01 伝説の治癒士ギルド創設者の言葉


 S級治癒士就任式が終わり、早くも十日が過ぎようとしていた。

 思っていたよりも生活環境が大きく変化するようなことはなく日々を過ごしている。

 まぁ正確にはこれまで教会本部で接していた人が少なかったので、そう感じるだけかもしれないけど……。

 ただ誰にも気を遣わずに一人でフラッと冒険者ギルドや食事処へ出掛けて行くことは、さすがに禁止されてしまった。

 そのため俺が出歩く際には必ず同行者を付けることになったのだが、その同行者をジョルドさんが非常に快く引き受けてくれた。それは待ってましたと言わんばかりの勢いで、立候補したと言っても過言ではないぐらいだった。

 そんなジョルドさんが俺の私室を訪ねて来た。

「ルシエル様、本日も外出なされるとか」

「ええ。教皇様からS級治癒士を拝命いたしましたが、それで特別仕事が増える訳ではないので、今は普段通りに過ごそうかと思いまして」

「普段通りですか……」

 なんだかつまらなそうな表情に変わった気がする。

「ええ……ところでジョルドさん、S級治癒士なんてただの肩書なんですから、教会本部内でもいつも通り普通に話していただけないですか?」

「そういう訳には参りません。教会本部内は何処に目と耳が潜んでいるか分かりませんので……」

 言っていることと表情は別物だな……ジョルドさんはこの状況を楽しんでいるんだから、強心臓の持ち主だよな。

 いつも外出している時はもっと砕けた口調なのに、教会本部内にいる時は絶対に敬語で接してくるし……。

 本当にしたたかな性格をしているよ。何だか憎めない性格をしているから何とも言えないけど……。

「さっきから表情筋が緩みっぱなしですよ」

 ただ面白がっているのはいつも隠せてはいないけど……。

「えっ、そうですか? おかしいな~? それで本日はどちらへ行かれるんですか?」

 さらっと話を流すところがジョルドさんらしいよ。

「冒険者ギルドです。ジョルドさんを気絶させた、あの物体Xを仕入れに行くんですよ」

 すると今まで笑みを浮かべていたジョルドさんの顔が一気に曇る。先日物体Xを飲ませて大変な惨事を招いてしまったからな。

「……本当に冒険者ギルドへ行かれるのですか? また上層部の方々から小言を言われますよ?」

「あんなスピーチをした後では今更ですよ。それと以前のように冒険者達から嫌な顔はされないですから安心してください」

 数日前に冒険者ギルドを訪れた際、見事物体Xに立ち向かい、全て飲み干した後で気絶したジョルドさんは知らないことだけど、今では冒険者ギルド公認で俺の従者なのだ。

「……分かりました。ただこれはルシエル様の為を思って発言させていただきますが、ルシエル様がS級治癒士になったことで得た権限は確かに上層部の方々と対等です。しかし教会本部内には派閥があることは忘れてはいけませんからね」

 派閥と聞くと少し構えてしまいそうになるけど、まずどういった思想に基づいて派閥を形成しているのかすら知らない状況なんだよな……。

 対策を練るには教会本部をよく知っている人から教えてもらうのが一番有効だと思うんだけど、そういうことに詳しそうなグランハルトさんとは、俺がS級治癒士になってから少し溝を感じるんだよな。

 S級治癒士になった後に挨拶したけど、終始敬語で笑顔もなかったからな……。

 ここはジョルドさんにお願いして、グランハルトさんから各派閥の思想をピックアップしてもらった方がいい気もするけど、でもこればっかりは俺が聞くのが筋だよな……。

 まぁ考えることはいつでも出来るので、まずは先に行動するか。

 外出には魔法袋があるので特に何かを用意する必要もないしな。

「ご忠告有難く。それじゃあ行きましょうか」

「はっ」

 部屋を出て直ぐにこちらを窺うような視線に晒されることになったけど、今までも戦乙女ヴァルキリー聖騎士隊の訓練に交ざっていたせいで同じような視線を受けているので、特に気にもならなかった。

 ただ残念ながらジョルドさんはそんな訳にもいかず、教会本部を出るまでにかなりのストレスを溜め込んでしまったらしい。

 教会本部から出たところで、能面のような顔をしたジョルドさんに声を掛ける。

「大丈夫ですか?」

「大丈夫じゃないよ。ルシエル君はよくあんな視線を受けているのに平気な顔で耐えられるよね」

 既に従者の仮面は脱ぎ去り、同僚として接してくれている。

「もう戦乙女聖騎士隊と関わってからずっとなので、慣れてしまいましたからね」

「さっきも言ったけど派閥とか怖くないのかい?」

「さすがに絡まれるのは困りますが、毒を盛られたり呪いを掛けられたりしても私には効きませんし、ただ見られているだけですから、そのうち飽きてくれることを願うだけです」

「……やっぱりルシエル君は凄いね」

「そうですか?」

「普通は組織や派閥と対立するかもしれない問題があると、孤立することが怖くなるものだからね」

 そのジョルドさんの言葉が妙にストンっと腑に落ちた。

 確かに教会本部だけで考えればジョルドさんの言う通りかもしれない。

 もちろんS級治癒士になったことで、言動には責任が伴ってくるから、今まで以上に注意しなければならないだろう。

 だけどたとえジョルドさんが気にしてる通り、派閥と対立して教会本部を去ることになっても、メラトニや聖都の冒険者ギルドの職員として雇ってもらえるだろうし、逆にそちらの方が平穏に暮らせるのではと頭の片隅では考えているから耐えられるのだろう。

「少しは怖いですよ。でも悪戯に怖がってもいいことはないですから。それにジョルドさんや戦乙女聖騎士隊、教皇様が味方でいる限りは孤立しませんから、本当に感謝していますよ」

「ははっ。ルシエル君は大物になるかもね。もうS級治癒士だから十分大物だとは思うけどね」

「少しだけ聖属性魔法が得意な治癒士。それだけで私の肩書は十分ですよ」

 それ以上はまた新たなる火種になってしまう気がする。

「なるほど。冒険者ギルドがルシエル君を指名する理由が分かる気がするよ。お金儲けを考えていない治癒士なんて貴重だからね」

「ジョルドさんだって故郷では似たようなことをしてきたんですよね?」

「そうだね。でも結局はルシエル君のように自分の考えを押し通すことが出来なかったからね。だから本当にルシエル君を尊敬するよ」

「ジョルドさんに褒められるとムズ痒くなるんで止めてくださいよ」

「そうかい? ところでずっと気になっていたんだけど、何で聖変って呼ばれるようになったんだい?」

「……出来ればその話は控えていただきたいです」

「ははっ。毒や呪いの話では顔色を変えないのに、通り名のことになると顔色が変わるんだから、本当にルシエル君は面白いいじりがいがあるな~」

 ……一瞬幻聴が聞こえたぞ。

 それにしても──。

「ジョルドさんって結構いい性格してますよね~。教会本部を出た途端元気になるし」

「教会本部は息苦しいからね。それに本来治癒士は街に出ることがほとんどなかったんだよ」

「どうしてですか?」

「それは今の教会があんまりよく思われていないからさ。ルシエル君もそれは分かるだろ?」

 同意を求められて、一瞬だけどう反応すればいいのか分からなくなってしまった。

 もしこの質問がどこかの派閥の探りなら、とそう考えたのだ。

 ただ別にそれはそれで問題ない気もしたので、直感を信じて答えることにした。

「あ~そうですね。確かに最初はそうでしたけど、物体Xを飲んでからは普通になりましたし、規定料金で治癒したらとても友好的な関係を築くことが出来ましたよ」

「それがもう普通の治癒士の行動ではないからね」

「もしかして実は結構教会本部から外出したい治癒士って多いんですかね?」

「それは多いと思うよ。だけど住民から白い目で見られるって分かっているからね……。まぁ派閥の関係があるから外へ出られない者達もいるだろうけど……」

「ジョルドさんが従者に立候補したのってまさか……」

「ゴホン。さぁ参りましょうか、ルシエル様」

 本当にいい性格しているな……少しは見習わないといけないのかもな……。

「今後も同行したいのなら、いつも通りの口調でお願いします」

「分かったよ……そしてもう着いてしまったね」

「はい。って、何で立ち止まるんですか? 行きますよ」

 俺は冒険者ギルドの扉を前に立ち止まったジョルドさんの背中を押して中へと入った。


 冒険者ギルドに入るとまだ昼間ということもあり、冒険者は数える程しかいなかった。

 ジョルドさんもどうやらそのことに気付いたようで、一気に肩から力が抜けたみたいだ。

 その姿がまるでメラトニの冒険者ギルドを訪れた時の俺みたいで、何だかおかしくなって笑ってしまった。

「何で笑うんですか」

「いや、あまりにもジョルドさんの姿が、初めて冒険者ギルドに訪れた時の私と被って見えたのでつい懐かしくて」

「……ルシエル君でも緊張していたのかい?」

「はい。冒険者と目を合わせたら因縁をつけられて殺されると思ってました。まぁそんな野蛮な人はいませんでしたけどね」

「そう……だよね。そんなに野蛮な人だったら盗賊になっているだろうし……」

「そういうことです。さぁ食堂へ行きましょうか」

 俺とジョルドさんが食堂へ移動すると、数人の冒険者とカウンターにはギルドマスターであるグランツさんがいた。

 しかし俺が来たことを知った冒険者達は、食事を始めたばかりらしき三人を残して、慌てるように食堂から離脱していった。

 その際に教会本部のローブを着たジョルドさんを見ても何も言わなかったので、ジョルドさんがそっと息を吐き出したのが分かった。

 しかし回復させたい冒険者でもいるんだろうか? それとも……まぁいいか。まずはグランツさんに挨拶することにした。

「グランツさん、こんにちは。今日は物体Xをお願いしに来ました」

「おう。聖変様は今日も監視付きか」

 前回は睨んでいたのに、今日は口調は強くても笑顔のままだ。

 まぁジョルドさんはそれが余計重圧プレッシャーに感じているみたいだけど……。

「監視じゃなくてお目付け役ですよ。ジョルドさんも教会本部にいると息が詰まる派なんで」

「ふっはっは。どんな派閥だよ。それで物体Xの樽は?」

「今日は十樽でお願いします」

「飲んでいくか?」

「う~ん……そうだ。じゃあ今日は仲良くあそこの冒険者さん達も一緒に……」

 しかしこちらに聞き耳を立てていたのか、冒険者達から慌てて遠慮の言葉が飛んで来る。

「そりゃないぜ、聖変様。俺達は今朝ようやく依頼を終えて聖都に戻ってきたばっかりなんだよ」

「そうだ。俺達は冒険者だから、苦行は勘弁してくれよ」

「おい、あんた。聖変のお目付け役なんだろ? 聖変の暴走を止めてくれ。聖変が物体X絡みで笑うと、いつも冷静なギルドマスターも暴走しちまうんだよ」

「えっと……今のうちに逃げられた方がいいかも知れませんよ」

 冒険者達からすがるような目で見られたジョルドさんは、戸惑いながら救いの道を瞬時に模索して冒険者達に告げた。

 しかしジョルドさんの助言は少し遅かった。

「おい、お前ら。今日の食事代は物体Xを飲んだらサービスしてやるから、逃げるんじゃないぞ。あとそっちの付き添いもな」

「「「聖変の馬鹿野郎」」」

 冒険者達は既に自分達の退路が断たれていることを知り、文句を言ってきた。

 しかし物体Xを飲みたくないジョルドさんは必死で逃げ道を探っていたようで、冒険者ではないことを理由にして回避する作戦に出た。

「あの~何で私もなんでしょうか?」

「それはルシエルのお目付け役だからだろ」

 しかしグランツさんが告げたその一言は至極当然だった。

 ジョルドさんもまた退路を断たれていたのだ。

「ルシエル君の人でなし……」

 それからギルドマスターが運んで来た物体Xを、まずは俺が飲み干して見せた。



 それを見ていた三人の冒険者が恐る恐る口をつけ、それにジョルドさんが続く。案の定というか、四人は仲良く気絶してしまったので、起きるまでグランツさんと世間話をすることにした。

「それにしても何で俺だけ文句を言われるんですかね? グランツさんの方が酷いことしてますよね」

「まぁそれは人徳……なんてな。ただルシエルが自分達よりも若いから言いやすいだけだろう。それに物体Xを飲むと強くなるって話も出回っているからな」

「それはある意味正しいですね。ただ物体Xを飲むとレベルが上がらなくなるみたいなので、注意が必要ですね」

「それは本当か!?

「はい。この身がそれを証明していますよ」

 まさかレベルが上がらなかったのが物体Xのせいだなんて、一体誰が気が付くんだよ。

 しかもあれを飲むことを勧めたのは師匠やグルガーさんだったし……。

 まぁ結果的にレベルが上がらなくてもステータスは伸びてくれたし、スキルレベルも必要以上に上がったという恩恵もあるから何とも言えないけど……。

「……それでも飲むだけの価値があるってことだな?」

「そうですね。今の生活では魔物と戦うことはないですし、レベルを上げる環境にもいませんから。もし一年間飲み続けることが出来れば、状態異常に強い身体を手に入れられると思いますよ」

「それはもしかして……いや、情報感謝するぞ」

 やっぱり物体Xを飲むことによるメリットとデメリットは知らなかったか。

 師匠も手紙で詳しいことは知らなかったって書いてたからな。

 まぁこれで物体Xを飲む冒険者が増えれば、俺も味覚障害なんて言われることがなくなるだろう。

「いつも冒険者ギルドにはお世話になっていますからね。それで最近何か変わったことはありますか?」

「特にはないな。ただルシエルと模擬戦をしたいと思っている低ランク冒険者はいるみたいだぞ」

 俺はただの治癒士なんだけど……。

「……何故ですか?」

「単純に名を上げたいからだろうな」

「はぁ? 俺はどこぞの賞金首にでもなったんですか? どこにでもいる治癒士ですよ?」

「あれだけ旋風と楽しそうに戦っていたからだろうよ」

「……楽しそうですか? ただ必死だっただけですよ? しかも師匠にボコボコにされただけです」

「いや、何度倒されても回復して旋風に立ち向かっていく姿は、まさにドM治癒士ゾンビだったぞ」

「……通り名は聖変で統一してください」

 もうドMゾンビと味覚障害は卒業したい。

「はっはっは。まぁそんな訳だから、もし挑まれることがあったら受けてやってくれよ」

 とても冒険者ギルドマスターの言葉とは思えなかった。

「嫌ですよ。もし低ランク冒険者を倒してしまったら、どんどんランクの高い冒険者からも戦いを挑まれるじゃないですか」

「それはそれで面白いだろ? もし負けたら罰として物体Xを飲ませることにすれば、俺にとっても利益があるからな」

「俺にはメリットがないどころかデメリットしかないですよ。それに全く面白くないですよ」

「強い奴と戦闘経験を積めるじゃないか」

 今は戦乙女聖騎士隊と訓練することで戦闘経験は十分積めているから、これ以上の戦闘訓練を増やすつもりはない。

「だから俺は治癒士ですって」

「冒険者でもあるだろ?」

「とにかく今は色々とやることが多くて駄目ですよ」

「はぁ~、まぁしょうがないか。それより何で急に従者が付いたんだ?」

 前回は聞かれなかったけど、今回はやっぱり聞かれてしまったか。

 S級治癒士になったことは、対外的には秘密にしなくてはいけないのが辛いな。

「問題行動が多かったからですね。幸いお目付け役は自分で選べたので、ジョルドさんが付いてくれています」

「もしかしてこの前の冒険者の暴動が原因か?」

「いえ、ただ教会本部内にある施設を少し壊してしまいまして……」

「聖変様はやっぱり冒険者の方が向いているんじゃないのか?」

「そうかもしれません。まぁ独房に入れられないだけいいですよ」

「嫌気が差したら、いつでも歓迎するぜ」

「教会を追われることになったら、その時はお願いしますね」

「任せろ。いつでも味方になってやる」

 そんなやりとりをしていると、間もなくジョルドさん達が目を覚ましたので、物体Xが入った樽を魔法袋へしまってから冒険者ギルドを後にした。

 それからジョルドさんが行きたがっていた、聖都の表通りにある魔道具が置いてあるお店を数軒巡った後、落ち込んだジョルドさんと教会本部へと帰還した。

「ジョルドさん、教会本部に着きましたよ。いつまでもそんなに落ち込まれていると困ります」

「無理だよ。今の僕は人生に絶望しているんだ。まさか聖都のお店で売っている魔道具があんなにレベルの低い物しかないなんて……」

「魔道具を探していたのなら、もっと早く言ってくれれば良かったのに……」

 ジョルドさんは聖都で販売されている魔道具を見て、口数が少なくなっていた。

 そのことを指摘して聞いてみると、俺と一緒に外出する目的の一つが魔道具を購入することだったらしい。

 しかし魔道具店で販売されていた物は、どれも迷宮前の売店で販売されている物からすれば見劣りする物しかなかったのだ。

「こんなことなら退魔士の時にもっと頑張っておけば良かったよ」

「今度カトリーヌさんに会ったら魔道具を購入出来るか聞いてみますから」

「本当かい!?

「ええ。それと冒険者達にも聞いてみます」

「ルシエル様、今後も従者として尽力致します。さぁ参りましょう」

 ジョルドさんはそう言って意気揚々と教会本部へと先に入っていく。

 俺はその光景を眺めながら、苦笑いを浮べてジョルドさんの後を追った。

 そして私室に戻ってきたところで、ジョルドさんに一つお願いをすることにした。

「ジョルドさんを使ってしまうようで申し訳ないんですが、派閥の件でグランハルト様に面会したいんです。お願い出来ますか?」

「グラン様ですか? 問題ありません。ルシエル様は私室でお待ちください」

 ジョルドさんはそう告げて、部屋を出ていった。


 それから間もなく私室の扉がノックされた。

「はい、どうぞ」

 すると入って来たのはジョルドさんではなく、グランハルトさんだった。

「グランハルト様。こちらから面会を申し込んだのに来ていただけるとは……」

「ルシエル様、前にも申し上げましたが敬称は不要です。それに実のところ私もルシエル様に用がありましたので、こちらから出向くことにしました」

「そうなんですね。それではそちらの椅子に掛けていてください。直ぐにお茶の用意をしますので」

「お構いなく」

「ただ取り出すだけですから」

 グランハルトさんが椅子に座ったのを確認して、魔法袋から出来立てのお茶とお茶請けを取り出して見せた。

「……凄い魔道具をお持ちなのですね」

 魔法袋のことは既に知っていると思ったけど、そこまで俺の情報は出回ってなかったのかな?

「迷宮を攻略していなければ得ることが出来なかったものですよ。グランハルト様が除霊戦闘部隊に配属してくれたおかげです」

「……そうですか、それは何よりです」

 一瞬だけどグランハルトさんの顔が曇ったように見えた。もしかして配属を決めたのはグランハルトさんじゃなかったのか? 念のためにフォローを入れておくか。

「嫌みを言った訳ではありませんので、勘違いはなさらないでください」

「ええ、それは大丈夫ですよ。それで早速なのですが、ルシエル様のご用件は派閥について知りたいということで間違いないでしょうか?」

「はい、間違いありません。グランハルト様の用件は?」

「……近々上層部の間で、ルシエル様がS級治癒士就任式で仰った治癒士の回復魔法に対する法案と、治療のためのガイドラインを本当に作るか、話し合いの場が設けられるらしいのです」

「本当ですか!? いや、でも何故それをグランハルト様が?」

 まさか話し合いの場が設けられるとは思ってもいなかったので本当に驚いた。

 俺にとっては重要な案件だし、話し合いの場が設けられることは教皇様から直接聞くことになると思っていたのに……。

「私も所詮派閥に属している者ですので、情報を得ることが出来ることをお伝えしようかと」

 今まで迷宮のことしか考えている暇がなかったから実感していなかったけど、本当に派閥があるんだな。今のところ無所属ってことでいいんだろうけど……。

「……私に何か要求があるんでしょうか?」

「ええ」

「そうですか……グランハルト様の要求をお聞きしても?」

「私は聖シュルール教会が人々にとって救いであることを証明したい。今のように治癒士が金の亡者と人々に恨まれる状況を改善したいと願っています」

「それって……」

 まさかグランハルトさんからその言葉を聞くとは思わなかった。

 グランハルトさんは苦笑いを浮かべながら話し始める。

「ルシエル様が教会本部を訪れた日、治癒士ギルドが治癒院をどう管理しているのかと問われたことは覚えていらっしゃいますか?」

「ええ、もちろんです。私が教会本部に呼ばれた理由にも関係していましたから。あの時も同じように回復魔法の料金を定めるガイドラインを作るべきだと話したと記憶しています」

「……実はあの当時、私はルシエル様の話を全て疑っていました。そしてルシエル様のことをただ口達者な若者だと決めつけていたのです」

 まさかここまで本音をぶつけられるとは思わなかったな。ただ何となく今は信じてもらえるようになった気がして誇らしいかも……。

「そうでしょうね。あの時のグランハルト様は私の言葉を信じたくない……そんな顔をしていましたから」

「確かに……。だから私はルシエル様がした発言が虚言であることを調べるため、各国の治癒士ギルドと治癒院を調べることにしました。公平を期すために教会本部の人間ではなく、冒険者や商人に依頼を出すまでして……」

「そこまでしたんですか」

 本当に教会のことを信じていたんだな。

「ええ。しかし今思えば調べなければ良かったと思ってしまうこともあります。本当に知りたくない事実ばかりが次々と出てきましたから」

「それは……グランハルト様のせいではないですから」

「いいえ。教会本部内だけで起きたことにしか目を向けてこなかった私にも落ち度はあるのです」

 もしかするとグランハルトさんは教会本部にいる誰かの子供なのか? もしそうでないなら治癒士が嫌われていることも当然耳に入っていておかしくないからな。

 しかしただでさえグランハルトさんと話していると堅苦しくて肩が凝るのに、このままだと全身が凝り固まってしまうな……ここは少し話題を変えるか。

「グランハルト様の所属している派閥は、このことを知っているんでしょうか?」

「ええ。だからこそ法案とガイドラインの素案作りを手伝わせていただきたいのです。これ以上、聖シュルール教会の信頼が地に墜ちる前に」

 立ち上がってこちらを見据えるグランハルトさんからは、強い意志が感じられた。

「分かりました。グランハルト様が力を貸してくださるなら本当に心強いです。ところでグランハルト様が所属している派閥は?」

「ああ。それではまず大まかではありますが派閥のことを説明させていただきます。まず教会本部には大きく分けて三つの派閥が存在しています。教皇様の意見を重んじる教皇派、収益重視の執行部が取り仕切る改革派、そして私が所属している聖シュルール教会の繁栄を願う穏健派があります」

 俺は傍から見たら教皇派なんだろうな。教皇様の直属部下だし。

「教皇派と穏健派の違いは?」

「教皇派はその名の通り教皇様の意見を尊重し、教皇様の命令を絶対だと考える派閥です。そして穏健派は教会が人々の救いであるように動いている派閥ですから、盲目的な教皇様の言いなりではないと思ってください」

 教皇様と会った数は両手で数えられるほどだけど、それでもしっかりと意見は聞いてくれるし、独裁的でもないから二つの派閥はまとまればいいのに。

「なるほど。教皇様が聖シュルール教会を私物化しないようにする派閥ですか……でも派閥で一番力があるのは改革派ですね? 教皇派と穏健派が組むことはないんですか?」

「……どうして改革派が一番力があると思われたのかお聞きしても?」

「ただの心証です。でも収益を求める改革派が強くなければ、治癒士が人々から金の亡者だと非難されることはないと思ったから。それが理由ですね」

「それだけですか?」

「ええ。今のところは、ですが……」

 残念ながらグランハルトさんを心から信頼している訳ではないから、これ以上のことを話す気にはなれない。

 ボタクーリの手紙を受け取り、俺を教会本部へ異動させたのはグランハルトさんだったはずだしな。

 それを考えると、実はグランハルトさんが改革派である可能性もなくはない。

 それでも俺にグランハルトさんの知識が必要なことには変わりないから情報収集を心掛けて、本当の相談は教皇様やカトリーヌさんにした方がいいだろうな。

「そうですか……それでこちらの要求は呑んでいただけるのでしょうか?」

「そうですね。私が治癒士の未来を憂うように、グランハルト様は聖シュルール教会の未来を憂えていますし、今回の件で利害は一致すると思いますので、出来れば協力していただけたらと考えています」

「ありがとう御座います。よろしくお願いします」

「いえいえ、こちらこそ頼りにしています」

 俺が手を差し出すと、グランハルトさんは迷わず俺の手をとった。

「それではまず各派閥の重要人物達のことから説明させていただきます」

「お願いします」

 こうして俺はグランハルトさんから各派閥の情報を集めながら、回復魔法に関しての新しい法案とガイドラインの素案作りを始め、あっという間に時が過ぎていくことになった。