プロローグ


 目覚めて最初に思ったのは、暗いということだった。

 何だ? 夜?

 だが次の瞬間、左側から光が差し込んでくるのを感じた。

 俺は光に誘われる様に、そちらに視線を向ける。

 そして、俺の目に飛び込んできたのは、あまりにも美し過ぎる光景だった。

 薄暗い空の下、見渡す限りの地平線。その縁から、後光の様に光が差している。

 太陽が昇ろうとしているのだ。立ち上る来光は、まるで虹の様に煌めき、俺はガラにもなく感動してしまった。

 じゃあ、逆側はどうなっているんだ?

 右側に目をやる。こちらでは地平の向こうに月が沈もうとしていた。

 驚くほどに巨大な銀の円盤。その天辺が、今まさに地平の向こう側に消えようとしている。すでに全体像は見えないが、僅かに見える部分だけでもその巨大さは理解できた。

 圧倒される光景だ。

 三〇年間生きていて、これほど美しい光景は見たことがなかった。涙が出ないのが不思議なくらいだ。

 いや、待てよ。三〇年間生きていて?

 俺、今も生きてるのか? っていうか、俺、死んだよな?

 俺が記憶している最後の光景は、猛スピードで突っ込んでくる真っ赤なオープンカーだった。運転席のチャラい男は、スマホ片手に明後日の方を向いて、何やら馬鹿笑いをしていた。

 はい、ながら運転ですねー。楽しそうに笑っていますねー。でもこっちは全然楽しくないんだよこのクソ野郎!

 という、心の叫びを上げたところまでは覚えているんだが……。

 あれは死んだはずだ。いや、死んだよな?

『うーむ。どういうことだ……?』

『よう。ようやくお目覚めかい?』

『うわっ! 誰だ!』

 突如響いた声。だが、人の気配はない。

 いや、なんか頭の中に響いてないか?

『これから大変だろうが、がんばれよ』

『え? え?』

『じゃあ、またな──』

 そうして、男の声は聞こえなくなった。

『あれ? もしもーし?』

 呼びかけてみるが、返事はない。一体なんだったんだ? 幻聴? にしてははっきりと聞こえたが……。

 そして、周辺を見回すために、身じろぎしようとして気が付く。

 体が動かん。

『む? なんでだ? というか、俺どうした?』

 縛られているのかと思ったが、そんな単純なことじゃなさそうだ。

 体の感覚がおかしい。まず、手と足の感覚がない。いや、そもそも手も足も、それ以外の感覚も全てがおかしい。

『目蓋もないな。目も……。目の感覚がないのに、どうやって物を見てるんだ俺?』

 俺は自分の体を見下ろした。少し不安だったが、視線は多少なら動かせる。

『……剣だな』

 視線の先にあったのは、台座に突き刺さった、一本の剣だった。

 何故かその剣が自分の体であると、俺は自然と理解できてしまった。

 理解の範疇を超えている事態。

 なのに、剣=自分であると、疑う余地もなく理解できた。

 目──っぽい何かは、刀身の根元。鍔と刀身の間にあるようだった。剣の体でどうやって物を見てるんだろうな? 謎だ。

『死んで……剣に転生とか?』

 どこのトンデモラノベだ。

 夢だと思いたいが、この体ではほっぺを抓ることもできやしない。

『一応、皮膚感覚? 的な物はあるが』

 自分の刀身が、下にある台座に突き刺さっていることは、理解できている。皮膚の触覚とは違うが、触れた感覚があるようだった。

『まじで異世界なのか?』

 少なくとも地球じゃない。

 なにせ、月が沢山浮かんでいる。真上を見上げると、赤、青、緑、紫、黄、桜色の六つの月が、天で薄らと輝いていた。


第一章 大草原のぼっちな剣


 地球では考えられない光景に驚きつつも、俺は自分の状況確認を始めた。

『普通、異世界転生物のラノベなんかだと、チート能力が身に付いたりするんだけどな』

 剣に転生した俺が、そもそもスキル的な物を扱えるのか。まさか剣に転生っていうこと自体がチート扱いとかないよな。いや、そもそも転生したらチート能力を得るとか、そんなご都合展開が俺にもあるとか考えること自体が甘いのかも。

『転生チートの定番は、鑑定眼なんだが……。おぉ、まじで?』

 どうやらご都合展開だったらしい。

 自分のステータスがばっちり確認できてしまった。


  名称:不明

  装備登録者:なし

  種族:インテリジェンス・ウェポン

  攻撃力:132 保有魔力:200/200 耐久値:100/100

  自己進化〈ランク1〉

  スキル:鑑定6、自己修復、念動、念話、装備者ステータス上昇【小】、装備者回復上昇【小】、スキル共有、魔法使い


 なんか、凄そうだ。個別に確認できそうなので、見てみる。


  鑑定6:目にしたものの情報を、表示する。

  自己修復:武具自身の破損を自動的に修復する。完全破壊されない限り、復元可能。

  念動:魔力を使い、肉体を使わず物体に干渉する。

  念話:魔力を使い、精神で他者と会話する。

  装備者ステータス上昇【小】:装備者の全ステータスを、微上昇させる。

  装備者回復上昇【小】:生命力、魔力の回復速度を僅かに上昇させる。

  スキル共有:現在セットしているスキルを装備登録者と共有し、付与することができる。

  魔法使い:魔力の流れを感じ取る。魔法使いの証。


 スキルの後についている数字はスキルのレベルの様だな。いきなり鑑定6って、俺って結構凄いんじゃないか? いや、上限が999の可能性だってあるし、まだ喜ぶのは早いか?

 だが、少なくともただの武器じゃない。いくつか意味が分からない項目やスキルもあるが、凄そうな雰囲気だけは伝わってくる。どう考えてもレア武器とか、ユニーク武器に分類されてもいい能力だ。

 ただ、名称が不明だな? 鑑定のレベル不足か、元からないのか。剣なのに生前の名前って言うのもおかしいし──。あれ? 生前の名前? 俺の名前って何だっけ? あれ? まじで思い出せないんですけど。え?

『えーっと……。本当に思い出せないな』

 他のことは思い出せるのに。

 三〇歳。男。会社員。一人暮らし。趣味はアニメ、マンガ、VRMMO、読書(ラノベに限る)。性格は周りからはポジティブと言われることが多い。好物はカレー、嫌いな食べ物なし。彼女もなし。というか、女性と付き合ったことがない。

『なんか悲しくなってきたな……』

 まあ、他の記憶はあるんだし、その内思い出せるだろ。なにせ人間から剣に転生しちゃったわけだし。記憶の齟齬くらい 起きてもおかしくはない。

 記憶に関してはどうもできないし、とりあえず置いておこう。

 次は外見のチェックだ。

 刀身は、白く輝く不思議な金属に青い三本の縦線が入った、贔屓目に言っても美しい外見をしている。形はいわゆるロングソードってやつだろう。

 抑えた色合いの金色の鍔には、銀に輝く勇ましい狼の彫り物と、青い飾り紐。柄には、青と白の組み紐で格子模様が編みこまれている。

 自画自賛だが、どう見てもただの量産品ではない。相当に価値のある剣だと思う。

 ただ、攻撃力132っていうのがどれくらい強いかわからないな。ただの装飾過多な成金ソードという可能性だって、ゼロではないのだ。スキルもあるから可能性は低いとは思うけど。

 もしそうだったら、最悪だな。成金ソードだったら、自分から炉に飛び込んで、死のう(?)。

 しかし豪華な剣だよな。RPGだったら相当後に登場する感じの、神秘的な姿である。

『ただ、剣なんだよな』

 心の中で、ため息を吐く。

 生前、特に美形だったわけじゃない。と言って、目立つほど不細工だったわけでもない。まあ、どこにでもいる、モブオタだったわけだ。なので、生前の肉体に未練はない。転生して違う体になったとしても、特に文句はなかった。むしろ生まれ変わり希望だったのだ。

 とは言え、剣はないだろう。剣は。

 もう食事もできないし、ゲームもできない。童貞だって、捨てられない。

 そ、そうだ。俺ってば、賢者確定だ! もう一生、この十字架を背負って生きていかねばならないのだ。

『……』

 絶望だ。手足があったら、嘆きの五体投地確定コースだったろう。

 というか、スキルの魔法使いって、そういうことなのか? そう言えば。あのスキルだけ他と毛色が違う感じだし……。ふざけんな! 笑えないんだよ!


 どれくらい落ち込んでいたか、自分でも分からない。五分だったのか、一時間だったのか。暫く呆然としていると、なんか段々と馬鹿らしくなってきた。

『今の俺は剣なんだから、そんなこと気にする必要ないよな? なにせ剣なんだし』

 決して現実逃避ではないのだ。本当だよ?

 それに、転生しなければあの場で死んでいたことも確かだ。

 よくよく考えてみれば運が良かったのかもしれない。死んでいたはずなのに、こうして意識だけでも残せたわけだからな。

 そうだ。剣になるなんて誰でもできる経験じゃない。楽しまなきゃ損じゃないか?

 そう思ったら、何か色々吹っ切れた気がする。

 降ってわいた第二の人生。いや、剣生。どうせなら剣として頂点を目指してみるのもいいかもしれない。

 剣としての頂点とは何か? まあ、まずは誰かに使ってもらわないと、話にならないよな。例えば勇者とか? でもな、勇者の剣とか苦労も多そうだ。魔王なんかと戦ったり。場合によっては折れちゃったりして。そんでもって、伝説の鍛冶師(ドワーフ)に直してもらう訳だ。それに勇者って言ったら、正義馬鹿の暑苦しい細マッチョ。多分イケメン。俺とは対極の存在だな。正直、仲良くできるとは思えない。

 どうせなら、女性に使ってもらいたい。可愛かったらベストだが、不細工じゃなければいいや。脳筋勇者よりは数段ましだ。

 あとは、剣の腕だな。凄腕の剣士で、俺を使ってバッタバッタと敵を薙ぎ倒し、英雄になってもらう。そしてその愛剣として数百年後の教科書に載ったりするんだ。

 ……まあ、夢なんだし、語るだけならタダなんだ。でかくてもいいよな?

 とりあえずは、この平原からどうやって脱出するかだけど。

 さっき聞こえていた男性の声はどうやっても聞こえないし、今は考えないでおこう。


 さて、まずは周辺の状況を確認するか。

 俺がいるのは、古びた遺跡の様な場所だ。屋根なんかなく、だだっ広い大平原に、ポツンと存在している。俺は、その中心に設置された台座に宝剣よろしく突き刺さっていた。とりあえずは、この平原からどうやって脱出するかだけど。

 さっき聞こえていた男性の声はどうやっても聞こえないし、今は考えないでおこう。

 さて、まずは周辺の状況を確認するか。

 俺がいるのは、古びた遺跡の様な場所だ。屋根なんかなく、だだっ広い大平原にぽつんと存在している。俺はその中心に設置された台座に宝剣よろしく突き刺さっていた。その台座の四方には祠の様な物が鎮座している。苔生す――どころか屋根の亀裂から立派な木を生やした祠もあり、人々に忘れ去られ、放置されてきた時間の長さを感じることができた。

 これはあれか? たどり着いた者に与えられる伝説の武具的ポジションなのだろうか?  にしては、周辺にダンジョン感はないが。

 台座のせいで振り向くことができないので、背後のことは認識できない。だが、見渡す限り高い木の存在しない茂みと低木だけの平原が続いていた。

 目を凝らせば、遠くに時折動く影もある。動物だろうか。

『人っ子一人見当たらないんだが』

 自力で動けないか。

 いやまて、スキルに確か念動があったはずだ。もしかしてこれで動けたりしないか?

『むん』

 集中だ。念動念動。

 すると、俺の体がふっと軽くなった気がした。

 台座から刀身が僅かに離れた感覚がある。

 その感覚を大事に、剣が空を飛ぶイメージを思い浮かべた。

『おおお! 浮いたぞ!』

 イメージすれば自由自在だ。台座を離れた俺は、空中をスイスイと動き回った。

『アイ・キャン・フラーイ!』

 速さはあまり出ないが、今はこれで十分だ。自力で動き回れることが分かったしな。

 台座の周辺を動き回ってみた。やはり遺跡みたいに見える。

 元は煉瓦の様に茶色いブロックで組まれていたのだろう。

 だが、長年風雪にさらされてきたせいか色は黒ずみ、所々を苔が覆っている。

 広さは直径三〇メートルくらいだ。

『一体誰が作ったのか。俺の製作者だとは思うが……』

 これだけ古そうだってことは、俺は相当長い間放置されていたのだろうか。

 剣に転生と言っても、何もないところから剣がオギャーと生まれる訳もない。俺の体を作った人間がいるはずだ。まあ、肉体が何かの事故で剣に変質したとかじゃなければ、だが。

 その製作者が使用者の第一候補ということになるのだろうが、製作者がすでに死んでいたりしたらその可能性は消えてしまう。

 だが、俺の体である剣自体と、俺の刺さっている台座や、その台座の飾り布などには苔やほこりが付着していない。まるで、昨日今日ここに設置されたみたいに。

 という事は、製作者はまだ生きているのか?

『うーん?』

 周辺を観察しながら色々考えていたら、体に違和感が走った。

『……あれ?』

 なんか疲れが……。力が抜けていく感覚が剣の体を襲う。

 そして、落ちた。

『まじか!』

 必死に念動を使おうとするが、全く反応しない。

 高さは、推定で三〇メートルはある。

『浮け! 浮いてくれ!』

 だが奮闘虚しく、俺は地面に思い切り叩きつけられた。

 ガイイィィィーン!

 大きな金属音が響く。

『いた──……くはないけど。どっか割れたりしてないか? ひびとか』

 慌てて体を見てみるが、どうやら無事なようだった。

 体の感覚にも、おかしなところはない。

 あれだけの高さから落ちて無事とは、やはり名剣なのかもしれない。

『でも、どうして落ちた?』

 急に倦怠感の様なものが生まれ、念動が使えなくなった。

 異変の原因を探るべく、ステータスをチェックしてみる。

 原因はすぐに分かった。

『保有魔力がなくなってるな』

 保有魔力:0/200となっていた。多分、念動を使っている間、魔力を消費し続けるのだろう。

 倦怠感の原因もこれに違いない。

 魔力切れになっても、意識を失わないのがせめてもの救いか。

『五分は飛んでなかったよな。多分三分くらいだったはずだけど』

 俺は石畳の上で、暫く待ってみた。

 すると魔力が僅かに回復する。周辺から少しずつ魔力が流れ込んでくるのが感じられた。大気中の魔力を無意識に吸収しているみたいだな。

 頭の中で時間を数えながら待ってみたところ、どうやら一分で1回復するらしい。

 一時間待って60まで回復させると、俺は再び念動を行使した。

『よし、浮くな』

 問題なさそうだ。俺はそのままステータスをチェックした。ガンガン魔力が減っていく。

『念動を使っている最中は、一秒で1消費かな? それだと魔力200で三分程度っていう計算も成り立つし』

 また地面に叩きつけられてはたまらない。

 俺は魔力がなくなる前に急いで台座に戻った。

 刺さってみると、妙に落ち着く。

 

 

 

『ふぅ。戻ってこれたか』

 だが、これで下手に動き回るのは危険だと分かった。

 暫くは台座周辺から出るのは避けて、平原を観察して過ごすとしよう。

 平原を見ていると、色々な生物の姿がある。

 地球のサバンナの様に、哺乳類ばかりかと思いきや、どう見ても昆虫だったり、不定形だったりする奴らもいた。しかも、その大きさはまともじゃない。

 例えば、最初に見つけた蟻っぽい姿の影は、大型犬くらいの大きさがあった。もちろん、牛っぽかったり、蝙蝠っぽかったりする奴もいるけどね。大きさはやっぱり巨大だが。

 剣でよかった。少なくとも、餌として襲い掛かられることはなさそうだし。

『改めて、地球じゃないな』

 もっと遠くを見ると、より大きな獣の影もあった。

 目測でしかないが、一〇メートル近いだろう。

 少なくとも、ゾウよりはでかいと思う。

『いわゆる、魔獣って奴か?』

 それらを見ていて、一つ気になることがあった。

『あんなデカイ魔獣がいて、人間がここにたどり着くこととか、あるのか?』

 相変わらず、人の姿はない。