プロローグ ~地上最弱の村人~


 転生って言ったらチートだろ?

 そんな風に思っていた時期が俺にもありました。



 そんな感じで、お約束通りにトラック事故に巻き込まれた俺は転生して職業:村人として生まれ変わった訳ね。

 そんでもって、生まれた先の家は貴族でも金持ちでもなく、普通に平民でなおかつ貧農だった訳だ。

 生活レベルで言うと、凶作って訳でもないのに、ちょいちょい喰うにも困るとかそんな感じ。

 で、俺は貧しいながらもすくすくと成長し、至極平凡なステータスとスキルを持つ十五歳となりました。

 もう一度言います。


 転生って言ったらチートだろ?


 村人に生まれ変わったとしても、実は成長チートがありましたとか、スキルチートがありましたとか……そういうのがあるんだろ?

 そんな風に俺も思っていたんだが……そんなことは本当にありませんでした。

 マジで普通の村人でした。

 で、代わりと言っては何だが、俺の隣の家で、誕生日が三日違いで本物のチートの女の子が産まれたんだよな。

 コーデリア=オールストン。

 容姿端麗にして、十五歳の時点で既に一騎当千──職業:勇者。

 正にチート級のチートって奴だ。

 俺の家の隣に、俺と同じ年に産まれて、俺と同じように育ったのに──勇者様のステータスは正しく一騎当千。

 あるいは万夫不当。

 村人の俺からすると完全に異次元のレベルの怪物だ。

 十五歳の女の子がナマクラの剣を軽く振るうだけで、バターみたいに大岩が削がれていく光景は圧巻だったな、うん。

 百メートルを走らせれば多分一秒とか二秒で走れるし、もうほとんど人間をやめているレベルだと思う。

 四歳か五歳の頃なんかは喧嘩したりすると、やっぱり俺が男の子だから勝っちゃったりしてたんだが……。

 そこからの成長が凄かった。

 今は日常で接する際にも、俺を傷付けないように力加減の調節に苦心しているご様子だ。

 一度、冗談でポンと叩かれて肩を脱臼させられたが……やらなくてもいいのに三日三晩看病された。

 で、やっちまった事を酷く気にしてて……やられたはずのこっちが気の毒になる感じだったな。

 話は変わって現在、俺とコーデリアは十五歳だ。

 そんでもって、俺が野営している場所はマナキスの大森林だ。

 この森には嘘か真か龍が住んでいるとかいないとか……。

 そんでまた、現時刻は午後の七時くらいか? 冬だからやたら寒いし陽が落ちるのも早い。

 焚き火で暖を取っているが、深い森の中、月明かりも届かずに周囲は完全な闇に包まれている。

 その時、狼の遠吠えが遠くに聞こえてきた。

 そこで、俺はちょっとビビり気味にコーデリアにこう問い掛けた。

「おい、コーデリア? マジで大丈夫なのか? ここって魔物とか出るんだろ?」

 焚き火に淡く照らされている燃えるような腰までの赤髪。

 一部の隙もなく整った造形の顔は可憐さとしさを併せ持ち、とてもこの世のものとは思えない。

 なのに、一騎当千。あるいは万夫不当。

 剣を持たせて戦場に立たせれば、大抵の武人が一刀の下に切り伏せられる。

 どこにそんな力が……と思わせる細い肢体に蒼の軽鎧を纏わせた少女は、俺の質問に首を傾げてこう応じた。

「へっ? ドラゴンキラーの称号を持つ私がいるのに……魔物の危険を心配してるの? この場合、むしろ魔物を心配してあげたほうがいいと思うよ。この辺りの魔物は弱いし……あー、でも、アンタは魔物が出るような場所に来るのは初めてだっけ?」

「お前と違って職業適性:村人だからな。せいぜいが村の外にちょっと出て、害獣退治の罠を仕掛けるのが関の山だ」

「ああ、一回……騎士団の遠征に参加した帰りに見掛けたことあるよ。アンタ、ちょっと村の外に出るだけだってのにビビりすぎじゃん? ビクビクビクビク周囲を窺ってさ」

「村人なんだから仕方ねーだろうよ……ってか、そんな俺をこんなところに連れ出して……って、うおっ!?

 巨大な──イノシシだった。

 樹木の陰からこちらに向けてイノシシが飛び出してきた。

 体重は恐らく一トンオーバー。そして魔の者である事を示す紫色の瞳。

 口からボタボタと垂れ流される唾液。

「リュート! 動かないで!」

 それだけ言うと、コーデリアはイノシシに向かって疾風のごとくに駆け出した。

 そうしてスライディングタックルの要領でコーデリアは、疾走するイノシシの腹の下に潜り込む。

 地面を滑りながら、腹の真下で剣を一閃。

 イノシシの中身が大量に地面にこぼれ落ち、それと同時、腹の下を抜けると共にコーデリアは立ち上がり跳躍した。

 腹を破られた事から真横に倒れるイノシシ。

 その脇腹に乗り、その首に向けて再度長剣を一閃。

 首と胴体が分断され、返り血の飛沫しぶきがコーデリアの頬に朱色の化粧を施した。

「いっちょ上がりってね。明日の朝食は猪鍋にしようか」

 と言いながら無邪気に笑うコーデリア。

 おいおいマジかよ……と、その返り血の生々しさに俺は表情を引きらせる。

 そして、すぐさま自分の失態に気付き、無理矢理に表情を笑みに変える。

「朝から肉ってのは重過ぎねーか? ってか……色んな意味でマジ……半端ねーなお前……」

 そこでコーデリアは俺の一瞬の表情の変化に気付いたようだ。

 そして地面の岩に腰掛けると同時に深く溜息をついた。

「さっき、何でアンタはこんなところに連れ出してって……言ったよね?」

 言いながら、布を取り出して返り血を丁寧に拭い始めた。

「ああ、確かに聞いたが?」

「本当の事を言うとね? 私……リュートに知っておいて欲しかったんだ」

 空を見上げながら、コーデリアは遠い目でそう言った。

「知っておいて欲しかった? 何を?」

「村では見せない私の本当の姿を……さ。十歳を過ぎたあたりから、騎士団や冒険者に交じってこういう荒事を……私はずっとこなしてきたんだ」

「…………」

 さっきの返り血に対する応対は……やはり完全に不味まずったな。

 そう思っている俺の心境を知ってか知らずか、コーデリアは続けた。

「これから私は騎士団に正式に所属して一年間の訓練期間を経る。十六歳になれば……王立の魔術学院に特待生として入れられるんだ。全てはきたるべき大厄災に備えるための……神託通りの……私の強化プログラムの通りにね」

「……そうらしいな」

「だから、アンタには本当の私の姿を見ておいて欲しかった……アンタだけには……さ」

「ん? モーゼズはお前の本当の姿をいつも見てるんじゃねーのか?」

 モーゼズ。

 コーデリアと同じく俺の幼馴染で職業適性:賢者のこれまたチートな野郎だ。

 どうしてこんな小さな村で、同じ年に産まれた奴にこんな、とんでもないレベルの職業適性の奴らが二人もいるんだろうか。

 ぶっちゃけた話、勇者と言えば国一つの決戦兵器になりうる存在だ。

 賢者にしても局地的な戦術兵器になりうる存在な訳で。

 二人とも、国家の単位でも数人抱えているかいないかという規格外のレベルの話な訳で……。

 おかげで俺の肩身は狭い狭い。

 と、それはさておき、先ほどの俺の言葉を受けたコーデリアはプルプルと小刻みに肩を震わしていた。

「モーゼズとはカリキュラム上、いつも一緒にいるけど、私は……私はアンタにっ! アンタにだけは絶対に知っておいて欲しかったって言ってるのっ!」

 しばしの沈黙。

 静寂が森を包み、何とも言えない空気が一帯を支配する。

「もう……気軽に会えなくなっちゃうんだよ?」

「騎士団所属っつったら……そうなるだろうな」

「アンタは何も思わないの? 私がここまで言ってるのに……私にかけてくれる言葉はないの?」

「……悪い、お前が……何言ってんだか分かんねーよ」

 そこで、意を決したようにコーデリアは大きく息を吸い込んだ。

 そして立ち上がると、岩に腰掛ける俺の前まで歩いてきた。

 そのまましゃがみ込んで、蒼色の瞳で──まっすぐに俺の瞳を覗き込んできた。

「私さ……ずっと、ずっと……アンタの事……」

 と、そこで、川で洗い物をしているモーゼズの声が遠くから聞こえてきた。

「リュートさん!? こっちに来ていただけませんか? この寒さでの洗い物は……少し辛いものがありまして……」

 コーデリアは露骨に舌打ちし、俺は怪訝に小首を傾げた。

「ちょっと行ってくるよ。コーデリアは火の番をしといてくれ」

「…………」

「どうしたんだ? 膨れっ面で?」

 眉をへの字に曲げて、顔を紅潮させながら彼女はプイっと顔をそむけた。

「……知らないんだから! とっととあっちに行きなさいよこの馬鹿っ!」

 と、そこで思い直したかのように俺に再度声をかけた。

「……アンタは村人なんだから、魔物が出たら大声で叫んですぐに私を呼びなさい! まあ、ここいらは弱い魔物しかいないから、私が近くにいるだけで大抵の魔物は怯えて遠くに逃げてるけどね」

「分かってるよ……ってか、モーゼズがいるから大丈夫だろうよ」

 と、コーデリアに後ろ手を振りながら俺は溜息混じりに呟いた。

「…………『村人なんだから』か、結局、コーデリアですらも……まあ、俺は……村人なんだから仕方ねーよな」



 肩までの紫がかった髪に、そして眼鏡。

 いつも一人で本を読んでいる線の細い男……それがもう一人の幼馴染モーゼズだ。

 言葉遣いも十五歳にしては妙に丁寧で、会話を交わす際は常に微笑を浮かべている。

 どうにも、生命保険のセールスレディに通じるような笑顔で、正直なところ、俺はこいつが苦手だ。

「すいませんね。リュートさん……手伝ってもらって」

 言葉通り、俺はモーゼズを手伝っていた。

 川で先ほどの食事の食器と、そして肌着類の水洗いを行っているというのが現況だ。

「いや、気にするなよ。っていうか本当はこんなのは村人がやる仕事で、賢者様の仕事じゃないだろう」

「違いありませんね。まあ、我らが姫君が、料理はリュートさん、洗い物は私と決めたのだから致し方ないでしょう」

「あいつ命令ばっかして自分は何にもしないのな」

「違いありません」

 その言葉で俺ら二人は互いの顔を見合って苦笑した。

「良し、これで終わりっと……」

 そうして、俺は最後の皿を洗い終わって立ち上がった。

「本当にすいませんねリュートさん……」

「いいって事さ。俺ら……村には三人しかいない同い年の……友達だろ?」

 その時、急に俺の視界が暗くなった。

 立ちくらみというか、貧血というか、それの相当に強烈なバージョンだ。

 すぐさま俺はその場に膝をついた。

「友達ですか? 誰と誰がですか? 村人と賢者が友達? フフっ、これはまた楽しい冗談だ」

 ぐわんぐわんと頭が回り、視界も回る。

 何事かとパニックに陥っている俺に向けて、モーゼズは上から言葉を投げ掛けた。

「──ようやくクスリが効いてきたみたいですね」

「クスリ……? どういう……なぜ……?」

 舌がもつれる。ロレツが上手く回らない。

 悪寒が走り、背中から嫌な汗が止めどなく流れていくのが分かる。

「何故か? こんな簡単な事はないでしょう? 私とコーデリアとそして貴方……みんなが同じ年に産まれて幼馴染として育ちました。けれど、彼女が好意を抱いているのは……何故か貴方のようです」

 モーゼスは軽く息を吸って言葉を続けた。

「私の職業適性は賢者です。数万人か、あるいは数十万人かに一人の選ばれた才能を持つ──それが私です」

 そんな事は知ってるよ。

 俺ら三人が同じ村に産まれて、そして二人がチート職業適性だという事はな。

 それはもう、嫌という程……惨めな程に知ってるよ。

「そして私は転生者です。ああ、転生者と言っても分からないでしょうね……まあ、それはいいでしょう。とにかく、私はただの賢者特性を持つだけの人間ではなく、更に特別な者なのです」

 ……え? 何だって?

 視界がボヤけ、意識が霞掛かっていく。

 モーゼズの言葉が耳に届かない。あるいは耳に届いていてもその言葉が意味のある像となって頭の中で形を作らない。

「驚きましたよ。あのような神に祝福されたとしか思えない、天使のような造形の少女がこの世に存在するとは……数年後が……本当に楽しみです」

 大声を出してコーデリアに助けを呼ぼうかと思ったが、時すでに遅し。

 一切の声が出ない。

 四つんばいの状態で、四肢の筋肉が完全に笑っている。

 その場で崩れ落ちないようにバランスを取る事だけで精いっぱいだ。

「──彼女の横の席に座るのは私こそがふさわしい。最初に受けた何故との質問に回答するのであればそれが答えでしょう」

 モーゼズは俺の背後に回り、力任せに背中に蹴りを入れた。

 そのまま圧力に押された俺はドボンと川に落ちる。

 急流で、更に薬の影響で立ち上がる事もままならない。

 俺はなんとか体勢を変えて、上向けの姿勢だけを確保した。

 そして流れに身を任せ、俺の意識はまどろみの中の暗闇に溶けた。

 最後に、モーゼズのこの言葉だけは脳裏に響いた。

「──村人風情が……勇者と対等に話をするなどと……分をわきまえなさい」




 どれほどの間流されていたのだろうか。

 相も変わらず手足は言う事を聞いてくれない。

 ただ、されるがままに仰向けに流されている形、視界には満天の星が広がっている。

 夜……か。

 どれほどの時間が経過しているかは分からないが、それほど時は経っていない様だ。

 けれど、体力は確実に奪われている。

 目下、手足の感覚が完全にない。けれど、不思議と寒さや痛み、そして辛さは感じない。

 ただ……ひたすらに眠い。

 むしろ、これって一番ヤバい状態じゃねーのか……と、どこか他人事のようにそう思う。

 ゆめうつつのまどろみの、眠っているのか起きているのかも分からない状況の中──俺はその声を聞いた。

「──リュート! リュート──! どこなの!? 返事を……返事をしなさいっ!」

 どういう経緯でコーデリアが俺の状況に気付いたかは分からない。

 あの後、モーゼズは上手い事、コーデリアに状況を説明したはずだ。

 あるいは、素直に俺が失踪したとストレートに伝えたかもしれない。

 それとも、俺が魔物に襲われた事にでもしたのかもしれない。

 どちらにしても、モーゼズとしては、俺とコーデリアが鉢合わせになるという、この展開には絶対にならないように、何らかの配慮はしていただろう。

 それは果たしてただの偶然だったのか、あるいはそれは勇者のスキルや、超人的な五感のせいかは分からない。

 けれど、どちらにしろ、コーデリアは川を流れる俺までピンポイントで辿り着いた。

 川の岸の砂利道。

 猛速度のダッシュでこちらにコーデリアが向かってくるのが見える。

 どうやら助かったか…………と、俺は眼前に迫りくるモノに気が付いて、そして軽く首を左右に振った。

「やっと……見つけたっ! 待ってなさいリュート! 私が今すぐ……って……えっ……?」

 どうにも人生は上手くいかない。

 川を流れる俺の眼前には奈落の巨大な滝が見えていた。

 それは、ここいらでは有名な滝で──その落差は五十メートルを超える。

 人外の領域に達しているコーデリアならいざしらず、ただの村人の俺にその落下に耐えろっていうのは少しばかり無茶が過ぎる。



 コーデリアは状況に気付き、そしてノータイムの逡巡で、冬の川に飛び込む事に決めたようだ。

 が、いかに異常な身体能力を持つ彼女でも、ちょっと間に合いそうにない距離で──

「──ごめんな。コーデリア……じゃあな」

 本当に小さい声だったけれど、かすれるような声だったけれど、言葉を振り絞る事ができた。

 そしてその言葉がきちんと伝わった事は、一瞬でくしゃくしゃになった彼女の表情が十二分に物語っていた。

 ごめんな……の意味には二つある。

 恐らくは、俺は死ぬ。一つはその事についての……ごめん。

 そしてもう一つは、彼女の好意を受け入れる事ができない事に対する……ごめんという意味だ。

 コーデリアの俺に対する好意には気付いていた。

 転生前の俺の記憶も合わせれば、彼女はあまりにも幼いというのもある。

 けれど、後数年もすれば……彼女は他の追随を許さぬ程に美しく育つだろう。

 それこそ、かつての俺が逆立ちしたって相手をされないような。

 そんな事を考えながら、走馬灯の如くにこの世界で産まれてからのコーデリアとの記憶が頭をフラッシュバックしていく。

 六歳までは常に、俺の背中にあいつは付いて回ってきていた。

 生まれ持っての職業適性の効果が成長に混じり始める七歳の頃から……俺はあいつの背中に隠れて過ごすようになった。

 でも、立場は変わっても関係は変わらず、俺達はずっと仲が良かった。

 そして訪れたのが先ほどの場だ。

 あいつは自然な事として俺をパートナーとして認識し、選んでくれたのだろう。

 でも……と俺は思う。

 ──守られるだけの俺じゃあ、モーゼズの言う通りに……色んな意味で、彼女の横に対等な立場で立つ資格はない。

 ──あぁ……情けねぇ……強く……強くなりてぇ……なぁ……。

 と、そこで遠方でコーデリアが川に飛び込む音が聞こえると同時──

 ──俺は奈落へと落下した。




 薄暗い洞窟だった。

 天井から無数に伸びる鍾乳石──ポチャリ、ポチャリと、その先から水滴が落ちてくる。

 水滴の冷たさで俺は目を覚まして、そして絶句した。

「ここは森林地下の洞窟……龍の住処へと至る道」

 仰向けの体勢の俺に語り掛けてきたのは──ただひたすらにデカい真紅のドラゴンだった。

 体長は十五メートルはあるだろうか、その圧巻の巨体に、ただただ絶句せざるを得ない。

「滝に落ちた生き物は通常……息絶えるまで水底を彷徨さまよい、そして時を置いて流れていくが宿命。はたして運が良いのか悪いのか……善くもここに至る水道につながったものだ」

 どうやら俺は岩場に打ち上げられているらしい。

 が……まだ薬の影響が残っているか、あるいは落下の打撲のせいか、体は動かない。

 唯一自由になる口だけを開いて俺は懇願した。

「…………お願いがあるんだ」

「……これも何かの縁。我にできる事であれば可能な限りに聞いてやろう」

 妙に話の分かる奴だと思いながら俺は言葉を続ける。

「……俺は……聞いたことがあるんだ。龍の住処で暮らした人間は強くなれるって……」

「確かにかつて、数人……そのような者達がいたな。我らと友好関係を築き、我らと時間を共にした者達が。そして彼らは外の世界に出て……まあ、高名な英雄なりになったようだの」

 有名な英雄譚の数々だ。

 伝承や物語によって細部は違うが、おおむねが普通の人間がひょんな事から龍と縁を持つ。

 そして共に過ごし、その不思議な力を手に入れて人里に戻り、力を使って英雄へと成り上がっていく……そんな物語。

「連れていってくれ……俺は強く……なりたい……」

「……残念だがその願いは聞けない」

「今さっき、願いを聞いてくれるって……」

 ああ、と龍は頷いた。

「可能な限りの願いを聞いてやる。その言葉に偽りはない。龍族は高潔な血族……余程の事がない限りは嘘はつかぬ。いや、正確に言うと、龍という力と個体を保つためには嘘はつけぬのだ。言霊……と言っても分からぬだろうがな」

「……聞けない理由は?」

「理由は二つある。まず一つは年齢の制限だ。龍族の住処に連れていくという事は、それすなわち眷属として受け入れるという事。人族の習慣や常識が身に付いていては龍の住処では異物となるのでな……かつて龍族に迎えられた人間は、十二歳未満の捨て子か奴隷……若龍の気まぐれで拾われてきた者達ばかりだった」

「……もう一つは?」

「……汝はもう死んでおるよ。流石に死者を連れ帰る事はできない」

 龍の視線の先は俺の腹だった。

 そして龍は俺の頭に爪先をあてがい、そして少しだけ上方に頭を向けてくれた。

 ──ああ、こりゃダメだと俺も思う。

 内臓が飛び出て、血も物凄い勢いで噴き出している。

 しかも、致命的なことに痛みは大して感じないと来たもんだ。

 低体温症と……それに何やかんや色々で、神経系統がもう馬鹿になっちまってたんだろう。

 それはつまり、もう完全にダメだという事だ。

 と、そこで気付いた。

 だからこそ、龍は俺に対して妙に優しいのだ。それは恐らく、死にゆく者を看取るとか……そういう意味合いだろう。

 残された時間は短い。ならば手短に龍との交渉を終える必要がある。

「じゃあ、俺が……その条件をクリアーすれば?」

「ああ、そうであれば可能な限りの願いを叶えるという言葉に偽りはない。だが、お前はすぐに死ぬし、そして年齢は戻らぬ。それは決して起きない事だ」

 俺は不敵に笑いながら龍に尋ねる。

げんを……取ったぜ?」

「言質を取った?」

「……俺が欲しいのは……龍の加護とそして……龍王の大図書館」

 そこで龍の声に怪訝の色が入る。

「汝……何故にそれを知っている? いや……瀕死の汝に尋ねるよりも……我が直接、心と記憶を読んだ方が早いか……」

 龍は瞳を閉じた。

 そして数瞬の後、せきを切ったように笑い始めた。

「なるほど。お前は……転生者か……そして…………ふふ。フハハハハハっ! なるほど、なるほど……面白い事を考えているようだのう……そして──汝が我と会うのは一度目ではないな。汝は……あの日あの時あの場所に……いた訳か。神託の勇者の村が襲われた時……我がきまぐれに人の子達を助けた、あの場所に」

 本当に愉快そうに、目を細めて龍は笑っていた。

 そろそろ声を出すのもしんどくなってきた。

 体がひたすらにだるい。

「……あの時、お前は…………当時十二歳の俺をゴブリンから助け、母親に返した。その時、お前は俺の心を読んで……こう言ったんだ『中々に数奇な運命を辿っている』……と」

「ふふ、お主の思い通りにこれから事が流れれば……そうであれば、『その時』のセリフはこう変わるだろう」

 そろそろ……限界だ。

 視界がボヤけてきやがった。

 と、その時、龍の楽し気な声が聞こえてきた。

「『面倒な言質を取られたものだ……これでは龍の住処に連れて帰らぬ訳にはいかんではないか』……とな」

「…………その言葉………………俺の要望が通ったと……受け取るぜ? でも……ここから……先は……賭け……だが…………」

 そして龍は大口を開いた。

 成人男性の片腕程はある、巨大な牙がビッシリと並ぶ凶悪な口内が見える。

「──ならば、死ね……リュート=マクレーンよ」

 龍は俺を鷲掴みにして、そして口の中に放り投げた。

 グチャリと龍が俺の頭蓋を噛み砕く音が聞こえた。


 そうして──俺……リュート=マクレーンは二度目の生涯を閉じた。




「……どうやら賭けには勝ったようだな」

 気が付けば、俺は一面が白色の謎の空間に立ちすくんでいた。

 そして眼前には金髪の女神。

 そう、この場所は俺が日本での生涯を閉じた時に初めに女神と遭遇した場所だ。

 そして今、この瞬間は、俺が日本でトラックにかれた時間から五分も経過していない……そういう時系列のはずだ。

 今現在のこの状況を端的に言うのであれば、こう説明するのが一番早いだろう。

 ──スキル:死に戻り。

 これこそが、転生時に神が俺に与えた……いや、俺が選んだスキルだ。

 一番怖かったのがこのスキルが本当に発動するかという事だった。

 まあ、結果としてはとりあえず、賭けの第一段階には成功した訳だが。

「色々……あったようですね」

 女神はニッコリと満面の笑みを浮かべている。

「ああ、色々あった。で……もう一度、死に戻りを選ぶ事はできるか?」

「残念ですができません。こんなチートなスキルを何度も与える事などできませんからね……選ぶなら他のスキルを二つにしてください」

「そいつは残念だ。そして……予想通りだな」

 ここで賭けの第二段階の成功も確定した。

 俺の心を読んだのか、ニコリと笑って女神は言った。

「あの項目の本当の意味……チュートリアル機能に気付く人は多いです」

「でも、本当に選んだ奴は少ないんだろう?」

「まずは、本当に死に戻れるかどうかという事に普通なら疑問を抱きます。死を前提としたスキルなんて……意味分からないですからね」

「実際、俺もここに戻れるかどうかは半信半疑だったしな」

「それに事前の説明ではスキルは一度しか選べず、二つまでしか選べない……以上の事は言えませんからね。死に戻ってしまった場合、スキルをもう一度二つ選べる保証なんてどこにもないですから」

 やれやれとばかりに女神は肩をすくめて、呆れたようにこう言った。

「死に戻りには、チュートリアル体験と引き換えに、二つあるスキル枠の内の一つを失う可能性があったのです。貴方くらいですよ。死に戻りを迷いもなく選んでしまうのは……」

「そりゃあ転生先が村人だったら、こっちもギャンブルするしかねーだろ」

 そこでやはり、女神は嬉しそうにクスリと笑った。

「そういう人って……私、嫌いじゃないですよ?」

「ああ、そりゃあどうも」

 何が可笑しいのか、クスクスと女神は更に笑った。

「それでは、貴方はスキルは何を望みますか?」

「結局、俺の職業適性は村人のままなんだよな?」

「ええ。そうなります。生まれる場所も周囲の環境も……それは前回のチュートリアルのリピートです」

「スキル……不屈を頼む。元が村人だからな……普通の日本人のメンタルである俺の精神で耐える事ができるレベルの……生半可な事では強くなれない」

「もう一つはどうしましょうか? 前回と同じく、世界中の一般的な図書館に置かれている本を頭の中で読む事ができるスキル……叡智でしょうか?」

「いいや、二周目の最効率プランは十歳位まではできあがっててな……そこから先は龍の住処にあると言う龍王の大図書館でプランを練るつもりだ」

「それでは何を?」

 そうだな……と俺はしばし考え、苦笑した。

「ガーデニングは……選択可能なスキルの中にあるか?」

 怪訝な表情で女神は答える。

「農作物栽培のスキルで代用ができますが……しかし、正気ですか?」

「農作物栽培か……これほど村人っぽいスキルもないな……こりゃあ上出来だ……ははっ……はははっ!」

 自分で言って自分でウケてしまった。

「ははっ! はははっ……! ハハハハハハッ!」

 笑いが止まらない。いや、本当に村人っぽくて、どうにも愉快だ。

 そんな俺に女神は不思議そうに尋ねてきた。

「本当に、どうして……ガーデニングなんかを? 結局……スキル枠が一つ消滅しているのと同じじゃないですか……」

 うんと頷き、俺は言った。

「あいつは……花が好きなんだよ。殺伐とした日常……せめて、そこには花と笑顔を絶やさないようにしたい」

 しばし考え、女神はうんと頷き、そして優しい微笑を浮かべた。

「なるほど……本当に嫌いじゃないですよ? そういう人」

「ああ、本当にそりゃあどうも」

 クスリとやはり女神は笑って嬉しそうにこう言った。

「了解しました。それでは……スキル:不屈とスキル:農作物栽培を授けます」

 全てが白色に包まれる。

 一面を満たす光の奔流の最中、女神の楽し気な声が聞こえてきた。

「それでは、大変だとは思いますが頑張ってくださいね……そして、良き旅を──」

 このまま、しばらくすると俺は、あのあばら家で母親から生まれる。

 そう、力も富もない村人として。

 けれど、今現在は約束された勝利の道を歩んでいる。

 ──俺の名前は飯島竜人。

 龍の里に受け入れられ、そして育てられるのにこれほどに似合う名前の者はいない。

 更に、普通の人間では幼少期からできない事、やれない事が……予習済みの俺にならできる。

 多少の無茶もスキル:不屈でどうとでもなるだろう。


「一回目の時はチートなしだったけど……やっぱ、転生っつったらチートだろ?」


 光の中で、俺の意識が再度──ドロドロに溶けていく。

「さあ……成り上がりはこれからだ」

 その言葉の直後、俺は三度目の生を授かった。