ローズライン公国の首都アイリーン。錬金術師ヨハンとの約束通り、妻と娘を助け出したミラとサソリ。後は、当のヨハンを連れ出すだけだった。けれど町はずれにある屋敷でミラ達が見たものは、酷く荒らされた地下室だった。

 そこでヨハンのものらしき血痕を発見したミラ達は、その後、手分けして散らばった書類を適当にまとめて確認する。その結果、メルヴィル商会との取引に関する書類が全て消えている事がわかった。

「やはり、動きに気付かれたと見るべきじゃな」

 書類の山をいちべつしたミラは、不機嫌そうな様子で眉間にしわを寄せる。

「でも、どうしてだろ? 人の知覚だけでなく、最新鋭の魔力検知も騙せるくらいだから、どんな術具でも私達の存在に気付く事や、話を盗み聞きする事なんて出来なかったはずだよ」

 サソリはといえばワーズランベールを見つめ、その反則技を思い返す。

 静寂の精霊の力は確かなものだ。ヨハンとの接触と交渉は慎重を期して、彼を完全いんぺいの効果に巻き込んでから行った。ゆえに、その内容が漏れる事はまず無い。

 ミラ達を裏切りヨハンが自ら報告した、という事も考えられるが、彼の話通りアンジェリークとアンネは実際に監禁されていた。つまりはヨハンの言葉が真実だったと証明されているのだ。まず、ありえないだろう。

 だがそれでも、ヨハンと書類が消えたというのが現状である。

「一先ず、屋敷を探ってみるとしようか。何か手掛かりが残っておるかもしれぬ」

「うん、そうだね。そうしよっか」

 可能性は薄いが、何もしないよりはましだろうと、ミラ達は屋敷中を調べ始めた。

 見張りがいないとなれば、もう遠慮はいらないと無形術で周囲を照らしながら一階をくまなく探っていく。だが、これといった手掛かりは見つからない。ただアンジェリークは、懐かしむような表情で屋敷内を見つめていた。

 続けて二階へと上がったミラ達は、そのままヨハンと出会った研究室におもむく。簡単に見回してみた印象では、ミラ達が立ち去った時と変わらない様子だった。ヨハンは、あの話のあと直ぐに取引の書類をまとめにいったのだろう。そして何者かに襲われ連れ去られたと思われる。

 研究室を調べてみるものの、やはりこれといった手掛かりは発見出来なかった。調べ終わったあとアンジェリークは、家族の思い出が集められた棚をじっと見つめ、涙をこぼす。その隣でミラは、羊のぬいぐるみを手にして、ぐにぐにと潰すように押していた。よくある話、中に何かが仕込まれてなどいないか確認するためだ。

 結果、ぬいぐるみの中に盗聴器といった類の術具は仕込まれてはいなかった。

 研究室を出たミラ達は、二階にあるもう一つの部屋に向かう。だが、そのまま扉を通り過ぎたミラとサソリは、廊下の突き当たりでぴたりと立ち止まった。

 最初に屋敷を訪れた時、そこには暗闇の中で幽鬼のごとく不気味に佇むかっちゅうの調度品があった。しかし今、どういうわけかその姿が忽然と消えていたのだ。

「ここにあったよろいは、どこにいったのかな……? もしかしてヨハンさんは、動き出した鎧に……」

 引きつった笑みを浮かべながら、サソリはゼンマイ人形のような動きでミラに振り向く。そこには確かに全身甲冑の調度品が飾られていたはずであった。若干の恐怖とともに記憶しているサソリは、どこか怯えたように尻尾を逆立て、周囲に気を配り始める。

「さて、どうじゃろうな。……まあ、どこかにいったのは確かのようじゃが」

 ミラはそう言いながら屈み込み、甲冑が立っていたあたりをよく観察した。見れば僅かに埃が積もっており、そこには確かに甲冑の足の跡が残っていた。

「あの、鎧って、そんなものがここに置いてあったのですか?」

 ミラの頭の上から顔を覗かせたアンジェリークが、ふとそんな事を口にする。

 話を聞いてみたところ、どうやらアンジェリーク達が屋敷にいた頃は、ここに甲冑の調度品など無かったそうだ。となれば、すなわち、ヨハンが妻子を人質にとられた以降に置かれたものとなる。

「もしや、中に何か仕込まれていたのかもしれんのぅ」

「うん、そうかも。探知の術がかけられたマスクもあるくらいだし。見張りが出来る術や術具だってあるかも」

 鎧ならば中に幾らでも仕掛けられる。やりようによっては、休み無く見張らせる事も出来るだろう。真に用心するべきは、外ではなく中だったのだ。

 思わぬ伏兵の存在に顔をしかめたミラ達は、そのまま残りの部屋の探索を手早く済ませた。

 その後、ヨハンがいなかったのは予定外だが、ひとずアンジェリークとアンネだけでもかくまおうと、ミラは残り時間がぎりぎりの完全隠蔽を使い『王様の隠れ家』に向かった。


 誰に見つかる事も、後をつけられる事もなく、ミラ達はイーバテス商会の本店に到着する。石木造りで四階建ての見事な店舗だ。

 繁華街に面したそこは未だに賑やかだが、店自体は既に閉まっており、酔っ払いが軒先に若干転がっているだけである。見れば飲食店以外の店先は、だいたいこのような状態であった。

 イーバテス商会の敷地は実に広く、本店の左右から伸びる赤れんの壁は三百メートル四方はあろうかというその敷地をぐるりと取り囲んでいた。

 ミラ達はサソリの案内に従い、その壁に沿って裏へと続く小道に入っていく。見上げるほど高い壁を横目に暫く進んでいくと、そこには小さな裏門があった。

「どこに目があるかわからないから、アンジェリークさん達は隠したままでいいかな?」

「そうじゃな。匿っている事すら誰も知らなければ、追っ手が及ぶ心配も減るじゃろう」

 アンジェリーク達の行方を知る者が少なければ少ないほど情報も制限される。このまま誰にも見られず匿ってしまえば、一先ず安全といえるだろう。ミラとサソリは、そう短く確認し合うと、二人だけで完全隠蔽の効果から抜ける。

 それから門を叩いたサソリは、何かメダルのようなものを見せながら出てきた門番と挨拶を交わす。メダルが通行証代わりになっているようで、それを確認した門番は一言「お疲れ様です」と門を開いた。

 まずワーズランベール達隠蔽組を先に通してから、サソリとミラも門をくぐる。その際、艶やかに流れるミラの銀髪を門番がほうけたように目で追っていたが、気付いたものは誰もいなかった。

 石畳で舗装された敷地内には等間隔で明かりが灯されており、周囲が優しく照らされている。見ればそこは、小さな町のようであった。馬車と人が並べるだけの幅がある通路、その左右には一般的な造りの民家が軒を連ね、夜中でありながら確かな生活感をただよわせている。サソリ曰く、従業員用の住まいなのだそうだ。社員寮のようなものだろうか。

 更に見れば飲食店らしき建物も見受けられた。そこでは格安でありながらとても美味しい料理が食べられるという。ただ従業員だけしか利用出来ないらしい。つまり社員食堂のようなものだ。

 そんな小さな町の中、夜の闇の中にあってもなお、はっきりと存在が際立つ建造物が二つ見えた。内一つは薬や術具を扱う店舗である。そしてもう一つは、そんな店舗より一回り大きく、総石造りで実に頑丈そうな建造物だった。サソリが案内するのも、こちらの方のようだ。

 その建造物は倉庫を兼用した事務所であり、内部は実にシンプルな造りになっていた。

 エントランスホールのような場所は無く、玄関入ってすぐ脇に受付のカウンターが置かれている。正面には階上に続く階段があり、左右には廊下がずっと続く。そして所々に各部署への扉があった。

 深夜であるにもかかわらず屋敷内は明るく、働く者もまだ、ちらほらといるようだ。

「こんばんは、レノスさん」

 受付に向かって挨拶するサソリ。そこには几帳面そうな一人の男が座っていた。だがやはりというべきか、少し眠そうな様子だ。

「いらっしゃいませ、サソリ様!」

 眠気の原因は退屈から来るものだったのだろうか、男はどこか楽しげに立ち上がり期待に満ちた目でサソリと、そしてミラを見つめた。

「また部屋を使わせてもらいますね。それと、彼女はミラちゃん。私達の仲間です」

 受付でメダルを提示しながらそう言ったサソリは、続けてミラの事をそんなふうに紹介する。

「となると、巨悪と戦っておられるわけですね! なんと素晴らしい! ……あ、一応規則なもので、身分証などを確認させていただいてもよろしいですか」

 興奮した様子から一転、レノスはどうにか自制心を働かせて落ち着きを取り戻し、申し訳なさそうな表情を浮かべた。

 冒険者証でも良いという事で、可愛らしいカードケースを取り出したミラは、そこから冒険者証を抜き取り提示する。

「なんとCランクですか。それだけ可憐な美をたたえながら、武勇までも持ち合わせるとは実に素晴らしい。巨悪に立ち向かう方というのは、やはり違いますな!」

 またも興奮をあらわにしたレノスは、受付から飛び出しミラの手を半ば強引にとり、「応援しております!」と言いながら握りしめる。実に良い笑顔だった。

「なに、悪に立ち向かうのは当然の事じゃ」

 レノスの押しの強さに困惑しながらも、正面から真っ直ぐに称賛を受けたミラは、まこと単純に調子に乗って自信満々でふんぞり返る。

 それから散々上下に振り回された後、満足した様子でレノスが手を離すと、ミラの手にはサソリが持っていたものと同じメダルが残されていた。

「そちらがイーバテス商会の特別滞在許可証になりますので、失くさないようにお願いしますね。まあ、失くしたところで所有者判別の無形術がかかっているので、悪用なんて出来ませんが」

 レノスは随分と気楽な様子でそう言いながら、受付の帳簿にミラの名前を書き込む。どうやら、握手をした時、メダルにミラを認識させる無形術をかけていたようだ。

「便利なものじゃな」

 その効果は確かなもので、ミラが持つメダルをサソリに渡してみたところ、銀色のメダルはまたたく間に赤く変色していく。そしてミラが手にするとまた銀色に戻った。ミラは無形術の進歩具合に、もう何度目になるかわからない感動を覚えるのであった。


 サソリ達がイーバテス商会から借りている秘密基地は、ここの地下にある、緊急避難用シェルターのようなところだという。

 受付で手続きを終え、正面の階段を上り廊下を進んでいく。その途中で、サソリがレノスの事について笑いながら話す。彼のフルネームは、レノス・イーバテス。現会長の孫にあたるらしい。

 そんな彼は英雄譚が大好きなのだという。さんしんこくの『三神将』や、アトランティス王国の『名も無き四十八将軍』に、ニルヴァーナこうこくの『十二使徒』。そしてアルカイト王国の『九賢者』などなど。

 更に今回、人類の良き隣人たる精霊達を害する巨悪キメラクローゼンに立ち向かう正義の組織である五十鈴いすず連盟に、新たな英雄の誕生を予感して興奮冷めやらぬ調子なのだそうだ。

 錚々そうそうたる英雄達と共に九賢者の名を連ねられた事に悪い気のしないミラであったが、視線を横に向ければ、そこの窓には渾身の美少女が映っていた。いつかの時代とは似ても似つかぬ今の姿に若干やるせなさを感じ、ミラはため息を漏らす。

 そのような事を話しながら階段を上がり、三階の廊下を突き進む。そこでふとミラの脳裏に疑問が生じた。

「なぜ三階まで来ておるのじゃろう。地下と言うてなかったか?」

 職員がちらほら見える三階の廊下を進みながら、ミラはサソリの背に向けてそう問いかける。

「地下なんだけど、ちょっと特別な部屋みたいでね。そこには三階端の階段から下りないと行けないようになってて、入り口はそこに隠されているんだ。ちょっと手間だけど、その分匿うにはうってつけだよね」

「なるほどのぅ。随分と厳重な造りじゃな」

 サソリの説明に納得したミラは、実に歴史を感じさせる内装と建造物そのものに興味を移し見回し始めた。

 そうこうしている内に三階端の階段に辿たどり着き、階下へと歩を進める。総石造りの建物は、それでいて温もりを感じさせる内装で、踊り場に置かれた調度品などは隙のない感性を窺わせた。

 今はメルヴィル商会がトップの座に君臨しているが、それはキメラクローゼンの暗躍など、人道に反した手段による結果に過ぎない。実質の王者は、やはりイーバテス商会だと思わせる風格がいたるところに満ちていた。

 階段を下りきり一階に到着すると、そこには扉が一つだけあった。開けて中に入ってみたところ、色々な術具や薬品などが棚いっぱいに並んでいる。一見しただけではわかり辛いが、サソリの話によると、ここにあるのは全て試作品か失敗作だそうだ。

 雰囲気的には完全に夜の理科準備室のようで、かなり不気味である。不安なのか、アンジェリークはアンネを背負うワーズランベールに添うように身を寄せていた。

 どこか迷路のように並ぶ棚の間を抜けていくミラ達。そうして部屋の奥にまで辿り着くと、サソリはそこに佇む棚の前で立ち止まる。そしてミラを手招きした。

「ミラちゃん、良く見ててね」

 ミラが隣に来たところでサソリはそう言うと、失敗作に紛れるように置いてあった箱を開ける。そしてそのまま前後をひっくり返すように回して蓋を閉じ、もう一度反転させた。

 サソリがそんな不可解な行動をした直後である。何か小さく鈍い音が響き、ひとりでに棚が横へとずれていったのだ。すると正面に、隠されていた扉が姿を現した。

「おお!」

 まるで本当の秘密基地のようだと、ミラの気持ちが一気に盛り上がる。布にせよ扉にせよ、隠されたものはどうしてこうも男心をくすぐるのだろうか。

 扉を開けてみると、地下に続く階段があった。ミラは我先に飛び込む。全員が入ったところでサソリが扉を閉めたところ、また先程の鈍い音が響いた。表側の棚が元の位置に戻った音である。

 地下特有の、ひやりとした空気が漂っている。無機質な石の階段が深くまで続くが、点々と淡い照明が灯っているため、さほど暗くはなかった。だが若干、足元が覚束ない。段差がまちまちだからだろう。サソリが言うには、侵入者に対する用心だという話だ。

 そうして百メートル近い階段を下りきったミラ達は、更に奥まで続く地下通路に到着した。


 

 地下通路は階段を中心にして左右へ延びていた。石材で補強されたそこには頼りない明かりが、ぽつりぽつりと人魂のように浮かぶ。空気はひやりと肌にこびりつき、ミラとサソリの足音だけが遠くへと反響する。

「ここまで来れば、もう誰かに見られる事もないじゃろう。ご苦労じゃった。ゆっくり休んでくれ」

 来た道と左右の通路を確認したミラは、そう言ってワーズランベールに完全隠蔽を解除させる。アンジェリークとアンネは、屋敷からずっと隠し続けていた。ゆえにミラ達以外でその行方を知る者はいないだろう。

「もっと気兼ねなく力を振るえるとよいのですが」

 能力を解除したワーズランベールは、申し訳なさそうにまゆじりを下げる。

「構わぬ構わぬ。完全隠蔽でなければ、まだまだ誤魔化せるのじゃろう? それだけでも十分に強力じゃからな。契約が深く結ばれるまで互いに精進しようではないか」

「ええ、そうですね。末永くよろしくお願いしますよ」

 背負っていたアンネをアンジェリークに返しながら、ワーズランベールはそう口にして笑う。

 それから、ワーズランベールとがっちり握手を交わしたミラは最後に、暫くは頻繁にぶだろうからよろしくと伝え送還する。

「何か、いいね、そういう関係」

 絆が重要な召喚術士特有というべきだろうか。ミラとワーズランベールの間にある、どこか特別な繋がりを垣間見たサソリは、ただ何となくそう口にしていた。

「そうじゃろう。召喚術士になれば、友達いっぱいじゃよ」

 ゲームが現実になり、契約した相手が確かな意思を持った事で関係がより顕著になった。それを強く感じ特に喜んでいたミラは、実に自慢げに胸を張り屈託なく笑ってみせた。


 その場を満たす無機質な静寂を足音で払いながら、サソリを先頭にミラ達は地下通路を進んでいく。

「そういえばサソリよ、お主こういう所は平気なのじゃな」

 ミラはヨハンの屋敷で甲冑の影に怯えていたサソリを思い出しながら、そう口にした。脱出経路の限定された空間、先の見えない薄明かり、反響する足音。ここはホラーシネマで良くありそうな、実に雰囲気のある場所である。

「こういうのって、どういうの?」

 しかし、サソリはじんも気にしていない様子であった。屋敷では怖がりな一面を見せていたが、どうやら今の状況は何ともないようだ。

「ほれ、館で甲冑の置物に怯えておったじゃろう。幽霊のようなものが怖いのかと思ったのじゃが、違うのか?」

 ミラがそう言うと、サソリはちらりと前後の通路の先に視線を向け、目を凝らす。ミラの言葉をきっかけにして不安が湧いてきたのだろう。

「それはね、その……ほら。あの時は、変な人影が見えたから……。そもそも暗い場所は私の庭みたいなものなんだから怖いわけないよ。怪しい人影に警戒していただけだよ」

 地下通路に怪しい影が無い事を確認したサソリは、背筋と尻尾をぴんと立てて、強がるように弁明を口にする。サソリの恐怖心は、不気味に見える場所ではなく、何かしら不明確なものが目に映った時に生じるようだ。

「サソリよ、知っておるか。このように光が乏しく閉塞された場所は、怨霊達の好む棲処すみかじゃという事を。そして本当に恐ろしい怨霊とは、遠くではなく、近く、しかも唐突に現れるという事を」

 ならばものは試しとばかりに、ミラは雰囲気を盛り上げる話をサソリの耳元で囁いた。正にいわく付きの場所で、それにまつわる話をするような気分である。

「な……何を言っているのかな、ミラちゃん。驚かそうとしたって無駄だからね。私の目は暗闇でも見えるんだから。そんな近づかれるまで気付かないなんてありえないよ」

 サソリはまるで自分に言い聞かせるかのようにじょうぜつに語る。目に見えないだけで、そこにいる。同じような状態になれる完全隠蔽を体験したからか、サソリは本当にいるかどうかもわからない得体の知れぬ相手を警戒し始めた。

 そんなサソリの様子に悪戯心を募らせたミラは、更に低い声で畳み掛けていく。

「それは難しいじゃろう。奴らは普段、目に見えぬ存在じゃからのぅ。見える時とは、すなわち、襲う瞬間──」

 ミラが調子に乗って語っていた、その時だ。突然ミラ達の真横の扉が開くと、そこから赤黒い血に染まった白衣をまとい冷笑を浮かべる少女が、二人の目と鼻の先に現れたのだ。

「ぬぉわぁぁぁー!!

「ふにゃぁーーー!!

 瞬間、とっに抱き合ったミラとサソリは、地下通路に悲鳴を響かせながら勢い良く後退する。更にその反動で壁に背中を思い切り打ちつけると、その場にうずくまった。ミラ達より幾らか後ろにいたアンジェリークは、むしろ二人の狼狽振りの方に驚き顔を強張らせる。

「何しているの?」

 余程痛かったのだろう、ミラとサソリは床に転がったまま呻き声を上げ、アンジェリークはアンネを抱いたままうろたえる。そんな中、聞き覚えのある淡々とした声が小さく響いた。

 うっすら涙を浮かべながら、その声にミラとサソリが顔を上げる。すると二人の目には、どこか呆れた様子で見下ろすヘビの姿が映ったのだった。


 タイミングを計ったかのように見事なヘビの登場は、半分偶然だった。ヘビが出てきた部屋は、ホテルで襲撃してきた内の一人を監禁している場所だそうだ。そこで丁度尋問を終えたヘビは、ミラ達の話し声を聞き迎えに出た。それが先程の結果に繋がったというわけだ。

 そんな偶然もあると誤魔化すように笑ったミラとサソリは、何事も無かったかのように気を取り直し、足早に歩み出す。その後ろで、初対面のヘビとアンジェリークは互いに自己紹介を済ませていた。

 初めはまみれの姿に驚いていた様子のアンジェリークだったが、白衣を脱いだヘビと二言三言交わしたところで緊張を解いたようだ。

 蛇足だが、ヘビの白衣は尋問用に着色しただけのもので、脅す際にとても役立つらしい。

 そうこうするうち地下通路の一番奥に到着する。そこには、とても頑丈そうな鉄の扉があった。サソリの話によると、緊急避難用の地下居住施設だそうで、十年前の悪魔襲撃のような事案に備えて造られた場所だという事だ。見れば確かに、物理以外に対する仕組みらしき魔法陣やらなにやらが無数に仕込まれていた。

「ミラちゃん、これも良く見ててね」

 サソリは隠し扉の棚の仕掛けを動かした時のように一言口にしてから、鍵穴らしきところに指を入れる。すると鉄の扉全体が光り始め、不思議な模様が浮かび上がった。

 サソリはミラに見せるように、それを操作する。約十秒ほどで扉が開いた。

「って、感じ。こうしないと開かないから覚えておいてね」

「あー、うむ。これはまた、何じゃのぅ……」

 サソリの説明は丁寧であったにもかかわらず、操作は複雑で途中からさっぱりついていけなくなったため、ミラは苦笑いを浮かべるばかりだ。

 ヘビが言うには、こういった事に関してサソリは天才的であり、普通は覚えられないのだそうだ。

 言ってみればこの鉄の扉は、開錠方法を記したものが鍵の代わりになるといってもごんではない。そしてヘビがその操作方法を書き留めているらしく、ミラは後でそれを写させてもらう約束をした。


「これまた、随分と広いのぅ……」

 鉄の扉をくぐり短い廊下を抜けると、そこには奥行きの長い板張りのリビングが広がっていた。三十畳はあるだろうそこには、シンプルながら頑丈な造りをしたテーブルが四台並び、天井から吊り下げられた四つの球体がそれぞれのテーブルを明るく照らしている。

「いざという時、何年も過ごす事になるからだって。何でも、閉塞感がどうとかこうとか……。えっと、狭い所にずっといるとイライラしちゃうらしいよ」

 微妙に曖昧な説明を口にしたサソリは、続けて地下室にある設備の案内を始めた。

 国で首位を争う程の商会というのは、有事に備えるための資金もじゅんたくにあるようだ。地下室は、生活に必要な全てが整った場所であった。

 キッチンには一通りの調理器具がそろい、水や火も特製の術具によって不便なく使える。そんなキッチンのそばにある三つの扉の内二つは、それぞれトイレと風呂に繋がっており、これもまた問題なく利用出来る状態だそうだ。

 そしてもう一つの扉の先は、リビングよりも広大な畑になっていた。今は何も植えられておらず照明も切られているが、作物を育てれば、確かに数年は暮らしていけそうな環境である。

 しかもこれら全てを支える術具は全て特注品で、充魔が出来るという。つまり術士などのマナ保有者がいれば、術具にマナを補充する事が出来るため、半永久的に活用出来るという事だ。

(生きている限り永久機関か。これで司令室でもあれば完璧なのじゃがな)

 サソリに案内され各設備を見回りつつ、ミラは子供時代に憧れた秘密基地を思い出しほくそ笑んだ。

 次に案内された場所はリビングの更に奥へと続く廊下で、そこには左右に五ずつの扉が並んでいた。その部屋の広さはどれも八畳程度だ。リビングと同じ板張りの床には、何も置かれていない。だが内二部屋にはベッドだけが置いてあり、その一つにミレーヌがいた。毛布を抱いて眠るその姿は、随分と幸せそうだ。

 そしてアンジェリークは、そんなミレーヌの顔を懐かしむように見つめた後、その隣のベッドにアンネを寝かせた。


 地下室の説明が一通り終わり、リビングに戻ったミラ達はテーブルを囲み着席する。そしてそのまま報告会議を始めた。

 まずは、ヘビの尋問結果からだ。

 追跡者の二人は、ヨハンの屋敷を見張っていた内の二人だったそうだ。彼らはメルヴィル商会に雇われたようへいであり、内情については何も知らない部外者だという。

 依頼内容は、ヨハンを屋敷から出さない事。また弟子のミレーヌが想定外の行動をとった時、その内容を確認し、場合によっては保護するというものらしい。

 キメラクローゼンとの繋がりについて彼らは一切知らされていなかったようで、それは反応からしても間違いないとヘビは語る。

 つまり、捕縛した二人だけでなく、あの場にいた全員がキメラクローゼンとは無関係の者達だったというわけだ。

「そっかー。残念」

 有力な手掛かりは無し。そう聞いてサソリはため息をついた。

 彼ら傭兵の配置は妥当といえるだろう。見張りとなれば、すなわち見張る側も居場所が固定されるという事でもある。そんなリスクを、あのキメラクローゼンの構成員が負うはずもない。

 もしもヨハンの事が外部に知られた場合でも、本人だけ確保すればキメラクローゼンに関する秘密は守られる。情報を持っていない見張り達は幾らでも切り捨てられるというわけだ。

「ふむ、容易たやすく情報は得られぬか」

「彼らは使い捨て」

 残念そうにミラが呟くと、ヘビはつまらなさそうに辛辣な言葉を口にした。大した情報が得られなかった事が気に入らないのだろう。

 そうしてヘビの報告が一段落した時──ミラは大きなあくびをすると、茶を飲み干し、それでもたまらずまぶたまたたかせる。

「ミラちゃん。もう随分遅いし先に寝ちゃってていいよ。こっちの報告は私がしておくから」

 半目でぼんやりした様子のミラの肩をサソリが優しく揺する。二人は一緒に行動していたので報告する内容も同じであり、ヘビの報告を聞き終えた今、確かにミラがいなくても問題はなかった。



「ぬぅ、しかしのぅ。わしだけ先に眠るわけには」

 たまに真面目な事を口にするミラは、そう参加の意を表しながらも、生理現象には逆らえず二度目のあくびをもらす。

「大丈夫大丈夫。今日は簡単に報告したら、私達もすぐ眠るよ。本格的な会議は明日にね」

「むぅ、そうか。ならすまぬが、先に休ませてもらうとしようかのぅ……」

 眠気に逆らいきれそうも無いと判断したミラは、渋々そう言って立ち上がる。そして、やけに丁寧な動作で椅子を戻し「おやすみー」と呟いて、ふらふらと玄関に向かい歩いていった。どうも完全に寝ぼけた様子だ。

「そっちじゃないよ、ミラちゃん」

 結果、サソリに抱えられたミラは、そのままミレーヌとアンネが寝る部屋とは別の寝室に運ばれる。そしてサソリに優しくベッドに寝かせられ、夢の中に漕ぎ出していくのだった。