プロローグ


 VRバーチャルリアリティ、そのシステムが完成して半世紀ほど経った現在。今では世界経済になくてはならない技術になっていた。

 学校は、家から専用端末でネットに繋ぎ、仮想現実で登校して授業を受ける。登下校における危険もなく、校舎を維持するための費用も必要ない仮想空間に作られた学校は、現実世界の学校を駆逐しつつあった。

 仕事も仮想現実から取引先へ挨拶をし、全てを電子プログラムで代用する事で書類等の経費もかからなくなった。本社等のビルも、その維持費よりVR専用のサーバーを管理する統合施設から法人用サーバーを借りる方が圧倒的に安く済む。

 物理的な需要以外は全て仮想現実で事足りるため、VR技術は更に飛躍的に進化し続けた。

 もちろんこの技術にゲーム業界が目を付けない訳がない。まだ少し割高な装置が必要だが、それでも一般家庭ならば成人祝い等で贈られたりする程度の普及率を誇っている。時期の差はあれど、数々のVR専用ゲームが開発されていった。さきもりかがみも成人祝いにVR装置を贈られた一人だ。

 仕事はVR装置により全て自宅でこなし、休憩時間は母の作りたての昼食を食べる。通勤時間もかからず、残業もほとんどない一般的な中小企業で、特に不満もなく日々を過ごしていた。


 ある日『アーク・アースオンライン』というVRMMO︱RPGが現れた。その始まりはとても静かなもので、クローズドβテストはいつの間にか始まり、気付くと終わっていたくらいである。

 鑑がそんなマイナーなオンラインゲームを知ったのは、深夜にやっていたテレビ番組のCMでだ。そのCMは音もなく動きもなく、ただVR専用のアクセスコードだけが十五秒間映し出されているだけというものだった。

 興味本位でそこに接続すると、全方位が白い仮想現実に『アーク・アースオンライン』というタイトルが浮かんでいた。あとはたった二行。

 オープンβ開始、ダウンロード、という文字だけだ。

 びない姿勢に興味を持ち、ダウンロードに触れた。そして『はい』を選びインストールが始まる。白塗りの世界に浮かぶ、ごく一般的なフォントの文字からは、それがどのようなゲームなのか皆目見当がつかなかった。けれど、惹きつける何かがある。口では説明出来ない、どちらかというと強制力に近い何かが操作を続行させた。


 インストールは十五分程で終了する。早速起動してみると、まるで現実のような世界を背景にしたホーム画面が現れる。

 こうして『アーク・アースオンライン』漬けの日々が始まった。



 正式サービスが始まってから四年。ゲームに関する広告等は、ゲーム誌やネットではほとんど見かけない状況だったが、プレイヤーは大手のオンラインゲームに迫る人数になっていた。むしろここまでプレイする人がいるのにネットに出回らないのがおかしいくらいだ。

 ゲームの内容自体は、定番のファンタジーものだが、その圧倒的な自由度が大いに受けた。しかし一つだけ、オンラインゲームにとって一番不可思議な点があった。それは運営だ。バージョンアップは四年のうちに二回しかなく、正式なホームページも存在しないので運営方針も分からなければ開発者の名前すら分からないのだ。

 だがそれを含めてもゲームの魅力は圧倒的で、むしろ放任してくれた方が色々出来ていいなどという者までいる始末である。何より、バグが無いというのが大きいだろう。


 鑑がプレイするキャラクターは、げん溢れる老魔法使いだ。一日がかりで作成した、白髪に白髭を蓄え老練な魔法使いをほう彿ふつとさせる姿は、存在感抜群である。その名前は、大好きな魔法使いの名前、世界的大ヒット映画に出てくる校長と、指輪を巡る冒険映画に出てくる魔法使いからとられている。


(威厳あふれるダンブルフ)


 その名は、ダンブルフ。クラスは召喚術士。オープンβ開始時に魔術士を選んだが、魔術の習得方法がまったく分からなかったのだ。どれだけ敵を倒しても魔術は覚えず、説明書やチュートリアルのようなものすらない。

 世界に産み落とされて即、完全放置というとんでもないゲーム内容だったが、独自の遊び方を探りながらというのもまたプレイヤー達を夢中にさせた。それでも当時は魔術の習得が出来なかったのだ。

 召喚術士は、精霊系の敵を倒し契約する事で使役出来るようになる他、専用の召喚術クエストをクリアする事で召喚が可能になるなど習得までの難易度は高かったが、方法は専用掲示板に少しだけ載っていたので基礎は判明していた。

 もちろん、説明不足が過ぎると不平不満も多く出ていたが、厳しい条件を達成すればプレイヤーでも建国出来るというシステムが発見され、プレイヤー達の熱はそちらに大きく移り変わった。

 国王となり、街を発展させ軍備を整える。他国へ侵攻する、砦を築き防衛する、傭兵を雇うなど、物語の中でしか見る事のない出来事を自分達の手で紡いでいける事実に皆、熱狂したのだ。

 それからは、野心を燃やし建国する者やそのプレイヤーに憧れて国に仕官する者、自由を愛し冒険者となる者、秘密結社を創設する者、他にも商人や傭兵、果ては暗殺者まで、幅広いプレイが楽しめるとあって不平不満も次第に下火となっていった。

 しかも自由度は、その程度ではなかった。例えば武器や防具、薬などのアイテム類は伝説級を含め数多くの種類が存在するが、プレイヤーの工夫次第でまったく新しいアイテムを作り出す事も出来たのだ。伝説級や、それすらも超えるものを作り出す事さえ出来た。現実で出来てゲームで出来ない事は無いとまで言われている程にだ。

 の楽しさにどっぷりとはまったあるプレイヤーは、全てのプレイヤーがその名を知るほどの名工となり、剣一本が数百万で取引されている。木工を極めて、そこから建築技術へ発展させ城を建てたプレイヤーもいた。穴掘りに執着していた者は温泉を掘り当てて、今では巨大な温泉街の元締めだ。道場を開き自分で編み出した剣術を教える師範まで存在している。

 どんなスキルがあるのか、どんな事まで出来るのか。術を駆使した新しいスポーツを発案した者、海賊というロマンを実現した者、大陸中の情報を一手に集めて、情報屋として危ない橋を渡る者。プレイヤー達は様々な事に挑戦し、あろう事かそのどれもが成功した。

 そんな中、溢れる沢山のスキルを種類ごとに分け統計したスキルリストを作成した者がいた。各プレイヤーのもとを訪れて、技術についての詳細を聞き本にまとめたのだ。技能大全として出版されたその本は、大ベストセラーとなり巨万の富を築く事になった。

 実はダンブルフも特殊な技術をいくつか開発した偉人であった。一つは後衛職である欠点を補うために試行錯誤した結果の技能。それは、セカンドクラスとよばれる二次職業の開発。ダンブルフは、メインである召喚術士の他に術士系近接クラスの仙術士でもある。滝に打たれる、木に逆さ吊りで一日耐えるといった修行により、仙術士は術を習得出来る。

 ちなみに、サービス開始から一ヶ月と少々で判明した魔術士の魔術習得方法は、触媒と対になる魔法陣が描かれた紙を一緒にして初期魔術【火炎】で燃やすという方法だった。

 そんな奇跡的なゲームを始めて四年、鑑は九賢者の一人という国の重鎮となっていた。


 ある日、所属する国の国境付近に現れた魔物の群れの討伐をする事となった。このような任務は良くある事で、同じ国に所属するプレイヤーと当番制にして遂行している。そして今回、その当番が回ってきたという訳だ。

 拠点として使っている塔から出て、気だるそうに国境へと向かう途中、現実世界からのコール音と妹の甲高い声が夕飯の時間だと告げる。

 夕飯後、再び仮想現実にダイブする。するとその時、メールが来ている事に気付いた。開いてみると、その内容は、ゲーム課金分のネットマネーがもうじき期限切れで失効するというものだった。

 アーク・アースオンラインにも、他のネットゲームと同じように課金アイテムが存在する。扱われているのは、ちょっとしたゲームプレイをサポートするようなものだ。

 その課金アイテムの一つに、全プレイヤーが購入しているといっても過言ではない定番商品がある。『化粧箱』というアイテムだ。それは一つ五百円で、使用するとアバターの容姿の再設定を行えるというものである。これが売れる理由は、その選択パーツの豊富さだ。

 ゲーム開始時に無料で選べるものでも数千とある容姿パーツだが、化粧箱を使った再設定では数万に及ぶパーツから選ぶ事が出来た。全プレイヤーは、まず適当にアバターを作ったあとログインし、化粧箱を使い好みの姿に再設定するというのが常識といってもいい程だった。


 化粧箱の他、もう一つの定番課金アイテムに『浮遊大陸』がある。百メートルトラックがある校庭くらいの広さで、敷地に収まる範囲でなら大抵の事が出来る便利アイテムだ。更に空を飛んで移動出来るので、地形を無視した乗り物としても活用されている。この『浮遊大陸』が二千円。課金は千円ごとでしか出来ないので、化粧箱代を差し引いた残り五百円が失効対象だ。流石に四年前の五百円なので大した未練もないが、貧乏性ゆえか勿体無く感じて課金アイテムリストを開いた。

 生産関連の上等な道具が揃った職人部屋、千円。浮遊大陸を含め、そこに置ける建築物や湖などの地形関連、二千円。このラインナップに『化粧箱』が加わり全てとなる。

 結果、選択肢は化粧箱しか無かった。化粧箱しか買わなくても最低千円課金しなくてはいけない仕様である。これが大人の世界。

 そのまま失効するのも勿体無いと化粧箱を一つ購入。VRマネーは残高0になった。

 それから討伐任務を遂行するべく、ゲームをスタートさせた。腕輪型の端末を操作してアイテム欄を開く。そこには先程購入した漆塗りの小箱、課金アイテムの化粧箱が入っている。これを使ったのはもう四年前の事だ。

 当時は、理想の男性像である今のアバターが作れるかどうかしか頭になく、他にどのようなパーツがあるのかまったく記憶に無かった。

 そこで少しだけ興味が出た。化粧箱を使い、実に四年振りのアバター作成画面を開く。

 パーツは「活発」「控え目」「強気」「弱気」など他色々とある印象カテゴリや、「ミステリアス」「荘厳」「陰気」「陽気」などの雰囲気カテゴリといった括りで検索が出来る。

 そんなパーツ一覧を眺めながら感じた事は、やはり今のダンブルフは最高だという確信だった。

 このアバターを超えられる者は存在しない。なんといっても自身の思い描く理想を作り上げたのだから。鑑がかつての自分の偉業を満足そうに見つめていると、目端にある一文字が映った。

 男、というアバターの性別を表す文字だ。その時、脳裏にふとある思いがよぎった。それは、理想の男性像は完璧に再現出来た。では、理想の女性像はどうだろうと。

 性別を男から女へ変更すると、ダンブルフが少女に変わった。同時に少々こそばゆい気持ちが胸に込み上げる。ゲームとはいえ、少女の姿をまじまじと見つめるのはなんとも言えない気恥ずかしさがあったからだ。

 そこをぐっと押し込め、……むしろ少々興奮気味にパーツを選ぶ。「強気」でソートしたパーツを一つずつ吟味していった。


 理想の女性像を作り始めてからどれくらいの時間が経っただろうか。充分に満足出来る仕上がりとなったアバターをニヤケ顔で見つめていると、朝食を告げるコールが鳴り響く。

 気付けば時刻は朝の九時を示していた。

 直後、猛烈な睡魔に襲われた。メニューのログアウトに触れようとした時、世界が暗転し、急速に意識は遠のいていった。