錬金術師エディタ Alchemist Edita


 面倒事の全てを解決した翌日。

「やはり、持ち家は素晴らしい……」

 一仕事終えた中年野郎は、持ち家のベッドで朗らかな朝を迎えていた。

 絶対的充実感。圧倒的充足感。究極的満足感。

 これ以上の幸福は無いと、噛み締められるだけの喜びを全身に感じる。ふと眺めれば、窓から差し込む日差しのポカポカと暖かな陽気に、肌の明るく照らされる様子は、人の世の穏やかさを絵に描いたようだ。

 チュンチュンチチチ。やたらとスズメっぽく鳴く鳥のような何かの鳴き声が、目覚めの時間をことさらに柔らかなものとして演出。このまま永遠に呆けていたいと思わせるだけの何かがここにはある。

 幸せだ。俺は今この瞬間、非常に幸せだ。

 長い冒険の末に魔王を打ち破り、しかしながら、意識不明となった主人公が、今ようやっと病院のベッドで目を覚ましたような、そんな感じ。物語はしゅうえんを迎えて、その先に待つのは穏やかなエンディング。

「俺は勇者だ……」

 持ち家の勇者だ。実際にドラゴンも倒したしな。今日はじっくりと家を楽しむことにしよう。あぁ、持ち家。最高だ、持ち家。この瞬間を待っていた。一戸建て。ベッドに身を横にしたまま、ゆっくりとした時間を過ごす。

 小一時間ばかりそうしていただろうか。

 ぐぅと汚い音を立てて腹の虫が鳴いた。

「……昼ご飯にするか」

 今が何時だか知らないが、きっとそれくらいの時間帯だろう。

 のそのそと起き出して身なりを整える。

 すると、これに時機を合わせたように、玄関ドアのノック音が響いた。コンコンコン。い音が階段を登り、寝室まで聞こえる。まさか約束などした覚えはないから、誰が来たのだろうかと、疑問に思う。

 昨日の憲兵が本当に上司を連れてきたのかも知れない。それともソフィアちゃんからの呼び出し、セカンドシーズン到来か。新しい物語が始まってしまいそうだぜ。

 考えていてもらちが明かないので、確認に向かうことにした。

「はいはい、どちらさまですか」

 階段を下り玄関へ。

 鍵を落としてドアを開く。

 すると、そこには想定外の相手が立っていた。

「……え?」

 金髪ロリータとイケメン騎士のカップルだ。

 ゾフィーちゃんの姿は見られない。

「な、何か御用ですか?」

 ふと脳裏に浮かんだ用件はと言えば、やっぱり昨日のお金を返して下さい、とかだろうか。そういうことなら、まだ手をつけてはいないので、すぐにでも取りに行く所存。こちらとしても、今後の精神衛生上、下手へたに借りを作らずに済んでありがたい。

 ただ、どうにも雰囲気がおかしい。

 酷く緊張して見える金髪ロリータ。

 一方で珍しくも表情に焦燥をあらわとするイケメン。

 共に玄関先で並んでいた。

「少し貴方あなたと、は、話したいことがあるんだけど……」

 金髪ロリータが言う。

 平素の彼女と比較して、妙に大人しい態度が気になった。

 まあ、大人しい分には万々歳だ。静かでよろしい。

「……え、えぇ、分かりました。では、上がって下さい」

 我が持ち家、アトリエより先へ上がる初めてのお客様は、よりによってチーム乱交のメンバー二人と相成った。なんかこう自分だけの聖域が、ザーメンとマン汁に汚されたようで、どうにも切ない気分になるんだけれどさ。

 いやまあ言い過ぎなんだけど。

 でも童貞っていうのは、そういう生き物なんだよ。

 分かってくれよ。

「お茶をれますんで、ちょっと待ってて下さい」

 二階に所在するリビングへお通しして、ソファーまでご案内の上、いつだか学園の喫茶店で飲んだのと同じお茶もどきをキッチンにて用意だ。手早くプチファイアボールで湯を沸かして、これを茶こしっぽい道具にサラサラと通すことしばし。

 数分と掛からず、湯気を上げるカップが三つばかり盆に並んだ。

 これを手早く運んで、ソファーテーブルの上へ。

 一通りを整えたところで、自らもまた腰を落ち着ける。ちなみに三人掛けのソファーが、二つ向かい合うよう並んだ我が家のリビング。一方に金髪ロリータとイケメンが腰掛けて、その対面に自身が臨む形である。

 づら的には、お父さん、娘さんを下さいっ! 的な。

「それで、どういったご用件でしょうか?」

 自ら率先して茶に手を付けつつのおうかがい。

 美味うまいんだよ、このお茶もどき。

 すると、これに答えたのは金髪ロリータだ。

「そ、その……」

 普段なら足を組んでふんぞり返りそうなものだが、本日に限っては両足を綺麗にそろえて腰掛けると共に、ギュッと握った両手の拳をひざの上という、まるで借りてきた猫状態である。それこそ大きな負い目でもあるよう。

「言いにくいことですか? 報酬の件でしたら、今からでも都合できますが……」

 こちらから続けようとしたところ、意を決した様子で彼女がえた。

「わ、わ、わっ、私と結婚してもらえないかしらっ!?

 大きな声だった。

「え?」

 なんでだよ。

「……貴方とアレンさんの式で、私が仲人なこうどでもお受けすれば良いのですか?」

「ち、違うわよっ! 私と貴方がっ、け、結婚を前提としたお付き合いをっ!」

 途端、顔が真っ赤になる金髪ロリータ。耳まで赤い。

 続けざまに吠えたところで、顎が下がりうつむいてしまう。

 ただ、チラリチラリと、時折、上目遣いに見つめてくる。

 なんだこのラブい生き物は。



「まるで話が見えてこないのですが……アレンさん、これは?」

 仕方が無いので隣のイケメンに話題を振る。

 そもそもなにゆえに彼氏同伴なのか。

 理解に苦しむ。

「エステルは……その、貴方に惚れているそうで……」

 すると、彼は酷く言い辛そうに語ってくれた。

 イケメンのこんな姿、出会ってから初めて見るわ。

「彼女は貴方の恋人だったと、私は記憶しているんですが……」

「……僕は昨晩、きっぱりとフラれました」

 おうふ。

 なんだこの急展開は。

 っていうか、そんな辛い表情をするのなら、わざわざついてこなければいいのに。どうして一緒にやって来た。むしろこっちが申し訳なくなるほど、こう、ギリギリ一杯、思い詰めた表情をしている。

「すみません、ちょっと私も理解が追いつかないようで」

「だ、だ、だだ、だ、だからっ! 結婚っ!」

 殊更に顔を赤くして吠える金髪ロリータ。

 興奮と緊張が最高潮といった具合だ。

「結婚して欲しいのっ! わわわわわ、わ、私とっ、貴方でっ、結婚っ!」

 どんだけ結婚したいんだよ金髪ロリータ。

 さっきは結婚を前提としたお付き合いとか言ってただろ。

 新手の美人局つつもたせじゃなかろうな。ちょっと城内で目立った異邦人を合法的に亡き者にする為の。大貴族の令嬢に手を出した罰とか、そういう感じのシナリオで。見返りに二人の交際を認めるとか。あぁ、考えれば考えるほど、ろくな理由が思い浮かばないな。

 しかし、そうはさせるものか。

 俺は変わったんだよ。一昨日おとといまでの情弱とは違うんだ。今の俺は情強なんだ。キャッチの仕組みだって知ってるし、ぼったくりバーの見分け方だって知ってる。何でも知ってる。悪い奴の考えることなんて、ちゃんと分かってしまうのだわ。

「すみませんが、婚姻はお受けすることができません」

「や、やっぱり、私なんかじゃダメっ!? 何でもするわっ! 貴方の言うことなら、な、何でもするからっ! 結婚がダメなら、愛人でも、めかけでも、あの、ど、ど、ど、奴隷でもいいからっ!」

 良くねーよ。

 ますます怪しいよ。

 どうしてそこまで必死なんだよ。

「私と貴方とでは身分が違います。第一、もっと自身の身体からだを大切にされた方が良いと思いますよ? まだ若いのですから、一時の気の迷いに身を任せてはいけません。それに何より、隣にいらっしゃるアレンさんは、とても尊敬できる方です」

 こんな良いイケメン、滅多にいないだろ。

 俺が女だったら惚れてるわ。

 即日で三号ちゃんに立候補してるって。

「アレンのことはどうでもいいのっ! 私は、あ、あ、貴方がいいのっ! 貴方と一つになりたいのっ! 結婚したいの! これまでのことは、その、申し訳ないと感じているし、は、反省もしているわ。しかるべき謝罪を行う覚悟もあるっ!」

 出会った当初にちょうだいした辛口と比較すると、随分とへりくだっている。

「っ……」

 おかげでアレンが凄い勢いで涙目だ。

 ヒゥと息を飲む音が聞こえてきた。

「だから、あのっ、け、結婚、結婚してっ……」

 っていうか、結婚結婚と連呼するな結婚。

 こっちまで結婚したくなるじゃないか。

 どこまで怪しくなれば気が済むのか。

「何を勘違いしているのか知りませんが、私は貴方のような可愛らしい方に惚れられるほど大した人間じゃありませんよ。見ての通り、外見も酷いものです。としだって一回り以上とってます」

「に、人間は中身よっ!?

「中身も酷いもんですよ」

 オ●ンコー! セックスー! ロリレ●プー!

 どうだ参ったか。

「なら中身も関係無いわっ! 貴方が貴方であればそれでいいのっ!」

「…………」

 中も外もなければ何が残るというのか。

 暗に生理的に無理だと言われているようなものだぞ。

「いずれにせよ、結婚などという大事なことを簡単に決めることはできませんよ。すみませんが、アレンさん、エステルさんをお願いします。こちらは少々、午後の予定が詰まっておりまして、あまり自宅に長居もできないのですよ」

 お腹が減っているのだ。

 ソフィアちゃんの乳と尻とふとももを眺めながら、日替わりランチを食したい。

 非処女のまよごとに構っている暇はない。

 膣に膜を張ってから出直せい。

「す、すみません……」

 所在なげに答えるイケメンは、心底から辛そうだ。

 むしろこっちが申し訳なくなるほど。

「またすぐに仲直りできますよ。頑張って下さい」

「……だと、良いのですが」

 っていうか、これもまた一種ののろだろ。

 飛行艇の中でも見たぞ、似たようなシチュ。

 そう考えると、なんだかちょっといらいらしてきた。

 これ以上関わってなるものか。

「仲直りなんてしないからっ! だから、あのっ! け、結婚っ! お願い、結婚っ!」

「すみませんが、またの機会に、ということで」

 すがるような眼差しで見つめてくる金髪ロリータ。

 相変わらずの上目遣い。顔真っ赤。

 アレンをダシにして、これを断ち切り、どうにか二人にはお帰り願った。

 彼女は終始、狂ったように結婚、結婚と繰り返していた。

 

 

 惚気カップルを追い返してしばらく。

 カップを片付けたり、戸締まりを確認したりと、自宅を発つべく支度を一通り終えた。さて行くかと、リビングのある二階から一階に下り、アトリエの脇を玄関に向かい歩いていると──。

「……?」

 何か、物音が聞こえた。

 カタカタ、小物が固い床上で揺れるような。

「なんだ?」

 ネズミ的な小動物が侵入したのだろうか。

 確かにアトリエにはかじのある物品が、所狭しと並んでいる。害獣の一匹や二匹、潜んでいたところでおかしくはない。ただ、その存在を想定することと認めることでは、まるで意味が異なる。

「……殺すしかないな」

 我が家にそんなモノは不要だ。安心と安全の代名詞足る持ち家に害獣など許されるはずも無い。その駆除は何事にも優先される。昼飯など食べている場合じゃない。

 音の聞こえてきた方へ向かい、ゆっくりと歩みを向ける。

 すると、アトリエの隅、石で作られた壁のきわに小動物を発見だ。

 パッと見た感じ、尻尾のないネズミのような姿格好。ただ、耳がやけに長くて、胴体の後方まで伸びている。なんかこう、害獣にしてはいささかラブリーな感じだ。ただ、薄汚れた体毛は、この生き物が愛玩用でないことを示唆しているように思える。

「妙な病原菌とか持ってたら最悪だしな」

 一発、浄化することにした。

 どうやってかと言えば、もちろんファイアボールである。

「どやっ」

 意識を向けた先、小動物の傍らにプチファイアボールが出現。

 ジュゥと音を立てて対象は蒸発した。

 骨のひと欠片かけらさえ残すこともない殺傷能力は、まさに浄化と称しても過言ではないだろう。流石さすがはレベル十五。素晴らしい威力だ。茶の湯を沸かして良し、害獣を駆除して良し、ドラゴンを討伐して良し、やはりファイアボールこそ究極魔法だな。

「よしよし……」

 自らの手を汚すことなく処理を終えた。

 そんな醤油顔の視線の先に、ふと気になるものが映った。

「……ふた?」

 壁も床も総石造りのアトリエ。等分割された小綺麗な石畳で作られる足下の一部に、何やら切れ目のようなものを発見した。ある一角が四角くくり抜かれたところへ、マンホールでも載せるように、周囲の床と同じ作りの石板が置かれている。

 丁寧に作られたそれは、完全に床のていを為しており、切れ目を意識して見なければ、蓋であるとは気付くまい。事実、ここ数日の間暮らして気付かなかった。大きさから考えて、人の出入りが可能なサイズである。

「まさかの地下施設とか、燃えるんですけど」

 アトリエの棚からヘラのたぐいを探してきて、隙間に差し込む。わずかばかり生まれた隙間に指を通して、ゆっくりと持ち上げてみる。すると、思ったよりも簡単に持ち上がった。

 ぽっかり開いた穴の先には、階下へ降りるべく設けられたハシゴ。

 その先には暗がりが広がっており、果たして何が待っているのか。どれだけ頑張ってのぞき込んだところで、様子をうかがい知ることはかなわない。真っ暗である。

「……これはいよいよ昼食どころじゃないだろ」

 冒険タイムの始まりだ。