第一章 「ゲイルの陰謀」


「ああっ、もうしつこいなーコイツらっ!」

 王都の路地の角を一つ曲がるたびに、物騒な手斧や釘だらけの棍棒を片手に、怒声を上げながら、追いかけてくるならず者が一人増える。

 追手の数は、もう十人を超えてるんじゃないだろうか。

 俺はさらに走る速度を上げると、細い路地に滑りこむように逃げ込み、干してある洗濯物の間をくぐり抜ける。屑入れの木箱を飛び越えるついでに派手に蹴倒して追跡を妨害しながら、走り続けた。

 執拗に追いかけてくる連中は、やはりゲイルの雇ったゴロツキだろうか。狙われているのはなんとなく察しは付いていたから、俺だって用心していたつもりだった。できるだけ一人にはならないようにしていたのだ。

 ただ、生理現象だけはしょうがないと、ほんの一刻トイレに行くために、ライル先生達から離れてしまったのが運の尽きだった。

 こういうとき、集団のなかで俺だけ性別が違うってのがネックなんだよ。

 いまさら愚痴ってもしょうがないけど、なんで俺には男子の護衛がついてないんだろうと、裏路地を駆け抜けながらも悩んでしまう。どうしてこうなった。

 

 ついさっきのことだ。表通りの店でトイレを借りて、さて小便をしようかと思った矢先に、やけに表が静かになったなと気がついたのだ。

 俺が敬愛し、しゅくする剣豪、みやもと武蔵むさしも「小用するときは無防備になるから気をつけろ」と『りんしょ』に書き残している。どうも怪しいなと思い、そっと店の入口を覗きこむと、店はガラの悪そうなチンピラどもに囲まれて、店員さんが剣を突きつけられて黙らされていた。

 俺だって、多少は酷幻想リアルファンタジーで鍛えられた。自慢じゃないが黒飛竜ワイバーンだって一刀のもとに倒した勇者である。治安の悪い王都でウロウロしてる無頼漢ガウナーの一人や二人なら蹴散らしてやろうかとも思ったが、あまりに敵の数が多すぎる。

 一目見て「あっ、これは無理だ」と判断した。しかし店の裏口からそっと撤退したところを、運悪く気付かれてしまったのだからたまらない。当然追いかけてこられてこのザマになったわけだ。

 あとから言っても遅いが、こんなことになるなら無理やりにでも囲みを突破して、表通りに抜ければ良かった。近くにルイーズ達はいたのだから、そこまで切り抜ければなんとでもなったはずだ。敵にすっかり囲まれてからそう後悔しても、あとの祭りだけどさ。

 おそらく、チンピラどもの狙いは最初から俺だったのだ。

 ジワリジワリと包囲網を狭めてくるようなこの追い詰め方は、俺が一人になる機会を、ずっと付け狙っていたとしか思えない。

 たくさんの人が行き交う王都の大通りとはいえ、敵の尾行に気が付かなかったのはかつとしか言えない。

 やはりこいつら、ゲイルの息のかかったものか。

 

 薄汚れた路地を抜けると、路上に座り込んでいた目付きの悪い浮浪者が、胡散臭い顔をこっちに向けると、ニヤッと笑って立ち上がった。

「なんだよ……」

 ボロ布をまとった薄気味悪い風体の浮浪者は、俺の前に立ちはだかると、懐から抜き身のショートソードをスッと出して、「ギェェ!」と鳥が鳴くような叫び声を上げて突きかかってきた。

「お前もかよっ!」

 待ち伏せのつもりか。俺は、突き出された刃物を相手の腕ごと、光の剣で斬り払いながら、その横を素早く駆け抜ける。後ろから盛大な絶叫が聞こえたが、構ってられない。

 敵に囲まれているこの状況で、手加減する余裕なんかない。向こうが殺す気できてるのだから、本気で殺らなきゃ殺られる。

 斬り伏せた男の悲鳴で気がつかれたのか、日雇いの人夫や物乞いなどに扮していた連中が、ワラワラと駆け寄ってくる。全員プロの暗殺者だ。手に隠し持っていた刃物を出して襲い掛かってきた。

「クソッ、こいつらも刺客かよ!」

 地の利は向こうにあるようだ。この手際の良さを見れば、あらかじめ計画的に待ち伏せていたに違いないが、とにかく今は逃げるしかない。

 正面の一人ならなんとか切り抜けられるが、追手の数が多いのは厄介だ。逃げる足を止めれば、すぐにも群がってくる敵に囲まれてしまうだろう。

 王都の裏路地は、奥に行けば行くほど薄汚れてスラム化している。昼間っから路上で酔いつぶれてゴミ溜めにうずくまっているオッサンや、みすぼらしい身なりの子供、そこにいるのはほとんどがただの貧民達だが、その中には厄介な連中も紛れている。

 おいはぎ盗賊シーフ巾着切すり、表通りを歩けぬような目付きの悪い日陰者達がたむろしていて、こちらにけんのんな視線を向けてくる。

 無法地帯と化したスラムに立ち込める、濃厚な犯罪の臭い。その中にゲイルに雇われた刺客が紛れていて、誰が俺を狙っている奴なのか分からない。そこにいる全員が敵に思える。

しょうけつ』事件の影響もあって、王都の治安は地に落ちていた。死体がそこらに転がっている有様で、貧民街で人が一人死んだところで誰も気にしない。追い回して裏路地の奥に誘い込み、闇に葬ろうって魂胆なのだろう。ゲイルのやりそうなことではある。

「さて、どう逃げるか」

 ピンチではあるが、最悪ではない。息を切らして走り続けながらも、まだ俺は冷静だった。逃げ足だけなら、かなり自信がある。

 俺の靴は、酷幻想リアルファンタジーにやってくる前から履いている二万円もする最新式のハイテクシューズなのだ。

 服にはこだわらないが、靴だけ良い物を履くのが俺のポリシーだったことが幸いした。高性能シューズが、スマートでスタイリッシュなのはデザインだけではない。

 滑りやすい石畳の上でも、地面に吸い付くような走りを実現する高性能グリップ、素足よりも快適な履き心地の超軽量ラバー!

 まだゴムが発見されてないこの世界では、現代から持ち込んだブランドシューズはもうそれ自体が立派なアーティファクトと言える。

 某トップエンジニアリング機関の耐久テストをクリアした耐摩耗性ゴムソールが、ゴワゴワの革靴や動きにくい木靴を履いている雑魚に、足で負けるわけがないと信じさせてくれる。

 逃げるだけならどこまででも逃げ切ってやるが、それだけではきりがない。徐々に追い込まれてきている感じもあるし、この局面を切り抜けるには……。

「いざとなれば、上に逃げるか」

 俺は、裏路地の果てにある王都を囲む高いがいへきを見上げた。

 この不毛な鬼ごっこを終わらせるには、連中が絶対に追いつけないところまで、駆け上がってやればいい。

 

 

「ゴホッゴホッ……、待てこの野郎!」「いい加減に、観念しやがれ!」

 セリフが言えてないぞ、三下ども。

 俺を追ってくる刺客達は、みんな肩で息をしている。走りにくい靴を履いてりゃ、そりゃ疲れるさ。

 そのうえ完全に囲まれてしまう前になるべく敵の数を減らそうと、裏路地を駆けまわりながらびしや、かんしゃく玉をばらまいて翻弄してやったのだ。

 ちなみに俺が追手を攻撃するのに使った撒き菱、動く百科事典ライル先生によると、この世界にもカルトロップというほとんど同じ武器があったらしい。まあ、考える人は考えるということなのだろう。

 鉄製の撒き菱は以前は足止めとして効力を発揮したが、騎士がフルプレート装備になり、馬の蹄鉄が金属製になったために、戦場では次第に使われなくなったそうだ。

 しかし、市街地での非正規戦闘では十分に使える。走りやすいように裸足に近い装備しかしていなかったチンピラどもは、足を鋭い棘に突き刺されてあっけなく無力化された。再評価されてもいい武器だ。

 かんしゃく玉のほうも、意外に高い効果がある。踏むたびにチンピラが情けない叫び声を上げて、綺麗にすっ転ぶので面白くなって散々遊んでしまった。

 激しい音と光がでるだけのオモチャの花火が、どうやら異世界の人間には奇妙な魔法に見えるらしい。俺の現代知識チートは、この酷幻想リアルファンタジーに立ち向かう武器となる。アイテムは使いようというものだ。

 そうやって大多数の追手を翻弄して逃げまわり、この分ならそのまま大通りまで逃げ切れると高をくくったところで――

「――ッ!」

 前方に、冷たい殺気が走る。

 俺は走ったまま身をひねって、同時に光の剣を全開に展開させる。殺気に一瞬遅れて、重たい斬撃が、俺の身体を横薙ぎに打ち砕いた。

 そのまま、ぐるっと一回転して地面に滑りこむ。

「ほうっ、今のをかわすか。ルイーズが子守をしなければ、何もできん若造だと思っていたが、勇者と呼ばれるだけのことはあったか」

 どこかで聞き覚えのある声だった。チンピラとは段違いの殺気を放つ敵、気を取り直した俺は、即座に立ち上がって相対する。

 俺に黒光りする大剣を叩きつけて来たのは、黒い髪をオールバックにして顔を鉄仮面で覆った髭面の大男。黒鉄の鎧に、漆黒の外套マント、鉄の仮面で顔を隠しているがその特徴的な出で立ちを隠そうともしていない。

「ゲイル……」

 脇腹に焼けるような痛みを感じた、光の剣で撥ね除けたにもかかわらず、ミスリルの胴着を斬り裂かれて血が滲んでいる。

「……グッ」

 ちゃんとかわしたはずなのに、いつの間に斬られたのか。刃に触れたつもりはない、ほんの皮一枚斬り裂かれた傷口のはずが、意外なほどに強い痛みが走る。のこぎりで切り刻まれたように、内側の肉をゴッソリと削り取られているようだ。

 ゲイルの黒剣には何らかの魔法が付与されているのだろうか。黒飛竜ワイバーンの攻撃にも耐えきったミスリルの装甲を斬り裂くほどの業物とは一体。

 驚愕する俺に、ゲイルは血塗られた大剣を構えながら勝ち誇るように笑い出した。

「ハハハッ、どうだ驚いたか。この剣は少し特別でな、相手の血を啜り肉を喰らうたびに成長するいわくつきの邪剣だ。銘を黒獣剣グレンデルと言う。ミスリルで身を固めた貴様を屠るために、たっぷりと生き血を吸わせてあるから覚悟するのだな」

 大剣を大上段に構えるゲイルに、俺の全身にゾワッと怖気が走った。

 俺は黒飛竜ワイバーン退治の勇者などと持て囃されて、油断していた。光の剣を持ち、ミスリルの胴着を着ているからどこか遊びのような気分でいた。それが身を守る装甲を斬られたことで凍りつくような恐怖を感じた。

 強力な魔法装備を使うのは、俺だけではないということなのだ。生き血を啜るこいつの邪剣は、ミスリルを貫いて俺を殺せる。

「クソッ、これでも喰らえ!」

「フンッ、こんなチンケな花火でよくもやってくれたものだ」

 俺が投げつけたかんしゃく玉を、ゲイルは恐れることなく大きな手を開いて受け止めると、握りしめて爆発させた。この程度のおどしでは、びくともしないわけか。

 翻弄されてバラバラになっていたゲイルの部下たちも、統制を取り戻して次第に集まりつつある。周りは敵だらけ、後ろは高くそびえる石の街壁。

 王都の端まで追い込まれてしまった、袋のネズミ。

「ゲイル、近衛騎士団長自らが白昼堂々と暗殺に来るとか、いいのかよ!」

 俺は時間を稼ぐために、わざと悔しそうに叫んで見せた。

 楽しそうに鉄仮面の下の口元を歪ませるゲイル。集まってきたゲイルの手下は、三十人はいる。

 三十対一は絶体絶命ではあるが、敵の油断を誘う好機とも言える。俺の予想通りゲイルは、剣帯の紐を弄りながら俺に叫び返してきた。

「近衛騎士団長のゲイルだと? それはどこにいるのかな」

 おどけた調子でしらを切るゲイル。鉄仮面をつけていても、ゲイルだと見る人が見れば分かるはずだが。

「バレなきゃ、何をやってもいいってことかよ!」

「王都の裏路地は、俺様の支配下だ。このスラム街で俺様が何をやっても、誰も何も言わんよ。それに、仮にも勇者の力を得た者を殺そうというのだ。俺様自らが出張らなければ、できないことだろうからな」

 不敵な笑みを浮かべるゲイル。やっぱり乗ってきたか、こいつは勝ち誇るのが大好きだから機会は逃さないと思っていた。

「買いかぶってくれたものだな。俺はお前に命を狙われるほどのことをやったかよ」

「今更それか。小癪な若造がチョロチョロと足元を這いずり回ったかと思えば、『魔素の瘴穴』の封印までしてくれたのだ。わたりタケル、貴様は目障りなのだよ。自分のやったことの意味も理解できていない愚か者がほざくな!」

「どういうことだ」

 勇者と褒め称えられることは気恥ずかしいが、少なくとも俺のやったことは非難されるようなことではないはずだ。

「やはり、そんなことも分かっていなかったのか……。貴様が『魔素の瘴穴』を閉じたおかげで、衰えていた門閥貴族どもが力を盛り返してきてしまった。このままではせっかく止まっていた隣国トランシュバニア公国との戦争も、いずれ再開されるだろう。民を救う勇者とは片腹痛い。貴様のやったことは王国に無用な戦乱を広げただけだ」

「貴族の派閥争いなんか知るかよ。そこまで強いならお前にだって『魔素の瘴穴』の封印はできたはずだ。じゃあ、物の分からない俺に教えてくれ。モンスターに苦しむ民を放置して国を裏切るのが、仮にも王都を守る近衛騎士団のやることなのか」

「ハハッ、苦しむ民だと、国を裏切るだと……フハハハッ、いいなそれは!」

 ゲイルは堪えきれぬと言いたげに、笑い出した。

「何が可笑しい」

「青臭い物言いが、いかにも勇者様らしいじゃないか」

「俺は間違ったことは言ってない」

「甘いな貴様は。それで領主が務まるものか。民などいくら死んでも代わりはいるというのが、シレジエの貴族なんだよ」

「ゲイル……」

 それが貴族と言うなら、俺は貴族などに成りたくない。

「フッ、まあ良いわ。冥土の土産は、これぐらいにしておこう。そんな風に薄甘い貴様だから、何も分からず死ぬことになるのだとさえ知っていればいい!」

 やはり、ゲイルは倒すべき敵だ。俺も懐に手をやって、反撃の準備を整えた。

「確かに、俺は甘いのかもしれないが。ゲイル、教えてくれた礼に俺も一つ忠告してやろう。お前は、前口上が長すぎる。獲物を前にした舌なめずりは、三流のやることだ」

 俺の尊敬する軍曹殿の受け売りだが、圧倒的な優位に立っても油断大敵なんだよ。俺の言葉を苦し紛れとでも思ったのだろう。ゲイルは、余裕の笑みを浮かべると黒の大剣を肩に構えた。

「そうか忠告ありがとう。では貴様の望みどおり、すぐに殺らせてもらう!」

 ゲイルは、血に染まった赤黒い大剣グレートソードを掴んでジリッと距離を狭めてくる。その動きは無造作に見えて、まったく隙がない。まさにだれだ。

 鉄仮面の下で鈍く光るゲイルの睨めつけるような視線を受けただけで、周囲の温度が二、三度下がったように感じる。

 直接対峙して初めて分かった。ゲイルは、髭面の粗暴な見た目よりずっと巧みな剣士だ。

 剣の腕前はルイーズと同等か、もしかするとそれ以上。曲がりなりにも身ひとつで近衛騎士団長にまで上り詰めた男というわけか。

 これほどの強い剣圧プレッシャーを持った剣士が、ミスリルをも斬り裂く黒獣剣グレンデルを構えて迫る。こんなのと、まともに斬り合いはできない。

「なんだ佐渡タケル、この期に及んで臆しているのか。さあ、勇者様がたった一人でどう立ち向かうのか見せてくれよ。何なら騎士らしく、最後は俺様と一騎打ちでも構わんぞ」

「誰が……」

「あん?」

「誰が、まともに戦うと言ったっ!」

 俺はコットンに難燃剤を染み込ませた懐の火薬袋から、てきだんを取り出して導火線に『炎球ファイアーボールの杖』で火をつけて投げつけた。

 ジジジジッと、足元に転がる擲弾の導火線が音を立てて燃えるのを見て、ゲイルが吐き捨てるように言った。

「フハハハッ、勇者ご自慢の光の剣でくるかと思えば、また性懲りもなくつまらぬ花火か。お前ら、こんなものに怯むことはない!」

 残念だが、これは違うんだよな。

 俺が前に雑魚モンスター相手に実験した手榴弾は、陶器の中に火薬を詰め込んだほうろくだまだったが、今度は鉄製の容器を採用している改良型だ。もちろん中には、火薬と一緒にタップリと鉄片も埋め込んである。

「大砲や銃とかいう武器ならともかく、こんなオモチャは音と光が出るだけの……」

 原始的な手榴弾でも、しっかりと圧力をかけて詰め込まれた火薬の炸裂はバカにできない。俺の擲弾をゲイルが鋼の具足で踏み潰そうとした瞬間、擲弾が炸裂した。

 爆発とともに、激しく上がる白煙。周りにいた雑兵達も悲鳴を上げて吹き飛ばされているほどだ。直撃を喰らったゲイルは叫ぶ暇もなかった。

 擲弾の激しい衝撃と音は、敵を戦闘不能に陥らせる。さらに、破裂とともに撒き散らされた鉄片が辺り一面に追加のダメージを与えていた。

 それにしても耳鳴りが酷い。鼓膜がやられたかもしれない。歯を食いしばって耐えたが、投げた俺にまでダメージがあった。威力が強大すぎる。調子に乗って火薬を詰め過ぎたかもしれない。大見得を切ったあげく、吹き飛ばされたゲイルの間抜けっぷりを笑っている余裕はなかった。

 今ので倒せていたらいいが、ゲイルの鎧は強化魔法が掛かっているだろうし敵の数も多い。ここはさっさと引くのが賢明か。

 ちょうどいい新兵器の実戦テストができた。擲弾は、実戦でも十分使える兵器だ。材料が黒色火薬のせいか、やたら白煙が出るのもこの状況であれば好都合。むしろ完全な煙幕には、少し足りないぐらいなので足してやろう。

「お前らも消し飛べっ!」

 わざと大声で叫びながら、続けてウエストポーチから取り出した短いてつづづのレバーをカチッと強く握りしめて、囲んでいる敵に投げつけた。

「うあああっ!」「ぎゃあああ!」

 さっきの大爆発を見ているせいか、派手に赤い火花が散る鉄筒が転がっていくと、雑兵達は口々に悲鳴を上げながら凄まじい形相で逃げ惑った。

 なんのダメージもないはずなのに、爆弾を喰らったと勘違いしたのか、激しい火花を見ただけでそのまま倒れて失神してしまった奴もいる。

「なんて、そっちは爆弾じゃないんだけどね」

 続けて投げたのはえんとんの鉄筒であった。レバーを握り締めると、火打石フリントの火花が金属粉を混ぜた火薬に触れて、赤い火花と白煙が撒き散らされる撤退用のアイテムだ。

 二つほど投げつけて辺りを煙に巻くと、俺はバックパックからかぎなわを取り出した。王都の街壁に向かっておもいっきり放り投げる。ロープを手繰り寄せると、カチッと硬い手応え。

「よしっ、フックした」

 王都を囲む壁は、せいぜいが四メートルほどの高さだ。鉤縄を引っ掛ければ、簡単によじ登れる。

 攻城戦を想定して……というより、壁を登れたら忍者みたいでカッコイイという思いつきだけで作っておいた試作品アイテムだが、こんなところで役に立つとは思わなかった。なんでも作ってみるものだ。

 ところどころロープを結んで登りやすくしてあるが、それも必要なかったぐらいだ。俺が履いているハイテクシューズは、石壁にもしっかりとグリップする。

 ひょいひょいと駆け登って、颯爽と街壁の上に降り立つ。

 そしてロープを引っ張り上げてしまえば、もう敵は追ってこられない。

 ヒュッと顔の横を、太矢ボルトがかすめて飛んでいった。

 擲弾の直撃を喰らったというのに、街壁の下で体勢を整えなおしていたゲイルは、煤だらけになった酷い顔で、こっちにクロスボウちこんでくる。

 顔は半ば焼けて、着けていた鉄仮面はどこかに吹き飛んでしまっていた。それなのに、まだ平然と攻撃してくる。

「しぶとい奴だな……」

 クロスボウは、十分な殺傷力があり、厄介な飛び道具と言える。だが、威力が強い代わりに矢が短いので、弾道が不安定な欠点がある。遠距離から、しかも上方に向かって射っても、そう当たるものではない。

「クソッ、降りてこい卑怯者め!」

 街壁の下で、クロスボウを装填しながらゲイルが叫んでいるのが聞こえる。ゲイルの部下たちも数人が飛び道具を持っていたらしく、こっちに太矢ボルトを飛ばしてくる。

「飛び道具を使っておいてどっちが卑怯だよ。こういうのは先手必勝だ!」

 先に襲撃を受けた俺が言うセリフでもないが、ゲイルにも油断があった。

 飛び道具を持ってるなら、俺との直接対決にこだわらず囲んでからさっさと矢でも射っていたほうが良かったのだ。

 黒獣剣グレンデルか何か知らないが、カッコつけすぎで詰めが甘かったのはそっちだったなと思いつつ、火薬袋の中を探る。

 良し、まだ擲弾が残っていた。すぐに導火線に火をつけて、ヒュンヒュンと風を切って飛んでくる太矢ボルトの方角に投げる。

 ドンッと音がして、下が静かになった。白い硝煙が晴れるとクロスボウを構えていた狙撃手が、仰向けに転がっているのが見えた。

 飛び道具を投げ合うなら、街壁の上に陣取った俺が圧倒的に有利。

 これ以上は、犠牲が増えるだけと悟ったのだろう。いつの間にか味方を盾にするように後方に下がっていたゲイルが、「引けっ!」と号令をかけて漆黒の外套マントを翻して去っていった。刺客達も、三々五々と裏路地に消える。

 引き際も鮮やか。統制が取れているところを見ると、こうやって裏路地に誘い込んで邪魔な相手を暗殺するのは、ゲイル達にとって日常茶飯事なのかもしれない。

 こんな無法地帯が首都だっていうんだから、このシレジエ王国も長くないかもしれない。ここまで酷い状況になっているとは……。

 蜘蛛の子を散らすように消えたゲイル達がいた場所を見下ろして嘆息していると、「あのぉ……」と横から声をかけられた。

「うわーっ!」

 今度は街壁の上に伏兵かと思った俺もビックリしたが、相手は俺の絶叫にもっとビックリして腰を抜かしたようだ。

 ゲイルの手の者ではない。くたびれた革鎧を着て槍を取り落としてしまった若い兵士は、どうやら街壁の上を巡回している衛兵だったようだ。

 そりゃ、あれだけ爆発音が聞こえたら衛兵も来るよね。若い兵士は、完全に怯えているようで腰を抜かしたまま震えている。

「あっ、なんか驚かせてしまったみたいで、すみません」

 手を引いて、立ち上がらせてやる。

「いえ……こちらこそすみません。それよりこの惨状は一体何があったんですか」

 さて、どう説明したものやら。

「あの、その前に……ここってトイレはないかな!」

 ホッとしたら、猛烈な尿意に襲われた。そういえば、まだしてなかった。

 

 

 街壁につながる塔でトイレを借りてから、どう説明したものやらと思っていると、若い兵士が、俺のバックパックに付いてる紋章チャージの飾りを目ざとく見つけて、騒ぎ出した。

「これは黒飛竜ワイバーンの紋章! もしや貴方様はシレジエの勇者、佐渡タケル様では!」

「まあ、一応そういう者だけどね……」

 シレジエの勇者と呼ばれている俺が、黒飛竜ワイバーンを一刀のもとに倒して『魔素の瘴穴』封印に成功した逸話は、かなり有名になってきている。

 ちなみに、新任のアンバザック領主となった俺の紋章が飛竜なのは、黒飛竜ワイバーン退治にちなんでというわけでは全然ない。

 特に指定しなかったので、旧アンバザック男爵家の紋章をそのまま使っているだけなのだ。

 例のゾンビ男爵の家は、初代が飛竜退治の英傑だったそうで、キャラが被ってしまったのは単なる偶然である。

 ゾンビになってしまった前の領主を倒して勇者になったという、かなり差し障りのある真実より、黒飛竜ワイバーン退治の勇者のほうが聞こえが良いので、都合の悪い話は黙っているのだ。

 俺がシレジエの勇者だと知って、詰所から壮年の兵士長まで出てきて挨拶され、下にも置かぬもてなしになったのはいいのだが、なんだかくすぐったい気持ちにさせられる。

 しかし、ここまで歓待されたにもかかわらず、俺が「ゲイルに襲われたので返り討ちにした」と説明すると、認めてもらえなかった。

 と、いうか……妙な反応だった。

 兵士長も兵士達も、みんな顔を見合わせて押し黙っている。まだ気絶して転がってるゲイルの手下を捕まえて尋問すれば、証言は得られる。そう言っても兵士は動かない。

 なんというか、お願いだからそのことには触れてくれるなという重たい空気。

「あー、ご主人様、大丈夫ですかっ!」

 重たい空気を払拭する可愛らしい声が聞こえて、後ろからいきなり抱きしめられた。

「シャロンか」

 この声、この背中に当たる程よく柔らかい弾力は、わざわざ確かめなくてもシャロンである。

「ご無事だったんですね。良かった……」

 ようやく落ち着いたシャロンは、身体を離すと俺が生きているのを確かめるかのように、ペタペタと頭から順に身体を撫でさすり始めた。別に構わないから、されるがままにしておくが、その確認は毎回やらないとダメなのか。

 駆け込んできたシャロンに続いて、詰所の前に流れ込んできた銃を構えた奴隷少女銃士隊に、衛兵達が血相を変えた。

 大きな銃を構えて整列する銃士隊は、シフトで入れ替わりもあるが常に一個小隊規模を維持してる。小柄な少女達だが、俺の近衛としての士気も高くモンスターとの実戦経験を積んでいることもあって、その動きは機敏だ。

 武装した少女の一団に囲まれては、詰所の兵士も浮き足立つ。

「大丈夫だ、こいつらは俺の兵隊だから」

 俺が兵士達を安心させるために言うと、後ろから抱きついてくるシャロンが泣きわめいた。

「大丈夫だーじゃありませんよ、ご主人様。危ないことは止めてくださいって、いっつも言ってるじゃないですか。一人じゃ危ないってあれほど言ったのに!」

 シャロンが、背中から一向に離れてくれない。首元に手を回されて、擦り寄せられるシャロンのオレンジ色の髪の毛の感触が、なんかワサワサする。

 兵士達の眼の前で、これは結構恥ずかしいぞ。前かがみになったら今度は背中に乗ってきた。なんだこれ、シャロンなりの罰ゲームのつもりなのか。

 羞恥プレイに近い、濃厚なスキンシップにへきえきしている俺の前に、大きなマスケット銃を肩に乗せた小さいドワーフ娘のロールが、トコトコとやってきた。

「なんだロール、お前もなんかあるのか」

「だめだよーごしゅじんさま、しんぱいかけちゃ」

 わざとらしく指をさしたロールに諭されてしまった。なんか前にも同じパターンがあったような気がする。何のコントな人だよ。



 ロールのしたり顔が可愛らしく、ちょっと面白かったので思わず噴き出してしまったが、これが笑い事では済まなかった。

 この事件から以降、心配性のシャロンの指示で、奴隷少女の護衛がどこまで行っても付きまとうようになり、俺はおちおち一人でトイレに行くこともできなくなってしまった。

 毎度ながら、奴隷に自由を奪われるご主人様という悲惨なパターンであった。

 

 

「タケル殿は、ゲイルに直接襲われたのですね」

「もしかして、先生もゴロツキに襲われたんですか」

 ライル先生は、渋い顔で頷く。

「私達のほうも襲撃がありました。だから、タケル殿を助けに行くのが間に合わなかったのです。必死に捜したのですが、遅くなって申し訳ありません。今回は私の油断でした」

 奴隷少女達の後に続いてやってきたライル先生は、ゲイルに襲われたという俺の話を聞いて渋い顔をしている。今回は本当に危なかった。これはもう、ゲイルと殺るか殺られるかの本格的な抗争になってきたみたいだ。

「いや、不用意に一人になった俺も悪かったんですよ」

 先生は静かに頷いて、麗しい頬に手を当てて深い溜息を吐きつつ、まぶたを閉じる。キスを待っているわけではない、深く考えこむときの先生の癖だ。

 先生の方は、リアもルイーズも奴隷少女銃士隊もいたので、ゴロツキに襲われても簡単に返り討ちにできたらしい。

 しかし、その隙に俺と分断されてしまった。だから、そっちは俺を確実に孤立させるための陽動、時間稼ぎだったのだ。

 先生の油断というより、白昼堂々の襲撃に浮き足立って逃げてしまった俺のミスだった。

 ゴロツキを使って襲わせるのにも部隊を分けてくるとは、気をつけているつもりで俺達はどこかでゲイルのことを甘く見ていたのだろう。

「ところでタケル殿、ゲイル近衛騎士団長に襲われたと話したとき、詰所の兵士達の反応はいかがでしたか」

「……なんか微妙でしたね。信じてもらえないってわけじゃなくて、そのことについては話したくないみたいな」

 俺の話を聞いて、形の良い眉をひそめる先生。

「白昼堂々の襲撃を見ても王都の治安を守る兵士達がそんな反応とは、どうやらゲイルは、すでに王都の軍権を掌握してしまっていると考えたほうがいい。これは大変良くない状況です」

 ライル先生が、そこまで強い口調で言うのは珍しい。

「と、言いますと」

「今のままでは『偽の聖棒ホーリーポール』に残る証拠を使っても、ゲイルを追い落とすのは難しくなった……ということです」

「それは……」

 俺は、思わずリアのほうを見る。

 普段通り明るく振る舞ってはいるが、ゲイルが親代わりでもあった師匠のかたきだと知ってから、少し元気が無い。

 俺はどうしても気になって、黙って俯いているリアのフードを覗きこんだ。

 リアは、今にも泣き出しそうな潤んだ瞳で俺を見つめて、それでも口を噤んだ。

「なんだよ、普段は余計なことばっかり言ってる癖に、リアも思ってることを言え」

「……」

 何も言わずに寂しそうに微笑む彼女を見て、無駄口を叩かないリアは静かでいいなーとは、到底思えなかった。俺は、リアの師匠の仇を討ってやると約束したのだ。それなのにこの体たらくとは。

「今回の襲撃の件を証拠に、ゲイルを糾弾してもダメなんでしょうか」

「それも、私達の証言だけでは、やったやってないの水掛け論になるだけです。とりあえず宿に帰ってから、今後の対策を練り直しましょう」

 こんな場所に長居は無用なので、宿屋に戻ることにした。

 王都の治安が悪いから、俺達だって考えて、立派な石造りのそれなりに高い宿屋を借りてあったのだ。

 にもかかわらず、宿屋に戻ってきたら俺達の部屋が見るも無残に荒らされていた。

 部屋がかき回されただけで、金目の物が奪われているわけではない。ただの物取りではなく、ゲイルの手の者の犯行であることは一目瞭然であった。

 ゲイルの雇った泥棒シーフは、『偽の聖棒ホーリーポール』を探したのだろうが、もちろんこちらだって用心して分かりやすい場所には隠していない。聖棒ホーリーポールは、ゲイルが思いも付かないだろう場所にある。

 しかし、次から次へとゲイルに先手を打たれ続けているのは、問題だった。

「こうやって執拗に探させているところを見れば、ゲイルが国を裏切った証拠となる『偽の聖棒ホーリーポール』は、まだ武器として使えるということでもあります」

 荒らされた部屋の痕跡を調べながら、ライル先生は話を続ける。

「雇われた泥棒シーフを捕まえて、証言させても無理ですか」

「おそらく、トカゲの尻尾切りで終わります。ゲイル自身を裁けないと意味がありません。ゲイルの罪を裁くのは建前上、シレジエ国王の王権、あるいはアーサマ教会の神権ということになりますが……」

 ライル先生がそう言ったところで、リアが肩を震わせる。

「……これは、正義ではなく政治の問題になります。腐りきった国では、そうなってしまうんです」

 ライル先生が、冷たい声でそう吐き捨てた。

「公的にゲイルを裁けないなら、いっそ闇討ちにしてしまえば……」

 王都の治安維持は機能してない。相手が先にやってきたことだから、やり返したっていいはずだ。俺がそう言うのを聞いて、ライル先生は血相を変えて俺の肩を掴む。

「勇者になったからって、あまり自分の力を過信しすぎないでくださいよ。さっきの襲撃だって危なかったのに、上級魔術師がいたらどうなってたと思っているんですか!」

 先生が声を荒らげるのは珍しい。

 確かに単独でまんまと誘い込まれてしまった俺は迂闊だった。ゲイルが連れていたのがただの雑兵だったから助かっただけだ。襲撃の際に強力な魔術師がいたら、魔法への対抗手段を持たない俺は本当に殺されていたかもしれない。

「すみません、つい……」

 叱られて当然だろうと思う、先生の言うことが正しい。俺は『ミスリルの胴着』なんか着て、強い武器を持ったから増長しすぎていた。

「いえ、私もキツく言い過ぎましたけれど、タケル殿一人ではないんですよ。御身は、大事にしてください」

 ライル先生がそう言うと、周りのみんなも一様に頷いた。

「心配をかけてしまってすみません、気を付けます」

おどかすつもりはないんですよ。今後は行動に気を付けてくださいってことです。魔の山の戦いのときに出てきた上級魔術師がまだ生きてるかどうかは分かりませんが、王都で魔法による攻撃を仕掛けてくることはないと考えています」

「というと?」

「王都の魔術師団には、上級の魔術師が二人います。私と同じ中級の魔術師も五人います。強力な攻撃魔法が使われれば、魔術師には分かりますから……」

 魔法の力は、強い分だけ抑止力もある。王都で強力な攻撃魔術を使用したら、魔術師団に招集がかかって抑え込まれることになるそうだ。

 どれほど強大な力の上級魔術師でも、たった一人では王都にいる魔術師全員から対抗魔法ディスペルマジックを受けて封じられてしまう。

 大規模な攻撃魔法が使える上級魔術師の存在は脅威なだけに、その抑止方法も研究されている。だから、戦争にでもならない限り守りの堅い王都で、直接襲われることはないだろうと。

「ふむ、王都はむしろ安全とも言えるんですね」

「そうですね。私が言いたいのは、ゲイルはすでに王都で軍権を握っている上に、こちらが把握できてない後援する勢力バックがいるってことです。それがシレジエ王国に敵対する外国勢力なのか、あるいはもっと別種の組織なのかまでは分かりませんが、ゲイルだけを殺せば良いという短絡的な発想では、足元をすくわれかねません」

「でも、こっちはもう襲撃されてるんだから何か手を打たないと。ゲイルをすぐに倒せないなら、当面どうしますか」

 当然ライル先生ともあろう御仁が無策というわけもなく、俺の質問に嬉しそうな笑いを浮かべた。

 対策は、しっかり考えていたのだ。

「そうですね、とりあえずゲイルを脅迫でもしてみましょうか」

「脅迫ですか?」

 こっちから逆にゲイルを闇討ちしようかとすら思い詰めていたところに、先生のあまりにも意外な提案に、俺は拍子抜けした。

 糾弾でも、暗殺でも、話し合いですらなく、脅すとは……。

「いいですかタケル殿、ゲイルを追い落とせないのは、まだ王都にいる彼を支持する勢力が強すぎるからです」

 ライル先生の説明によると、今の王宮には大きく分けて門閥貴族による保守派と、ゲイルによる改革派の二大派閥があるそうだ。

「悪漢のゲイルが、改革派というとおかしな感じがしますけどね」

「今回の襲撃でも分かるように、ゲイルは自身の栄達のために卑劣なことをしています。でも、ゲイルが低い身分から近衛騎士団長にまで出世したことで、名門の血筋に連なる者しか重用されなかったシレジエの宮廷に、実力主義の風穴を開けたのも事実なんです。それを好ましく思って、従う人も多いということです」

 むしろ、そういう区分けだと名門武家出身のルイーズや上級魔術師の家系であるライル先生は、保守派に属することになる。

「貴族出身者じゃない騎士や兵士から見ると、実力主義のほうが良いからゲイルの味方をしてるってことでしょうか」

「その傾向はありますね。ゲイルの唱える門閥に囚われない能力主義が、間違っているとは言いません。しかし、それも所詮は一部の人間の私欲によるもので、門閥貴族の専横がゲイルの強権政治に成り代わっただけです。現状を良しとはしない改革派は、きっと私達の味方になってくれるはずです」

「それが、ゲイルを脅すって話にどう繋がるんでしょうか」

「ああいう手合いには、話し合いをもちかけるより、脅したほうがいいってことですよ。金が目的だと言ったほうが、油断するでしょう」

 ゲイルが俺達を執拗に付け狙うのは、奴の急所を突くような証拠を握っているからでもある。

 それを使って糾弾するのではなく、まず脅迫する。ゲイルは俺達の他にも政敵が多いから、利害関係が一致すれば、当面こちらへの攻撃の手は止まるだろう。時間を稼いで、その間に政治的にも実力をつけてから、ゲイルを追い落とせばいいと先生は言うのだ。

「つまり、それだと俺は何をやったらいいんでしょう」

 話が政治的なことに及ぶと、複雑すぎて俺は迷ってしまう。

「タケル殿、ゲイルと比べて貴方が優れている面はどこだと思いますか」

「えっ、ゲイルに比べてですか……」

 ちょっと分からない。俺はゲイルと同じ男爵にはなったものの、領主としても新米だしゲイルのように勢力を築いているわけでもない。個人の戦闘力なら勝てると思い込んでいたのだが、ゲイルは勇者の光の剣に匹敵する黒獣剣グレンデルという魔剣を有していた。

 こうなると、どの面で勝負したらいいのか分からない。

「簡単なことですよ。タケル殿は、シレジエの勇者ではありませんか」

「どういうことでしょう」

 その勇者の光の剣でも、ゲイルは討ち果たせないと思えたのだが。

「貴方がゲイルよりも優れている面は、民に愛されていることです。貴方が行なってきたことは、シレジエのどの為政者よりも正しい。それは、私が保証します。貴方は今のまま進んでいけばいいんです。英まいなる領主として男爵領を復興させ、わたりしょうかいをさらに発展させ、義勇軍の戦力をさらに拡充していけばいいではありませんか」

「なるほど」

「国は誰の物でしょう。私は、王でもなく貴族でも官僚でもなくそこに住まう民の物だと考えます。民のしゅうぼうを集めるタケル殿が、改革派の新しい象徴カリスマと成るように、この私がしてみせます! そうすれば、ゲイルは自然と宮廷内でも支持を失い、失脚することでしょう」

 ライル先生は、胸を叩いて保証すると言った。

「そうか、先生がゲイルを倒すだけではダメというのは、そういうことを言いたいのですね」

「タケル殿、大義のないやり方ではゲイルと変わらないじゃないですか。暗殺はいけませんよ。仮にそれでゲイルを殺すことに成功しても、今度はゲイルが抑えていた保守派の反動が起きて、内乱になる恐れだってあります。国内の混乱を機会に、シレジエと敵対する国が攻めてくるかもしれない」

「国の内情は、そんなに酷い状況なんですか」

 名門貴族と呼ばれる連中はよく知らないが、今の王都に新興貴族である俺に近寄ってくるような酔狂な貴族はいなかった。王宮に行って分かったことは、ダナバーン伯爵のような気の良い貴族というのは、珍しい部類だということだ。

「タケル殿、今のシレジエ王国は、根本まで腐って今にも崩れそうな樫の木のようなものですよ。どんなことがきっかけでバランスが崩れるか分からない危険な状態です」

「ゲイルと敵対している派閥は、こっちの味方はしてくれないんですか」

いんじゅんな保守派の大臣や門閥貴族が、こちらの味方になってくれるとは到底思えません。ゲイルの台頭と同じように、タケル殿の成り上がりも快く思わない大貴族は多い。せいぜいが中立、下手をするとゲイルの側に回るか、ゲイルよりも厄介な敵になってしまう可能性もあります」

「王都の惨状を見れば、それはなんとなく分かりますけどね」

 貴族という連中は、その多くが自分の利益しか考えてなくて、小さな派閥にいくつも分かれているのだ。だからそのかんげきを縫って、ゲイルみたいな男が権力を握ってしまえる。

 俺には王都の複雑怪奇な派閥争いまではよく分からないが、よどんだ空気が王都に渦巻いているのは肌で感じる。その息が詰まりそうな暗雲を吹き払わないことには、根本的な解決にはならないのは分かる。

 ライル先生は、ぴっちりと上までボタンを留めた官服の襟元を手で正してから、瞑目して俺に頭を下げた。

「どうか、今少しご辛抱いただいて、私に万事任せて頂きたい。私達王都の官僚にも、心ある者はいます。それは騎士団や兵団も変わりませんよね、ルイーズさん」

 押し黙って直剣サーベルの柄を握りしめていたルイーズは、静かに赤毛を揺らして頷いた。本来なら、ルイーズが真っ先にゲイルをたたっ斬りに行きそうなものだが、騎士団に戻らないかというローグ宰相の誘いも断って、ずっと俺達と一緒にいる。

 ルイーズはルイーズなりに、考えていることがあるのだろう。

「もちろん、俺は先生の言うとおりにしますよ」

「それを聞いて安心しました。現状を言えば、ゲイルの派閥に付きそうな国軍は、近衛騎士団千騎に加えて、第三、第四、第五兵団の三千です。私は、こちら側に付くようゲイルの兵団長に引き抜き工作をかけてみますよ。タケル殿は、新しい領地の地盤を固めつつ義勇兵団を増強してください。こちらにはダナバーン伯爵の後援もあります、パワーバランスさえこちらに傾けば、ゲイルを追い落とす機会は見つかるでしょう」

「政争どころか、戦争するみたいな勢いですね」

「もちろん内乱なんて起こすつもりはありませんけど、実行力の裏付けがなければ、国は動かせないんですよ。全ては、ゲイルを失脚させるためです」

 王都で見た兵士達を思い出すと、先生の言うことはもっともだと思えるのだ。彼らは卑劣な手を使うゲイルが好きなわけでも、正しいと思っているわけでもない。ただゲイルが勝ちそうだから、アイツの味方をするしかないだけだ。

 奴の権力が衰えれば、自然と人心は離れていくだろう。ただ、領地の内政に、軍備の増強に、政治工作、どれだけの時間がかかることか。

「まあやるしかないですね。俺もせっかく領主になったんだから、領地経営を頑張ってみますよ」

「頼もしいです。あとはゲイルのバックにいるらしい、上級魔術師を動かせるほどの勢力が何なのかも、探りを入れておかなければなりませんね。これから色々と忙しくなります」

 先生はそう言って笑った。

 そちらはそれでいいとして、俺が気になるのはリアのことだ。

 俺がもう罪の糾弾なんてどうでもいいから、ゲイルをさっさと殺してしまえばいいなんて考えたのは、リアが一人で思い詰めて、早まった真似をしないか心配だったからだ。

 普段はうざったいほどに明るくて図々しい彼女は、こういうシリアスな話になると、なぜかとても慎み深くなる。

 一人で悩んで、俺の迷惑にならないようになんて考えて、一人で仇討ちに行ったあげく、リアがゲイルに返り討ちにあったら後悔してもしきれない。

「なあ、リア。お前はどう思ってるんだ」

 ベッドに座って黙っているリア。俺は、彼女が目深に被っているフードを外した。

 少しウエーブがかかった美しい金髪があらわになる。普段は顔を見せないとか言っているのに、こうしてやっても何も抵抗しない。

 リアが深刻そうな顔をして黙っていると、不安になる。仇の話だというのに、何も言わないのだから。

「タケル……、私は勇者のシスターですよ。貴方の決定に従うだけです」

 消え入るような声。リアの潤んだ碧い瞳は、まるで深い海の底のようだった。綺麗だが、とても悲しい色に見えた。

「リア、俺はとりあえず先生の策に従って動くが、お前の気持ちは分かっているつもりだ。我慢できなくなったら言えよ、約束は絶対に守る」

「ありがとう、ございます……」

 リアは、静かにフードを被り直して、肩を震わせている。いつの間にか隣に来たルイーズが、優しくリアの肩に手を触れて言った。

「その時は、私も一太刀浴びせさせてもらおう。ゲイルの奴には、煮え湯を飲まされたからな」

 リアは、俯いたままでルイーズにもお礼を言っていた。ローブの膝を濡らした涙は、見なかったことにしておこう。

 さてそうと決まれば、まずライル先生の策通り、ゲイルに脅しをかけるところから始めることにするか。