序章 魔人達の策謀
「し、死にかけたで、ホンマ……」
そう言いながら、ラプラスは依頼主の前に姿を現した。
その言葉通り、全身に大怪我を負っている。
「大変だったみたいだね?」
依頼主──この部屋の主である黒髪の少年は、他人事のように軽く返事した。
それに憤ったラプラスは、叩きつけるように愚痴を言い募る。
「ちょっと待ってーや、そんな簡単な言葉じゃ言い表わされへんで? 侵入すんのも大変やったけど、出るのんにはそれこそ、何度死ぬかと思ったことやら……」
「君なら大丈夫だと思うよ。殺しても死ななそうだし」
「酷い。相変わらず、酷い人やで」
ラプラスが嘘泣きするも、少年はそ知らぬ顔だ。
「それで、西方聖教会の正体は掴めたのかい?」
「──せやな。こんな報告をするんもアレやが……無理やったわ」
真面目に告げるラプラスの言葉を受けても、少年に動揺はない。
その答えを予想していたと言わんばかりの態度で、薄く笑って言う。
「ふーん。相変わらず、君は嘘吐きだね。ヒントくらいは掴めたんだろ?」
少年のその言葉に、ラプラスは肩を竦めて溜息を吐いた。
「せや。せっかく苦労して手に入れた情報やから高く売りつけたろ思たのに、あんさんはなんでもお見通しやな。敵わんわ」
「ふふふ、褒めてくれて嬉しいけど、依頼料の引き上げはナシだぜ?」
それを聞いて「ホント敵わんわ」と、ラプラスは嘆いた。
「まあそう言うなって。約束の報酬はちゃんと支払うからさ。って言うか、実はとっくに意識の定着は完了しているのさ。僕の中にいた〝魔王〟は、見事に人造人間に乗り移ったよ」
そう言って、少年は楽しそうに笑う。と同時に呼び鈴を鳴らし、部屋の外に待機していたのだろう秘書を呼びつけた。
「お呼びですか?」
呼ばれて入って来たのは、美しい女性である。
お淑やかで丁寧な、秘書の鑑のような女性だ。
その肌は白く肌理細やかで、整った顔にシニョンに纏めた金髪がよく似合っていた。
その瞳は、藍色。
神秘的なラピスラズリの如き輝きを宿す。
だがしかし、その光は魅惑的でありながらも、どこか邪悪な性質を隠してはいない。
「は? えっ、まさか……?」
ラプラスはその女の姿に戸惑いつつも、その瞳に懐かしい輝きを見出していた。直ぐにその正体を確信するに至ったのか、その戸惑いは爆笑へと変わる。
「なんですのん、その格好? 趣味を変えはったんですか? 似合ってる言うたらおかしいけど、前とイメージが全然違いますやん?」
「うるさいぞ。十年もかけてようやく自由に動ける肉体を手に入れたんだから、多少の不便は我慢するさ」
その女も言い負かされたままではなく、気安くラプラスに言い返す。
丁寧な態度は消え去り、堂々たる様で不敵に笑いながら親しげにラプラスの肩を叩くと、その女性も椅子に座った。
「俺をコイツに引き合わせたって事は、もう演技の必要はないって事か?」
「いや、表向きには演技を続けて欲しいね。だけど、身内だけの席ではその必要はないかな」
「ほう? ボスがそう言うんなら、俺は従うだけだがな。理由を聞いてもいいかい?」
「それはね、君が弱いからさカザリーム。君の力はいまだに完全じゃないだろう? 〝呪術王〟だった頃の力が回復するまでは、大人しくクレイマンを見守ってあげるといいよ」
秘書の外見をした女性──カザリームは、その答えに忌々しく頷いた。
カザリーム。
それは古き魔王の名前。
かつて、辺境の地にて魔王を名乗ったレオンという人間を制裁しようとして、敗れた魔王。
魔王クレイマンやラプラスが復活させようとしていた存在であり、中庸道化連の会長だった。
だが今は見る影もなく、たおやかな女性にしか見えない。
滅ぶ寸前だったカザリームは、数奇な運命を辿って少年の肉体に憑依し、先日ようやく代替となるホムンクルスに星幽体を移植する事に成功したのだった。
今は全盛期の力に遠く及ばず、少年をボスと認め付き従っている。それは少年との契約であり、カザリームとしても異論はない。
十年に渡る少年との付き合いで、カザリームは彼を主だと認めていたからだ。
「確かにな。俺の力は完全ではない。あの魔王レオンに敗れ、無様にも肉体を失ってしまったからな。このホムンクルスの身体に魂は定着したんだが、余りにも脆弱過ぎて、俺が本気で妖気を解放すると壊れてしまう。完全復活とは言えないな……」
「なるほど、そういう事情やったんでっか。会長がこの人をボスと呼ぶいう事は、ワイにとってもあんさんはボスや。単なる依頼人やないんやから、ある程度は本音で語らしてもらいまっさ」
「やれやれ、君もぶれないね。これだけ長い付き合いで、君の大切な会長の復活にも協力したっていうのに、いまだに僕を信用してくれないなんて……」
「ハハハ、それはそれこれはこれ、ですやん。しかし、会長のその姿は笑えますな。目茶目茶美人さんになってますやん!」
「──そうか? 外見なんざどうでもいいだろうが」
「いやいや、口調との違和感がきつ過ぎて、笑えますよってに」
「わかったよ──いや、わかったわよ。どうせ演技を続けるのなら、当分はワタクシも女性らしく語りましょう」
「いやいや、そっち? まあ、その方がお似合いですけど……しかし、これはなんと言いますか……ブワハハハ!」
そこまで言ってから、ラプラスは再び大爆笑した。
「うるさいわよ。そもそもこの外見だって、ワタクシの趣味じゃなくてよ。魔導王朝サリオンの特殊技術で加工されたホムンクルスを、わざわざボスが用意してくれたのですから」
「まあね。結構高くついたんだぜ、それ。魂のない器を用意しなければ、変に混じってしまって移植に失敗しそうだったからね。そもそも、カザリームが逃げ込んだのが僕じゃなかったら、今頃は混じってしまってて分離出来なかったと思うぜ? だからさ、外見に文句を言われても困るんだよね」
「感謝してるわよ、ボス」
面白くなさそうに言う少年に、カザリームが感謝を述べる。それでもまだ不満そうにしていた少年だったが、ラプラスからもお礼を言われた事でようやく機嫌を直したようだ。
「まあいいけど。で、そろそろいいかい? 感動の再会なのはわかるけど、本題に入りたい。君が調べて来た事を聞かせてくれよ、ラプラス?」
その言葉にカザリームは笑みを消し、ラプラスに視線を向ける。ラプラスもそれに頷き、態度を改めて真面目に口を開いた。
「約束を守って、ワイの望みを叶えてくれたんや。ワイも誠意を見せましょか。西方聖教会の正体を探ろう思って潜入しとったんやが、それはわからんままや」
そう切り出すと、ラプラスは自分が調査した内容を語り始めた。
今回のラプラスの任務は、西方聖教会の正体を探る事。
神聖法皇国ルベリオスにその本拠地を置き、独立した宗教団体としての立場を守っている謎の組織。
〝弱者を守る正義の味方〟を標榜し、西側諸国に絶大な影響力を持つ──少年にとって、それは非常に都合の悪い事実である。だからこそ、何でも屋である中庸道化連のラプラスを雇い、弱みとなる正体を探らせていたのである。
少年は、西方聖教会には裏があると考えていた。
西方聖教会が本当に正義の味方であったならば、その時は策を弄してでもその地位を貶める予定なのだが、あくまでもそれは最後の手段である。
今はまだ、その時期ではない。
何しろ西方聖教会には、最強の聖人である聖騎士団の聖騎士団長──坂口日向がいるからだ。
ラプラスの話は続く。
「で、ヒナタがおらんかったお陰で教会に潜入出来たんやが、そこには何も怪しいものがなかったんや。それでワイは、ルベリオスの聖地へ行ってみる事にした。霊峰の頂上にある〝奥の院〟へと向かった訳や」
熱が入ったのか、ラプラスは身振りを加えて状況を説明していく。
ラプラスは、そこで見たのだ。
恐るべき、真実を。
「ホンマ驚いた事にな、聖地には神聖な気配が満ちていたんや!」
「それはそうだろう? 聖地なんだから」
「馬鹿かお前? 暫く会わない間に、ますます間抜けになっちまったのか?」
「いやいや、違うて! というか会長、口調が戻ってますで?」
「いいんだよ、俺の──ワタクシの事は。さっさと続きを話しなさい」
自分の扱いに疑問を持ちつつも、ラプラスはそこで見た事を包み隠さずに話す。
………
……
…
西方聖教会の本部敷地を抜け、真っ直ぐ進むと聖神殿がある。神の代弁者である法皇に成り代わり政務を執り行う法皇庁もまた、この聖神殿の中に存在していた。
聖神殿に入ったラプラスは、そこで初めて違和感を覚えた。精神に作用する、微弱な魔力の流れを感知したのだ。
それはラプラスの持つユニークスキル『詐欺師』による自動防衛が働いたからこそ気付けた、巧妙なる魔力であった。
(驚いたで。ワイと同等の精神魔法の使い手がおる、ちゅう事やな……)
そう考え、気を引き締めるラプラス。
そのまま慎重に大聖堂へと足を運んだ。
ラプラスも敵の組織について、ある程度の知識はある。しかし、この西方聖教会と神聖法皇国ルベリオスの関係についてはややこしかった。
西方聖教会は、唯一神ルミナスを絶対神と定め信仰している。それは神聖法皇国ルベリオスも同様であり、両者は同じルミナス教を信仰する仲間であると言えるのだが……。
今現在の力関係においては、西方聖教会の方が圧倒的に上であった。
その理由は、ヒナタだ。
西側諸国に点在している教会に騎士を派遣し、弱き人々を守る為の効率的な組織活動を行う──西方聖教会をそのような精強な組織へと作り変えたのが、何を隠そうヒナタ・サカグチだったのである。
もともとは、西方聖教会は神聖法皇国ルベリオスの庇護下にて、ルミナス教を布教する為だけの組織だった。それが今や〝弱者を守る正義の味方〟なのだから、最早神聖法皇国ルベリオスの下部組織などではなくなっている。
そして何よりも、ヒナタ自身が鍛え上げた騎士達こそが問題であった。
人類最強の騎士達──聖騎士が多数所属する、聖騎士団。
ラプラスからしても厄介なこの者達は、神聖法皇国ルベリオスではなく唯一神ルミナスに──言い換えれば、ルミナスを信奉するヒナタ個人にのみ従うのだ。
だからこそ西方聖教会は、神聖法皇国ルベリオスにおいても独立した立場を貫けるのだった。
ここでもう一つ問題がある。
神聖法皇国ルベリオスの戦力は、聖騎士団だけではない。
法皇直下の法皇庁にも、神聖法皇国ルベリオスの正式なる戦力が存在する。法皇直属近衛師団がそれに当たるのだが、この組織がまた厄介なのだ。
神の名の下に人は平等──という建前に基づいて、装束や装備までも多種多様な者達が、集っていた。
入団条件は明快だ。
信心深いルミナス教徒であり、Aランク以上の戦闘能力を有する事。
その明快だが困難極まりない条件によって、近衛騎士の数は非常に少ない。だがしかし、各人それぞれが超一流の戦士や魔法使いであり、部下を擁している。それ故に、侮り難い戦力となっているのが法皇直属近衛師団なのだった。
そちらの組織においても、ヒナタは筆頭騎士の座に君臨していた。その上、その法皇庁で執政官を務めるのが、ヒナタ個人を崇拝するニコラウス・シュペルタス枢機卿なのだ。ヒナタが西方聖教会を半ば私物化出来ているのも、それが理由なのである。
法皇の両翼の頂点に君臨し、それでいて法皇には忠誠を誓わない人物。そんな厄介な人物であるヒナタのせいで、現在の聖教会と神聖法皇国の関係が歪なものとなっているのだった。
(ホンマ、厄介な女やで……)
ラプラスは事前に仕入れた知識を思い起こしてから、ウンザリしたように溜息を吐いたのだった。
大聖堂は精霊の力が満ちて、大いなる聖霊を呼ぶ。
神聖なる気配──魔人であるラプラスにとって、それはとても苦手なものであった。自分の感覚が鈍くなるような気がして、その場から早く撤退したいとさえ思ってしまう。
そんな自分を鼓舞しつつも、ラプラスは次にどちらに向かうべきか思案した。
霊峰の頂上に向かえば、そこには神との交信の場とされる〝奥の院〟があるらしい。
そして今いる大聖堂だが、ラプラスは直感的に、この場所にも何かあるのではないかと感じていた。
「さて、どないしたもんやろか……」
ラプラスが悩んだのは一瞬だった。そのまま大聖堂を抜け、ラプラスは〝奥の院〟を目指して歩き出した。
ここで調査に時間をかけてしまうと、いつヒナタが戻って来るかも知れないという心配があった。それにヒナタがいない今こそが、西方聖教会の教義である神の正体に触れる最大の好機であると考えたのである。
(サッと行って、チョロッと見てこよか)
そう考えて、ラプラスは山道を進んだ。
その判断は間違いだった。
いや、成果を出せたのだから正解なのだが、ラプラスにとっては、報酬に見合わぬような危険な選択となったのである。
石階段が設えられた山道を進み、山頂の神社に辿り着いたラプラス。
神社は大聖堂に比べれば小さいが、その豪華さは比ぶべくもない。この小さな社こそが、本当の意味での神の住処なのだろう。
その場は静寂に包まれていた。
神々しさは増し、ラプラスの心身を圧迫する。
だがそんな気配の中に感じるのは、馴染みある魔の気配。
(──なんや? 神聖なはずのこの場所に、魔の気配? おかしいやろ、なんや嫌な予感がするで……)
最強の障害であるヒナタが、今この場所にいないのは確かだ。
その他の者であれば、無視は出来ないが脅威ではない──ラプラスはそう判断していた。
だが、それは本当に正しい判断なのだろうか?
ここにきて、ラプラスの心にそうした不安が湧いて出たのだ。
(いやいや、ワイの気配は完璧に隠されとる。ヤバそうな奴がおったら逃げたらええで)
そう自分に言い聞かせて、ラプラスは覚悟を決めた。
ラプラスは念入りに存在欺瞞を発動し、そっと社への侵入を試みた。
その瞬間──
全身を貫く光線を幻視し、ラプラスは大慌てで社から転び出る事になった。
「虫ケラが。神の座を汚すゴミ虫が!!」
社から突如現れ出でたのは、圧倒的な存在感だった。
豪華絢爛な衣装の下に、筋肉隆々なのが見て取れる。
輝くような金髪は短く縮れて、その者の気性を表していた。
風格は、王者。
特徴的なのは、その唇から覗く二本の犬歯。
「まさか、吸血鬼族──ッ!?」
「黙れよ虫ケラ。余が自ら裁くのだ、光栄に思いながら死ぬがよい!!」
次の瞬間、山頂を真紅の光線が乱舞した。
退路を断たれたラプラスは、そのまま為す術もなくバラバラにされたのだった。
………
……
…
ラプラスは、そこまで話して身震いした。
「あれはヤバイで。マジで死んだかと思ったわ」
「いやいや……なんで君、生きてるの?」
そう呟いたラプラスに、少年が突っ込みを入れる。
カザリームは呆れたように、「ま、コイツは殺しても死なないだろうがね」と笑うのみ。
「嫌やな、逃走手段と安全の確保は常識やで? けどまあ、ワイは最近、こんなヤラレ役ばっかりやわ。そろそろビシッと、格好良く活躍したいもんやで」
「はいはい。君の役所は裏方だから、英雄願望なんて抱かない方がいいぜ?」
「そうよ、ラプラス。目的は達成する事が大事なのであって、格好いい活躍なんてどうでもいいでしょう?」
「ま、せやけどね。こんなんが続いたら、ワイに負け癖がつきそうでな」
「いいじゃん、負けても」
「そうね、生き残って最後に勝てばいいのだし。それよりも──」
カザリームはそこで表情を引き締めた。
ラプラスも頷き、言う。
「せやせや、それが重要なんや。あそこまでワイを圧倒したいう事は、強いんは間違いない。問題は、その正体や。神聖なはずの場所に、なんであないな魔人がおったんか、いう点が鍵やな。これは西方聖教会を揺るがす大問題やろ?」
「魔人、ねえ。西方聖教会と魔人、それも上位種族のヴァンパイアとはね……」
ラプラスが、我が意を得たりとばかりに問題を指摘した。
少年も同意して頷く。とはいえ、この予想だにしない事実に、驚きを隠せないでいるようだ。
「だが、厄介だぞ。ラプラスを倒した男、俺の知識と照らし合わせて考えるに、魔人どころではないかもな」
「せやな、ワイもそう思う」
「ん、どういう事だい?」
カザリームとラプラスの指摘に、少年が疑問を返した。
「自慢やないが、ワイは強い。前に戦った樹妖精が相手でも、本気で戦えばワイが勝つやろ。森の中では不利やし、応援を呼ばれたら嫌やから逃げただけや。無理してまで倒す意味もなかったしな。けどな、今回の相手は別格やった。準魔王級どころやなく魔王そのものいう感じやったんや。なんせ、ワイに出来たんが逃げる事、それだけやったんやからな」
森の中では、ドライアドは圧倒的に強い。種族特有能力によって、植物を通した瞬間移動が可能なのだ。また、草木からの囁きによって、種族間でありとあらゆる情報の『共有』を行っている。故に状況に応じて、直ぐに仲間が応援に駆け付けて来るのだ。
そんな厄介な種族であるからこそ逃げる選択をしたものの、ドライアドの一体くらいならば、ラプラスには勝てる自信があったのである。
だがしかし、今回は違う。
「アレは化け物やったで。間違いなく、ワイより強かった」
ラプラスはそう断言した。
部屋の空気が重くなる。
「なるほど、魔王ね……。カザリーム、君の予想ではどうなんだい?」
フンッ、とカザリームは鼻を鳴らした。
「言ったでしょう、厄介だって。ワタクシの知識の中に、一人だけ該当する者がいるのよ」
「へえ、そいつは誰だい?」
もったいぶるカザリームに、少年が問うた。
「──魔王ヴァレンタイン。古き魔王の一人で、全盛期の俺と互角だった男だ」
「マジでか。会長と互角やったんなら、ワイも逃げたんは正解やな。自分の勘を信じて良かったわ」
肩を竦めてラプラスが言った。
せっかくヒナタの留守を狙って侵入したというのに、まさか魔王に出くわすなんて──と、その表情がありありと告げている。
「……ふーん。西方聖教会に魔王、ね。ひょっとして、法皇の正体こそが魔王ヴァレンタインなのかな?」
「さあ、そいつはどうやろ? 魔王が人間を守るとか意味不明過ぎるわ。会長、ヴァレンタインいうんは、どないなヤツやったんです?」
二人の視線を受けて、カザリームは昔の記憶を探る。
トントンとしなやかな指でこめかみを叩きつつ、目を閉じて思索し、自身の過去を鮮明に思い出す。
「俺はこう見えて、五百年周期で発生する大戦を、三度も生き延びている。古き魔王の一人だったのさ。しかしな、そんな俺が魔王となった時、既に六名もの魔王がいた──」
そう言って、カザリームは語り出した。
魔王ヴァレンタインは、カザリームよりも古き魔王だった。その力は強大で、不死の王たるヴァンパイアの名に相応しきものであったのだ。
長命な耳長族から妖死族に進化したカザリームにとって、不死の象徴であるヴァンパイアの魔王ヴァレンタインが忌々しかったのは確かだ。
「──実はな、ヴァレンタインとは何度か殺り合っているんだよ。だが、決着はつかなかった。俺達レベルになってくると、本人は無事でも周囲の被害が尋常じゃなくなる。それで話し合い──多数決で決着をつける風習が生まれ、魔王達の宴という制度が出来たのさ。三名の票で議決されるってのは、魔王が七名しかいなかった頃の名残でもあるのよ」
面倒だからそのままなのでしょうね──と、カザリームは上品に笑って言った。男口調と女口調が入りまじってかなり不気味なのだが、本人に気付く様子はない。
そのまま笑みを消し去り、真面目に告げるカザリーム。
「そんなワタクシだからこそ、断言するわ。あの男、ヴァレンタインは、人間や亜人をエサとしか見ていない。そんな男が人類の守護者になるなんて、天地が引っくり返ってもあり得ないわよ」
フム、とラプラスは頷いた。
少年も、カザリームの言葉を噛み締めるように思案する。
「ほなら、なんかの協定を結んだとか?」
「あのね、ラプラス。約束や協定は、対等な者同士でしか成り立たないのよ?」
「せやな……」
自分でもないなと思っていたのか、ラプラスはアッサリと引き下がる。
「それに、ヒナタみたいに頭の固いヤツが、魔王と組むとは思えないしね。となるとやっぱり、ラプラスが出会ったのは魔王じゃなくて、名の知られていない魔人なのかな?」
ラプラスに同意するように、少年もそう呟いた。しかし、それを否定したのはカザリームだ。
「いいえ、その男はヴァレンタインだと思うわよ。真紅の光線が飛び交ったって話だし、間違いないわ。ヴァレンタインは二つ名を〝鮮血の覇王〟といって、血刃閃紅波という血を魔粒子化させて放出する技を得意としていたもの」
血刃閃紅波とは、一種の拡散粒子砲なのだと言う。
自らの血液を魔粒子へと変化させ、高出力で撃ち出す──そんな事を可能とするような魔力を保有するとなると、魔王本人以外には考えられなかった。
カザリームはそう断言する。
そうなると……。
「つまり、ラプラスが戦ったのは魔王ヴァレンタインで間違いなくて、そんな彼が人類と協力するとは思えない、と。だったらさ、やっぱり法皇の正体は魔王ヴァレンタインなんじゃないの?」
「せやな……そう考えると辻褄は合いますわな。どうやってヒナタの目を誤魔化しとるのかは、疑問でっけどね」
うーんと唸る二人に、カザリームも一応の同意を示す。
「まあね、そう考えるのが一番納得いくのよね。確かに色々と疑問は残るし、気になる点もないわけじゃないけど……今重要なのは、法皇しか入れない場所に魔王ヴァレンタインがいたっていう事実だわ」
カザリームがそう言って、今回判明したと思われる事実のみを挙げる。
「もう一度聞くけど、魔王なのは確かなのかな?」
「間違いないでしょう。外見的特徴もワタクシの記憶と一致しているし。それに、魔王ヴァレンタインの性格上、誰かの下につくとも思えないし……」
「せやな、ワイよりも強い魔人がそう何人もおるとは思えないよって。しゃーけど、あんな化け物がおるんやったら、これ以上の調査は厳しいで」
カザリームとラプラスの意見が一致したので、少年も法皇の正体が魔王ヴァレンタインなのではないかと推定する。
「どっちにしろ、この情報は使えるね。お手柄だよ、ラプラス」
その顔は明るく、西方聖教会切り崩しの切り札を手に入れた喜びが垣間見えた。強大な魔王が敵勢力にいるという事実が判明したというのに、その表情に不安の色はない。
今得た情報を元に、次はどのような手を打とうかと思案する。少年はそんな風に悪巧みを楽しみながら、次の策を練る……。
*
「これでワイの報告は終わりですけど、そういえば、クレイマンのヤツはどうなったんでっか?」
ラプラスが自分の報告を終えた後、思い出したように質問した。
その質問に、少年は面白くなさそうに顔を顰めると、黒く艶やかな髪をかき上げつつ、愚痴まじりに言う。
「それがさあ、見事に失敗しちゃったよ」
「失敗、でっか?」
「ああ。君が言ってたリムルっていうスライムを、ヒナタと戦わせるまでは上手くいったんだよ。でもね、その後が全然ダメでね……」
そう話すと、今度は少年が状況の説明を始めた。
最初に、クレイマンが魔王ミリムを懐柔する事に成功した。少年がクレイマンに授けた秘宝──支配の宝珠の魔力の効果だ。
この成功を受けて、何処までの支配効果が魔王ミリムを束縛しているか知る必要があった。
「それで、適当な相手でミリムの力を試そうとしたんだ。正体不明や何処にいるのかも不明な魔王達の中で、一番頭が悪そうなカリオンを標的に選んだのさ」
少年に続き、カザリームも説明を加える。
「そのついでに、獣王国ユーラザニアの首都を崩壊させようと考えたの。元奴隷だった人間も多数いるでしょうし、真なる魔王に覚醒する為の魂も集められるかと思って……」
そこで少年とカザリームは顔を見合わせ、溜息を吐いた。
「その魂でクレイマンも覚醒出来て、一石二鳥だって思ったんだけどね」
「ところがミリムが暴走して、勝手に宣戦布告しちゃったのよね……」
その結果、一週間という余計な時間的猶予をカリオン達に与える事になり、首都に住む者達は全員避難してしまったのだ。
「やっぱりね、魔法のアイテムで魔王を支配するのは難しいんじゃないかって思うんだよ。細かい条件付けを行わないと駄目みたいだしね」
「それは信用して欲しいものね。ワタクシが得意とするのは、呪術よ? 〝呪術王〟の二つ名は伊達じゃないわ。支配の宝珠は俺が作った完璧なる魔宝道具だから、クレイマンの野郎がしくじったのさ」
「それはもういいよ。ともかく、獣王国で魂を集めるのは失敗した。そこで次に目を付けたのが、ファルムス王国なんだ」
「ファルムス王国でっか?」
「ああ。あの国は独自の召喚の儀式を行い、〝異世界人〟を大量に抱え込んでいたからね。そろそろ力を削いでおこうと思ったのさ。裏ルートを通じて魔物の国の情報を流し、欲深い王や側近達の興味を引いたんだよ」
「面白いように食い付いてくれたのだけどね」
それは豚頭帝を魔王に仕立て上げる計画が頓挫した際の、ラプラスからの報告内容を基にして考案された。ファルムス王国を煽り、ジュラ・テンペスト連邦国へと戦争を仕掛けさせる計画だったのだ。
多数の上位魔人を擁する彼の国ならば、ファルムス王国の〝異世界人〟を何名かは道連れにしてくれるだろう、と。
折りしも魔物達の首領であるリムルが単独で行動しており、彼の国にはクレイマンの配下が潜入していた。
リムルはヒナタを誘き出すエサとしても活躍してもらう予定だったので、まさに一石二鳥の計画だったと言える。ところが──
「本当に、予想外の事ばかりさ。あのリムルっていうスライム、ヒナタを相手にして逃げ延びたんだぜ? まるで君みたいに、油断ならないヤツみたいだね」
「酷い言われようですわ……」
「それだけならまだ良かったんだけどね──」
「ワタクシの予想では、ファルムス王国の勝利に揺るぎはなかった。けれど、魔物達の主が参戦するのなら、それが覆る可能性があると予想していたの。でも正直、どちらが勝利しても問題なかったのよ。勝った方と取引するだけの話だし、目的は戦争で生じる大量の死──魂の収穫だったのだから。その魂で、今度こそ可愛いクレイマンを覚醒させようと思っていた。それなのに……」
見事に失敗。
ファルムス王国の軍勢は、たった一匹の魔物に滅ぼされる結果となった。
「信じられないけど、これは事実なんだよね」
「ワタクシのユニークスキル『企画者』で立てた計画が、ここまで目論見通りにいかなかったのは初めてよ」
少年が憮然とし、カザリームは憤慨する。
「ちょ、ちょっと待ってーな! たった一匹でって、嘘やろ? ファルムス王国はそないに魔物の国を舐めとったんかいな?」
予想外の言葉に、ラプラスが驚いたように叫んだ。
それに答えたのはカザリームだ。
「言っただろ、ファルムス王国は面白いように食い付いたってな。騎士や魔法士からなる、二万もの軍勢を用意したんだよ。それが全滅した。文字通り、生き残ったヤツは確認されていないわね」
「はあっ!? そんなアホな……」
その余りにも信じ難い出来事を聞かされ、ラプラスは絶句する。そんなラプラスを、更なる衝撃が待ち受けていた。
「驚くのはこの先さ。戦場跡を調査したクレイマンからの報告によると、死体が綺麗サッパリ消えていたんだ。これが意味するのは、死体を供物にした召喚、或いは魔物の作成が行われたのではないかという事……」
「もしもワタクシがそれだけの死体を使用して創造魔法:魔人形を行使したら、どれだけの化け物を生み出せるかわからないわよ? 単なる死体ではなく、屈強な戦士達、そして戦場という負の感情が渦巻く最高の魔術的環境。これだけの条件が揃っていたら、最低でも準魔王級に匹敵するくらいの魔物が生み出せるわね」
「らしいよ? まあ僕としては、魂を回収出来なかった方が痛手だね。クレイマンが言うにはたった一つの魂さえも残留していなかったそうでね、お陰で彼を覚醒させるという計画が、またしても失敗って訳さ」
そう言って、少年は溜息を吐いた。
進行していた作戦が多かったのも、失敗の要因だったと反省する少年。
効率を重視し過ぎて、様々な策を絡め過ぎた。そのせいで、一つが綻ぶと全部に影響が出てしまう。
ちょっと欲張り過ぎたかな、と少年は思ったのだ。
「それってそのリムルいうスライムが、魂を根こそぎ奪ったんやないやろね?」
「何を冗談を言っているのかしらラプラス? そんな事を、魔王種でもない魔人風情に出来るとでも思っているの?」
カザリームの言う通りだ。
二万もの魂を集め制御するなど、魔道を極めた者にすら困難。それを無謀にも行おうとすれば、魂のエネルギーが暴走する結果となるだろう。
それに、もしも成功してしまったならば──
「ハハハ、そうだぜラプラス。二万もの魂を一度に奪ったのだとしたら、今頃そいつはとんでもない化け物になってしまっているんじゃないかな?」
少年がその可能性を笑い飛ばす。
「それもそうやね。一瞬そんな不吉な考えが過ぎったんやが、ワイの考え過ぎやわ」
ラプラスが自分の思いついた疑問を口にして、二人に笑われる。その考えが、余りにも突飛のないものだと思われたからだ。
魔王種が真なる魔王へと覚醒するのに必要な条件──それはカザリームにも全容がつかめてはいなかった。だが、恐らくは大量の魂が必要であろうとの推測を立てている。
その成果を確かめるべく、先ずはクレイマンに実験を任せているのが現状だった。クレイマンもオークロードで実験しようとしていたようだが、忌々しい事にそれら全ての計画は失敗に終わっていた。
自分達がそんな状況だからこそ、突然現れたスライム如きが〝真なる魔王〟に覚醒するなどと、カザリームの頭脳を以ってしても想像の埒外だったのだ。
ラプラスの考えが実は見事に正解だったのだが、この時の三人がそれに気付く事はなかった。
「ちゅう事は、クレイマンのヤツは今は何を……?」
自分が西方聖教会に潜入して必死な思いをしていた時、クレイマンはクレイマンで大変だったのだな、とラプラスは思った。遠い目になりながら、質問を投げるラプラス。
「待機だよ。今この時に、これ以上の大胆な行動は避けるべきだし。幸いにも、ミリムは自分で宣言した通り獣王国を灰燼に帰してくれた。だから今は一旦落ち着いて、戦略の見直しを行いたいのさ」
「ほう? ちゅう事は、計画が全て失敗、いう訳ではないんですな?」
「おいおいラプラスよ、貴様は俺を舐めているのか? 力の大半を失っているけれど、ワタクシの本領は謀略なのですよ?」
「そりゃそうさ。全部失敗しちゃってたら、僕だって流石に怒るぜ? 色々と計画にズレが生じたけど、ファルムス王国の弱体化は達成出来た。これで西側諸国が纏まるから、掌握は容易になる」
「そしてジュラの大森林そのものが、東の帝国に対する防波堤になってくれるでしょうね」
「なるほどな、会長。勝った方と取引するんやから、魔物の国を滅ぼす必要はなかったんやな!」
二人の説明にラプラスも納得した。
どう転んでも利益が出るように計画を立てる──それこそが、魔王カザリームのユニークスキル『企画者』の真骨頂だった。ラプラスはそれを思い出し、流石やなと内心で賞賛を送る。
「ミリムがカリオンを倒した事で、支配の宝珠の効力は確かだと証明されたんだ。示威行動としてはこれで十分、後は他の魔王達の出方を見るだけさ」
「そういう事よ。だからクレイマンには、これ以上の行動を慎むように命じたの。どうせ東の帝国が動くのだから、その時に魂を回収する機会も得られるでしょうし」
「それにね、西方聖教会の目も魔物の国に向けられるだろうし、僕達にとってはあの国が残ってくれた方が都合がいいんだよ」
だから慌てる必要はない、と二人は言った。ラプラスも、なるほどと納得する。
「ちゅう事は、当面の敵は西方聖教会やね?」
「その予定さ」
「だけど、簡単にはいかないわよ? 何しろ、聖人と魔王が揃っていると想定しないといけないし、迂闊に手出しするのは危険だわね」
西方聖教会を正面に見据え、その他勢力と争うのは避ける。それが当面の方針になるのかというラプラスの問いに、その通りだと少年は頷いた。
西側諸国を掌握する上で、魔物の国は必ずしも障害とはなり得ないという判断だ。
それに、もう一つ理由がある。
先の失敗の反省を活かし、今度は敵を見定めて、二正面同時作戦は控えようと考えたのである。
西方聖教会、そしてその背後にいる神聖法皇国ルベリオス。これらを敵と定めて、先ずはこれを叩く。今度は慎重に、決して表舞台に出る事がないように気をつけながら……。
その為には、魔物の国の存在はかえって都合がいい。西方聖教会の教義を煽れば、ヒナタ達の目を彼の国に向けるのも容易だからだ。
「リムルという魔人の存在を、教会としても無視は出来ないわ。ファルムス王国が敗退した今、聖戦という大義名分を振り翳そうにも各国は納得しないでしょうし。権威が失墜するのを防ぐには、なんらかの手を打つ必要があるわね」
「そう。それを邪魔しつつ上手く両者を煽れば、互いに潰し合ってくれるかも知れない。僕達は両者が弱まる機会を、ただ待つだけでいいのさ」
そう言って、少年がニヤリと笑った。
精強なる二万もの軍勢をたった一人で全滅させた魔人もいるのだし、ヒナタが出なければ対処出来ないだろう事は明白だ。その時を狙い、色々と画策しているのだろう。
既に計画は練られていたようで、ラプラスに説明するその口調には、一切の迷いは見られなかった。
「問題はね、貴方の報告が想定外だった点よ、ラプラス」
「だよね。まさか、魔王ヴァレンタインが絡んでいるとはね。そもそも、本当に手を組んでいるのかな? ヒナタの性格からすると、魔王と協力するとか考えられないんだけどな」
少年とカザリームが、軽く憤慨したようにそうこぼす。魔王ヴァレンタインの存在がなければ、西方聖教会の攻略はもっと簡単だったという口ぶりだった。
別に自分のせいではないのだが、気まずく思ったラプラスは、言い訳するように口を開いた。
「それはわからんけど、調査の邪魔にならんように魔王を誘き出すだけやったら、なんとかなるんちゃいますか?」
「ん? どういう意味だい、ラプラス?」
「いや、クレイマンに言って、魔王達の宴を発動させればええやん。今なら魔王フレイも協力してくれとるんやから、魔王ミリムも含めて魔王三名の連名で発動出来るで?」
魔王達の宴──確かにそれを発動させたならば、全魔王へ召集をかける事が出来る。
「──なるほどね。確かにそれなら、魔王ヴァレンタインを聖地から誘き出せそうだね」
ラプラスの提案に、少年が少し笑って頷く。
「へえ、ラプラスにしては冴えてるじゃない。後はタイミングを見計らってヒナタを聖地から追い出せれば、君の調査もはかどるってものだな」
「えっ!? もしかして、またワイが出向くんでっか?」
「当然だろ?」
「当然でしょ?」
やれやれ、とラプラスは思った。
だが、少年もカザリームも意に介さない。
こうして、ラプラスの意向などお構いなく、魔人達は新たなる計画を練り上げていくのだった。