序章 魔王会談

 

 広く豪華な部屋。

 職人達が数年かけて織り込んだと思われる、高級な絨毯が敷かれている床。

 そこに設えられた机は古い香木を削り出した逸品であり、心地よい香りが立ち上っている。かなりの大きさの円卓で、十数名がゆったりと席に着けそうな作りになっていた。

 広さに似合わず、用意された椅子の数は三脚。ぜいの限りが尽くされ、王侯貴族でも所有する事が難しそうな品であった。

 壁一面に幻想的な絵画が飾られているが、それは本当に絵画なのだろうか? 精巧なタッチで描き出されたように見える幻想的な生き物達は、時折身じろぎをするように姿勢を変化させるのだ。

 画面を通り抜け、いつでもこの世界へと顕現出来るのだと言わんばかりに。

 さもありなん。その絵画の数々は、魔界の巨匠ビスマルクにより制作された品である。幻獣達を生きながらに封じ込めたと伝えられる、描封画と呼ばれる魔宝道具アーティファクト──至高の美術品なのだから。

 この部屋の品を一つ売るだけで、貴族のような贅沢な暮らしを十年は行う事が可能であろう。それほどまでに一つ一つの品質にこだわり抜かれ、この部屋を訪れる者を圧倒する。

 金もまた力である。

 金があれば、高級な魔法武具マジックウェポンを買い漁ったり、超一流の傭兵を雇い入れる事も可能だ。この部屋を訪れた者は、正しくそれを思い知る事になるだろう。

 自身の持つ財力を顕示し、来客から敵対する気力を摘み取る。それこそが、この贅を凝らした部屋の役割であり目的なのだ。

 ──だがしかし、今回招かれる客達は、そうした脅しの通用する相手ではない。

 

 部屋の主は、端整な顔の男だ。

 スラリとしたそう、知的だが神経質そうな眼差し。

 それでいて、他者を従える覇気を持つ者──魔王クレイマンである。

 クレイマンは部屋の中を一瞥し満足気に頷くと、用意された椅子の一つに腰掛けた。

 テーブルの上には、笑みをかたどった仮面が一つ。クレイマンはそれを手に取りひと撫でして、大切そうに懐にしまう。

 その一つ一つの所作からは、彼が几帳面である事が窺えた。

 間もなく客人が到着する頃合である。

 客人とは、彼と同格の者達──即ち、魔王。勝手気ままな彼等をもてなし、上手くづなを握るのがクレイマンの目的だった。

 高級な純白の礼服に身を包んだクレイマンは、懐中時計を取り出し時間を確認する。

 そろそろ時間か、クレイマンがそう思った瞬間──

「よう、クレイマン。ゲルミュッドの野郎は上手くやっているのか?」

 いつの間にか、椅子に一人の人物が腰掛けていた。足を組み、悠然と背もたれに身を預けている。

 気安くクレイマンに声をかけるその人物は、非常に大柄で筋肉質な体躯をしていた。しかしその動きはしなやかで、決して鈍重なイメージを与える事はない。むしろ、歴戦の勇士といった風情である。

 品の良い衣装を着崩しているが、だらしのない印象は受けない。というよりは、逆に野性味が強調されており、一種独特の近寄りがたい雰囲気を醸し出している。

 気安い口調と近寄りがたい雰囲気がアンバランスだが、それがこの男の魅力を増しているようだ。

 短く整えられた金髪がせいかんな顔つきによく似合っている。鷹のように鋭い視線は、クレイマンを真っ直ぐに捉えていた。

 クレイマンの事をまるで信用していないのか、その挙動に油断はない。

「カリオンか、早かったな。今日はその事について報告しようと思ってね。しかし、君の方が先に来るとは思わなかったよ」

 クレイマンがそう言うと、カリオンと呼ばれた男は肩をすくめて見せる。

「まあそう言ってやるなよ。女性レディは何かと準備が大変なんだろうさ」

 そしてカリオンはそう答え、ニヤリと笑った。

 この男──カリオンこそ、獣人族ライカンスロープを統べる王にして〝獅子王ビーストマスター〟と称される〝魔王〟の一人であった。

「フッ、レディ、ね。確かに、確かに。おっと、これ以上言うのは止めておいた方が良いだろうね。何しろ──」

「悪口には敏感だからな、アイツ」

 二人の魔王はそう言って、互いに目配せをし合うなり小さく笑い合う。

 その笑いが止むのを待っていたかのように、突然大きく扉が開け放たれた。

「今、ワタシの事を噂していなかったか?」

 そこに立つのは一人の少女。

 キョロキョロと中を見回し、そこにクレイマンとカリオンの二人しかいない事を確かめ、少女はそう口を開いた。

 魔王達の会談に参加するには不自然な程の、幼い少女である。

 年の頃は十四、五歳といったところか。魔人ならば、外見と実年齢が釣りあわない事も多々あるが、それにしても場違いであった。

 右肩には、竜の爪のような肩当てを装備していた。どういう仕組みなのか、わずかに隙間を開けて浮いている。

 肝心の身体には、ほとんど布面積が見当たらない。薄い布の腰巻とパンツ、気持ち膨らみかけている胸を覆う胸当て。動き易さを重視しているのか、まるで水着のような露出度の高い衣装であった。

 だが何よりも。目を引くのは、少女の美貌。

 まだ幼さが残るものの、大きな瞳は強い意志を秘めて青く輝いている。その瞳の力の強さが、少女が只者ではないことを証明していた。桜金色プラチナピンクの髪は頭の両側に流すようにツインテールで纏められて、魅惑的な輝きを放っていた。しかし、そうした可憐な印象を吹き飛ばすように、口元には不敵な笑みが浮かんでいるのだ。

 少女はその膨らみかけの胸を張り、傲岸不遜な態度で部屋の中の魔王達をへいげいしていた。

「よう、ミリム。噂なんかしてねーよ。時間に遅れる事のないお前にしては珍しいなって思ってよ、これでも心配してやってたんだぜ?」

「その通りですよ、ミリム。まあ、私は貴女を心配してなどいませんがね」

 カリオンは誤魔化すように豪快に笑う。

 クレイマンは肩を竦めて、優雅に紅茶を口にした。

 二人とも慣れたもので、下手に言い訳したりしない。そんな事をすれば、かえってミリムの逆鱗に触れると理解しているのだ。だからこそ、刺激しないように軽く言葉を流すのみに留める。

 二人の魔王はこの少女を前にして、若干だが緊張しているように見えた。

 その理由は一つ。

 見た目とは裏腹に、この少女が強いからだ。

 何しろこの可憐な少女こそ、ただ一人ひとり竜魔人ドラゴノイドにして〝破壊の暴君デストロイ〟の二つ名を持つ者──魔王ミリム・ナーヴァなのだから。

 ミリムはフンッと可愛い鼻を鳴らして、カリオンとクレイマンを交互にめ付ける。それでも反応しない二人に「まあいいのだ」と呟くと、部屋の中へと入るミリム。

 そんなミリムに続き、もう一人部屋に入って来た者がいる。

 大鷲のような翼を持つ有翼族ハーピィだ。

「おや、ミリム。この部屋には魔王以外立ち入る事は出来ません。従者を連れて来るのも許可出来ませんよ。貴女と言えどもそのルールは守って──」

「お久しぶりね、クレイマン。私はミリムの従者ではなくてよ。来たくて来た訳ではないのだけれど、魔王ならば問題ないのでしょう?」

 予定外の人物の登場に眉をひそめたクレイマンに、憂鬱そうに答える声。魔王であるクレイマンに臆することなく、堂々たる態度である。たおやかな外見の女性だが、見る者が見ればその身に纏う妖気オーラが只事ではないと気付くだろう。

 それもそのはず、彼女もまた魔王の一人にして──

「おいおい、何でここにいるんだ、フレイ?」

 フレイ──有翼族ハーピィの魔王にして、〝天空女王スカイクイーン〟と称される者。

 クレイマンやカリオン、そしてミリムと同格の、この世界における最強の一角である。

「こんにちは、カリオン。お察しの通りよ。私は忙しいと断ったのだけれど、ミリムに、ね」

「わはははは。良いではないか。難しい顔で考え込んでいたから、ワタシが気晴らしに誘ったのだ。文句はないだろうクレイマン?」

「ええ、そういう事なら──」

 ミリムの強引な遣り口はいつもの事であり、半ば呆れつつも承諾するクレイマン。

 正面きって反対する理由はない。逆に好都合であると前向きに考える事も出来る。今回のゲルミュッドの計画が失敗した事を伝えれば、ミリムの機嫌が悪くなる事は間違いない。その時には、フレイは良いなだめ役となってくれるだろうから。

 クレイマンはそう考え、新たな策を練り始める。

「では、さっさとフレイの席を用意するのだ」

 ミリムに促され、クレイマンは頷いた。

 指を一つ弾くと、今まで何もなかった場所に椅子が出現した。まるで最初からそこにあったかの如く、部屋の調度に馴染むように椅子は存在していた。

 ミリムとフレイもそれが当然の事であると受け止めているのか、迷いなく椅子に座る。

 こうして、この場に四名の魔王が揃ったのだ。

 後は、〝人形傀儡師マリオネットマスター〟クレイマンの腕の見せ所である。

 他者を意のままに操る事こそ、彼の得意とするわざ

 クレイマンは薄く笑みを浮かべ、魔王達に向けて口を開いた。

 たった今、魔王会談が始まりの時を迎える。

 

 

 クレイマンは端的に現状を話した。

 ゲルミュッドが失敗し、何者かに殺されたと説明したのだ。

「ゲルミュッドの野郎は急ぎ過ぎたな。ヴェルドラが消失したからと言って、計画を前倒しする必要なんかなかったんじゃねーのか?」

「そうは言いますが、カリオン。森の支配者たるヴェルドラが消失した以上、騒乱が起きるのは必定。であれば、育ちきっていない種子が刈られるのを待つよりは、自らの手で始末を付ける方が納得出来るというものではないですか?」

 そう説明され納得するカリオン。森には様々な有力種族が住んでいる以上、自分達の手駒が勝てる保証はない。もっとも可能性の高い豚頭帝オークロードを育てるというのも、作戦としては一理あると理解したのだ。

 だが、納得しない魔王もいる。

「何だと!? では、オークロードを魔王化させるという話はどうなるのだ?」

「ですからミリム、オークロードを操っていたゲルミュッドが死んだ以上、この計画は白紙に戻すしかないでしょう」

 クレイマンとしても計画の放棄は痛手だったのだが、ゲルミュッドと自分の繋がりに気付かれていないならば問題はない。今となっては、オークロードか魔人達のどちらか、生き残った方を相手に新たな計画を立案する方が面白いだろうと考えている。魔王達に興味を持たせる事が出来れば、それを利用して手札を増やす事も可能だろうという思惑もあった。

 カリオンはめいもくしたまま、黙って話を聞いている。思う所はあるのだろうが、ずはクレイマンの説明を全て聞いてから判断するつもりなのだ。この点、短気なミリムとは違い慎重な性格なのが窺えた。

 しかし、ミリムにそこまでの思慮深さはない。

「つまらぬのだ! 久々に新しい魔王オモチャが生まれると思ったのに。それにしてもゲルミュッドのヤツ、大口を叩いた割りには底知れぬ無能者ではないか!?

「まあまあミリム、そう怒らないの。クレイマンの話はまだ終わっていないわよ。怒るのは続きを聞いてからにしたらどうかしら?」

 クレイマンの予想した通り、計画の失敗を告げただけでミリムは激怒した。ここから宥めるのに多大な労力を割く事を覚悟していたのだが、フレイのお陰でどうやら落ち着いてくれたようだと安堵する。

(ミリムがフレイを連れてきてくれて助かりました)

 表情は余裕の笑みを浮かべたままだが、内心で呟くクレイマン。

 実際、〝破壊の暴君デストロイ〟の二つ名に相応しく、ミリムが暴れ出したら手が付けられなくなるのだ。そうなれば、クレイマンとて本気を出して対応せざるを得なくなり、対立することなく魔王達を意のままに動かそうとする本来の目的とは本末転倒な事態になってしまう。

 ミリムは単純なので動かしやすいという利点はあるが、単純故に失敗すると自分が痛手を負うという、クレイマンにとっても諸刃の剣だったのだ。

 今回は、ミリム自身が制御装置としてのフレイを連れて来てくれた事で、思ったよりも楽に話を動かせそうであった。

 それに何より、フレイ自身は計画に携わっていなかったにもかかわらず、まるで興味を持っていない様子なのも重畳であった。他の魔王だったならば、計画を最初から説明しろと五月蝿うるさかっただろう。その点フレイはクレイマンにとって都合の良い人物だったと言える。

「ミリム、フレイの言う通りです。先ずはこれを御覧下さい」

 そう言って、クレイマンは四つの水晶球を取り出した。

 クレイマンの瞳に妖しい光が灯り、魔王達の驚く様を想像して口元が笑みの形に歪んだ。そして、魔王達の反応を窺うように、水晶球に映像を表示させる。

 クレイマンの思惑通り、その水晶球に映し出された映像を見て魔王達もまた興味を持ったようだ。特に最後の水晶球、ゲルミュッドの視線と同期していた映像には、全員が食い入るように見入っていた。

「やるではないか、ゲルミュッド。こんな面白い見世物を残すなんて!」

 ミリムの嬉しそうな声が部屋に響いた。

 オークロードがどうなったのか、この映像では判別がつかない。だが、映像が途切れた事でゲルミュッドが死亡した事は確実だった。

「なるほど、な。確かにゲルミュッドの野郎はしくじって、殺されちまったみてーだな。お前の説明通りに。だが、この魔人どもについてはわざと黙っていやがったな?」

 カリオンの指摘に、クレイマンは首肯した。

「面白いでしょう? ゲルミュッドが死んだせいで、この後どうなったのかは不明です。ですが、これ程の上位魔人級の者達がいたのでは、オークロードは倒されたと見るべきでしょうね。だが、もしも──」

「もしも生き残っていた場合、確実に魔王へと進化している、という訳ね」

 クレイマンの言葉をフレイが引き継ぐ。計画を知らぬハズだったが、聡明な頭脳によりおおよその見当をつけたのだろう。

(流石はフレイ……武闘派で単純な二人と違い、油断出来ませんね)

 クレイマンは薄く目を細め、フレイを観察した。興味なさそうな態度ではあるが、何か思案するように水晶球を眺めている。その姿からはフレイの考えている事を読み取る事は出来ないが、少なくとも、ミリムに強制的に連れて来られた故の興味のなさは消えているようだ。

(厄介ではある。しかし、フレイには何か悩みがありそうですね。先程までは興味がなさそうでしたが、今は何やら思案している様子──)

 クレイマンはフレイに興味を持った。

 フレイは系統としてはクレイマンと同じ、武闘派というよりは頭脳派の魔王である。であるからこそ、簡単に操る事は出来そうもない。上手く騙すには難しい相手なのだ。

 だが、フレイの悩みが何か弱みに繋がるものだとしたら──

 クレイマンは深く静かに、邪悪な企みを計画する。

「しかし、どうする? 誰が確かめに行く?」

「わはははは! そんなもの、早いもの勝ちでいいだろう?」

「ミリム、早いもの勝ちで何をするつもり? 貴女の場合、調査するだけで終わらないでしょう?」

 クレイマンの思考を、魔王達の会話が遮った。先ずはこの魔人達をどうするのか、その取り決めを先に行う必要があると、クレイマンは意識を切り替える。

「落ち着いて下さい、皆さん。あそこはジュラの大森林、不可侵領域です」

「ああ? そんなもの、実際に手を出す訳じゃねーんだから、関係ないだろうが。あの魔人共をスカウトして、仲間に加えようってだけの話だろ? だがまあ、仲間になるのを拒否するなら、その時は不幸な事故が起きてしまうかもしれんがな。ふはははは!!

「抜け駆けはダメですわよ、カリオン。先程から話を伺っておりましたが、貴方方は新たな魔王を生み出し、自分達の手駒にするつもりだったのでしょう? それが失敗したのならば、あの五体の魔人達の内の一人を魔王として認め、我等に服従させたら良いのではなくて?」

「流石だな、フレイ。ワタシ達の目論見を見事に看破するとは!」

 クレイマン達の計画、意のままに動かせる新たな魔王を生み出すという真の目的を、フレイはあっさりと看破してみせた。

 ミリムがフレイの言葉を肯定した事で、フレイも自分の考えが正しかったと確信しただろう。だが、それは良い。そこまではクレイマンの想定内だった。フレイが今日の会談に参加した時点で、そうなるだろう事は織り込み済みであったから。

 ミリムに腹芸が出来ない以上、隠し事など出来はしないのだ。

「しかし、調査は必要です。カリオンの言葉ではありませんが、協力的ではない可能性もある。また、万が一オークロードが勝利していたならば、親であるゲルミュッドがいない今、暴走している可能性もあるのですから」

 クレイマンはそう言って、魔王達が抜け駆けしないように釘を刺した。

 クレイマンの言葉を受け、魔王達は思う。確かに、調査は必要であると。

 オークロードか、魔人達か──そのどちらであったとしても、この戦いに勝利したならば力を増している事だろう。上手く手駒に加える事が出来れば良いが、下手に手出しをして自分の手駒を失うなど論外なのだから。

 今回の場合、準魔王級の存在が生まれている事を想定して行動する必要がある。そんな存在に確実に勝てる手駒を用意するとなると、魔王達にしても簡単な話ではないのだ。成功すれば他の魔王に差を付けられるだろうが、失敗すれば手痛い損失となる可能性も考慮する必要があった。

 もしも生き残った者が、勝手に〝魔王〟を自称するならば、即座に興味を失い制裁するだろう。しかし、今はまだその時ではない。

 魔王達は互いに目配せしあいながら、互いの腹を探り合う……。

 

 

 〝獅子王ビーストマスター〟カリオンは気分良く考える。

 獣人族ライカンスロープの王国を引き継ぎ数百年、勢力拡大を目指し大戦を生き残った。そして、今は亡き呪術王カースロードや魔王ミリムに認められて、カリオンは魔王となったのだ。

 呪術王カースロードを倒したレオンには思う所があるものの、怒りや憎しみといった感情は持っていない。弱肉強食という絶対的なルールがあり、呪術王カースロードはそれに従った結果、滅んだのだから。レオンに文句を言うのは筋違いなのだ。

 それに、レオンは強い。

 魔王となってからも自身の研鑽を怠らず、更には強者を仲間に加えているとも聞いていた。今や、新参の魔王と馬鹿には出来ない勢力となっているのだ。

 カリオンは強い者が好きだ。だからこそ、魔王レオンの事も認めていたのである。

 だが、レオンの勢力が力を付ける事を黙って見ている訳にはいかない。自身もまた魔王の一人として、強大な力を保有する必要があるとカリオンは考えている。

 何者にも屈する事のない、強大な力。

 自身の統治する王国を守り、敵対者を叩き潰すに足る力を求めるカリオン。

 それは慎重さから来る考えというよりも、強さを求める本能に従っただけの事であろう。

 だが──だからこそ、カリオンは強い。

 今の強さに満足する事なく、常に新しい力を取り込もうとする。

 そして今、カリオンの前に魅力的な話が舞い込んだのだ。

 

 クレイマンに誘われ、魔王会談には暇つぶしに参加した。

 魔王三名の合議により、新たな魔王の承認が可能である。その魔王が自分達の言いなりとなるのなら、他の魔王達への絶対的優位性を得る事が出来るだろう。

 クレイマンの説明にカリオンは同意した。

 理由は幾つかあるが、最大の理由は魔王同士が仲間だというわけではない点にある。

 魔王同士でのいさかいもある。

 クレイマンがレオンと仲が悪いのは有名な話だ。証拠を残さぬように、様々な嫌がらせをしているというのも周知の事実である。表面上はともかく、水面下では常に牽制しあっているというのが現状なのだ。

 だからこそ、クレイマンが自分を裏切る事がない、というのがカリオンの考えだった。信用出来るかどうかは別の話であるが、利害の上で互いを利用しあうというのならば、ある意味持ちつ持たれつな関係なのだから。協力的な魔王に手を出す程、クレイマンは馬鹿ではない。それはカリオンにも言える事で、お互い様というものである。

 クレイマン以外の二人についてだが、こちらも心配する必要はないだろう。

 ハーピィの女王であるフレイは、恐らく興味を持ってない。ミリムに強引に連れて来られただけであり、そもそも最初から計画に参加していた訳ではないのだ。

 それに、先程から何か心配事があるようで、水晶球に映る光景を眺めながらも何やら考え事をしている様子なのだ。新たな戦力──仲間の獲得には乗り気ではないように見えた。

 そもそも、ハーピィは特殊な種族である。支配地域の中では、翼ある者を上位とする完全な上下社会が出来上がっているのだ。いかに強力な上位魔人とは言えども、自力で空を飛べない者が厚遇される事はない。

 水晶球に映った魔人達の中に、一人だけ翼を持つ者がいたようだが……それだけではフレイが動く事はないとカリオンは思った。

(それに、一人くらいならばフレイにくれてやっても良い。まあ、生き残っていたらの話だが、な)

 そう、魔人は一人ではない。オークロードと戦い、どちらが勝利しているかは不明だ。しかし、カリオンの予想では魔人達が勝利していると考えていた。ならば、生き残った者の内の一人くらい、フレイにくれてやっても良いというものなのだ。

 となると、後はミリムだ。

 カリオンは考える。クレイマンとは利害で対立しそうだが、ミリムとはどうだろうか?

 ミリムは短気で単純ではあるが、抜け目のない魔王である。

 だがそれ以上に、自分の欲望に忠実な面があった。興味本位で物事を決定し、感情のままに行動するのだ。

 ある意味、予想し難い魔王であった。

 カリオンとしては、自身を気に入り魔王へと推薦してくれたという恩もあるのだが……。

(しかし……コイツだけは本当に読めんな……)

 カリオンはそう思い、そっとミリムを窺った。

 ミリムは自信満々の顔つきである。そして、食い入るように水晶球に見入っていた。

 間違いなく、一番興味を持ったのがミリムだろう。

 今回の新魔王を擁立するという計画は、ゲルミュッドという魔人がクレイマンへと持ち込んだものだったという。

 その話が本当かどうかはどうでも良かった。要は、面白ければそれで良かったのだ。

 ミリムも同じだろう。長き時を生きているミリムは、退屈を嫌っている。だからこそ、面白そうな話には疑いもせずに食い付くのだ。

 それにミリムの力は本物であり、多少の策謀など力技で跳ね返してしまうのだから。

 〝破壊の暴君デストロイ〟とは良く言ったもので、まさに理不尽なまでの力の権化がミリムという魔王なのだった。

 そんなミリムだからこそ、思考は単純なのだが行動を読むのは難しいのだ。

 ミリムの考えは明白で、自分で調査に行こうとするだろう。

 相手の強さや危険度など、ミリムにとっては大した問題ではないのだから。

 生き残った者が誰であれ、気に入ったならば魔王へと取り立てるだろうし、気に入らなかったら殺すだろう。

 だが、今回はそれが出来ない。

 場所が悪かった。ジュラの大森林は不可侵領域であり、立ち入るだけでも問題となる。いくらミリムと言えども、全ての魔王相手に我が侭は通じない。

 なので、先ずは調査が先となる。

 ミリムが戦力増強など考える事はないので、考える必要があるのはクレイマンとの利害関係だけである。

 カリオンから見たクレイマンという男は、紳士のような丁寧な物腰に隠して他者に本音を見せない人物であった。何を考えているのか読みにくく、心から信頼する事の出来ない男である。

 今回は知略がモノをいう。となれば、言いくるめるのが簡単なミリムは問題外。

 フレイもミリムに従うだろうから考慮の必要はない。

 問題となるは、クレイマン唯一人。

 カリオンがそういう結論に落ち着いたのは自然な流れである。

 あとはどう話を切り出すかだが……。

 カリオンは舌なめずりしながら、作戦を考える。

 

 

 ハーピィの女王であるフレイはウンザリとしていた。

 本当ならば、このような会談に参加している場合ではないのだ。

 訳もわからぬままミリムに連れて来られただけなのである。

「わはははは! 気晴らしは必要なのだぞ!」

 などと言われ、フレイの意思を確認もせず強引に話を決められた。当然だが、他の魔王の許可も取っていなかったようだ。

 ミリムがそんな事を気にするはずもないので、これに関しては気にしても仕方がないのだが……。

 暗黙の了解として、ミリムの暴走の後始末が自分の役目と思われているようで、フレイは面白くなかった。

 それに、普段ならばともかく今は時期が最悪だったのだ。

 ハーピィの巫女が、災厄の復活を預言していた。預言と言うが、これは確定事実である。魔素の流れと空間の歪みを読み取り、ハーピィにとっての天敵の復活を確定予測したのだ。

 遥かなる昔、勇者により封じられたという災厄級魔物カラミティモンスター──暴風大妖渦カリュブディスの復活を……。

 カリュブディスとは、古に大空を支配した大妖である。鮫型の魔物である空泳巨大鮫メガロドンを召喚し従える、天空の暴君。数百年という長きサイクルで、死と再生を繰り返す化物なのだ。

 前回は、フレイが魔王となったばかりの頃に復活し、彼女の支配領域テリトリーもかなりの被害を受けたのである。最後は、カリュブディスを殺しても再び復活する事を憂いた〝勇者〟により、ジュラの大森林のどこかに封印されたのだが……その封印が解けようとしているらしい。

 勇者の封印が解けるとは想定外であったが、これはヴェルドラの消失と無関係ではないのではないか、フレイはそう考えていた。

 カリュブディスは異質であり、邪悪な思念の結晶体だと言われている。破壊を願う意志が魔素エネルギーと結合して生まれた、精神生命体の一種なのだ、と。

 大いなる死が大地に満ち溢れる時、その屍を仮初めの肉体として復活する──そう伝説には残っていた。つまり、復活には受け皿となる肉体が必要なはずなのだが……。

(チッ、忌々しい。ジュラの大森林で騒乱を起こし、魔王を誕生させようとするなんて……。知っていたらこうなる前に止めたものを……)

 原因が何かは不明だが、ミリム達の悪巧みも要因の一つなのだろうとフレイは推測していた。それを考えると腹立たしくはあるが、どちらにせよミリムを止められたのかと問われれば答えに困る。

 今更それを言っても仕方がない以上、フレイは対策を考える。

 メガロドンでさえ、危険度で言えばA-ランクなのだ。まして、それを従えるカリュブディスは格が違った。災厄級魔物カラミティモンスターの名に恥じぬ力、Aランクを遥かに超える実力を有しているのだ。

 そう。カリュブディスは人間国家からも、魔王に匹敵するとされるSランク指定を受けた危険な存在なのである。自我を有さず本能のままに生きる魔物であったから、魔王としては承認されていないだけの話なのだ。

 あくまでも人間が定めた危険度ではあるが、フレイと同等と目されているのは面白くない。

 しかし、その格付けにも理由があった。

 その本能が厄介なのだ。

 大空を自由に泳ぎまわり、目に付くモノを戯れに殺す。腹が減れば都市を襲い、人も魔物も関係なく貪り喰らった。オークロードなど比較にもならぬ、凶悪な魔物だったのだ。

 ハーピィは天空を司る者であり、中でもフレイは〝天空女王スカイクイーン〟と称される実力を有している。高い魔力を持ち、空中戦闘では他者に抜きん出ていた。空を飛べぬ者達には負ける事がないと自負しているのだ。

 種族特有の固有能力『魔力妨害』を併用する事で、戦闘空域の〈飛行系魔法〉を妨害する。それだけで、自力で飛べぬ者は高空より落とされて死ぬ事になった。

 上位の魔物ともなるとかなりの高度から落ちたとしても死ぬ事はないだろうが、人間ならば生存は絶望的だ。仮に生き残れたとしても、高空に対する攻撃手段は限られている。そんな地を這いずる者共に向けて一方的に攻撃する優位性は、語るまでもないだろう。

 空を飛べぬ者達など、脅威ではなかった。

 だが、カリュブディスに対しては話が異なる。

 数十メートルを超える巨体には、『魔力妨害』が通用しない。というよりも、カリュブディスもハーピィと同じく、固有能力『魔力妨害』を有するのだ。

 ハーピィの絶対的な優位性が飛行能力にある以上、それが失われたならば戦闘力は大きく落ちる。カリュブディスがハーピィの天敵というのも、ある意味当然の話だったのだ。

 しかし、脅威と遭遇しない事を祈るだけというのは、フレイの魔王としての誇りが許さなかった。かと言って、正面から戦うならば多大な損失を覚悟しなければならないだろう。

 それがフレイの悩みであり、今の会談に乗り気ではない理由である。もしも災厄の復活などなかったならば、もう少し乗り気になって新魔王擁立の計画に参加したのだろうが……。

 水晶球の映像の中に、翼を持つ魔人が一人いる事に気付いていた。もしもその魔人が生き残り力を増していたらとも考えたのだが、その考えをフレイは自分で否定する。

(たった一人魔人が増えた所で、如何ほどの戦力になるともわからないし。魔王級の魔物相手に、上位魔人程度では話にならないわね。仮に準魔王級に成長出来たとしても、協力してくれるとも限らないし。面倒だわ。何も考えず私が戦えたなら、それが一番手っ取り早いのに……)

 フレイはそう思い、憂鬱そうに溜め息を吐いた。

 魔王となった今、女王たる自らが率先して戦う事は出来ない。フレイには民と領土を守る責任があり、ただ戦闘に勝利すれば良いという話ではないのだ。どれだけの犠牲が出ようとも、フレイは戦いに参加する訳にはいかないのである。確実なる勝利が見えて初めて、フレイの出番となるのだった。

 一つだけ、確実にカリュブディスを倒す手段はある。フレイは天敵復活予測の報告を受けた時、その手段を真っ先に思い浮かべていたのだ。

 だがそれは──

 フレイはミリムをチラリと盗み見た。

 楽しそうに水晶球を眺めるミリム。最強と称される魔王達の中でも、別格の存在。

 カリオンやクレイマンは、ミリムの本当の姿を知らないのだ。少女の外見に惑わされ、その本質を見誤っている。

 立場上は同格の魔王とは言え、その実力には明確な格差があった。

 ミリム・ナーヴァは別格なのだ。フレイ達のような新参の魔王と違い、最古参の魔王の一柱ひとりなのである。

 彼女は、竜魔人ドラゴノイド。〝竜種〟に匹敵する力を持つ、特S級の魔王なのだ。〝破壊の暴君デストロイ〟の二つ名は伊達ではなく、過去に王国を滅ぼした事もあると言う。

 ミリムは、普段は収納している自らの翼で空を飛ぶ。魔法に頼らぬ強靭な肉体を有し、理不尽なまでの戦闘能力があった。当然だが、『魔力妨害』など通用しない。

 ミリムもまた、フレイにとっての最悪の天敵なのだ。

 だからこそ、フレイはミリムに逆らえない……。

 今回も、強引にミリムに連れて来られた。

 カリュブディスへの対策に苦慮しているフレイにとってはいい迷惑であり、適当に話をあわせつつ、会談の終わりを願う。

 だが、同時に思う。

 もしもミリムが協力してくれるならば、カリュブディスとて倒す事が出来るだろうに、と。何しろ、ミリムには『魔力妨害』など通用しないのだから。

 だが、それは難しいだろう。

 魔王同士は仲間という訳ではなく、軽々しく頼み事の出来る関係ではないのだから。利用し利用される、そんな関係が魔王間にはあった。

 〝金持ち喧嘩せず〟ではないが、大っぴらに敵対関係となってしまえば他の魔王に付け入る隙を与える理由となり、危険に見合う利がない。それどころか、弱った所を狙われて自分が滅ぶ原因となりかねない。そうした理由で、魔王達は相互不可侵条約を結んでいるだけなのである。

 そんな相手に、魔王級の災害を倒す為の協力依頼など出来るハズもない。そしてミリムを利用するのも現実的ではない。何しろ、ミリムの欲しいものが皆目見当も付かないのだから。

 ミリムを竜の皇女として崇拝する者達の国があり、ミリムはその国を庇護している。平和で豊かで、それでいて退屈な国。その国に武力はないが、それはミリム一人で十分だからだ。

 魔王ミリムが庇護していると知って、その国を攻める愚か者は存在しないのである。

 つまりミリムは、富や名声は言うまでもなく、配下や同盟国といった武力すらも必要としていないのである。

(ミリムを動かす事が出来れば、問題は解決しそうなのだけれど……でも、それは難しいでしょうね──)

 ミリムが求めるのは、退屈を紛らわせるもの。そんなものに、フレイは心当たりがなかった。

 しかし今、ミリムは水晶球の光景に興味を持っている様子。

(この状況を上手く利用出来れば──)

 あるいは、ミリムを動かす事が出来るかも知れない。

(いいえ。利用するのよ。そして、カリュブディスを始末させる)

 彼女はそう決意し、そっと息を吐いたのだった。

 

 

 クレイマンは紳士の笑みを浮かべ、三名の魔王の様子を観察する。

 今回、ゲルミュッドに計画を指示したのはクレイマンだった。当然だが、それが表沙汰になるとクレイマンとて立場が悪くなる。しかし、その心配は最早ない。ゲルミュッドが死んだ時点で、証拠は全て隠滅してしまったからだ。

 カリオン辺りはクレイマンの関与を疑っているだろうが、それを言い募るような性格ではないので安心して良かった。

 フレイならばその心配もあっただろうが、証拠がない以上なんとでも言い逃れは出来るのだ。

 もっとも、他の魔王達にも利のある話であり、クレイマンだけが責められる謂われもないのである。計画は失敗に終わったが、決定的な損失を出した訳ではないと言えるだろう。

 クレイマンは終わった事を考えるのは止めて、新たなる計画に思いを巡らせる。

 生き残った者を調査し、それをどう利用するのが自分にとって一番の得策となるのか。クレイマンは慎重に思案する。

 狙い通り、魔王達の興味を引く事には成功した。

 クレイマンからすれば、生き残った魔人自体はどうでも良いというのが本音である。他の魔王を釣る餌としての役割を全うしてくれればそれでいいのだ。

 確かに、生き残った者が準魔王級へと成長し、自分の配下となってくれたならば戦力の増強にはなる。しかし、戦力の増強だけならばクレイマンには別のがあった。それこそ、金で幾らでも傭兵を雇う事も出来るだろう。自分達の意のままに動かせる魔王へと育てるならばともかく、ただ強いだけの上位魔人などクレイマンには必要がない。

 クレイマンは利益を天秤にかけ、目的を変更した。ミリムとカリオン、二人の魔王に恩を売り、自身を信用させる事にしたのだ。

 その上で、今後何かあった時の後ろ盾となってもらうつもりだったのだが……。

(ミリムとカリオンは予想通り、強者を好む傾向にありますね。上手く餌に食いついてくれました。しかし、想定外なのはフレイです。何やら悩みもありそうですし、上手くいけば弱みを握れるかも。調べてみるのも面白いかも知れません)

 思わぬ結果にクレイマンはほくそ笑む。ミリムとカリオンに恩を売るだけの予定だったが、フレイの弱みを握る事が出来るかもしれないと考えて。

 魔王一人を意のままに出来るようになるならば、オークロードという手駒を失っても十分にお釣りが来る成果となるだろう。

 ミリムとカリオンは、抜け目のない魔王達の中でもっとも単純な性格の二人である。だが、武力に秀でているのは間違いない。そもそもが実力を隠す傾向にある魔王達の中で、自身の力を隠すつもりもなく誇示しているのが、ミリムとカリオンなのだから。

 武力に特化した二人の魔王。信用を得ておいて損はない。

 全ての魔王が集まる魔王達の宴ワルプルギスにて、自分を含めて三名の票が確約されるというのは非常に大きい意味を持つのだ。これにフレイを加えたら、ほぼ全ての議案をクレイマンの意のままに決定する事が可能となる。

(ふふふ、素晴らしい。当初の計画とは異なりますが、この流れは理想的です。オークロードをかいらいの魔王として、私の操り人形とするのも面白そうでしたが……これはこれで良いでしょう。そして、上手くいけばフレイを──)

 クレイマンは内心で、込み上げる笑いを噛み殺す。ここから先は、〝人形傀儡師マリオネットマスター〟としての自分の腕の見せ所なのだ。

 先ずはフレイ。

 そして、ミリムやカリオンを……。

 やがては魔王達の宴ワルプルギスをも支配し、この世を全て手中に納める事も夢ではないとクレイマンは考えた。

 ジュラの大森林は不可侵領域であり、魔王として堂々と調査団を派遣する訳にはいかない。ゲルミュッドのような魔王陣営に所属していないフリーの上位魔人を雇う必要がある。しかも、自分達が裏で糸を引いていると悟らせぬように慎重に。

 こうした裏の取り引きはクレイマンの専売であり、ミリムやカリオンには向いていない。だからこそ、役割分担としてクレイマンがゲルミュッドを操る役目を担っていたのだ。

 今回も同じだ。ミリムが異常に興味を持っている様子なのが気にはなるが、調査はクレイマンの役目となるだろう。

 ジュラの大森林が現在どうなっているか不明なのだから、これは決定と思って間違いないとクレイマンは考えた。

(可能なら先に取り込み、ミリムやカリオンに対するスパイとしてもいい──これは、面白くなってきました)

 クレイマンは薄く笑い、考える。

 余り欲張るのは考え物だと自制しつつも、今後の展開次第では有り得ない話ではない。

 フレイの弱みを握る事を最重要課題としつつ、可能ならばジュラの大森林の調査でも主導権を握る。

 クレイマンは方針を定め、ゆっくりと魔王達の顔色を窺うのだった。

 

 

 桜金色プラチナピンクのツインテールがよく似合う美少女、魔王ミリム・ナーヴァは思う。

(このボンクラ共に任せていたら、せっかくの玩具オモチャが台無しになってしまうに違いないのだ。何しろコイツ等は生まれたてのヒヨっ子だし、物事の本質を見抜く目など持っていないからな。ここはやはり、クールで賢いワタシが率先してやらねばなるまい)

 ミリムは最古参の魔王としての余裕を持ち、数百年程の経験しか積んでいない若い世代の魔王達を導いてやろうと考えたのである。

 一番幼く見える外見のミリムがもっともろうかいな魔王であるというのは皮肉だが、紛れもない事実なのだ。少し思案した後、ミリムはただ一人ひとり竜魔人ドラゴノイドにして最古の魔王の一柱ひとりとして、威厳をもって口を開く。

「よし! では今から行って、生き残った者と交渉を始めるとするか」

 もう待ちきれないとばかりにソワソワした様子で、ミリムは皆に提案した。

 ミリムの言葉に沈黙する魔王達。

 それはそうだろう。ジュラの大森林への不可侵条約がある以上、手回しもせずに向かう事など出来ない。ミリムが言うように今直ぐに向かうというのは論外だった。

「あのねえミリム……。不可侵条約があるから、それは出来ないでしょう?」

「そうだぜ? いきなり何を言い出すんだ、お前は」

「ミリム、落ち着いて下さい。私がきちんと調査致しますから、それまで後少し時間を下さい」

 三名が慌てて言い募るのを、軽く笑い飛ばすミリム。

 〝脳みそまで筋肉が詰まったようなヤツ〟所謂いわゆる〝脳筋〟だというのがミリムを知る魔王達の共通認識である。だが、実はそうではない。それはミリムの短気な行動がそう思わせているだけで、実の所、ミリムの知能は非常に高い。

 ミリムは物事の道理をわきまえ、順序だった思考をする事も出来る。その上で、過程を飛ばして答えに直結する行動を取る事が多い為、短慮であると見なされているだけなのだ。というよりも、魔王達の中でも一、二を争う天才がミリムなのだが、それに気付く者は悲しい事だが非常に少ないのが現実である。それどころか、ミリムが一番短気で単純だと思われていたのだった。

 そんな事とは露知らず、ミリムは自信有り気に胸を張り、堂々と自分の考えを披露すべく口を開いた。

「不可侵条約、それがなんだというのだ? そんなもの、たった今より撤廃してしまえばいいのだ。ここに魔王が四名もいるのだから簡単な話だろう?」

 不敵な笑みを浮かべ、ミリムは言い放つ。

 魔王達はその言葉を聞き、絶句したように言葉を詰まらせた。

 目から鱗とばかりに、ミリムの言葉を検討する。そして、それが現実に可能であると気付いたのだ。反論を口にしようとしても、反論する理由がなかった。各々の心中で立てた作戦が、ミリムの一言で台無しになってしまった瞬間である。

 とはいえ、調査に介入する理由を考えていたカリオンには、むしろ願ったりな状況となった。

「なるほどな。確かに俺達の連名で条約破棄を通達すれば、異議の有る者が拒否せぬ限り受理されるだろうな……。その案、俺様も賛成だ」

 ミリムの意見に同意を示すカリオン。これで堂々と配下を送り込む事が出来るのだから、カリオンとしては文句はないのだ。

「私も条約破棄に賛成ですわね。私の領土は元々ジュラの大森林に接しているし、不可侵と言われても面倒だったのよね」

 フレイとしても異論はない。

 フレイの目的はミリムを利用する事なのだから、ご機嫌を取る為にもここは同意しておくのが無難なのだ。それに、ジュラの大森林には豊富な餌場があり、フレイの可愛い娘達の狩場にもなるだろうから。

 森の管理者と揉める可能性はあるが、そうなったらそうなった時の話なのだ。

 カリオンとフレイの同意を受け、ミリムは満足そうに頷く。

「しかし、そう上手くいきますか? 他の魔王達が簡単に了承するでしょうか?」

 そんなミリムにクレイマンは問い掛けた。

 ミリムの機嫌を損ねるのは得策ではないが、簡単に同意してもいい話ではないと考えたのだ。

 別に調査に拘るつもりはないものの、後から他の魔王達に難癖をつけられるのも真っ平だっただけの事。

 四名が賛成すれば、この意見が通るのは間違いない。しかし、ジュラの大森林はこの数百年の間不可侵が守られていた土地であり、こんなに簡単に破棄してもいい条約だとは思えなかったのである。

(こんなに簡単に破棄出来るのなら、そもそもが裏で苦労する必要もなかったはず。何らかの理由──まさか、ヴェルドラが消失したから、ですか──!?

 クレイマンが理由に思い至ったのと同時、ミリムがニンマリと笑い、クレイマンの考えを肯定する。

「む? 気付いたようだな、その通りだぞ。あの森への不可侵条約は、面倒なヤツが縄張りにしていたからなのだ。三百年程前にヤツ──〝暴風竜〟ヴェルドラが封印された時にジュラの大森林への不可侵条約が締結されたのだが、〝せっかくの封印が解けないように〟というのが理由だったな。お前達は丁度その頃に魔王になったから、知らなくても不思議ではないがな。確か言い出したのは──」

 と、楽しそうに当時を振り返るミリム。

 ミリムの話を聞き流しつつ、なるほど、とクレイマンは納得した。

 問題となるヴェルドラが消失したのならば、異議を唱える魔王はいないだろう。仮に異議があったとしても、魔王会議で審議する為の三名以上の同意を得るまでには至らないだろう、と。

(ここはミリムの言う通りにするのが無難ですね)

 あっさりと思考を切り替え、クレイマンはミリムの案を了承する。

「そういう事でしたら、私に否はありません。早速人選を行った上で、ジュラの大森林へ調査部隊を派遣しましょう」

「おいおいクレイマン、それは協力し合うのか? それとも、ミリムの言う通り早い者勝ちでいいのかい?」

 カリオンが獰猛な笑みを浮かべ、クレイマンに問う。

 それに答えたのはクレイマンではなく、フレイだ。

「ねえ、思うのだけど……皆さん各々で配下の者を出し合い、競争させたらどうかしら? 何なら、私の娘達に行かせても良いのだけれど……ここで私達が言い争うのも馬鹿げた話ではなくて?」

 物憂げな様子で、フレイが発言した。

 戦力増強を目的として行動するのに、ここで仲違いなどしていては本末転倒となる。フレイの言い分はもっともな話だった。

 一瞬固まる三人の魔王。それぞれの思惑からして、共闘するよりは別行動の方が都合が良い。競争という形なら、相手に合わせる必要がないだけに理想的だと言える。

 魔王達はそれぞれの顔色を窺い、頷きあう。

「わはははは! では、恨みっこなしで早い者勝ちなのだ!」

「いいだろう。調査なんてまどろっこしい真似は止めだ。互いの邪魔はしないが、協力もしない。それでいいな?」

「仕方ないですね。生き残った者がどうなっているか不明ですが、まあいいでしょう。それも含めて各々の自己責任という事で」

 こうして、魔王達は各々が配下を選出し、ジュラの大森林へと独自に介入する事になる。

「それでは競争だな。ただし、互いに手出しは厳禁。約束なのだぞ!」

「ええ、わかったわ。私も貴方達の邪魔はしないと宣言しましょう」

「いいだろう。〝獅子王ビーストマスター〟の名にかけて、俺様も約束しよう」

「了解ですよ、ミリム。このクレイマン、約束は破りません」

「良し! それでは、ここに約束は結ばれ、協定は成立した。では、さっさとジュラの大森林への不可侵条約を撤廃させるとしよう」

 ミリムは満足そうに頷くと、協定の成立を宣言した。

 こうして四名の魔王達は協定により、互いの勢力への手出しを禁ずる事となったのだ。

 その後速やかに、魔王四名の連名によるジュラの大森林への不可侵条約の破棄を、秘匿通達にて各魔王達へと宣言した。これによりジュラの大森林の中立性は失われ、この地は魔王達の戦争遊戯の舞台の一つとなったのである。

 

 宣言を終えると同時に、ミリムは慌ただしくその場から飛び出して行った。

「では、ワタシはもう行くのだ!」

 というミリムの挨拶が、彼女が消え去った後に聞こえた程の素早さである。

 そして、ミリムの去った後の会議室にて。

「置いて行かれてしまったわね……。相変わらず、自分勝手で我が侭な人だこと」

 呆れたように呟くフレイ。

 カリオンは笑いながら、肩を竦めて同意する。

 クレイマンは苦笑しつつもノーコメントだったのだが──

「しかし、ジュラの大森林の不可侵条約がなくなるとなると、新たな支配者が必要となるのではないですか?」

 と、ふと思い出したように呟いた。

 それに答えるように、カリオンとフレイも思い思いの言葉を発する。

「なんだったら、俺様があの辺りも支配してやってもいいんだぜ?」

「そういう事を言い出す者が出るから、不可侵条約を結んだのだと思っていましたわ」

「グハハハハ、そう言うなよ。調査の結果、生き残ったヤツが準魔王級まで育っているようなら、ソイツの支配を認めてもいいだろうさ。それならそれで、傀儡の魔王を生み出すという当初の計画を復活させりゃいいしな」

「それもそうですね」

「ま、森の覇権を狙ってそうなヤツもいるし、さっさと行動するとしようぜ」

 結局、調査してみなければ予定は立てられない。そう判断した魔王達は、ミリムを見習って行動を起こす。

 カリオンは愉快そうに笑いながら、自身が支配する領土へと元素魔法:拠点移動ワープポータルにより帰還して行った。

 カリオンに続き、フレイもその場から消え去った。

 そして最後に残ったクレイマンは、薄く笑いながら今後の計画を組み上げる。

「ミリムにカリオン、そしてフレイ。さてさて──」

 クレイマンは一人、たのしげに夢想する──

 

 こうして──リムル達の住む町に、新たなる脅威が訪れる事になるのだ。