと様々な種族が住む。各種族はそれぞれで国を作り、国家間の対立は少なからずあったが、表面上は友好的な関係を築いていた。
魔物の存在があったからである。
魔物の脅威から身を守るには、人同士で争っている場合ではなかった。
巨人はそれで失敗している。世界に覇を唱えんとしたのである。巨人は世界の盟主に足る種族だった。並の魔物では彼らの相手にならなかった。だが、巨人といえど種族の誰もが戦えるわけではない。戦争で戦士が減り出すと、国土の蚕食を魔物に許すようになり、次第に国力を落としていった。巨人は停戦を申し出、各国はこれを受諾。しかし、遅きに失した。巨人は魔物に抗うだけの力をなくしていた。巨人は滅亡した。
以来、戦争の機運が高まると、「巨人の轍を踏むな」という言葉が、為政者に贈られるようになった。
巨人の失敗を戒めとし、世界は大過なく続いていく──かに思われた。
聖歴423年、転機が訪れた。
生きとし生ける者の天敵、魔族が突如現れたのである。
魔王シュラム・スクラントは世界に宣戦を布告。
一国を瞬く間に滅ぼした。
危機感を抱いた人類は種族の垣根を越え魔族に立ち向かう。しかし、強靭な肉体と膨大な《魔力》を兼ね備えた魔族の前に散るのみ。魔族の版図は電光石火の勢いで広がっていった。
見かねた七大神は一計を案じる。
異世界《アース》から強者を召喚したのだ。
その強者こそプレイヤーであった──というストーリーである。
《XFO》はサービスが開始されるや否やゲーマーが殺到した。人気の過熱ぶりは、サーバーに負荷をかけないようログイン制限がかけられたほどである。アカウントがオークションで一千万円で落札された──なんて逸話まであり、《XFO》は社会現象となっていた。
《XFO》が他のVRMMOと一線を画すのはNPCの存在感だ。
ゼノス人と呼ばれるNPCは、プレイヤーである人間と見分けがつかない。
エルフであれば耳が尖っている、ドワーフであれば樽型の体型と、両者は外見から見分けることができる。しかし、プレイヤーたるハイヒューマンと、ゼノス人たるヒューマンの差異はないに等しく、プレイヤーだと思っていたパーティーメンバーが、実はNPCだったなんて話もよく聞かれた。
《鑑定》スキルで種族の確認が常識になってからは間違いも減っていったが、裏を返せばスキルに頼らなければ見分けられないほど、人間的な受け答えをNPCがするということである。これが主要なNPCだけならまだしも、農民の一人ですら個性があるというのだから凄まじい。他社のゲームクリエイターはどんな技術を使って実現しているのかと首を傾げていたと言う。
そんな《XFO》のアカウントをなぜか親父が持っており、俺にやれと渡してきたのだ。
親父はゲームを嫌っているはずだ。胡散臭いことこの上ない。
だが、別の世界へ行けるというのは魅力的な提案だった。
家に俺の居場所はなかったから。
弟は俺を出来損ないと見下し、母親は俺に見向きもしない。親父は……なんだろうな。冷遇はされていなかったと思う。優しくされた覚えもなかったが。今となっては確かめようのないことだが……アカウントを俺に渡したのは厄介払いだったのか……。
家名を名乗るなと言う親父の意向もあり、俺はプレイヤー名をオウリで登録。
《ゼノスフィード》に召喚されたハイヒューマンの一人となった。
それからの日々は怒涛の如く過ぎていった。
右も左も分からない世界でひたすら魔物を倒し続け、気が付けばトッププレイヤーの仲間入り。魔王シュラム・スクラントの討伐隊に参加し、見事討ち果たすことに成功した。あの時の宴は忘れられない。プレイヤーの笑顔。ゼノス人の賞賛。MVP報酬を盗まれた。
見覚えのある剣に気を取られ、盗賊に遅れを取った。後日、自分で鍛え露店で売った剣だと思い出し、大笑いした。当然、盗賊には痛い目にあってもらった。
騎獣が欲しくて走りトカゲの卵を買った。十日間経っても孵化せず不良品かと思っていると、殻を破って顔を出したのはなぜか黒竜。ヤーズヴァルと名付けた黒竜はすくすくと育ち……育ちすぎたので野生に返した。ヤーズヴァルに会いに行けば、じゃれ合いという名の殺し合いだ。
そして《XFO》はデスゲームとなった。
世界を渡る魔法《ログアウト》が封印され、《アース》との繋がりが切れたことで復活もできなくなった──という設定で。
だが、デスゲームは嘘ではなかった。
俺が安全を確認してサーバーを止めてやる、と言い残し自殺したプレイヤーがいた。
何日経っても《ログアウト》はなかった。
それが答えだ。
多くのプレイヤーがチャプター5のボス、堕神スニヤの討伐を目指した。デスゲームの開幕を告げたシステムメッセージ。それによればスニヤこそが世界をデスゲームにした元凶であり、チャプター5のクリアで《ログアウト》が可能になるとあったためである。
《XFO》が現実だったらな、と夢想するプレイヤーは多かったので意外だった。
ただ、分からないでもない。家族を恋しいと思う気持ちは。
俺もまた家族のために行動していたのだから。
家族の定義とは何だろう。
血の繋がりか。
俺は違うと思う。
だから、俺の家族は一人だけ。
妹だ。
行き倒れているところを拾った。
出来損ないは要らないと捨てられたらしい。
他人事とは思えなかった。
笑うと物凄く可愛いし、頭だって俺よりも上等だ。
卑屈なのが玉に瑕だったが、僅か一ヶ月で「兄さんは私がいないと何もできないんだね」と言えるまでに自尊心を回復した。ダメ人間を演じた甲斐があったものである。
妹は口うるさいが、俺の世話をするのが嬉しくて仕方がない様子。
そういう時は褒める。
褒め殺す。
尖った耳が赤くなるのが可愛い。
妹はエルフ──NPCだった。
だから、彼女を守るということは。
世界の敵になるということだった。
▼
またかよ。
残った拳闘士を見て胸中で独りごちる。
なぜか毎回最後まで残るのは拳闘士なのだ。
拳闘士は自前で強化も回復もこなすバランスのいいクラスだけどな。死ににくさで言えば守りに特化した騎士クラスの方が上だ。こうも拳闘士ばかり残るというのは、クラスの特性以外の何かが関係している気がする。
《XFO》では職業であるクラスが勝手に決まる。
適性を見ているという話だが、それは本当のことなのかも知れない。
最後まで諦めない心を持つ者が、拳闘士になるのではないだろうか。
そんなことを考えつつ、拳闘士の横手に踏み込む。視界の端に拳闘士の光る拳が映る。
やはりショットガン──《散打掌》か。
拳を雨あられと降らせるアーツだ。要は高速のジャブの連打である。
アーツとは得意武器を使用したスキルのことだ。アーツを使用しなくても似た芸当はできる。だが、アーツの真価は攻撃に補正がかかることにある。
例えば同じく拳闘士のアーツ、《崩拳》は単なる中段突きである。
しかし、モーションは同じでも、《崩拳》と中段突きとではダメージに雲泥の差が出る。《崩拳》は攻撃力に補正がかかるためだ。《散打掌》の場合は速度に補正がかかる。結果、《散打掌》は弾幕のような連撃と化す。ショットガンの異名はここからきている。
人がショットガンの攻撃を避けるのは難しい。
しかし、アーツには発動の際に光るエフェクトがあった。予兆があるのだ。勿論、発動するアーツを特定することはできない。だが、俺は拳闘士の攻撃をことごとく回避していた。当てにくると思っていた。だから、《散打掌》だと読めた。
《散打掌》の弱点はショットガンと同じ。
発射口は一つなのだ。
懐に潜り込めば面は点として処理できる。
恐怖で引き攣った拳闘士の顔が間近にあった。
そう怯えるなよ。
すぐ終わらせてやるさ。
最後の一人だ。全力でいける。
俺は右手で柄を握り、左手で鞘を押さえる。抜刀術の構え。
「《絶夢》」
明後日の方向へ刀を抜く。振り切るには拳闘士に接近しすぎていた。
鞘走り、刀身が露わになる。艶のある漆黒の刀身だ。人を魅了する妖しい艶である。だが、刀身が顔を出したのは僅かな間だけ。引き抜かれた端から淡い光を残して消えていく。
虚空を渡った刀身が拳闘士の前に現出。拳闘士の胸を深々と斬り裂く。俺はすかさず前方に身を投げる。飛び散る血潮を背中で受けるようにして。無茶な踏み切りだったが、アーツの補正は姿勢制御にも及ぶ。問題なく一回転できた。今度は遠心力の乗った斬撃を拳闘士に叩き込む。隙は大きいが威力の高いアーツ、《バニッシュメント》。
「…………ぐゥッ」
拳闘士は腕をクロスさせ、斬撃を受け止める。ここが地球なら腕は落ちていただろう。だが、この世界ではステータスが物を言う。肉を抉っただけで、骨を断つには至らない。
上体が泳いだ拳闘士を蹴り飛ばす。拳闘士がゴロゴロと転がっていく。
俺は蹴りの反動で地面に着地。高速移動のスキル、《瞬動》を発動。拳闘士の背後に回り込むと、その背中に掌底──《桜花掌》を放つ。俺の腕がつっかえ棒となり、拳闘士が屹立する。かは、と拳闘士が吐血した。血は舞い散る桜のようだった。
綺麗な名前とは裏腹なえげつないアーツだ。吐血させることまでがセットなのである。バックアタックでしか発動できないので、滅多に使えるアーツではないのだが。
「…………」
「…………」
俺は掌底の体勢のまま佇む。
拳を引けば拳闘士は倒れるだろう。
拳闘士が何かを言いたそうにしていた。
「…………この……裏切り者が……」
「ああ、言われ慣れてるよ」
「……………………人殺し」
「残念だな。それもだ」
拳闘士が俺の胸倉を掴む。振り払うまでもない。
やがて力尽きた拳闘士は崩れ落ち、無数に転がる死体の仲間入りを果たす。
二十人はいる。全員俺が殺した。プレイヤー。かつての同胞だ。
拳闘士に返した言葉は嘘ではない。一体、何度屍山血河を築いたことか。裏切り者。人殺し。言われ慣れている。デスゲームが始まり、俺達の道は分かたれた。互いの道が交わった時、争いは避けられなかった。それだけだ。後悔はない。だが、思うことはある。
だから、呪いの言葉だと知りつつ、俺は拳闘士に言わせるままに──
「…………なぜ……だ?」
「ん? ああ、驚いたな。生きてたのか」
掠れる声を発したのは白銀の外套を羽織る剣士だった。地面に倒れ伏し、顔だけ上げている。中性的な顔立ちは美しく……なんていうか、主人公ヅラだな。
なら、俺は悪の手先になるのかね。まー、実際、そういう立ち位置だが。
「…………君は……強い。たった一人で……レイドパーティーが……壊滅だ……なぜだ。なぜその力を……人のために使わない。デスゲームを終わらせるために」
「答えは出てるじゃねぇか。デスゲームを続けるためだろ」
剣士がギリと歯噛みする。
「……みんなの言うように……血に飢えた獣だったか……」
「…………」
俺は渋面になる。
血に飢えた獣。PKの蔑称だ。
地球では平凡な学生も《XFO》では圧倒的な強者になれる。地球への帰還を拒むプレイヤーが出てくるのは当然の流れ。大勢はクリアに手を貸さないという消極的な敵対。しかし、一部の跳ね返りは力を失うことを恐れプレイヤーを狩り出した。
それがPKだ。
デスゲームなのだ。殺せば本当に死ぬ。PKは殺人犯である。
地球に戻れば処罰されるのは間違いない。
クリアを目指すプレイヤー。それを阻止せんとするPK。彼らの戦いは熾烈を極めた。
血で血を洗う抗争が人を狂わせたのか。いつしかPKの手段と目的が入れ替わっていた。
PKは血に飢えた獣になった。ゼノス人まで襲うようになったのだ。
しかし俺が手にかけるのはクリアを目指すプレイヤーだけ。
あいつらと一緒くたにされるのは業腹である。
「……不服そう……だね。言い訳が……あるなら……聞かせて……れ……」
上から目線の問いかけに俺は肩を竦める。
言い訳ね。
そうだろう。
全部、言い訳だ。
剣士は確固たる信念を持っている。俺が何を語っても言い訳になる。
気が進まない。
だが、剣士は冥土の土産として言い訳をご所望らしい。
溜息を吐く。口を開いた。
「俺は。家族と一緒にいるために、この世界を守りたいだけだ」
「……家族? 《ログアウト》すれば…………まさか、NPCなのか?」
「…………」
「……プレイヤーを……同胞を殺してまで……することかい?」
「善悪を語るのは無意味だろ。この世界をデスゲームにした張本人のスニヤな。話してみりゃいいやつだったぜ。お前らは自分の目的のためにスニヤを殺そうとしてる。俺は俺で自分の目的のためにプレイヤーを殺してる。そこに一体、どういう違いがあるって言うんだ」
「…………馬鹿な。NPCは……作られた……存在だ。プレイヤーと……同列には語れない」
「本当にそう思うのか?」
《XFO》にはゼノス人の営みがある。親しい人が亡くなれば葬式で悼む。良質な鉱石を持ち込めば鍛冶屋は泣いて喜ぶ。盗賊を討伐すれば騎士から褒め称えられる。スラムの子供は今を生き抜くために必死だし、王は国を栄えさせるために苦渋の決断を下す。
《XFO》がゲームの世界だというのは嘘で。
異世界に《ログイン》しているのではないのか。
そう語るプレイヤーだっている。
だが、剣士は言いきった。
「…………当たり前だろう。NPCは人じゃない」
ああ、お前はそう言うだろうな。だから、言いたくなかったんだ。
言い訳を言い訳と理解した上で舌にのせるのは苦い。
プレイヤーが《ログアウト》すれば、危険なプログラムだという理由で、《XFO》のデータは抹消されるだろう。デスゲームをクリアするということは、ゼノス人を絶滅させるということと同義だ。剣士がここを訪れた時点で理解し合えないことは分かっていたのだ。
人が作ったモノなのだから、人が壊すのも勝手だろう。
剣士が言っているのはそういうことだ。
間違った意見だとは思わない。
だが、それもNPCを作ったのが人だとしたら、だ。
ここまでリアルな人工知能をゲーム会社が開発できたというのは不自然だ。研究機関も人工知能の開発を行っているが、ゼノス人に遥か劣る出来栄えである。サードアームズ社が人工知能の技術を開示したという話も聞かない。《XFO》を運営するより遥かに儲かるに違いないにもかかわらずだ。かくいう俺も妹と出会うまでは、頭のいいNPCだなと思考停止していた。思考を操作されているかのように不自然さに気付かなかった。
何よりもスニヤが断言していた。
NPCには魂が存在する、と。
魂はプログラムできない。
NPCがどのように生まれたのか。
それを知るのはサードアームズ社のみ。
「……先などありはしな……というのに……」
信じられないとばかりに首を振る剣士に、俺は「分かっているさ」と嘆息する。
《XFO》では五体満足に振る舞えていても、地球では本体が寝たきりになっている。
家庭では生命維持もままならない。恐らく本体は病院に収容されている。
入院費用もただではないだろう。サーバーの維持費だってある。
デスゲームは莫大な金をつぎ込んで、ようやく維持されているのである。今は人命を優先させているようだが、金銭的な余裕がなくなってくれば、一か八かでサーバーの停止を試みるはずだ。サーバーが停止されれば、プレイヤーに待つのは死だろう。人質が逃げ出せる穴をスニヤが潰していないとは思えない。
いずれデスゲームは終わり、俺は死ぬことになるだろう。
先などありはしない。
その通りだ。重々承知している。
生きたいのであればデスゲームをクリアすればいい。俺にはそれを可能とするだけの力がある。
だが、生にしがみ付いたとして何が残るというのか。何も残りはしない。
死んだように生きるのは俺の矜持が許さない。
終わりが定められているのだとしても、俺は最後の瞬間まで俺で在りたい。
「回復薬。飲まねぇのか」
剣士は酷く《出血》している。徐々に《生命力》が減る状態異常だ。遠からず剣士は死ぬだろう。
いや、回復薬を飲もうとしたらもちろん殺すのだが。剣士もレベル200のカンストプレイヤー。一度勝ったからといってまた勝てるとは限らない。俺の警戒に剣士も気付いているだろうが……試す素振りを微塵も見せないのが不気味だった。手をこまねいていたら待っているのは確実な死である。
「……ははは、構わない……僕は君とは違う……礎になれれば本望さ」
「……それはどういう──」
俺が言いかけた瞬間、半透明の窓が開いた。
メニューインターフェース、《ウィンドウ》だ。
何かを読むように剣士の目が左右に泳ぐ。《ウィンドウ》の内容を確認しているのだろう。他人の《ウィンドウ》は見えないのだ。一体、何が書かれているというのか。
剣士はにやりと笑う。
「……僕らの勝ちだ」
剣士はひれ伏し、俺は見下ろしている。分かりやすい敗者と勝者の構図。
だが、剣士の勝利宣言で立場が逆転したかのような錯覚に陥る。
ぞわっ、と背筋に冷たいものが走る。俺は致命的な何かを見落としている。俺の意思を無視して《ウィンドウ》が出現。これが意味することは一つ。システムメッセージ。デスゲーム開始のアナウンス以降、沈黙していたシステムメッセージ。
恐る恐る《ウィンドウ》に目を通す。
堕神スニヤが討伐されました。チャプター5《世界の理》がクリアされました。
「…………おいおい……冗談キツいぜ……」
眩暈がした。顔を手で覆う。動悸が激しい。指の隙間から覗く。文字が浮いている。だが、読めない。頭が理解を拒む。目を閉じて深呼吸。覚悟を決め、目を開く。
《ウィンドウ》は変わらず、スニヤの討伐を告げていた。それどころか、プレイヤーに《ログアウト》を促している。
「…………グレーアウトしてた《ログアウト》が押せるようになってる……」
……何があった? あり得ない。
俺が今いるのはセイフティーエリアと呼ばれる場所だ。
ボスの手前に存在する魔物の出ないエリアで、本来は休憩に用いられる安全な場所だ。
だが、現在はダンジョンのどこよりも危険な場所となっている。
俺が待ち受けているからだ。
プレイヤーがスニヤに挑んだのなら、俺が把握していなければおかしいのだ。
……俺がいない隙にセイフティーエリアを抜けた?
妹と一緒にいるのが俺の望みである。離れて暮らすのでは本末転倒だ。普段は妹と一緒に森の中で暮らしている。だから、プレイヤーがダンジョンを訪れると、スニヤから連絡が入るようになっている。急いで駆け付けたのだが……間に合わなかったのか?
……いや、それはないだろう。ダンジョンを攻略するのは一日がかり。ダンジョンを一階から踏破しなければならないプレイヤーと違い、スニヤの助力がある俺は直接セイフティーエリアに出入りできる。間に合わなかったというのは考えづらい。そもそもクリアされたのはたった今だ。確実に俺とすれ違っているはずなのだ。
だが、どうやって?
剣士のパーティーは俺が全滅させた。
他にプレイヤーは……………………いた。いたな。
一週間前、ダンジョンに入った狂戦士のレイドパーティーがいた。レイドパーティーとは二十四名からなるプレイヤーのパーティーのことである。ボスエリアに入れるのは二十四名までとなっているため、ボスに挑むのはレイドパーティーでというのが通例なのだ。
いつまで経ってもやってこないのであのパーティーは全滅したのだと思っていた。このダンジョンはカンストプレイヤーのパーティーですら、気を抜けば一気に全滅する難易度なのである。
……あのパーティーが生きていたとしたら。
剣士のパーティーは開幕から、派手な魔法を多用していた。あれは目くらまし。狂戦士のパーティーをボスエリアに送り込むことが目的だったのだ。
……してやられた。
「…………」
呆然とすること暫し、我に返り剣士を睨む。しかし、剣士は何も言おうとしない。
「……馬鹿が。自分が死んだら意味ねぇだろ」
剣士は俺を出し抜いた相手である。だが、不思議と憎しみは覚えなかった。剣士が笑みを浮かべ、事切れていたからだ。身体が残っているということは、《ログアウト》は間に合わなかったのだろう。しかし、剣士の笑顔には一片の曇りもなかった。
紛れもなく勇者だった。剣士の瞼を手で閉ざす。
「……スニヤ。悪いな」
踵を返す。
デスゲームと化し二年。一緒に戦ってきた戦友だ。
別れを告げたい気持ちはある。
が、今は一刻を争う。
窓から飛び降りる。黒い外套が風を孕む。
背後には天地を貫く巨大な構造物がある。
一見するとただの塔だが、俯瞰すれば槍であることが分かる。
世界槍ホルン。チャプター5のボス、堕神スニヤのダンジョンだ。
「──ヤーズヴァル!」
グルゥゥ、と唸り声が頭上から聞こえてくる。翼を畳んだ黒竜が降下してきていた。
黒竜の背に降り立つと、労りを込めて黒竜の頭を撫でてやる。黒竜が嬉しそうに吠える。巨大な体躯だが、黒竜はまだ子供で、甘えたい盛りなのだ。
「頼む、ヤーズヴァル。家へ」
空を行く俺の周囲を無数の白い光が昇っていく。
「…………プレイヤーの魂か」
身も蓋もない言い方をすれば《ログアウト》の光景だ。
だが、この世界を現実と思い定めた俺には、輪廻を司るスニヤが滅んだことで、プレイヤーの魂を留めておけなくなったのだと──そう思えた。
と、不意に世界が軋んだ。
「……ッ。なんだッ」
肩越しに振り返ると、予想外の光景が目に入る。
世界槍ホルンが白く塗り潰されていたのだ。出来損ないの絵画を白紙に戻すかの如く。この世界は虚構なのだと思い知らせるかの如く。
「……ヤーズヴァル、急げ」
仮想現実にアクセスするためのヘッドセットには、外部から強制停止できる機能が組み込まれている。スニヤはデスゲームに当たりこの機能を殺していた。しかし、デスゲームはクリアされた。強制停止機能も復活しているはずだ。勿論、プレイヤーが自発的に《ログアウト》するに越したことはなく、安全性が確保されるまでは二の足を踏むだろう。だが、いつ強制《ログアウト》させられてもおかしくない。だから、急いでいたのである。
……思った以上に時間がなさそうだな。
残り時間は世界の崩壊という形で示されている。
一体、何が起きているのか。サーバーを停止しようとしているのか。
見えてきた。
森だ。
森から勢いよく少女が飛び出してきた。転んだ。泣きべそをかいていた少女だったが、ヤーズヴァルを見付けると顔を綻ばせた。俺に向け手を振り、何かを叫んでいた。
妹だ。
「ヤーズヴァル!」
声をかけると、分かっていると言いたげに黒竜が降下を始める。
「……よかった、兄さん。無事で。森が騒がしかったから心配したよ。ねぇ、なにが起きてるの? 知ってる?」
「…………」
言葉に詰まる。
一体、何を言えばいいと言うのか。
この世界は虚構で。
ゲームがクリアされ。
電子の海へと消える。
……………………言えるかよ。
この世界がゲームであるという発言は、ブロックされることを抜きにしても──
「………………は?」
気が付くと俺は地面に倒れていた。一瞬、意識が飛んでいたらしい。次の瞬間、猛烈な吐き気を催した。意識の混濁と、強烈な吐き気。この症状には覚えがあった。
《魔力》切れだ。
しかし、なぜだ。
魔法を使った覚えはない。
顔を上げると、
「……グルゥゥ」
身をよじって悶えるヤーズヴァルと、
「…………にい、さん」
苦悶の表情を浮かべた妹の姿があった。
……二人とも《魔力》切れ? まさか、全世界の人が? だが、《魔力》で一体何を?
いや、そんなことより。妹が不安がっている。
震える足に鞭打って立ち上がる。まるで生まれたての小鹿のように。プレイヤーの身体能力は常軌を逸している。しかし、身体は鉛のように重たく、一歩を踏み出すことでさえ辛い。《生命力》も底を尽きかけているのかも知れない。だが、一歩、二歩と進むにつれ、足取りがしっかりする。無意識に《チャクラ》を発動していた。《生命力》を削り、ステータスを強化するスキル。命の根源たる《生命力》を垂れ流して妹の方へと進む。
最後の瞬間を妹の傍で迎える。
大それた願いではなかったはずだ。しかし、そんな小さな願いすら叶わない。
突如、地面に亀裂が走ると、俺の足場が陥没したのだ。
「兄さん!」
妹が身を乗り出す。俺の身体が宙に浮く。妹が手を伸ばす。俺も手を伸ばす。だが、届かない。見る見る妹が遠ざかる。声すら地割れに飲まれ、届かない。しかし、何かが俺の手に触れた。温かな──涙だった。妹が流した涙だ。気付いた瞬間、俺は叫んでいた。
「セティ! 会いに行く! 何があっても! 必ずだ!」
《XFO》は終わった? 何もかもが手遅れ?
知ったことか。
決めた。
セティともう一度会う。
どんな手を使ってでも。
だから、セティ。その日まで──
「──死ぬな!」
──僕にできるのはここまで。後は頼むよ、オウリ。
混濁する意識の中、スニヤの声を聞いた気がした。
▼
──チャプターのクリアにより、ジャーナルが変更されます。
【クエスト】チャプター5《世界の理》
【聖 暦】436年
【詳 細】死した魂は生前の業を浄化され、別人として新たな生を受ける。
それが世界の理だった。
しかし、ある時を境に理は乱れ始める。
生前の記憶を有したまま転生する魂や、アンデッドと化す魂が出てきたのだ。
輪廻の神スニヤは異物の影響であると断じた。
異物。ハイヒューマンだ。
異なる世界の魂は輪廻の輪に乗らず、死しても復活するのである。
スニヤはハイヒューマンを世界の理に組み込もうとするが、他の七大神の反感を買い、神の座を追われる。堕神となったスニヤだったが、まだ神の権能の一部を有していた。ハイヒューマンの復活を禁じ、新たなハイヒューマンが増えないよう、異世界《アース》との繋がりを断ち切った。
俗に言う大鎖界である。
スニヤはハイヒューマンにより討たれることとなったが、今際の際に原初魔法《世界創生》を発動させる。
それは《アース》との決別を意味していた。
【ボ ス】堕神スニヤ
【報 酬】世界槍ホルン
──チャプター6《新たなる世界》を開始します。
──《ゼノスフィード》を維持する《魔力》を原初魔法の発動に回します。世界の消滅に巻き込まれないよう、プレイヤーは《ログアウト》を急いでください。正常に《ログアウト》が行われない場合、後遺症が残る可能性があります。
──《魔力》充填率87%。
──生命体から《魔力》を徴収します。
──《魔力》充填率96%。
──生命体から《生命力》を徴収し、《魔力》へ変換します。
──《魔力》充填率100%。
──魔法の発動を承認しますか?
──闘争の神ノェンデッド──承認。
──輪廻の神スニヤ──反応がありません。
──空間の神パストロイ──承認。
──暗月の神リディオン──否認。
──供犠の神クァルラ──反応がありません。
──火輪の神ウドュリ──承認。
──時間の神クガ──承認。
──過半数の承認を得ました。
──原初魔法《世界創生》を発動します。
▼
──新世界《ゼノスフィード》へようこそ。
▼
俺は昔から寝起きが悪かった。
危険が迫れば目が覚めるので起きられないワケではないのだろう。要するに現実と向き合うのが億劫だったのだ。眠っていれば出来損ないと嘲笑されることもない。
まどろみは忌避すべき覚醒への一歩だった。
しかし、今は好んで二度寝、三度寝に耽る。
──もう、兄さんったら。朝だよ。起きて。
困っているようで。
嬉しさを隠せない。
その声を聞きたかったから。
寝ぼけ眼で俺が手を伸ばせば、うんしょと引き起こしてくれる──ハズだった。
「──────ッ!」
手が見えた。空を掴んでいた。
「……………………セティ」
……伸ばした手は……届かなかった。