01 聖属性魔法 治癒の値段


 メラトニの街から馬車に揺られること五日、ようやく聖シュルール共和国の中心地である聖都シュルールが見えてきた。

 冒険者ギルドでナナエラさん達から教わった時には、だいたい二、三日の道のりだと習っていたけど、当初の予定よりも倍の日数を費やすことになった。


 これには一応理由がある。実は出発してから直ぐにバザンさんから提案があったのだ。

「魔物や盗賊が出没する地域を通りながら野営して進むのと、少し遠回りになるが、各村で休みながら盗賊や魔物が現れずに、日中だけ進むのとどちらがいい?」

 そんな言い方をされて、俺が後者以外を選択することがあるはずもなく、遠回りするルートを選ぶことになったのだった。

 もちろん数える程度は魔物と遭遇することもあったけど、バザンさん達は魔物が襲ってくる前にせんめつしていたので、恐怖を感じる暇もなかった。


 実はこの道中、密かにパワーレべリングを期待していたのだが、現実はそれほど甘くはなく、一レベルも上昇することはなかった。

 どうやらただ同じ場所にいるだけではレベルはおろか、経験値になるようなこともなく、現実だということを思い知らされた。

 まぁAランクパーティーである〈白狼の血脈〉の戦う姿を見られたことだけでも、十分収穫になるものではあったけど……。

 流れるような連携から敵を分断しつつ、各個撃破しているはずなのに、何故か敵が吸い寄せられて自滅しに来ているように見える程、本当に巧みな戦い方をしていたのだ。

 いつか治癒院を開いたら、護衛として常駐してくれないかなぁと、考えたことは秘密にしてある。

 まぁ結果的にはバザンさんの提案を受けて正解だった。

 この五日間野宿することなく、一日三食の食事も確保することが出来たからだ。


 メラトニの街とは違い、寄った村々はあまり整備されているとは言い難く、治癒院はおろか診療所さえ存在していなかった。

 そのため回復魔法を掛けるだけで、食事と寝床は提供された。

 村長宅の一室を借り治療をしていたのだが、患者さん一人一人にとても感謝され、全ての患者さんの診察が終わると、いつの間にか村では宴が開かれ歓迎されることになった。

 もちろん最初の村だけでなく、立ち寄った全ての村で、だ。

 そのことが正しいのかは分からないけど、人を救える力を望んで良かったと本当に思うのだった。

 宴の席ではあったけど、酒は師匠に止められているし、バザンさん達も護衛任務中と断ると、今度は大量の食事を用意してもてなしてくれた。

 宴の途中で治療を施した村人達が、俺の許へとやって来ては感謝を伝えてくれたのだけど、これがとてもムズ痒く感じることになったのは記憶に新しい。

 中には拝み出す方もいたけれど、俺は終始一貫して同じ言葉を言い続けた。

「回復魔法の治療と引き換えに、豪華な食事と綺麗な寝床を用意してもらったので、気にしないでください」

 出来るだけ笑顔で伝えると、さらに頭を下げられて、バザンさん達に慌てたところを見られて笑われてしまった。

 それから立ち寄った全ての村でも同じく、聖属性魔法で村人の怪我等を治して回ったのだけど、皆が快く食料と寝床の提供に協力してくれた。

 そのおかげもあり疲れることなく、聖都シュルールに到着することが出来そうであった。

「あれが聖シュルール共和国の聖都シュルールか……しかしあの光り輝く城が治癒士ギルド本部なのか……」

 クリスタルで造られたようなその城は、既に治癒士ギルドに対して色眼鏡を掛けてしまっているからなのか、とても行きたくないという思いが強くなる。

「ああ。あの聖シュルール教会が運営する治癒士ギルド本部だ」

 バザンさんが忌々しそうに教会本部の建物……城を見て言ったことで、昔はどうだったか分からないけど、今は冒険者はもとより住民達もよく思っていないと思えてしまった。


「あの聖シュルール教会が運営する治癒士ギルド本部か……それにしてもシュルールを使い過ぎて分かりづらい気がします」

「ルシエル君、それは禁忌タブーな話だよ。この国を建国した王……教皇様には何か事情があったらしいし。無知な発言はいよ」

 たしかレインスター卿だったよな。何気ない言葉が非難の対象になる可能性があるから気をつけないとな。

 セキロスさんの注意は心に留めておくことにしよう。

 それにしても識字能力自体がそこまで高くない世界で、誰でも知っていることを知らないって……かなりやばいよな。

 そんなことを考えていると、門兵が入場許可書を求めているようだったので、教皇様からの辞令を門兵に手渡してみた。

「失礼致しました。それではここからはこの獣人達ではなく、私がルシエル様を聖シュルール教会本部まで案内致しましょう」

「結構です。場所も分かっていますので」

 門兵が人族至上主義であることに苛立ちながらも笑顔で断り、自分達だけで聖シュルール教会本部へと向かうことにした。

「良かったのか?」

「何がですか?」

「いや、何でもない」

 聖都内部へと入場して直ぐ、バザンさんが先程のことを気にして話し掛けてくれた。

 メラトニではあまり感じなかったことだけど、人族至上主義があることに対して何も出来ない歯痒さに少なからずショックを受けていた。

 その時、聖シュルール教会本部の城へ到着する前に、懐かしの冒険者ギルドが目に映った。

「あ、そう言えば物体Xがそろそろ無くなりそうです」

「そっか。確か十日分しか入らない小さな樽だったよな。どうする、先に冒険者ギルドによって補充しておくか」

「そうですね。バザンさん達も護衛終了の報告が出来るし、丁度いいかも知れませんね」

「……本音は?」

「冒険者ギルドで絡まれたくないんで、付き添いをお願いしたいです」

「クックック。本当ルシエル君は面白いね。バザン、付き合ってあげなよ」

「俺達はここで待っている」

「チッ、まぁいい」

 こうして俺とバザンさんが冒険者ギルドへと入ることになった。


「ちなみに聖都の冒険者ギルドに入ったことは?」

「もちろんある。それにここのギルドマスターもある意味異色だから、ここが聖都だって忘れることは出来ると思うぞ」

「もし自由があるなら、冒険者ギルドへと逃げ込むことにします」

「ハッハッハ。そいつはいいな」

 そう言いながらバザンさんは冒険者ギルドの扉を開いた。


 冒険者ギルドへと入った途端、視線が一気にこちらへと集中するのは、どこの冒険者ギルドも変わらないんだなぁ。

 そんなことを思いながら、受付……ではなく何故か食堂のある方へと向かうバザンさんを追いかける。

「本当に造りが一緒だな」

 追いかけながら見たギルド内部は、本当にメラトニの冒険者ギルドと同じ設計で造られているようだった。

「マスターいるか?」

「いらっしゃいませ。ご注文ですか?」

 そんなことを考えていると、バザンさんがメラトニの冒険者ギルドにはいなかった、妙齢のウエイトレスに何故か声を掛けた。

 中には昼過ぎであるものの、まだ食事をしている冒険者がいるようだ。

「いや、ギルドマスターはいつも食堂にいるだろう?」

「ええ。ところで貴方は?」

「Aランク冒険者パーティーを組んでいる、〈白狼の血脈〉のバザンだ。ここに寄ったのはそこにいるルシエルをギルドマスターに紹介しておこうと思ったからだ」

 怪訝な表情を浮かべて見てくるウエイトレスは、バザンさんが名乗ると一気に表情が和らいだ。

「そうでしたか。それでは呼んで参りますので、少々お待ちいただけますか?」

 そう告げると、ウエイトレスさんはバックヤードへと向かった。

 それを見計らってバザンさんが口を開く。

「ルシエル、見た目で判断するなよ。さっきのウエイトレス、たぶん俺と同じかそれ以上の実力があるぞ」

「へっ?」

 確かにレベルがあるこの世界では、見た目で判断が出来ない強さはある。

 でもAランクのバザンさんよりも強いとか……。

「出来るだけ対立しないように心掛けます」

「それはいい」

 バザンさんがそう言って笑い始める頃、先程のウエイトレスさんと一緒に、初老ではあるけど背が低くて筋肉隆々のまるで物語に出てきそうなドワーフっぽい人が現れた。

「誰かと思えばバザンか、久しいな」

「ああ。今日はこいつを連れてきたんだ」

「ほぅ。バザンが人族を紹介するとはな……小僧、名前は?」

「あ、はい。ルシエルと申します。一応治癒士です」

「治癒士? その体格でか?」

「はい」

 治癒士と聞いたからか、周りの冒険者達からの熱い視線を感じる。

 久しぶりに感じる殺気のようにも思える。

「バザン、こいつはもしかして……」

「色々通り名はあるが、メラトニの冒険者ギルドに住んでいたやつって言えば分かるか?」

「やはりブロドの弟子か。そうか、それで挨拶だけではないんだろ?」

 ブロド師匠の名前を聞いて頷くと、ギルドマスターの顔から窺うような視線が消えたので、俺はホッと息を吐き出した。

「ああ。ルシエル、後は自分で頼め。俺は受付で手続きをしておく」

「あ、はい。ありがとう御座います、バザンさん」

 バザンさんは笑って食堂から出ていった。

「それで?」

「はい。私は冒険者兼治癒士のルシエルと申します。今回ギルドへ伺ったのは、物体Xの原液を大樽でいただきたくて」

 その瞬間、ガヤガヤと騒がしかった食堂が静まり返り、こちらの様子を窺っていた視線は、驚愕に目が開かれると共に外されていった。

「……あ、あの、もう一度ご注文いいですか?」

「あ、はい。物体Xの原液を大樽でください」

 ギルドマスターではなく、なぜかウエイトレスさんが確認すると、ギルドマスターが足早にバックヤードへと入っていき、物体Xが入ったジョッキを持って出て来た。

「飲んでみろ」

 ドンッとテーブルに物体Xを置いた。

「これって確認ですか?」

「ああ。飲めない者に物体Xは出せないからな」

 まぁ飲めない物体Xを悪用しようとする人がいないとも限らないから、試しているんだろう。

 俺も出来れば飲みたくないけど、修行する場合はこれを飲めって師匠やグルガーさんから言われているからしょうがない。

 いつも通りグビグビッと飲んでいく。

 俺が物体Xを一口飲むごとに、静まり返っていた冒険者達から漏れた声が聞こえてくる。

「化けもんだ」

「味覚障害」

「あれって噂のドM治癒士じゃないか?」

「それは都市伝説だろ。それに、それってメラトニの話だろ?」

 そんな声が囁かれているけど、全部聞こえています。

「プハァ~。ご馳走様です。それじゃあ樽で用意してもらえますか?」

「わ、分かった。悪用しないならいいんだ」

 なぜギルドマスターが震えているのかが分からないけど、まぁいいか。

「あ、そうだ。物体Xって何で液体なのに、液体Xじゃなくて物体Xって言うんですかね?」

「さ、さぁな。それよりもさっき樽って言ったけど、あれを入れる樽はあるのか?」

「小さい樽ならありますが、中身も入っていますし、そちらでご用意していただけないですか?」

「……こちらで用意するとなると、直ぐには無理だし、大樽なら一樽銀貨一枚になるぞ」

「じゃあとりあえず、この樽に追加してもらってもいいですか? それと先に三樽分の銀貨を払っておきますね」

 俺は魔法鞄から物体Xの入った樽を取り出した。

「わ、分かった」

 ギルドマスターはそう言って、俺から受け取った物体Xが入った樽を持って、バックヤードへと消えていった。

「おい、三樽って言ってたぞ」

「化けもんだ」

「魔族?」

「魔物どころか魔族だって逃げ出す臭いなんだろあれは」

「最強の魔物除けだけど、あれを放置し過ぎると、知らない間に口の中に入るらしいからな」

 何だろうそのホラー話。

「どういう生活をしてたら、あれをあんな平然と飲めるんだ」

「もしかしてとても貧しい生活を……」

 全部の声がこちらに聞こえる大きさだったので、さっきチラ見したら皆めちゃくちゃ強そうだった。

 さらにメラトニの冒険者達よりも良さげな装備しているから、目が合って絡まれないように気をつけよう。

 バザンさんが迎えに来てくれるとありがたいんだけど……。


「……用意出来たぞ」

 しばらくすると苦い顔をしたギルドマスターが樽を運んで来てくれた。

「ありがとう御座います。じゃあこの樽の物体Xが無くなったら取りに伺いますので、その時に三樽お願いしますね」

「分かった」

 お礼を言いながら魔法鞄に樽を収納した俺は、誰とも視線を合わさないように冒険者ギルドの出入り口へと向かって歩き出した。

「あ、治癒士ルシエル、あの銀貨一枚で聖属性魔法を使うっていうのは本当か?」

「メラトニの冒険者ギルドではお世話になっていたので。この聖都でも絡まれなければ考えておきます」

 ギルドマスターの問いに、俺はそれだけ告げて食堂を後にした。

 そこへバザンさんがちょうどやって来てくれたので、俺は無事に冒険者ギルドから出ることに成功した。

「やっぱりメラトニとは少し違いますね。何だか目の敵にされている感じがしましたよ」

「それは旋風のおかげだと思うぞ。ルシエルに冒険者が絡まないように罰則も設けていたんだぜ」

「そう……だったんですか」

 本当に師匠には頭が上がらないな。

 出来るだけ教会本部の仕事を頑張って、教会本部の職員から解放されるように頑張ろう。


 それからバザンさん達は、教会本部の目の前まで送ってくれた。

「バザンさん、セキロスさん、バスラさん。ここまでの護衛ありがとう御座いました」

 俺は三人にお礼を言いながら頭を下げた。

「最終的には冒険者ギルドからの指名依頼だし、命の恩人の護衛なんだから受けて当然だろ。なぁ」

 バスラさんが二人を見てそんなことを言ってくれた。

「そうだぞ。セキロスも俺も、お前が毒を治してくれなければ本当に危なかった。それこそバスラを一人にしてしまうところだったんだ」

 バザンさんは、そのどうもうそうな顔で笑いながら肯定する。

「そうそう。ルシエル君のおかげで助かったよ」

 セキロスさんもまた笑いながら同様に肯定した。

「いえいえ。ですが、こうして話していると、本当にメラトニから離れ、私が知っている人がいなくなるんだなと、実感してきます。それは少し寂しい気もしますね」

 まるで転勤先に配属されて、初日を迎えた気分だ。

「まぁルシエルがメラトニへ戻ってくるなら大歓迎だけど、その無償でもらった魔法書の分ぐらいは治癒士ギルド本部で頑張ってみろよ」

「……はい、本当にありがとう御座いました」

「ああ。今度は酒が飲めるといいな」

 結局、この世界に来てから一度も酒を飲むことはなかった。

 誰とも酒を飲まぬまま転属だからしかたないけど、ブロド師匠ともまだだしな。

「ええ。そのときは奢れるように頑張っていきます」

「楽しみにしてるよ」

「ボタクーリのようにはなるなよ」

「はい」



 別れの挨拶を済ませると、三人を乗せた馬車はメラトニへ向けて出発した。

「結構寂しいものだな。誰も知らない街で新たに生活を始めることになるっていうのも……」

 センチメンタルになるのは少し早いかな。

 それにしても魔法書の分は……か。

 確かにこれはこれで一財産なんだよな。

 魔法書は無償で貰ったとはいえ、買ったらそれなりの金額になるので、下手な扱い方は出来ない。

 魔法の鞄に手を当てながら、今回の旅の道中を思い返す。

 メラトニの治癒士ギルドで貰った魔法書は全部で七冊。

 全てにちゃんと目を通し、載っていた詠唱を繰り返し唱え続け、詠唱自体は完全に覚えることが出来た。

 途中でバザンさんから『呪歌に聞こえるから、詠唱するならしっかりと口にしろ』と怒られた時には少し怖かった。

 俺は思い出して笑いそうになったけど、教会の前で笑っていたら不審者になってしまうと、教会へ向けて進む。

 それにしても新しく覚えた魔法って使う機会があるんだろうか?