序章 動き出す者達
ふう、やれやれ──と、少年は溜息を吐いた。
「えらい憂鬱そうやけど、何か問題でもあったんでっか?」
そう問うたのは、左右非対称の仮面を着けた男。
中庸道化連に属する魔人、ラプラスだ。
少年──神楽坂優樹が信頼する仲間の一人である。
「まあね。招待されたからお邪魔してみたんだけど、唖然とするくらい凄かったよ。それで少し自信喪失したというか、計画の見直しが必要かと思ってさ」
「計画の見直しですって?」
秘書に扮した元魔王、カザリームことカガリが聞き返す。それに対してユウキは、憂鬱そうに答えた。
「そうそう。やっぱりあのスライムとは、なるべくなら敵対したくないと思ってね」
「それじゃあ、このまま親密な関係を維持すればいいのではなくて? ワタクシも遺跡調査に赴く予定になっていますし、当面は友好関係を維持するものと思っていましたが?」
「いや、計画はそのままだよ? たださ、その難易度が上がっちゃったんだよね」
「何でですのん? 大人しゅうしとったら、揉める事もあらへんのとちゃいますか?」
ラプラスとて馬鹿ではない。仲間だったクレイマンを倒された恨みはあるものの、彼等のボスであるユウキの命令に逆らってまで、リムルと敵対しようとは考えていなかった。
そう考えるのはラプラスだけではない。
フットマンやティアもそうだし、道化達の会長であるカガリもまた、感情のままに行動する危険性を十分に理解している。
この世の真理は、弱肉強食。
ラプラス達は今までの経験から、必ず勝てるという確証を得るまでは、無理に事を起こしても碌な目に遭わないと学んでいた。
魔王レオンへの復讐を果たすどころか、今度はクレイマンが死んだ。せっかくカザリームがカガリとして復活したというのに、これでは振り出しに戻ったようなものである。
この上、魔王リムルが本格的に敵に回ってしまえば、魔王レオンへの復讐どころではなくなってしまうだろう。
それを十分に理解しているからこそ、道化達はユウキの命令に従い大人しくしていたのだ。
それなのに、問題が生じたとユウキが告げる。
「そうなんだけどさ、どうやらそれも難しくなったみたいなんだ」
「と、いいますと?」
「どうやらあのスライムが、僕の事を怪しいと疑っているみたいなんだよね……」
「何やて? まさか、何か尻尾を掴まれるようなヘマをしはったんでっか?」
「まっさか~! ラプラスじゃあるまいし、ボスがそんな失敗をする訳ないじゃん!!」
「ホッホッホ。そうですよ、ラプラス。ボスほど用心深い人物を、私は他に知りません。そんなボスが迂闊な真似をするとは思えませんね」
常に慎重なユウキが、自分の失敗を認めるような発言をした。それに驚いてラプラスが問い返した言葉に、ティアとフットマンが否定するように反応する。
それだけユウキは、道化達からの信頼を勝ち得ていたのだ。
「落ち着きなさいお前達。ユウキ様が失敗したというよりも、あのスライムが用心深かったというだけの話でしょうよ。ワタクシも直接対峙してみて感じたのだけど、あのスライムは異常だったわ。全身をくまなく監視されて、とても落ち着かない気分にさせられたし。その実力までは見抜けなかったけれど、油断出来ない相手だと感じたわね」
道化達を窘めたのは、彼等の会長であるカガリだ。
カガリは一度、リムルと対面している。その時に実際のリムルを目の当たりにして、本能的にリムルの危険性を察知していたのだ。
強さ的にはレオン程ではないと感じたものの、その全てを見通すような視線は脅威であると考えていた。
そんなカガリにユウキが頷く。
「いやいや、あのスライム──魔王リムルは、本気でヤバイと思うね。あの祭りの場に、僕達の出資者である評議会の重鎮がいたんだけどさ、下手に仕掛けて手痛い目に遭ったみたいだよ。狡猾で用心深く、敵対者には容赦しない。普段は温厚だけど、怒らせたら手がつけられない感じだね。そして僕達は、あの人を利用しようとして失敗している。警戒されていて当然だったのさ」
肩を竦めつつ、ユウキはそう言った。
「せやかてボス、どれだけ警戒されていても、証拠がないでっしゃろ? だったら、開き直って堂々としていれば、相手もそれ以上は何も出来ませんでっしゃろ?」
「確かに、物的証拠は残していないさ。だけどね、シズさんの情報をヒナタに流したのは僕だし、それで状況証拠としては十分なんじゃないかな。実際、最後に関係者が集められて今後の打ち合わせをしたんだけどさ、その場には魔王リムル──リムルさんが怪しいと睨んだ人物が、全員集められていたみたいなんだよ。完全にバレたと思って間違いないだろうね」
「何とまあ……」
唖然となって、一同はユウキの説明を聞く。
「まあね。遅いか早いかの違いだったでしょうね。あのスライムは本当に厄介だわ。それでボス、どういう風に計画を見直すのかしら?」
一番に気持ちを切り替えたのは、やはりというべきかカガリだった。元魔王として修羅場を潜り抜けており、立ち直りも早いのだ。
「うん。大人しくしているってのは、これまで通り継続する。魔王リムルも確たる証拠がない以上、表立っては僕達との敵対を選ばないだろう。大雑把なように見えてかなり慎重な性格みたいだし、損得勘定はしっかりしているしさ」
「なるほど。古代遺跡の話をワタクシ達の前でしてみせたのも、こちらの出方を窺うつもりなのだな。こちらから仕掛ければ、その時は容赦しないと──」
「だと思うよ。人っていうのは、考え方が変わる生き物だ。〝昨日の敵は今日の友〟という言葉があるくらいだし、事情が変わった今は敵対する必要はない。そう思わせる事が出来れば、僕達の勝利だと言えるだろう」
ユウキはそう言って、この場に集った者達の顔を見回した。そして、それぞれの反応を窺う。
「それでは、当面は協力関係を維持する、ちゅう事でんな?」
「力で従えるのは簡単ですが、ボスがそう言うのなら従いましょう」
「馬鹿だねえフットマンは。それが出来ないから、苦労してるんじゃん?」
「まあまあ。フットマンの言い分もわかるやろ。新参者に舐められるのは、誰しも嫌な気分になるもんやて。けどまあ、総力戦で当たれば勝てるかも知れへんけど、向こうには〝暴風竜〟までおるんや。何も今、分の悪い賭けをする必要なんてあらへんで」
「そだね。アタイらは難しい事は考えず、ボスや会長の命令に従ってるのが一番だね!」
「やれやれ、最初から従うと言っているでしょう? 私としても、会長達の意見に異議はないとも」
三人は少し不満そうではあったが、方針そのものへの反対意見はないようだ。それを確認したユウキは、カガリと目配せして頷いた。
西方聖教会、その背後にいる神聖法皇国ルベリオス。
自由組合の上部組織である、西方諸国評議会。その中枢を牛耳るロッゾ一族。
この両者こそ、西側諸国での覇権を得る上での障害であった。
そこに今、魔王リムルが統べる魔国連邦が加わった。ユウキは今回、テンペスト開国祭を目の当たりにして、魔王リムルと敵対する愚を悟ったのである。
(僕がリムルさんと敵対しないと宣言したとして、それをコイツ等が素直に受け入れてくれるか、少しだけ心配だったんだよね)
という懸念があったのだが、どうやらそれは取り越し苦労だったようだ。
昔はともかく、一度レオンに敗北した事で冷静さを身に付けたカガリ。
長き年月を耐え忍び、その野望を成就しようと企んでいた道化達。
どうやらユウキの頼もしき仲間達には、考えなしに暴走するような愚か者はいなかったらしい。
「頼もしいよ。それじゃあ君達には、ダムラダに任せていた仕事を引き継いでもらうとしよう」
ユウキは笑顔でそう言った。
「ちゅうと……まさか、特定機密商品でっか?」
「えっ!? あの仕事を、アタイ達が……?」
「ホッホッホ、いいのですかボス?」
道化達三人の顔色が変わった。
それを見つめるユウキは笑顔のままだ。
「ああ。今の君達なら大丈夫だろ?」
「任せてや! ボスが心配なんは、ワイ等が暴走するんちゃうかって事やろ? せえへんせえへん。たとえ勝てる思うても、絶対に手を出さんと誓うで!」
「そうそう! クレイマンだって、最後の最後で慎重さを忘れてさ……。アタイ達まで同じ失敗をしちゃったら、あの世でアイツを馬鹿に出来ないもん」
「そうですね。怒りのままに行動しても失敗します。〝怒った道化〟であるこの私こそが、それを覚えておかねばなりませんね。魔王レオンはいつか必ず復讐すると誓った相手ですが、それはまだ時期尚早という事なのでしょう」
三人はそれぞれの言葉で、大丈夫だとユウキに応じる。
ユウキはそれを聞いて小さく笑い、「思った以上に成長したもんだね」と呟いた。
それからユウキは、ふと気になる事を思い出した。
「そういえば、特定機密商品で思い出したけど……僕が保護していた子供達を、魔王リムルが連れ出したんだよね」
「ああ、井沢静江が介入したせいで、手が出せなくなっていた──」
「そうそう。わざわざ祭りを名目にしていたけど、これも考えてみれば、僕が完璧に疑われてるっぽいよね。まあ、それはいいんだけどさ。気になったのは、魔王リムルのセリフなんだよ」
ユウキは思案しつつ、自分の考えを口にする。
子供達はどんどん強くなっていた。
魔王リムルが子供達を助ける為にした行動、それが原因なのは間違いない。
リムルは秘密だと言っていたが、今回、『精霊についてもっと詳しく知ってもらった方がいい』と口を滑らせたのだ。
「以前に聞いた時は誤魔化されたんだけどね」
「子供達が強くなり過ぎて、誤魔化すのは無理だと思ったのかしら?」
「どうだろう? もしかしたら何かの策略かも知れないと思って、ちょっとドキドキしちゃったよ。だけど、精霊を使って魔素量を中和させているのは間違いなさそうだね」
魔王リムルは油断のならぬ相手だ。何か策謀があっても不思議ではない、とユウキは思った。
肩を竦めてユウキがそう言うと、カガリも納得したように同意する。
「確かにね。そういえば、シズエ・イザワも炎の上位精霊を使役する精霊使役者だったわね。とすると、不完全召喚された〝勇者のなりそこない〟は、精霊を使って再利用が可能になるという事かしら?」
そんなカガリの推測を聞いて、ラプラス達にも思い当たる事があったようだ。
「そうか、それが魔王レオンの狙いなんやろか? 召喚に失敗した〝異世界人〟を集めとるようやけど、レオンやったら戦士に育てられるんちゃうやろか!?」
「うーん、思い出した! 炎の巨人も、元はレオンの配下だったんだよね? クレイマンが部下に命じて、何度か襲撃させたみたいだけど、全員イフリートにやられちゃってたんだよね」
「ホッホッホ、同じような手段で、シズエ・イザワのような精霊使役者を増やしているのかも? そうであれば、特定機密商品を渡すのは考えものかも知れませんね」
と、口々に考えを述べたのだ。
フットマンの言う通りかも、とユウキも考えていた。だが、それにしてはおかしな点がある。
特定機密商品とは、実は不完全召喚で呼び出された子供達の事なのだ。
とある場所では未だに、何度も何度も不完全召喚が行われていた。シズエ・イザワの目をも誤魔化し、西側諸国にも知られぬままに……。
試行回数が多ければ、失敗例も数多く発生する。それを回収していたのが、秘密結社〝三巨頭〟のダムラダだ。決して表に出せない子供達を、実験素材という名目で譲り受けていたのである。
ただし、それは建前であり、実際には別の目的があった。
それこそが、魔王レオンからの要求だった。
魔王レオンは、〝十歳に満たぬ異世界人の子供〟を探し集めていたのである。
(うーん、レオンの目的は戦力増強? だとしたら納得がいくけど、それなら自分達だけでも行えるような……。東の帝国や西側諸国にまで召喚術式の新理論を流している点からも、どうも目的が他にあるように思えるな。まあ、要注意だね)
結論は出なかった。
ならば、魔王レオンとの契約に従い、これまで通りの行動を取るしかない。
ユウキは表情を引き締め、三人へと命じる。
「それじゃあ君達に、魔王レオンとの商談を任せる。その目的が戦力増強なのか、それとも他にも何かあるのか、それを探れるようなら探ってくれ。ロッゾとの交渉はミーシャが引き継いでいるから、彼女から商品を受け取って行動に移るように」
「了解や。任せてや!」
「うんうん! アタイも頑張るよ!!」
「ホッホッホ、承知しました」
やる気に燃える三人を見て、カガリは苦笑する。
「張り切り過ぎて、レオンに正体がバレるんじゃないわよ?」
「いいかい、くれぐれも慎重に行動してくれよ? 今の僕達には、魔王レオンまで敵に回す余裕はないんだからね」
ユウキの念押しに、三人はわかっていると頷き返す。
ラプラス達三人は馬鹿ではない。
頼もしい仲間達を信じる事にして、ユウキは作戦の詳細を説明するのだった。
*
ラプラス達に命じ終えると、今度はカガリの番だ。
カガリがユウキに向き直り、真顔で問う。
「それでボス、ワタクシはどうすればいいのかしら?」
カガリの問いは、遺跡調査についてだった。
遺跡とはいうものの、本当は違う。カガリ達にとっては慣れ親しんだ都なのだ。
カガリが魔王カザリームだった時、魔法技術を駆使して都市防衛機構を構築した。それこそが、古代遺跡〝アムリタ〟の真なる姿だった。
アダルマンを用いた拠点防衛機構によって守られている表層都市と違い、〝アムリタ〟はカザリームが施した呪術と多数の魔人形によって守られている。カザリームの技術を受け継いだクレイマンの最高傑作ビオーラでさえも、遺跡を守護する魔人形の中では、上の下程度の性能しか有してはいなかった。
これだけの防衛機構を持つ遺跡──つまり、この〝アムリタ〟という遺跡こそが、傀儡国ジスターヴの秘匿された本質だったのだ。
アムリタという遺跡は、何故これほどまでに高度な防衛力を誇るのか?
その理由を語るには、遥か昔へと時を遡らねばならない。
遥か昔、繁栄を誇った耳長族の超魔導大国は、自らの愚かさによって滅びの時を迎えた。
当時は魔王ではなかった少女──竜皇女ミリムの怒りを買い、一夜にしてこの地上から姿を消したのだ。
その名残こそ、古代遺跡〝ソーマ〟である。
生き残ったエルフ達は、ソーマにて復興を誓った。しかし、その願いは叶わなかった。
自らの手で生み出した最悪の魔物──混沌竜の暴威に抗えず、故郷から逃げるように追い出されたのだった。
混沌竜の力は、天災級に準じるものであった。〝竜種〟には及ばぬものの、エルフ達の手に負える存在ではなかったのだ。
生き残ったエルフ達は各地に散り散りとなり、それぞれの道を歩み始める。
突然の不幸に嘆く無知なる民は、エルフの祖を頼った。
力ある者共は荒野を切り開き、国を興した。
隠れ潜むように落ち延びた者達もいる。
極少数の一部の者共のせいで、エルフの栄華は終焉したのである。
そして──
その罪によって呪われ、黒妖耳長族となった者達は、ミリムの目から逃れるように遠方の新天地を目指した。
カガリ──魔王カザリーム──もその一人であり、魔王ミリムの恐怖を体験して生き残った、数少ないエルフの王族だった。
当時、まだ魔王ではなかったカザリームは、逃げるように落ち延びた地にて故郷を模した都を興した。エルフの技術が失われる前に、その全てを形にして残す為に。
そうして生まれた都こそ、傀儡国ジスターヴの首都アムリタなのだった。
カガリは過去を思い出し、頭を振ってその記憶を追い払う。
「アムリタの防衛機構は生きているわ。それを利用して、魔王リムルを罠に嵌めてみる?」
リムルとの約束では、クレイマンの領地にある古代遺跡の調査を、カガリが一緒に行う事になっている。その時にリムルを罠へと導くだけならば、今のカガリにとっても容易い事であった。
それに、脅威なのはミリムやヴェルドラのみ。
リムルだけならば始末出来るのではないか──と、カガリは考えていたのだ。
防衛機構を動かすだけならば、疑われずに実行可能。そう考えての提案だったが、ユウキは少しも思案する事なく否定する。
「それも面白そうだね。でも、いいのかい? 魔王ミリムが同行するかも知れないんだぜ?」
「ま、何とかなると思うわよ。機構を動かすだけなら、ワタクシが疑われる事はないもの」
遥か昔に祖国を滅ぼされたカザリーム──いや、カガリ。
それがトラウマとして残っているのではないかとユウキは心配したのだが、当の本人に気にした様子はない。
耳長族から黒妖耳長族へと変質し、そして妖死族へと進化して魔王になった。その過程を経て、カガリはミリムに対するトラウマを克服していたのだ。
もっとも、勝てるかどうかでいえば、それは無理というより無謀だろうとカガリは考えているのだが……。
「良し! それなら、お願いするよ。倒すのは多分無理だと思うけど、魔王リムルの実際の戦闘能力がどの程度のものなのか、その情報が欲しいと思っていたしね」
「それ程の相手なのかしら?」
「ああ、間違いないと思う。だからカガリ、決して正体がバレないように頼むぜ? 僕が疑われているのは間違いないけど、君に関しては白とも黒ともつかない状況なんだからね。逆に相手に情報を与えないように、くれぐれも慎重に行動してくれ」
「わかっているわよ、ボス」
そう話し合い、ユウキとカガリは笑みを交わす。
「よっしゃ! それじゃワイらはミーシャはんと接触するわ」
「ワタクシはこのまま、準備を進めます。それで、ボスはどうする予定なの?」
「僕かい? 僕はダムラダに連絡を取って、東側での活動拠点を拡張させる予定さ。万が一の場合は、そっちに逃げ込めるようにね。でもその前に──」
「なんやなんや、やっぱり何か企んではるんですな? ワイらには自重せえ言うといて、自分だけはちゃっかりしてまんな」
からかうようなラプラスの物言いに、ユウキは苦笑する。
「そんなんじゃないよ、ラプラス。たださ、出来る手は全て打っておこうと思っただけさ。だってさ、僕はまだ西側で覇権を取るのを、諦めた訳じゃないんだからね」
そう言って、ユウキはニヤリと嗤った。
そして、それから。
闇に潜む魔人達は、静かに行動を開始する。