第一章 幼少編


01 転生しました


 産まれた時から心臓が弱く、めんえきりょくの低かった私は、きんしつから一歩も出ることもなく、その生涯を終わらせようとしていた。

 私のわがままで泣きたいのに笑顔で見送ろうとするお父さん、お母さん……私は幸せだったよ、ありがとう。ああ、私の人生はこんな簡単に終わっちゃうんだね。結局歩くことも走ることもろくに出来ず、何をするにも他の人の手を借りて……結局、親孝行もできなかったよ。神様……もし、生まれ変わることができたのなら……その時は──

『どんなモノにも絶対負けない丈夫な体』に産まれますように。

 私はそっと目を閉じ……終わりを迎え……る……。


[その願い、聞き届けよう]


「へ!?

 脳裏に響く大きな声に私は閉じた目を開けると、光が眩しく、上手く視界が定まらなかった。

(何? どうしたの、これ! よく見えない、聞こえない、体も上手く動かない! なんで、どうして! やだ、こんなのいやだぁぁぁっ)

「おぎゃぁぁぁぁ! おぎゃぁぁぁぁ!」

「産まれました。元気な声で、女の子ですよ、旦那様」

 この日、私は『メアリィ・レガリヤ』として新たなる生を受けたのであった。


 それから数日。

 時間が経つにつれて私は冷静さを取り戻し、現状の把握に思考を巡らせられるようになってきた。

(え~と、つまり……どういうこと?)

(落ち着け、落ち着くのよ私、何かこういう展開の主人公、病室で読んだ本にあったじゃない。え~と、何だっけ? 編成っじゃなくて、てん……そう、転生よ!)

 その言葉で私の思考が急速に落ち着きを取り戻していった。落ち着いて、自分の体を見てみる。

 小さな手、赤ん坊の手だ。間違いない、私は記憶を残したまま新たな生をスタートさせたのだ。

(そっかぁ、今度はもう少し丈夫な体になってるといいなぁ)

 理由なき安心感からか、私は眠りにつく、新たなる人生に胸を躍らせながら。



(おおお、動く! 動くぞ、この体!)

 ノソノソとハイハイしながら床を突き進む私。

 どうも、メアリィ・レガリヤ、一歳です。

 私は医療器具が並ぶ医療室から一転して、和やかでごうしゃな屋敷の一室で両親に見守られてすくすく育っております。今のところ体に支障はなさそうで、ついついやんちゃに動き回ってはメイド服を着たお姉さんたちに抱き抱えられてしまう。

(ううう……もっと動きたいのに)

 部屋の雰囲気や、両親の身なり、かしずくメイドたちや執事を見るところ、私が病室で見た映画、アニメ、マンガ、本、ゲーム、などに出てくる中世ヨーロッパの貴族のような感じがする。

(まぁ、貴族なんだろうけど)

 父が産まれたばかりの私を「この娘が我がレガリヤ公爵家の長子かぁ!」と嬉しそうに言いながら高らかに私を抱き上げていたからだ。

(公爵家の令嬢ということなのかしら……現代社会の日本に産まれ育った私には縁遠くていまいちピンとこないけど)

 私は新たな生を前世の記憶を持ってスタートさせることができたので、前世で出来なかったことをしっかり満喫するつもりだった。

(ありがとう、神様。早く大きくなって、いろんなことがしたいなぁ)

 私はあの時、響いた声を神様だと信じて感謝することにしている。


 そんなこんなで月日があっという間に過ぎ、私は順調にスクスクと育って、今では自立歩行はもちろん、ちゃんとした会話を可能としていた。

 どうも、メアリィ・レガリヤ、三歳です。

 私は母親譲りの銀色の、いやそれよりも白に近い長い髪と、髪や肌に負けないくらい真っ白で上質なフリル付きワンピーススカートをなびかせて、テクテクと屋敷内を散策している。実のところ、私はもっと前から自立歩行などを可能にしていたのだが(もっと言うなら生後数日で)さすがにこれは変だ。私が持つ前世の記憶のかもしれないし、変に思われないように私が知る限りの赤ちゃんの動きをしてきたのだ。

(幸い、ベースが赤ん坊だったから、できないものはほんとにできないものが多くて、おかしなことになることは……なかったと思う……よ?)

 成長に伴って、自分がいる世界のことも分かってきた。

 ここは自分が知っている現代社会ではなく、アルディア王国といって、剣や魔法、モンスターや精霊が住む、いわゆるファンタジーな世界なのだと判明している。

(RPGだよ、RPG! ゲームでしか体験していなかった世界が今、目の前に!)

 だがどんな世界であれ、私は普通の生活さえできれば幸せなので、冒険やら何やらをしようとは思っていなかった。

(だって、危険じゃない。今世ではなるべく親に迷惑かけず、孝行できるよう長生きしようと思っているから、あまり無茶なことは言わないし、しないの)

 なので、両親に何か欲しいかと言われても、何もいりませんと答えている。

 そういえば、私は日本語でもないこの世界の言葉と文字を違和感なく理解できていたが、これも例の神様のおかげなのだろうか。

「神様、ほんとうにありがとう! 私は今日も元気に暮らしていますよ」

 と、空に向かって私は神様へ感謝の言葉を贈っておく。

「ああ……平和だわ。これから先、何事もなければいいのだけど。おっと、いけない! これはフラグになってしまうわ。なぁ~んて、アハハハ、そ~んなわけないッない、迷信迷信!」


 そうして、私はやらかしてしまった。


 それは不注意で起こった突発的な事故だった。

 私の目の前には、自分を包み込むほどの大きさの木箱達が雪崩のように襲ってきていた。

 こんな物をまとも受けたら私は押し潰されてぺしゃんこだ。

(危ない! 止めなきゃッ!)

状況を認識できたのは良かったが、私は逃げるという判断ではなく、止めるというおおよそ見当違いの判断をしてしまった。そして、とっに自分を守ろうと片手をなだれ込んでくる木箱達へ、もう片方の手を自分の顔へと持っていく。

 目をつぶり、衝撃に体をこわらせる私に、何かがぶつかり、そして──


 ゴシャァッ!


 重い木箱が何か硬い壁にでも叩きつけられたように、大きな音を立てて粉砕された音がした。

 何事かと目を開ければ、そこには落ちてくる木箱が何もしていないのに私の目の前で次々と壊れていく光景が繰り広げられていたのだ。


 えっ、どういうこと???


02 やらかしました


 事の発端は今から半日前に遡る。

「おやおやぁぁ! 私の可愛い天使がこんなところにィィィッ」

 屋敷の廊下を歩いていると、遠くの方から駆けてくる(?)豪奢な貴族服を着こなしたナイスミドルなひげダンディの中年男性が一人。

「あら、お父様、ごきげんよう」

 私は走ってきた男性に向かって、スカートの裾を少し持ち上げて、軽くかがんだ後、挨拶をする、とびきりの笑顔で。公爵令嬢としての振る舞いや言葉遣いなどは、以前から家庭教師を呼び学び始めているが、まだまだたどたどしかった。けれど、精神年齢は合計して十五歳を超えているので呑み込みは早い。

「おうっふッ!」

 変な吐息を漏らして、父は空を一度仰ぎ見た。

 彼の名は『フェルディッド・レガリヤ』。

 レガリヤ家当主にして、私、メアリィの父親であり、アルディア王国のげんすいを務めている人だ。

「お父様?」

 私は頭の上に?マークを浮かべながら、コクリと首を傾げた。

「あぁうちっ!」

 今度は訳の分からぬ奇声をあげて自分の胸を押さえる父。

(毎度の事ながら何だろうね、このやりとり)

「ゴホンッ……旦那様、話が進みませんので」

 後ろに控えていた執事が小さな声で言葉をかけると、父は分かっているとにやけた表情を正した。

「メアリィよ、ついてきなさい。お前に会わせたい子がいる」

「私に、ですか?」

 先に述べたように、私は両親に多くを欲しがったことはなかったので、両親も無理に私に何かを与えようとはしなかったが、今日は違うようだ。

(っというか、父よ。ついてこいと言っておきながら、なぜ私を抱き上げて運んでいく。私は自分の足で歩きたいのに)

 きたえ上げられた父の腕にちょこんと座りながら、私は庭へと連れられていくと、そこにはすでに先客がいた。

 屋敷内にある綺麗な庭を一望できる場所に、贅沢な造りの机と数脚の椅子が置かれている。

 その一脚に腰掛けて、紅茶をたしなむ女性が一人。父は彼女の前まで来ると私を腕から下ろしてくれた。

「お母様ッ!」

「あらあら、メアリィったら、甘えん坊さんなんだから」

 自由になった私は一目散に母親のもとへと駆け寄ると、その膝にしがみつく。

 そんな私を怒るでも慌てるでもなく、優しい笑みを浮かべて見てくれる彼女の名は『アリエス・レガリヤ』。私、メアリィの母親だ。

 フワッと優しい風が舞い、母の綺麗な白銀の髪がたなびくと、私はその美しさに見とれてしまう。

 クリクリとした大きな金色の瞳で母を見つめていると、彼女は私の真っ白な髪を優しく撫でてくれた。

 ちなみに私の外見の特徴は、母譲りの白銀の髪(母より白い)と、父譲りの金色の瞳、全く日に焼けてない真っ白な肌と、ぱっと見病弱な感じがするものだった。まぁ、自分的な観点だが。

 おやのなんてことのないコミュニケーション。だが、私にとっては無菌室のカーテン越しでしか触れられなかった、母親の温もりがとても心地よかったので、このままずっとこうしていても飽きないだろう。

「オホンッ……あ~、ところでアリエス。今日はこの子にあの子を会わせようと思ったのだが」

「では、呼んで来させます」

 父が咳払いとともに発した言葉で、私の至福の時が終わりを迎える。

(はて、私に会わせたい子?)

 母から離れ、父を見上げていると、母が控えていたメイド長に何やら一言言い、彼女が一度席を外した。何だろうと父の隣に立ってキョトンとしていると、ほどなくして、向こうからメイド長とともに小さなメイド服を着た少女が近づいてきた。

(うわぁ! 小さなメイドさんだ。黒の髪と瞳が親近感湧くわね)

 白と黒を基調にしたフリフリのメイド服に包まれた少女はメイド長に促され、緊張気味に私の前へ歩みでると、両手を前に揃え、綺麗な角度でおじぎしてみせる。

「は、はじめまして、メアリィお嬢様。わ、わわ、私、テュッテと申します」

(しどろもどろになるところも可愛らしいわね♪)

「今日からお前の専属メイドになって、常にお前の身の回りの世話をする子だよ」

 彼女の自己紹介だけでは情報が足りないと、父が補足してくれた。

「私の専属メイド」

(何それ、めっちゃお嬢様みたいなんですけど。いや、まぁ、お嬢様なんだけどね)

 私はもう一度、小さなメイドさんを見る。年の頃は私より上だろうが、そんなに離れているようには見えない。まぁ、精神年齢では私の方が上だろうけど……。

 私が好奇心旺盛な金色の瞳でマジマジと見ながら彼女に近づいていくと、彼女は姿勢を正して、こちらを見ていた。

「私はメアリィ、これからよろしくね、テュッテ♪」

 私はお嬢様言葉ではなく、あえて友達のような感じで話しかけた。

 ウキウキする。だって、同年代の子供と話をするのはこれが初めてかもしれないからだ。

「は、はい! お嬢様!」

 緊張しっぱなしでテュッテがお辞儀をし終えると、さっそくとばかりに私は彼女を連れて庭を散策することにした。

「お父様、お母様、私、テュッテと庭を散策して参ります」

 気分はすっかり友達感覚だった。

 それでも、父も母もメイドさん達も何も言わなかったので、私はそのままテュッテを引き連れてその場を離れていく。

「お、お嬢様! 走られると危ないですよ」

(いやいや、あなたの方が危なっかしい走りだから)

 私は速度を落とし彼女の前を歩きながら、くるりと顔だけ向けて後ろを見る。

「テュッテはいくつになるの?」

「え、あ、はい。今年で八歳になります」

 急に話を振られて慌てたのか、一呼吸おいてから彼女が答える。

(八歳ということは私と五歳違いか。それにしても幼い顔立ちよね)

 私の好奇心旺盛な目にさらされて、テュッテの可愛い黒い瞳がキョロキョロと泳ぎ、少し日に焼けた顔が桃色に染まっていた。

(面白い♪)

 今まで冷静な大人達としか接したことがなかった私には、この幼い反応がとても楽しかった。

 しかも、どこにいても必ず私のそばにいてくれる。それが前世で味わってきた私の孤独感を払拭させてくれると思うとさらに嬉しくなってくる。

「フフッ、ちゃんとついてきてね、テュッテ♪」

「お嬢様~、お待ちください~」

 私は再び駆けだした。何とも情けない言葉が後ろの方から聞こえてくるが、それもまた追いかけっこをしているようで、楽しい。

 私は、どんどん進んでいき、一つの納屋を見つけるとその中へと身をひそめた。

 所謂いわゆるかくれんぼだ。

 前世では全くできなかった行動が、今では普通にできる、許される。それが嬉しくて、支離滅裂な幼い行動に拍車が掛かったのだろう。

「お嬢様、どこですか~、ここは危ないですよ」

 息を切らせて、テュッテが納屋へと入ってくる。私は近づいてきたら脅かしてやろうとたんたんとその時を待った。


 私はこの時、有頂天だった。

 だから、自分が隠れた周辺が無理に積み上げられてバランスが微妙な木箱達だということに気がつかなかった。

 そして、彼女が近づいてくると、私は声を出し、飛びだそうとして木箱の一角にぶつかった。


 ゴシャッ!


 私は何の障害もなく前に飛び出したが、その代わりに木が粉砕する音が鳴り響く。

「危ない! お嬢様ッ!」

「えっ?」

 青ざめていたテュッテの顔がやけにスローに見え、私はそのまま彼女が見ている後方を振り返る。

 私の目の前には自分を包み込むほどの大きさの木箱達が雪崩なだれのように襲ってきていた。

 こんな物をまとも受けたら私は押し潰されてぺしゃんこだ。

(危ない! 止めなきゃッ!)

状況を認識できたのは良かったが、私は逃げるという判断ではなく、止めるというおおよそ見当違いの判断をしてしまった。そして、咄嗟に自分を守ろうと片手をなだれ込んでくる木箱達へ、もう片方の手を自分の顔へと持っていく。

 目をつぶり、衝撃に体を強張らせる私に、何かがぶつかり、そして──

 ゴシャァッ!

 重い木箱が何か硬い壁にでも叩きつけられたように、大きな音を立てて粉砕された音がした。

 何事かと目を開ければ、そこには落ちてくる木箱が何もしていないのに私の目の前で次々と壊れていく光景が繰り広げられていたのだ。

(えっ、どういうこと?)

 あっにとられ、私は状況を確かめるように周りをよく見ると、落ちてきた木箱が私の差し出した手に触れた時、まるで壁にでもぶつかったかのように粉砕されてしまっている。

さらに、木箱の中に入っていた内容物が外に出され、私に降りかかってくるがそれも、私の体に当たると柔らかい物は粉々になり、硬い金属製のものはベコッとひしゃげて跳ね返っていく。

(何? どうなってるの?)

 私はその光景を信じられないといった顔で、ただただ眺めることしかできなかった。だって、痛くないから……。

 あれだけの物が私にぶつかって粉砕されていくのに、私にはじんも痛みが伝わってこない。

まるで、綿毛が私に触れてくるようなそんな感覚だった。

 気づけば、私の目の前には粉々になった木箱や中に入っていた物が散乱しており、私の後ろには何一つ落ちていないという、まさに私が壁になりましたと言わんがごとくの状況が出来上がってしまっていた。

 そして、勢いを失い惰性で緩やかに落ちてきた最後の木箱が見事綺麗に私の差し出していた手にポトッと着地し、私は無意識にそれをそのまましっかり持ち上げてしまった。片手で……。



03 ガン泣きです


 その光景はどう見ても異常だった。

 落ちてくる木箱と中身を跳ね返し、自分を包み込むような大きさの木箱を片手で軽々と持ち上げて突っ立っている少女。

(どういうことなの? 誰か説明して?)

「お、お嬢様……」

 何が起こったのか頭が処理できず、木箱を持ったまま思考停止していた私はテュッテの声で我に返った。

「あっ、これは、えっと」

 私は慌てて持っていた木箱を向こうにぶん投げて、焦りながらもテュッテのほうを振り返り、そして、絶句した。

 私が振り返った瞬間、彼女は一歩下がったのだ。そこに恐怖の表情を刻んで……。


 恐怖。

 これが、他人の拒絶。


 前世では私の境遇に同情し、哀れみや悲しみの表情を向けられたことは何度もあった。だが、決して私と接した人間が私を拒絶したことはなかった。そもそもそんな人間がわざわざ私の病室にまで来ないだろう。今世でもそうだ、今まで私が接してきたのは皆、私を大事にしてくれる家族と使用人達だけだ。

 だから、テュッテが私に向けた今まで見たことのないこの引きつった顔が、私の心臓を握りつぶすように締め付けてくる。

「あの、えっと……」

(何か言わなくちゃ、言い訳しなくちゃ。でも、私だってまさか、あんな重い物を持ち上げられるなんて思いもしなかったもの)

 思考がグチャグチャでうまくまとまらない。

 そうこうしているうちに音を聞きつけた使用人達が納屋へと押し掛けてきて、状況を把握したのか、私に怪我がないか確認し、部屋まで連れて行こうとする。

 私は、大人達に囲まれ、無抵抗のまま部屋へと連れられて行ってしまった。考えることを放棄してしまったのだ。


 あれから数時間が経ち、皆が寝静まった深夜。

 私は部屋の中で一人、ベッドに座ってほうけていた。あれから一歩も外に出ず、引き籠もっている。

 今は誰にも会いたくなかった。特にテュッテには……。

 またあの表情を見せられるかもしれないという恐怖が、私を臆病にさせている。

(私のこと化け物だと思ったよね、絶対嫌われたよ……拒絶されるのがこんなに怖いなんて思いもしなかった)

 天井を眺めながら自虐的に笑ってみせる。

 と、その時、ドアをノックする音がした。

「あの……お嬢様……」

 ドアの向こうからテュッテの声が聞こえてきて、私の心はギュウッと握りつぶされたかのように苦しくなる。

「は、入ってこないで! 一人にしてちょうだいッ!」

 私は慌ててベッドから離れると、ドアの鍵を掛けてしまう。

 自分が何をしているのか理解できる。でも止められない。それ以外に何も考えられない幼い自分がそこにいたのだ。

「……お嬢様の……お怒りは、ごもっともです……」

(え? 怒り?)

 思いもしなかったテュッテの言葉に、私はドアの前で耳を澄ましてしまう。

「私が、あの場合、お嬢様を危険からその身をもってお守りしなくてはいけなかったのに……私は、怖くて、一歩も動けませんでした」

(何を言ってるの? あそこで私をかばったらテュッテが大怪我してしまうでしょ?)

 未だ一般人の思考が拭えない私は、自分が貴族であり、彼女は平民、しかも雇われている身だという絶対的差に気づいていなかった。

「私はッ!」

 声が一度大きくなるテュッテ。

「……私は、お嬢様がお生まれになって、そして、旦那様からこの子の面倒をみるのがお前の役目だと言われたとき、初めて、自分の生きる意味が見えた気がしました。以来、三年……私はお嬢様の役に立つため、いろいろと勉強してきたつもりです……」

 声がどんどん小さくなっていく。

「なのに……肝心なときに足がすくんで……いえッ、自分が可愛くて一歩を踏み出せなかったんです……」

 一時の静寂が二人を支配した。

「お嬢様……このような事を言うのはおこがましいかもしれませんが、どうか、どうか、今一度のチャンスを。私を……お嬢様のお側にいさせてください……お願いいたしま……す」

 最後の方がくぐもっていた。涙をこらえていたのかもしれない。

(私はバカだ。自分のことしか考えていなかった。前世もそうだったが自分が生きることに精一杯で、他人のことを考えていなかった)

 彼女も不安だったのだ。


 あれは、何もできなかった自分に対しての悔いと、私に幻滅されその役目を奪われるのではないかという恐怖からのものだったのだろう。

「お嬢様……どうか……おそばに……」

 今までの恐怖と想いがごちゃまぜになって決壊したのか、テュッテの声が涙でくぐもる。

 三年だ。

 三年もの間、彼女は「私のためだけに」その身を高めてきたのだ。

(今思えば、彼女は私を怖がった? じゃあ、なんで彼女は部屋に来たの? 今、こうして拒絶したのは自分じゃない! 拒絶を怖がって自分が拒絶したんじゃない)

 そう思うと自分の今までの行動が悔しくなってくる。自分の心の何と小さいことか。知らず知らずに涙がこみ上げてきた。

「ごめんね、テュッテ……ごめんね……怖がらせて、ごめんねぇ……」

 気がつくと私は、ドアを開け、目の前にたたずむ少女に対して涙ぐみながら謝っていた。

 下を向き必死に耐えていた彼女は私のどうしようもなく情けない姿を見て、困惑してしまう。


 その夜、自分の部屋の前で「ごめんね」を繰り返し、ビービーと泣く私の声が屋敷中にだまして、大人達を困惑させていった。


 余談ではあるが、私がやらかした木箱粉砕持ち上げ事件はというと……。

「ああ、あれですか。旦那様は五歳で自分より大きな岩を持ち上げたという逸話を聞かされていましたので、さすがその娘ですねと驚きはしましたけど、それが何か?」

 と、笑顔でテュッテに言われました。どうやら、テュッテは一部始終は見ていなかったらしく、最後の木箱を持っていた私だけしか印象にないようだ。あの粉砕されたその他の惨状は私の前に落ちて勝手に壊れたと思っているらしい。まぁ、確かに、綺麗に私の前にだけ散乱していたからね。それにしても、五歳でって……すごいぞ、マイファザー。

(うん、これは遺伝なのだろうか? いや、どうなんだろう? ……だって私、全然鍛えてないよ?)

 私のこの力が何なのか、それが判明するのはもうちょっと後の事になりそうです。