第一章 猫も歩けば騒動に当たる
ハイエルフの歴史研究者、ウィロー・マグナス著、「神話伝承考察」より一部抜粋
さて、邪神とはどのようなものなのか?
悪しき神? 神々と戦った神? 確かに、それらは間違っていない。だが、真実の多くを言い当ててもいない。邪神というものに関する、ごく一部を上げているにすぎないだろう。
まず、邪神を知るには神々から知らなくてはならない。
あまり広く知られている話ではないが、この世界の神々は、元々は違う世界の神々であったらしい。
これは、神託スキルを持っている者や、極まれに降臨される神々のお言葉を律儀に書き残していた者たちから得た様々な情報を元に、私が導き出した結論である。
なんでも、元の世界では八百万もの神がいたというから驚きだ。
神が増え過ぎて手狭になってしまった元の世界を、新天地目指して飛び出したのが我らの世界の神々であるらしい。村を出るのにも大騒ぎの人と違い、神ともなると世界を飛び出すというわけである。旅立った神の数は八九柱。まさに我らの知る神々だ。
この先は多くの方々が知るところではあるが、一応簡潔にまとめておこう。
他に神のいない新たな場所にたどり着いた神々は、早速新たな世界を創り始める。
大地神が自らの体を大地に変え、他の神々が様々な物をその大地に足していった。
大地そのものである大地神は大地に、海である大海神は海に棲み、太陽神は太陽に座した。そして他の神々は大地神の負担を少しでも軽くするために、銀月神が創り上げた月へとその住処を移した。銀月神が創った大月には子神たちが、その周囲を回る月には大神たちがそれぞれ住まわれているのだ。
この世界創生にあたり、大きな役割を果たさなかった神がいる。それが戦いの神だ。彼は自らの加護を与えるのは世界創造の最後だと語り、他の神の補佐をし続けた。そして、自分以外の神が世界創造のために力を使い果たした瞬間、反旗を翻したのである。狙っていたのか、魔が差したのか、それは神々にしかわからない。分かっているのは、邪神に堕ちた戦神の力は強く、弱まった他の神々では相手にならなかったということだ。
それでも一致団結した神々により邪神は打ち取られ、体を分断されて世界中に封印されることになる。だが、この時に封印が間に合わなかった邪神の肉体から邪人が生まれ、世界は彼らとの戦いを余儀なくされることとなったのだ。
これは嘘か真かは分からないが、神々と邪神の戦いのおり、ある神が元々いた世界から自らの名を冠した神剣を召喚して戦ったらしい。そしてこの剣が元となり、この世界でも神剣が造られるようになったという。
この伝承で重要なことは神剣がもたらされた事実だけではなく、異界とこの世界は案外簡単に繋がるという事だ。無論、神の真似をして神剣を召喚できるなどと言うつもりは毛頭ない。
だが、それ以外のものであればどうだろう? 例えば人などは?
絶対に無理? 何故そう言い切れるのか。そもそも、神々は異界からこの世界にやって来たのだ。
神以外の者が異界からこの世界にやってくる可能性は、ゼロではないだろう。
ジャンの研究所を出発した翌日。
ウルシの頑張りもあり、俺たちは目指していた港町ダーズを視界にとらえていた。
本当だったらとっくに到着していたはずなんだけどね。ジャンたちと共に浮遊島に行ったおかげで、予定が大幅に遅れてしまった。
このダーズから船に乗って、南の港町バルボラへ向かうのが俺たちの目的である。最終的にはそのバルボラから、ダンジョン都市であるウルムットへ向かうことが目標だ。
『見えた!』
「おおー」
町から少し離れた丘の上から、ダーズの全貌が見下ろせる。
青く輝く海と、風情のある港町。その港に停泊する大小様々な木造船たち。
いやー、まるで絵画みたいな風景だね。
町の規模は、俺がフランと出会ってから最初に訪れたアレッサの町よりも、少し小さいくらいだろうか。
「オンオンオン!」
『どうしたウルシ?』
ウルシが突然、興奮したように咆えだした。
最初は敵かと思って周囲を確認したが、どうやら違っていたようだ。
「海見て喜んでる」
『そういえば、ウルシは海を見るのが初めてか』
「オウン!」
ウルシは目をキラキラさせて、海を見つめていた。生まれて初めて見るでっかい水たまりに、興奮が抑えきれないらしい。
『じゃあ、あとで砂浜に行ってみるか?』
「オン!」
俺の言葉に、ウルシが千切れんばかりに尻尾を振る。今は巨大化中なので、尻尾も当然デカイ。その尻尾が高速で振られて、ちょっとした扇風機状態だった。
フランも機嫌よさげに目を細める。
「楽しみ」
『フランもか?』
「だって、砂浜いった事ない」
そうか、フランも奴隷として船に乗ったことはあっても、海で遊んだ経験はないのか。
それはいかん! いかんよ! 海の楽しさの半分は砂浜にあると言っても過言ではないのだ!
よし、船に乗ってバルボラに出発する前に砂浜を堪能するとしよう。
『じゃあ、ピクニックでもするか? 弁当持ってさ』
「カレー?」
『カレーはさすがにないだろ?』
海の家で食べる粉っぽいカレーは妙に美味いが、ピクニックにカレーは気分が出ない。
『こういう時は、サンドイッチとかじゃないか?』
「カレーサンド?」
『……まあ、カレー味も用意するよ』
ドライカレー風にして挟み込むか、カレー粉で味付けをした肉でも挟むか。何か考えないとな。
「ん!」
「オオン?」
嬉しそうにうなずくフランを見上げながら、ウルシがアピールするように一鳴きする。
『分かってるって。ウルシにも何か作ってやるから。骨付き肉とかでいいか?』
「オオオン!」
ピクニックに喜んでいるのか、食い物に喜んでいるのか……。
フランもウルシも、完全に花より団子だからな。
まあ、まずは宿探しだ。確実に一泊はすることになるだろう。
船を探す手間も考えたら、数日はかかるかもしれない。
しっかり宿を探さないとね。
『じゃあ、ウルシは小さくなっとけ。ここからは普通に歩いていくぞ』
「オン!」
巨大魔獣がいきなり現れたら、パニックが起きるかもしれん。兵士とかが出動する事態にでもなったら色々と面倒だ。
犬モードになったウルシを従えて、フランは徒歩で丘を降りる。
すると、すぐに町へと続く道を発見した。
この辺りに来ると旅人の姿もあるな。だが、皆が俺たちを見ると慌てて道を空ける。中には露骨に道の端に避けて俺たちをやり過ごそうとする者もいた。
ちょっと感覚がマヒしてたけど、ウルシってば狼だったね。
本性を知ってる俺たちからしたら大型犬みたいなものだけど、普通の人から見たら黒くて顔の怖いまあまあ迫力がある狼だ。そりゃ、避けるよな。
首輪に縫い付けられた従魔証と、隣を歩くフランのおかげで背を向けて逃げるような人はいないが、周囲にかなりの威圧感を与えているらしい。皆さん、驚かせてごめんなさい。
周辺の旅人さんたちに無意識にプレッシャーを与えつつ、俺たちは町の入り口にたどり着いた。
「え? 冒険者? しかもランクD? え?」
入り口で、フランのギルドカードを見せたら凄まじく驚かれる。
こんな小さい子が冒険者というだけでも驚きなのに、そのランクが中堅と認められるDなのだ。目を疑うのも当然だろう。
ギルドカードを何度も見返した後、気を取り直した兵士は受付業務を再開した。
その後は、三〇〇ゴルド払って、従魔証を提示したら終わりだ。
「通っていいぞ」
もっと色々と聞かれるかと思ったけど、結構すんなり通れたな。
アレッサもそうだったけど、町への入場は身分証さえあれば結構簡単らしい。
『さてと、まずは宿を探すか』
「海は?」
『宿を取ってからだ。しかし、活気がある町だな』
町の大きさはアレッサより小さいが、人通りは倍くらいありそうだ。港町だからか? やはり、商人や船乗りの姿が多いように感じられた。
『良い宿があるといいんだけどな。町の中で野宿とか嫌だろ?』
「もちのろん」
『どこで覚えた……』
「ん?」
『はぁ、ギルドにも行きたいし、とっとと宿を探そう』
アレッサでもそうだったが、大通り沿いを歩いていれば宿はいくつも発見できた。あまり安過ぎても安心できないので、少し高めの宿を探したのだが……。
「またダメだった」
『なぜだ?』
五つの宿を巡り、一部屋も空いていなかったのだ。最初はフランが幼過ぎるせいか、もしくはウルシを連れているせいかとも思ったのだが、宿の人は嘘をついている様子はない。五軒目の女将さんには、本当に申し訳なさそうに頭を下げられてしまった。本当に部屋が空いていないらしい。
港町だから? 人の出入りが激しくて、常に宿が満員状態なのか?
でも、全ての宿が満室になるものだろうか?
『仕方ない、先にギルドに行こう。そこで空いてそうな宿を教えてもらった方が早そうだ』
「ん」
冒険者ギルドは、人に道を聞いたらすぐにたどり着けた。建物はアレッサのギルドよりは大分小さいな。
「こんにちは」
「らっしゃい!」
冒険者ギルドの扉を開けると、聞こえてきたのは威勢のいい男の声だった。
受付には、体格の良いマッチョマンがドンと待ち構えている。
額にはねじり鉢巻き、ムキムキの上半身にはランニングシャツ一枚という、たたき売り魚屋さんスタイルだ。港町だからか? いや、まさかね。
にしても、アレッサは美人受付嬢なのに……落差がひどいな。哀れダーズの冒険者たちよ。
「嬢ちゃん、冒険者ギルドに何か用か?」
「素材を売りたい」
「悪いな。ここじゃあ、冒険者からしか素材を買い取れないんだ」
「問題ない。冒険者」
フランがカウンターにギルドカードを差し出す。男はフランが登録したての下級冒険者だと思ったのだろう。無造作にカードを受け取る。
だが、すぐにその顔色が変わった。
「な、何ぃ? ランクDだと?」
フランが差し出したギルドカードを見て、仰天している。
「作り物? いや、どう見ても本物だ……。ち、ちょっと待ってくれ」
町の入り口にいた兵士と同じ反応だな。
男は難しい顔でフランのギルドカードを水晶にかざした。
冒険者登録をしたときに使った水晶にそっくりだ。まあ、こっちの方が大分小さいが。この水晶はギルドカードの情報を読み取ったりもできるらしい。
フランのカードの情報を読み取った水晶の表面に、フランの名前やランクの情報が映し出されている。つまり、本物であるということだ。
「ほ、本物だ! 本当にお嬢ちゃんがランクD冒険者だっていうのか!」
マッチョが立ち上がって驚いている。その叫び声が聞こえたのだろう、ギルド内にいた冒険者が集まってきた。
ここのギルドは中に酒場が併設されているタイプで、かなりの数の冒険者がギルド内にいたらしい。
あっと言う間に二〇人ほどの冒険者に囲まれたぞ。
「おいおい、モッジ。何の冗談だ?」
「どうせ作り物だろ?」
そんな反応だ。だが、モッジと呼ばれた受付が本当だと反論している。まあ、その眼で確かめたんだしな。
しかし冒険者たちの騒ぎのせいで話が全然進まんな。
「買取りは?」
「お、おお、済まなかった。問題なく買い取れる」
「ん、じゃあ、あっちに出していい?」
「お、おう」
フランは冒険者たちの騒ぎを完全スルーで、買取りカウンター向かった。
買取りスペースに敷いてある革のシートに、素材をどんどん積み上げていく。移動中に手に入れた下位魔獣の素材をいくつかと、ダンジョンでアンデッドからはぎ取った素材が少しだ。
アンデッド素材の中には調合に使える素材もあるそうなので、それらはジャンに売っておいた。なので、今ここに出したのは武具にしか使えない素材ばかりだ。
素材が積み上げられる度に、ギルドの中のざわめきが大きくなっていく。だが、ある一定のラインに達すると、今度は段々と静かになっていった。
最後にランクD魔獣の素材を取り出すと、もう誰も一言も話さない。
ギルドの中には、フランが素材を積み上げる音だけが響いていた。
冒険者たちの様子を見たら、クズ冒険者に絡まれるテンプレイベントは起こりそうもないな。これは面倒がなくていい。
毎回、冒険者たちの目の前で素材を売ったらいいか?
いや、それはそれで金目当ての馬鹿を引き寄せるだけか。
「これで全部」
「……」
「?」
「……」
「ねえ」
「……はっ! すまねえ! ちょっと驚いちまってな!」
フランがランクD冒険者だと分かってはいても、その姿のせいでどうしても子供という考えが抜けないんだろう。
「あ、ああ。数が多いんで一時間くらいはかかるが……、待ってるか?」
(どうする?)
『今のうちに宿のことを聞いて、部屋を確保しちゃおうぜ』
(わかった)
という事で、俺たちは受付のおっさん、モッジに空いてそうな宿の情報を尋ねたんだが……。
その返事は芳しくなかった。
「この時期は難しいぜ?」
難しい顔でそう言われてしまう。
「なんで?」
「もう少しで月宴祭だろ?」
「ん」
「この町では普通に祝うだけだが、バルボラだと三月の月宴祭には毎年デカイ祭りが開催されるんだ。その祭りに船で向かう奴らがこの町に集まるんで、毎年この時期は宿が満員なのさ」
「なるほど」
うーん、ヤバいかもな。本気で町の中での野宿を考えなきゃならないかも?
あと、月宴祭って何だ? フランは分かってるみたいだから、こっちの世界じゃ当たり前の行事みたいだけど。
『なあ、月宴祭って何だ?』
(お祭り)
『そりゃあ分かる』
何せ祭りってついてるしね。
(月が全部見える日)
『いや、月が全部見える日なんて、結構あるだろ?』
(違う、全部が満月になるのはその日だけ)
その後、何度か似たやり取りをして、何とかフランの言葉を整理してみた。
月宴祭とは、三ヶ月に一度行われる祭りである。
この世界には巨大な銀の月と、その周辺を回る六つの小月があるが、銀の月と六つの小月全てが満月になり、なおかつ同時に見れるのはこの月宴祭の日だけらしい。
七つの月が全て満月になるのは三、六、九、一二月の最終日。つまり年に四日間だけなのだ。
今日は三月二五日。つまり、六日後には月宴祭ってことか。
モッジの言葉ではどれほどの規模なのかは分からないが、バルボラの月宴祭はかなり大きなお祭りらしい。それこそ、国中から人が集まる程に。
「宿が取れない奴は結構いてな。酒場の隅で他の奴らと雑魚寝でいいなら、毛布くらいは貸してやるから」
うーむ。それはできれば避けたいな。
だが、素材査定の待ち時間にギルドを出て、モッジに空き部屋があるかもしれないと教えてもらった宿に行ってみたんだが……。
部屋を確保することはできなかった。
中には貴族が貸し切りにしているとかいう宿もあったし。まったく、迷惑極まりないな。さらに三軒ほどの宿を回ったのだが、全て空振りだった。
『仕方ない。一度ギルドに戻って金を受け取ろう』
「ん」
こりゃあ、モッジに言われた通り、ギルド酒場の片隅でも借りなきゃいけないかもな。