第一章 「交易都市ランクト」


 燃える炎の鎧を着た金髪碧眼の女騎士が、豪奢な外套マントなびかせながらさっそうと馬を駆って俺の前に現れた。

「シレジエの勇者。私の国を侵略しようたって、そうはさせないわよ!」

 その外套マントに描かれているのは、ランクト公国の紋章である緋色の鷹。

 人呼んで『ランクトの戦乙女』、エレオノラ・ランクト・アムマイン。

 ランクト公国のこうであり、お付きの三十人程の盾持ちを率いたいわゆる姫騎士である。

 五千人の傭兵団を率いる俺の前で、エレオノラが腰に差した直刀サーベルの柄を握りしめて怒り狂っている。

「待て、落ち着けエレオノラ! 剣を抜くな。絶対に抜くなよ!」

 軍を率いている二将が睨み合う一触即発の状況。

 ここで剣を抜いたら戦争になる。

 止めろぉぉ! というみんなの願いも虚しく、姫騎士エレオノラはちゅうちょなく直刀サーベルを抜いてしまう。

 多分ここにいる全員が、バカ野郎と思ったに違いない。

 いや、姫騎士だから野郎じゃないけども!

「問答無用! シレジエの勇者わたりワタル。貴方も騎士であれば、正々堂々と勝負しなさい!」

 刀身をギラリと輝かせて、俺に向かい騎馬特攻を仕掛けてくる姫騎士エレオノラ。

 ランクト公国にやってきた段階で、こうなることはわかってたんだよなあと歎息した。

 さて、このじゃじゃ馬姫を一体どう止めるべきか……。


 話は少し前に遡る。

 俺はガラン傭兵団を率いて、ゲルマニア帝国領邦ランクト公国へと向かうことになった。

 目的は、ランクト公国にあるという『試練の白塔』でオリハルコンの剣を手に入れること。

 俺のライバルであるゲルマニア帝国の皇太子フリードや、その守護騎士である鉄壁のヘルマンがオリハルコンの鎧や大盾を持ってることもあって、俺の剣を自認しているルイーズがどうしてもと欲しがったのだ。

 敵との戦力バランスを考えると、オリハルコン装備を欲しがる気持ちはよくわかる。

 休戦状態とはいえゲルマニア帝国の領邦であるランクト公国に入るのはかなりマズいのだが、ライル先生がむしろこれを機会に威力外交をすればいいと言うので、五千人にも及ぶ大傭兵団を率いてこうしてやってきたのだ。

 俺の領地であるアンバザック男爵領から陸路を四日ほど行ったところで、だんだんと街道が大きくなり、石畳まで敷かれている立派な道になった。

 綺麗に石畳で舗装された街道など、シレジエ王国では王都でしか見られないものだ。

 その立派な街道を多くの商人の荷馬車や旅の冒険者などが行き交う活気ある光景は、見ているだけで賑やかな雰囲気になってきた。

「タケル殿、あれが『ゲルマニアの至宝』と謳われる交易都市ランクトです」

「素晴らしい都市ですね……」

 俺は、思わず感嘆のつぶやきを漏らした。

 大きなツルベ川に寄り添うように白い漆喰を塗った防壁が築かれて、その壁の外側にまでびっしりと石造りの建物が軒を連ねている。

 都市の中心部には豪華な城があり、その周りには煉瓦を積み上げた高層ビルのような建物まである。

 王都シレジエなど、交易都市ランクトに比べればど田舎もいいところだ。現代人の俺から見ても、文句なしに大都会と呼べる巨大な都市だった。

 ——ランクトこそ、ユーラ大陸最大の都である。

 そうした噂はまさに偽りなしだった。

 俺を感動させたのは、ただ大きいばかりではない、漆喰の白と煉瓦の赤が織りなすランクトの壮麗さだった。

 まさしく白と赤の都。

「ランクトは十万都市と言われていますが、市民だけで十万人です。非市民の奴隷や流れ者を合わせると、十二、三万人程度が居住してますね」

「これだけ豊かな街が、どうやってできたんですかね」

 先生は眩しそうに手を伸ばして、宝石のように光り輝く都市を眺望しながら「ランクトの栄華を支えているのはしゅううんです」と語る。

 馬車を使って運ぶより船で運ぶほうが、輸送量も多く運賃も安い。

 海路に危険が伴うこの時代では、ユーラ大陸を縦に貫くように流れるツルベ川の舟運こそが最高の交易手段なのだ。

「このツルベ川は、北はトランシュバニア公国の河口から、南はローランド王国まで通じています。しかも、陸路で見ても大都市ランクトは、ゲルマニア帝国とシレジエ王国を結ぶ街道に当たります。ユーラ大陸広しと言えど、これ以上の要衝は存在しません。……欲しいですね」

「えっ?」

 今、最後に欲しいとおっしゃったか。

「いえ、まあできればですが……。交易都市ランクトは、ユーラ大陸すべての富が集積する宝石のような街ですから、垂涎とは、こういう街を言うのでしょうねえ」

 珍しく先生がため息をついて、美しい街を眺めて物欲しげにつぶやいた。

 うーんまあ、覚えとこう。ゲルマニアの、いやユーラ大陸の至宝ともいうべき、壮麗なるランクトの都を結納品として贈れば、先生もプロポーズを受けてくれるかもしれないと。

 さすがに冗談だけどね。

 俺は侵略戦争をする気はない。

 この都市の重要さはわかるから、先生に本気でおねだりされたら考えてしまうかもしれないけど……。

 賑やかな街道に行き交う人を眺めつつ、そんな黙考に耽っていると大傭兵団の最前列で騒ぎが勃発したとの報告が入った。

 大傭兵団を引き連れて敵性国家の大都市に接近しているのだからトラブルぐらいは起こるだろうが、何事かと馬車を降りて先頭まで歩いて行けば、聞き覚えのある可愛らしい声が響いている。

「ついに顔を見せたわね! シレジエの勇者佐渡ワタル」

「エレオノラか……」

 大傭兵団の先頭に立っていたガラン傭兵団長は、金髪碧眼の姫騎士にイチャモンを付けられて困り抜いていた。

 ガランは、黒いくさりかたびらの兜を脱ぐと、スキンヘッドの強面だ。その浅黒い顔には、戦争で受けた古傷が無数にある威風堂々たる歴戦の強者である。

 その五千人の大傭兵団を束ねる将士ガランを前に、エレオノラは一歩も引かない。

 馬上の姫騎士は今にも腰の直刀サーベルで、斬りかからんばかりの剣幕で叫んでいる。

 公姫エレオノラのぼうじゃくじんぶりも、ここまで行くと立派だ。

 まるでとうろうの斧だ。

 やたら猛々しい姫騎士に突っかかられて困惑しているガランに代わり、ライル先生が進み出て和やかに応対する。

「ランクト公がご息女、エレオノラ・ランクト・アムマイン殿とお見受けいたします。なにゆえに、我々の歩みを妨害するかお聞かせ願えますか」

 先生の口調がやけに優しく丁重である。

そういえばランクト公国の領地に入る前に国務卿の正装に着替えていたが、これは立派な外交になるのだから当然といえた。

 お付きの大盾の重装歩兵まで引き連れたエレオノラ嬢には、それがまったく分かっていないのだ。

「シレジエの勇者とそれに与するならず者ども、よくも私の街まで攻めてきてくれたわね、ここで会ったが百年目よ!」

「お言葉ですがエレオノラ公姫殿下、我々は貴女の国を攻めに来たのではなく『試練の白塔』の探索に来たのです。その旨、お父上のランクト公には正式に打診して、こうして領邦通過の許可も頂戴しております」

 ライル先生が書状を差し出すも、突撃バカ姫は読みもしない。

 問答無用とばかりに抜剣し、俺に斬りかかってきたのであった。


 さて、ここで俺も剣を抜いてエレオノラに応戦してしまうと、ガチで国家間の外交問題になりかねない。

 幸いなことに猛り狂って騎馬特攻してきたのはエレオノラだけなので、なんとか避けるかと思っていると——。

 エレオノラに向かって長い鎖の先端に球場のおもりのついた武器が投擲された。

 じんと呼ばれる忍者の隠し武器である。

 いや、ロープでなく鎖を使っているからもうりゅうせいすいと呼んだほうがいいか。

「キャァァアア!」

 分銅の重みで回転して飛ぶ鎖に巻きつかれて、エレオノラは無様に落馬する。

 流星錘を投げたのは、俺が忍術を教えてすっかりくノ一になってるポーラだった。

「よくやったぞポーラ!」

「ご主人様の護衛ですから」

 エレオノラは「なによ、これ!」と巻きついた流星錘を外そうとするが、それはエレオノラ捕獲用に俺が作った特別製だ。

 鎖で出来てるから炎の鎧でも燃えないし、武器というより狩猟用のボーラの巻きつく形状を参考にしてるから、一度絡めばそう簡単には引き剥がせない。

「後は俺がやる」

「シレジエの勇者! あんた決闘って言ってるのに、またこんな卑怯な真似で!」

 馬から転げ落ちたエレオノラであったが、それでも直刀サーベルを取り落とさなかったのは見事である。

 だが、がむしゃらに振り回す直刀サーベルなど当たらない。

 俺は手から光の剣を発生させると、さっさとエレオノラの手から凶器を斬り落とした。

「いまだ、さらに鎖を投げつけろ」

 ポーラ達がぶんぶん振り回す流星錘がさらにエレオノラめがけて投げつけられ、二重三重の鎖でエレオノラの身体に巻きつかせる。

 俺は鎖の端を掴むと、エレオノラを強く縛り上げた。

 いっちょ上がりだ。



「ふう、これでなんとか取り押さえたな」

 エレオノラに不用意に手で触れると、炎の鎧で火傷してしまうのだ。まったく凶暴なじゃじゃ馬にも困ったものである。

「何してるの貴方達、将が敵に囚われたのよ。さっさと私を助けなさい。全軍突撃よ!」

 身動きが取れないと悟ったエレオノラは、今度は配下達に突撃を呼びかける。

 だが、お付きの大盾を持って控えている重装歩兵達は、緊張感に強張った顔で震えている。

 普通の人間なら、喧嘩を売っていい場合と悪い場合ぐらい分かるのだ。

 エレオノラのお付きの重装歩兵隊は、たかだか三十人程度。

 それに比べて、こっちは五千人の傭兵団を有している。もし戦端が開かれたら、エレオノラの配下は一瞬で全滅してしまう。

 そうでなくても、どちらも戦争など望んでない。

「しかし、姫様……そう言われましても」

「しかしもカカシもない。早く助けなさいよ!」

 無理だろ。

 エレオノラは、言ってることが無茶苦茶なのだ。

 まず将のつもりなら、一人で突撃してくるなよ。ツッコミどころが多すぎてツッコミが追いつかない。

 そんなエレオノラに、みんなオロオロとするばかり。ランクト公国に仕える重装歩兵達は、この跳ねっ返りの姫様に誰も逆らえないことがうかがえる。

 宮仕えはかくも辛いものか。


 そこに、駿しゅんにまたがった銀髪の老紳士が駆けつけてくれた。

 おお、覚えているぞ。エレオノラがやらかすと、その度に金貨をくれる人。エレオノラの仕える執事騎士セネシャルカトーさんだ。

 老執事は、颯爽と馬から飛び降りると姫騎士エレオノラを一喝した。

「エレオノラ姫様、何をなさっておられるのか!」

「じ、爺や! 私は、自分の国を守ろうとしてるのよ……」

 さすがの姫騎士も、この銀髪老紳士の威厳には少し弱いらしい。

 甲高い声のトーンが下がった。

「たかがこの数の兵で、何をどう守るというのですか」

「だからシレジエの勇者が攻めてきたって、帝都に通報すれば……」

 それを聞いてカトーさんは、ギリッと眉を顰めると静かな怒りを露わにした。

「姫様は、ここで争いが起きる意味を理解しておられるのか。領民を守るべき領主の娘が、この美しいランクトの街と民を、戦禍に晒されるおつもりか!」

「ぐっ……」

 さすが執事騎士セネシャルカトー!

 みんながこの暴虐で向こう見ずな姫騎士に、言いたくても言えなかったことをキッパリ言ってくれた。

 そこにシビれる、憧れる!

 こっちの傭兵団にも、向こうの重装歩兵隊にも笑顔が戻った。

 カトーさん素敵。

「これ以上ランクト公のご意向に反して事を荒立てるおつもりなら、いかに姫様といえど、このカトーが黙ってはおりませんぞ!」

「わかった、わかったわよ、引けばいいんでしょう……」

 ようやく大人しくなったので身体の鎖を外してやると、姫騎士エレオノラはいかにもふんまんやるかたないという顔で俺を睨みつけてから、すごすごと去っていた。

 重装歩兵隊も嬉しそうにお辞儀して、プンプンと肩を怒らせながら去っていく姫騎士の後に付いて行った。

「シレジエの勇者様。我が国の不躾な姫が、ご迷惑をお掛けいたして申し訳ありません。どうぞこの場はこれで、ご容赦ください」

 さすがは、老騎士カトーである。今回も金貨がたっぷり詰まった袋を、馬の鞍に乗せて用意してあった。

 トラブルは金で解決。

 普通ならどうかと思うが、自分が貰える立場になればまったく話は別だ。

「ささ、僭越ながら私が街までご案内いたします。街での補給はもちろんよろしいのですが、騒ぎだけは起こさぬようにお願いいたしますぞ」

「ああ、もちろんだ。よろしく頼む」

 本来なら、この数の大傭兵団が集団で街に近づくことは、保安上の理由で禁止されている。

 そこをカトーさんは、領主であるランクト公の許可はでていると衛兵にも話を通して、みんなの宿泊先まで手配してくれた。

 まさに、至れり尽くせりの配慮。

 赤い煉瓦の街道を進み、立派な半円型の大門をくぐって、大都市ランクトの中に入る。そこは、お祭りかと思うほどのごった返す人と、豊かな物に溢れている別世界だった。

「これが、交易都市ランクトか……」

 俺たちがカトーさんに街を案内してもらっているのを、遠目から恨めしそうな顔の姫騎士がずっと付いてきて、睨みつけているのが小気味いい。

 姫騎士は、お目付け役の執事騎士が居る限り何もできない。

 さてせっかく大陸でも一二を争う大都市に来たのだ。『試練の白塔』攻略も大事だが、少し街を観光するのもいい。

 流通の拠点であるこの交易都市では、きっと珍しい物産も手に入るはずだ。