一章 旅立ちから波乱だけど如何すれば良いのだろう?


 馬車の操作において、先頭車両の御者は楽かというと、全然そんな事は無い。

 バックミラーもサイドミラーも無い世界だ。折を見ては、御者台の端から体を乗り出し、後続の確認をしている。どう考えても、後続の御者の方が楽だと思う。間隔は五十メートル程だろうか。時速十五キロでブレーキも無い世界だ。追突が怖い。様子を見る事が出来るのは後続一台までだろう。

 レイが「スピード上げる」の旗を振る。後ろの幌から首を出して覗くと後続の御者が「了解」と振り、「スピード上げる」の旗を振る。「了解」が見えない場合は再度振るか、異変と認識するらしい。クッションの上でぽよぽよしながら、レイが説明してくれた。

「しかし、クッションですか? これは良い物ですね。毛皮を敷いておりますが、やはりこの歳になりますと寒さは堪えます。本当にありがとうございます」

 この歳という程の歳じゃ無い気がする。でも、もう引退なんだなぁとしみじみ考える。黙っていてもレイが率先して処理してしまうので、もう少し手伝ってあげたいのだが。レイは毛布にくるまり風に吹かれながら真っ直ぐ前を見ている。

 居住スペースに戻って、クッションの代金を立て替えているけどどうすると聞くと、満場一致でパーティー資金での処理が決まった。皆、毛布を被って、クッションの上でぽよぽよしている。この状況で反対を言っても、説得力が無い。

 椅子部分は折り畳み、直接床に座っている。皆はトランプで遊んでいるようだ。私はティアナにチェスの駒の動きとルールを説明している。この世界でも遊んでもらえるかを試してもらっている。

「兵士は補給が充実している状況だと、急襲出来るのね。もし兵士が急いで動いても、他の兵士はそれが見えて対応が出来るという訳ね。しかも兵士は薙ぐ事しか出来ないという事かしら」

 実際、実家でも騎士団を率いていただろうし、その姿を見ていた為か、理解が早い。しかしそういう説明を聞くとアンパサンも意味が分かりやすい。

「兵士も叩き上げで、司令官になれるという訳ね。それに王様が城に入り防御を固めるとは、これ良く出来ているわね」

 感心した顔で、チェス盤を眺める。プロモーションもキャスリングも理解してくれた。チェックとチェックメイトもきちんと説明する。日本でも初めからここまで理解するのは難しいのでティアナの優秀さが分かる。じゃあ、取りあえず一からやってみようかと、試しに一戦してみる。

 馬車独特の横揺れの中、盤の駒がずれるのを修正しながら、駒を動かしていく。

「じゃあ、キングをこっちとキャスリングするね」

「あ……。あぁ、そうね……。キャスリングがあったわね……」

 キャスリングは二手分の動きだ。条件が揃えばこんなに便利なルールは無い。

「じゃあ、ナイトをここに。チェック」

「あっ……。そうね……」

 長考に入る。でも、四手先でチェックメイトだ。チェスに関して個人的には、最後の方は、どれだけツークツワンクの状況を作り、コントロールするかだと考える。将棋なら手駒で盛り返す事も出来るがチェスは型にはまると比較的最後の展開が読みやすい。ティアナがキングを逃がす。

「じゃあ、ルークをここに。クィーンを取るよ。チェック」

 ティアナが暫し考える。だが、諦めたのか首を下げる。

「次の手で、チェックメイトね……。これはルールを覚えるまではちょっと難しいと思っていたけど、実戦を考えればあり得るわね」

「元々軍事演習用の駒で遊んだ物だから。面白い?」

「負けて面白いも無いわ。ふふ。でも、面白いわね、これ。無数の戦術がこんな小さな世界で繰り広げられるなんて」

 ティアナがそう言うと、苦笑から、迫力のある笑みへと変える。

「さあ、次よ。今度こそもう少し食らいつくわ」

 あぁ、この子も負けず嫌いだ。この世界の人間は我慢強く耐えて、最終的に勝つ事を捨てない。負けず嫌いばかりだ。もう一戦して、かなり慣れたようなので、チャットへのルール説明をお願いした。

 御者台の方に向かい、レイに状況を確認する。

「道は順調です。間も無く最初の休憩地です。暫しお寛ぎ下さい」

 先を見るが、そこまで悪くは無い道が続いている。元々この道は、王国と東の隣国が交易の為に共同出資で作ったものだ。馬車一台分の幅程度だが、敷くまでかなりの額になったはずだ。交易自体は、大規模な隊商を組んで行われている。私は直接見た事が無いが、二百人を超える規模の集団で動くとの事だ。食料から戦闘まで全て完結出来る規模で移動する。それでも町の周辺では盗賊の襲撃を受ける事もあるらしい。正直、そんな集団相手に喧嘩を売るという行為が意味不明なのだが、やはり根絶は難しいのだそうだ。そういう思考の人間はやはり一定数いる。

 しばらく、窓を薄く開け、後続に影響が出ないように魔術の訓練をしていると、緩やかにスピードが落ち始めた。

「休憩です。三十分程度ですが、薪は次の休みで補充しますので温まりましょう」

 もう御者は冷え切っているだろう。急いで降りて、荷物から薪を出してくる。小枝中心で、太い薪は使わない。この休憩時間では燃え尽きないので勿体無い。

 薪を組み、火魔術で火を点け、一気に燃え上がらせる。

 後続の馬車組が続々と降りて近づいてくる。皆からカップを預かり、を生み出していく。湯気を立てる白湯を御者達がありがたそうに息を吹きかけながらすする。

「ここまでは順調そうですね?」

 後続含めて皆が、焚火を囲んで談笑している。ペルスに状況を確認すると、予想より若干早い程らしい。

 旧式の馬車と言っても枯れた技術の塊だ。それにサスペンションを搭載して試行回数も稼いでいる。信頼性が高いので、かなりのスピードを出せるようだ。

「このままなら、予定より早めに目的の野営地まで到着出来そうです。林の中ですので獲物も期待出来ます」

 食料を幾ら積んでいても、現地調達は基本だ。それに木々があれば薪も補充、利用出来る。ありがたい話だ。

 ここまでで後続の馬車及び乗員に問題は無い。ノーウェ家臣団謹製の馬車だ。何かあっても修理機材はきちんと搭載している。

「道はかなり整備されていますね。驚きました」

「隊商が使いますので、年次予算が組まれています。また、今回の男爵領の計画でこの辺りは一気に整備されます。隊商も喜ぶでしょう」

 隊商も馬車が中心だ。ロバもどきもいる。こいつに関しては地球のロバより足は遅いがスタミナが尋常じゃ無い。地球のロバよりもまだ距離を稼ぐ。そういうゆったりと確実に距離を稼ぐスタイルで何隊かが往復を繰り返しているらしい。通り道の町、村は商品を買える事と宿泊や消耗品の販売でかなり潤う。

 今、設計している新男爵領の町だと、若干この道からはずれる。だが、それでも立ち寄ってもらえるような町作りを考えなければならない。基本的に空白地帯なので、供給拠点にはなるだろう。だが、しょうがなしに訪問される町なんてごめんだ。商機があるからそこを目指してくるくらいの町を作らなければ。

 そんな事を思いながら、各馬車の馬に飲ませる水を補給していく。水魔術が使える魔術士が恐縮していたが、訓練も含めてなので喜んで対応している。水も常温より温度を高めに設定している。あまり体を冷やし過ぎるのも辛いだろう。

 各馬の調整も終わり、出発となった。

 進みだした馬車の中は相変わらずゲームルームみたいになっている。君達、ゲーム中毒みたいだよ?

 まぁ、最初の頃の娯楽に飢えたがつがつした感じから、純粋にゲームを楽しむ余裕は生まれていた。そりゃあれだけ遊べば余裕も出てくるか。それくらい、ずっと遊んでいる。

「皆、そんなに面白い?」

 そう聞くと、ティアナにチェスを習っているチャットも含めて激しく頷いた。うん、遊戯はこの世界では武器だな。その点でも勝算が出てきた。

「飽きない?」

「え? 飽きるって、何に? 幾らやっても新しい発見があるのに。飽きないよ?」

 リズが真顔で答えてくる。

「超楽しいじゃん。毎回過程も結果も違うし。人によって考え方も違うじゃん? こんなのやった事が無い」

 フィアも楽しそうに答える。そうか、まぁ、楽しそうなら良かった。きっとそれも生活の余裕って奴の一部だ。大切にしないと。

 そう思いながら、窓の隙間から外を覗くとまばらだった木々が少しずつ密集し、林になっていく。この辺りから道沿いに湧き水を元にした小さな川が何本か走っているらしい。極力、橋を造らないように、林を抜ける道にしたとの事だ。

 そんな林を見ながら、土魔術を地面に向けて撃つ。どれだけ最小の規模で敵を無力化するのか。その訓練を延々やっている。

 もしもがあるので、使用量に影響が出ないよう小規模に撃っては休憩をするという繰り返しだ。正直、完全に回復しているかは分からない。

 そんな中、手隙の仲間達と呼び方を少し変えようかと、相談した。基本的に婚約者や配偶者、家族間、親しい友人間では呼び捨てで、他は敬称を付ける。ただ、とっの時に非常に面倒なのだ。どうも聞いていても「ミスター、ミス」に近い扱いだ。敬意を表するのは良いが、他人行儀に過ぎる。これ、ここまで仲間としてまとまったら、必要無い気がする。

「これから荒事があるかもしれないから、さん付けで呼ぶのは辛いかもしれない」

 私が言うと、キョトンとした顔で、皆がこちらを見る。

「ちょっと恥ずかしい気はしますが、ええですよ」

 チャットは肯定派だ。 

「はぁぁ、なるほど。他人行儀だと思っていたわ……。気にしているのは、リーダーだけだと思うわ。仲間になったら家族みたいなものよ?」

 ティアナもそう言う。

 もう少し早めに教えて欲しいと思いながらロットの方を向くと……。

「そういう方針なのかと思いました」

 の一言だ。

「という訳で、今後は他人行儀は無しで」

 とあっさり決まった。ちなみにロッサは慣れるまで今の口調になるようだ。

 敬称問題はこれで解決だ。

 そんな一幕がありながら、林が徐々に深くなるのを見ながら暇を潰していると、レイから鋭い声で呼ばれた。

「失礼します。男爵様」

 御者台に駆け寄る。

「どうした?」

「複数の人間が、三キロ程先で密集しています。かなり前から『警戒』範囲に入っておりましたが、動きが無いためお呼びしました」

 えぇぇぇ。『警戒』の範囲って3・00を超えるとキロ単位なの? どれだけ広いんだよ。三キロより前に察知しているという事はもっと広いという事だ。怖い。本職の斥候怖い。少なくとも不意打ちは出来ない。

「隊商の可能性は?」

「小規模の隊商が休んでいる可能性は考えましたが、王国側では無いです。ここ最近の出入りは追っています。また、集団の手前に道に沿って転々と反応があります」

「射手と見ているのか?」

「はい。その場合は……」

「盗賊……か、こちらに危害を加えようと考えている相手か」

 そう言いながら「スピード落とせ」の合図を送らせて馬車の速度を落とす。待ち伏せなら振り切るのは難しいだろう。それに車止めでも仕掛けられていたら事だ。

「取りあえず、対象を敵性と判断する。明確にこの判断が解除されない限り、排除の方針を貫く」

 そう告げて、十分に速度が落ちた段階で「止まれ」の指示をレイに出させる。はぁぁ。アレクトアが言っていた「成すべき時は成せ」か……。気が重い。取りあえず、まずは皆を集めて対策会議だな。面倒な話だ、全く。

 ペルスを筆頭に、現状の説明を行う。特に偽装兵の十人は真剣に聞いている。

「レイ、規模はどの程度だろう?」

「射手合わせて、三十人です」

 そう言った瞬間、調査団側はかなり渋い顔をする。正直、私もそうだ。どんな相手かも分からない集団がこちらの戦闘要員の倍近くいる。

「相手が敵性以外の可能性は?」

「大きな獲物を待ち伏せている可能性はありますが、この辺りでは全く可能性はありません。目的は不明ですが、この道を通る対象に危害を加えるという意思は明確です」

 レイが気負いもせず答える。軍人の敵に対しての判断だ。しかも斥候職。まず間違いは無いのだろう。敵確定か……。

「陣形は?」

「射手が十メートル程度の間隔で左右に一人ずつで四人です。奥側に十三人が林の左右に分かれています。距離に関しては、もう少し近付けば、はっきりします」

 あぁ、典型的な待ち伏せだな。先制で矢を射って混乱している状況で、奥の集団が出て来て挟み撃ちだ。まぁ、こちらに高性能レーダーがあるとは思うまい。正直この人、人類単位で見ても圧倒的な『警戒』だろう。

「迂回は出来ないかな?」

 ペルスに問う。

「この状況では、馬車が林を抜けるのは難しいです。切り開けば可能ですが、どの程度の時間がかかるかは分かりません。下手したら、野営を含めて数日かかる可能性もあります」

 斧なんて、偽装兵の内一人のバトルアックスぐらいしかない。正直、木を切る物じゃ無い。それを使ってもどれだけ木を切れるか分からない。このままだと、林を抜けないと方向転換も出来ない。大きい馬車というのも、不便な時は不便だ。それに夜陰にまぎれて襲撃を受けるなんて、考えたくもない。

「射手の位置は分かる?」

「かなり道に近いです。射手と断定するならば、射線が確保出来るぎりぎりに潜んでいるのでしょう」

 うーん……。先程の休憩の時テストをしていたが、水魔術の出現ポイントのぎりぎりが百メートル弱だ。弓の射程の中だ。先制される可能性はある。ただ、当たらない可能性の方が高い。そこまでだと曲射になるし、射線が確保出来ないのと、そもそも尋常じゃ無い技量が必要だ。そんな人材、軍が諸手を挙げて欲しがる。盗賊に堕ちる意味が無い。いや、人として壊れている場合は分からないか……。

 どうしても射手は潰したい。後方の集団にも紛れているかもしれないが、目に見える射手は潰すべきだ。白兵戦は魔術でどうとでもなる。遠距離からの攻撃は万が一にも外れる場合がある。『隠身』で姿をいんぺいして、ぎりぎりまで接近して射手だけ潰すか……。

 そこで気付く。先程から潰すと考えていたが、何をもって潰すというのか? 殺すのか? 人間を? そう気付いた瞬間、猛烈な吐き気が襲って来た……。人を殺すのか……。

「ヒロ、大丈夫?」

 どうも、顔色が悪いのに気付かれたらしい。

「大丈夫。ちょっと考え事していただけ」

 そう、リズが、仲間が、ビジネスパートナーの命がかかっている。半端な事は出来ない。よく物語などで童貞を切るって簡単に言うけど、そんな生易しい物じゃ無いな……。

 被害を最小限に抑えるならば盾持ちで隊を組んで、先行する。その間にレイと一緒に射手を私が殺すか……。

 でも、レイをこんな事に使うのは契約違反だ。御者は戦闘要員じゃない。給料にも含まれない。偽善? 契約を神聖不可侵として豚や組織にだって喧嘩を売った。その私が契約を裏切れるか。

 となると、馬車である程度まで接近して、ロットと私で射手を殺す。その後、盾持ちと合流し、残りを相手にするしかないか……。盾で致命的な部分さえ守ってくれれば、神術で治すのは可能だ。

 まずは、この作戦を皆に伝えてみた。

「それでは、一人目の際に気付かれます。二方向から一気に攻めるべきです」

 ロッサが必死な顔で手を挙げて言ってくる。

「その場合は、逆方向は誰に任せるべきか……」

 私が不安を胸にしながら、言葉に紡いでみる。

「あたしが出ます!!

 被り気味にロッサが答える。未成年者に人を殺させる? そう思った瞬間、自己嫌悪で改めて吐き気が込み上がって来た。青い顔に気付いたのか、ロッサが必死な顔で言ってくる。

「あたしもパーティーの一員です。あたしも出来ます。人は殺した事は無いですが、皆が怪我したり……死んだりするのは嫌です」

 真剣な表情で叫ぶ。がぁ……。くそが……。子供だぞ? 俺でも、考えただけでも吐き気を催す行為を子供にやらせるのか?

「リーダー」

 ティアナが肩を掴んでくる。

貴方あなたが何を考えているのか、分からなくは無いわ。でもね、この仕事では、何時か、誰もが通らないといけない道なの。早いか遅いかよ? 貴方一人で全てを背負える訳が無いわ。仲間にも背負わせなさい」

 真剣な表情で、目を貫いてくる。それを見た瞬間、色々諦めた。価値観の違う世界。「成すべき時は成せ」か……。畜生。腹くくったんだろ? 童貞くらいさっさと切れ。男だろうが、俺。

「ごめんね、ティアナ。嫌な役をさせちゃった。ロッサ」

「はい」

「きっと後悔する。一生の傷になるかもしれない。それでも、仲間達の為に、お願い出来るかな?」

「リーダーは幸せな未来を考えてくれると言ってくれました。その為には、その道が血にまみれていようが、前に進むと決めました。だからリーダー。導きでは無く、指示を」

 あぁ、この子の方がきちんと本質を理解している。私なんて、ただの頭でっかちな人間だ。ちょっと困難があればすぐに弱気になる。この子との話も依存症相手のカウンセラー気分だったのかもしれない。

 でも、もう、仲間って、家族って決めた。だから。

「作戦を伝える。まず前方の四人の想定射手に対して私及びロット班、ロッサ単独班により、せんめつする。一旦その時点で二班は後退。盾部隊と合流の後、残りの二十六人の殲滅を行う」

 そう言った瞬間、全員が一斉に頷いた。

「一切の遠慮呵責は無しだ。全ての責任は私が負う。知らない他者の命より、自分の、仲間の、命を優先しろ。これはお願いじゃない。命令だ」

「はい!!

 全員が唱和する。

「じゃあ、始めよう。この優しい世界で愚かな行為を働く者達にてっついを。私達を獲物と見る奴らの喉笛を噛み千切れ!!

 その声と共に、今回の戦闘要員が駆け足で用意を始める。皆、真剣な面持ちで必死に用意をしている。そんな中、私は一人ぽつんと立っている。少しだけの切なさと、大きな気持ち悪さ。そして、これを実行しようとしている馬鹿達への激しい怒り。

 そう、私は決めた。守るべきものを守ると。だから、知らない誰かさん。君達が私達に危害を加えると画策するのであれば、死んでもらう。そう、私がそう決めたのだから。


 結局、戦闘に参加するのはリズ、フィア、ドル、それに偽装兵五人。そこに私とロットとロッサ。計十一人。四人を先制で処理しても、二倍強の相手か。悪手だな。

「盾部隊は弓の射程外で一旦進軍を停止。私とロッサが処理次第、合流する。その後は私が指揮を執る」

 地面に簡易な現況図を描き、部隊を表す石を動かしながらそう伝えると、円陣を組んだ戦闘要員の皆が頷く。

「ロッサ、作戦開始の合図は風魔術でこんな感じに合図を出すから。それを感じたら、二人を倒して欲しい」

 実際にロッサの右肩に軽い風の塊を当てる。怪我はしないが自然の風とは明らかに違う。合図にはなるだろう。射手への急襲は、右側を私達、左側をロッサが担当する。

 戦闘装備のまま、馬車に乗り込み、車止めを警戒しながら、ゆっくりした速度で進み始める。

「レイ。御者という立場で申し訳無いけど、部隊の直後で待機してもらえるかな? もし何かがあった場合、伝令として退避を皆に伝えて欲しい」

かしこまりました。雇用契約に関しては、あまり厳密にお気遣いなさらないように。引退した身ですし、御者の身ですが、降りかかる火の粉は払っても良いと公爵閣下、子爵様よりもお話を頂いております」

 あぁ、やはりロスティーとも関係があったか。まぁ、今は私の部下だ。気にしない。それに気にするなと言われても、私の性分だし、契約は何物にも代えがたい程に大切だ。

「分かった。だが、戦闘に参加する必要は無い。もしもの際の伝令に徹して欲しい。私にとって、大事な部下なのだから。命を大切に」

「勿体無いお言葉です。分かりました。もしもの際は後続を率いて逃走を補助します。ご武運を」

 深々と頭を下げるレイの肩を軽く叩く。引退した人間も使わなければならない状況に、自分の不甲斐無さを感じる。もっと力が必要だ。

 予定した場所に馬車が到着したので、順次停車していく。今回参加する部隊がまとまる。

「さて、本番だ。ロッサ、無理はしないこと。自分の身が優先だ。処理次第すぐに撤退を。無理なら手を出さず下がって報告。大丈夫?」

「分かりました。無理はしません。もしもの際は、即座に盾部隊に接触、報告します」

 ロッサがキリっとした顔で答える。若干、緊張の色も見える。無理も無い。初めて人を殺すかもしれないのだ。

「先程も言ったけど、全ての責任は私が負う。君が人を殺したとしても、それは私の指示の所為せいだ。全てを私になすり付ければ良い」

 そう言いながら、ぽんぽんと頭を叩く。一瞬ぽかんとした顔の後に、花咲く微笑みを浮かべる。

「はい。頑張ります」

 ロッサが力強く頷く。

 盾部隊はじりじりと前進。私が戻らない場合、万が一でも本体とは接触しないよう厳命した。レイの『警戒』で本体が近付くようなら、後退するようにも指示を出した。

 私とロット、ロッサが急ぎ、前方の射手の視界外辺りまで走り、林に潜り込む。ロットの『警戒』と私の『警戒』でお互いの位置を調整しながら『隠身』を全開で前進する。

 私達が若干先行する形で進む。ロッサにも『警戒』でこちらの状況を把握しながら進むように指示している。

「こちらの四人が『警戒』で確認出来ました。等間隔で配置されています。本隊はそれなりに奥です。大声を上げられた場合は気付かれますが、殺害による木からの落下の場合は微妙なところです」

 ロットの報告を聞き、二人目が問題だなと改めて思う。相手が緩んでいるなんて思い上がりはしない。熟練の兵士相手だと思う事にする。

 相手の視界ぎりぎり辺りから『隠身』だけでは無く、進み方にも気を付け、音が出ないように進む。気付かれない限界とみた場所で、一旦停止。ロットの指摘で射手を特定した。小汚い男が弓を片手に木の上でぼけっとこちらを向いて座っている。ロッサも止まった。用意はここまでだ。

 視界に微かに映るロッサにシミュレーターで風の塊をぶつける。と同時に、男の肘と膝、そして声帯辺りを小さく爆散させる。同時に衝撃で男が木から落下する。声帯辺りは太い血管が多い。状況によっては即死だろう。くそっ、気持ち悪い。

 ロッサも射ったのか、前方に走り出す。こちらも音を気にせず全速で次の位置取りに向かう。同じような男がもう一人、樹上で待機していた。若干不審そうな顔をしてきょろきょろしているのは、先程の男の落下音が聞こえたからだろう。こちらも同じく肘、膝、声帯を狙って爆散させる。同じように衝撃で木から落ちた。これで一旦、ミッションコンプリートだ。

 ロッサの方は弓を射る手間があったのか、若干時間を置いて後方に駆け出す。私達も、盾部隊に向かって林の中を駆け出す。後続に合流し、ロッサの状況を聞いた。

「首元を狙いましたが、絶命していません。両者うめき声は上げていましたが、痛みで大きな声は出せないでしょう」

 隠密作戦はここまでか。盾部隊に向き合う。

「ここからはぶつかり合いの可能性が高い。射手、魔術士に関しては、私が確認する。いなければ白兵戦だ。諸君の奮闘を期待する」

 そう言って隊列を組み、盾を前面に押し出し前進を始める。弓を射られた場合、致命傷だけは避ける為の構えだ。リズ、ドル、フィアが先頭、その背後から左右斜めに五人の偽装兵が守る。私はドルの真後ろ、ロットとロッサはその後ろ。少し下がってレイが配置されている。

 歩き始めてしばらくすると、前方の木々の合間から、ばらばらと統率されない、軽装というのも烏滸おこがましい、ほぼ革鎧だけの男の集団が現れる。練度が低いな。数を数えて二十六人が隊列とも言えない集団を作る。レイに目を向けると合図が送られてきた。これで全員だ。

 集団の中から比較的ましな革鎧を着けた男が前に出て叫ぶ。

「ひゃっはぁ。その人数で勝てると思ってんのか!? 馬鹿じゃねえの。ははははは。金と、食い物、女を置いていけば見逃してやる。あぁ、ババアはいらねえぞ? その場で叩っ斬るからな」

 人数差に優勢を感じているのか、下劣な男が下劣な言葉を吐く。出てくる時に確認したが、弓を持った人間はいない。ホバーで一旦前に出て、術式制御のはんちゅうに全員を収めるが、魔術士もいない。すぐに戻って、隊列の正面に立つ。

「弓無ーし、魔術無ーし」

 そう背後に叫ぶ。

「貴様等、貴族相手に盗賊行為か? このまま縛に就けば命までは取らない。これはお願いじゃない。命令だ」

「馬鹿じゃねえか? この人数相手に何、寝言抜かしてやがる? あぁ、女いるじゃねぇか。さっさとこっちに寄越せ。お前は後でバラバラにしてやるよ」

 侮蔑の表情で、半笑いを浮かべながら男が叫ぶ。


 あぁ、リズの事か。


 頭の中のどこかで微かに何かが切れる音がした。戦術? この愚かな兵士未満の集団にか? こんな者の為に、ロッサに一生物の傷を負わせるところだった。延々沸き上がっていた怒りが、ピークに達した。



 目の前の男を含めて、有視界の男達の肘と膝が小さく爆散する。悲鳴を上げながら、倒れ込む男達。視界が開けた先から、順に同じく爆散させていく。作業と一緒だ。心は冷たく沈み込み、ただ、この作業を繰り返す。全員が倒れ伏すのに、左程の時間は必要無かった。

「レイを残し、全員馬車に戻れ。その際、先程の四人は確保、捕縛し後退せよ。該当の四人を除く担当者以外は装備を解いて良い。一切こちら側を向くな。厳命だ」

 後ろの皆にそう叫ぶ。戸惑いながらも、徐々に速度を上げて、皆が馬車に戻っていく。

「すまないレイ。少し醜い物を見せるかもしれない」

「お気遣い無く、男爵様。戦時では日常茶飯事でございます。存分になさいませ」

 そう話しながら、注意し、集団に近づく。痛みにもがきながら、悲鳴と罵声を上げる集団。先程の喋っていた下劣な男を、集団から遠ざけるように蹴り出していく。

「おい、芋虫。お前の仲間はこれだけか?」

 凍り付いたように硬い声でそう聞く。

「がぁぁぁぁぁ。てめぇ、殺す。ぶっ殺してやるぅぅぅぅ」

 男が何を考えているのか、喚き散らす。その瞬間男のすねの辺りが、小さく爆散する。悲鳴が新たに大きく響く。

「おい。言葉は分かるか? 私は仲間がまだいるのかと聞いた。話せ。さもなくば全身を潰す」

 脛の部分を神術で治す。肉までを爆散させた程度だ。全く苦にもならない。

「あぁぁぁぁぁ、殺す、殺す」

 男は喚くのをめない。再度同じ個所を爆散させる。

「舌を噛もうが、答えない限り、治し続ける。苦痛は永劫に続くぞ? 言葉は通じるか? 話す気はあるか? 話すまでは続けるぞ」

 そう言いながら、傷を治す。

「がぁぁぁ……。すんません……すんません……もう、勘弁して下さい」

 流石さすがに状況を理解したのか、謝ってくる。


 もう一度、脛を爆散させる。


「ひぃぃぃぃやぁぁぁぁぁぁぁ」

「芋虫。お前は今までそう言った相手をどれほど殺して来た? その言葉を簡単に信じられると思うか? ちゃんと考えて答えろ。仲間はいるのか?」

 そう、先程倒れた集団に近付いた際に、『認識』先生が一般的なスキルと共にスキル『殺人』と言っていた。内容に関しては、分からない。今は知りたくも無い。ただ、スキルが生える条件を考えれば、ろくなスキルじゃないだろう。それも、集団の半数以上に生えている。そういう意味で、この馬鹿共は全く信用出来ないし、こちらも油断する気は無い。再び脛を癒す。

「仲間は、これで全員です」

 痛みに顔を歪めながら、懇願の顔で答えてくる。


 再度、脛を爆散させる。


「なんで!? 答えた!! 答えたのに」

 脛を治す。

「もう一度問う。他に仲間はいるか?」

「いません。本当です。このまま続けても、他に答えようが無いです」

 あぁ、やっと折れたか。一旦はある程度、信用出来る情報が引き出せると仮定して、話を聞いていった。

 今回の襲撃に関しては、調査団の噂が町で広まった段階で計画された物らしい。出ていくのは、護衛のいない二台の馬車。村には七等級もおらず、八等級もそこまでいない。その上で、向こうの仲間が、私達が護衛として乗った馬車一台が付いたらしいと、報告してきた。

 規模的に護衛がいても最大十二人程度。数で潰せると踏んだらしい。こちらは四頭引きとは言え馬車を引いている。本気で走らせた荷物無しの馬には速度で敵わない。しかも休憩無しで報告しているので、先回りもされる。ちなみに、盗賊団としては独立しており、仲間はいないらしい。三十人の集団を食わせるのだ。それ以上の規模だと無理だし、目立つ。そういう意味では妥当な回答だ。後顧の憂いが無いのはありがたかった。

 しかし聞いていて、頭が痛くなってきた。そんなに貴族ってめられているのか? それとも、こいつ等が馬鹿なのか?レイに確認してもらうと、周囲に三十頭ほどの馬がいるらしい。

 馬車まで戻り、仲間と調査団の人に賊の捕縛の指示と馬の回収をお願いした。その際に、射手に関して三人は無事、一人は危険な状態だったので傷を癒し、再度肘と膝を壊す。治して壊す事に矛盾と悲哀を感じながら、無表情に実行する。

 結局、童貞は切れなかった。

 皆の作業が終わるまで、座り込んで、ぼーっと考え込んでいた。ロッサの事、私の事、今後の事。ふと、背中からふわっと抱きしめられる。

「あまり、考え込んでも意味無いよ? ティアナも言っていたけど、何時かは通る道なんだから」

 リズだ。

「うん。分かっているけど、やっぱりね。出来れば手は汚して欲しくないとは考えちゃうよ」

「ヒロはそうやってすぐに全部自分で背負おうとする。何回も言ったよね? 私も、皆も、一緒に背負うよ」

「まぁ、それ以降も色々やっちゃったから」

 拷問まがいの事も頭から離れない。

「それもヒロが必要だって思ったからやったんだよね? 皆の事を考えてやった事なら、考えても仕方無いよ」

 そう言うと、ぎゅっと抱きしめてくれる。あぁ、少しだけ冷えて固まった心が解されるのが分かる。守ると決めても、この体たらくか……。日本人のメンタリティの弱さに呆れそうになる。でも、少なくとも、今回仲間を使えた。それだけは正しかったはずだ。

 全員を捕縛し、馬も集めたペルスにこういう場合の対処を聞いてみる。

「一般的には殺します。襲撃という事は私達が証言に立ちますので、罪にもなりません」

「村まで護送した場合はどうですか?」

「そのまま町まで移され、縛り首です。余罪の確認はしますが、今回の件ですでに死罪は確定です」

 現行犯で自白もしている。情状酌量の余地も無い。商業を司る神が商人を塩の柱に変えた話は聞いたが、あれも明確な商業上のルール違反だからだ。この世界、ルール違反が見つかった場合には苛烈だ。しかも、この世界もご多分に漏れず、刑の執行は娯楽なのだ。辛く耐えながら生きている民にとって、奪い、犯し、殺す行為はべつの対象だ。それが死刑になるのだ。うっぷんを晴らすにはしょうがないのだろう。個人的にはそんな物の為に生かしたつもりは無かったのだが。

「今からであれば、村まで、馬に乗せて今日中に帰還出来ますか?」

「夜も大分遅くなりますが、可能です。その場合もしもを考えて偽装兵から三人を出す必要があります。そのまま馬は回収し、後から追いかける流れですね」

「今日の野営地で待つ形ですか?」

「そうなります」

 うわぁ、いきなり予定が狂う。もう、本当に、殺したい。でも、殺せない。葛藤で頭を掻きむしりたくなった。でも、しょうがない。

「罪人は馬に括りつけて、まとめて移送。護衛は調査団から適性者を三人出せ。水に関しては途中の川で飲ませろ。村で調整可能な状況で引き継ぎ次第、今回の馬を徴収し帰還せよ」

「分かりました」

 調査団の皆が唱和する。罪人の所持品に関しては、討った人間が基本的に回収する権利を有する。基本で適用出来ない物もあるが。人とか国家に属する物品とかだ。うーん。余計な荷物が増えそうだ。戻ってくる時の馬とか。はぁぁ。色々迷ったが、この選択でいく。そう決めて、皆で問題点を洗いながら指示を出していった。

 結局、三人の内一人は水魔術を使える人間が同行する事になった。川に寄ると時間が余計にかかるとの事だ。盗賊達は損傷はそのままで、ロープで拘束し、馬に縛りつけられていく。ロープに関しては盗賊の持ち物から流用した。

 盗賊が保管していた食料と金品に関しては、荷物にはいのうがあったので背負わせている。村での滞在中の食料と迷惑料として持って行ってもらう。正直、金品に関しては雀の涙だ。よくこんな状況で盗賊をやっていられるなと思ったが、こういう状況だから盗賊なのかとも思った。貴族だろうが獲物を狩らないと、このままだとジリ貧だったのだろうなとは感じた。

「では、行ってまいります」

 結局、長距離を馬で進むという事で、体力のある男性が中心で構成された。

 抵抗や反乱に関しては、気にしていない。肘と膝が動かせないし、ロープで腕と手足も縛っている。大小便は馬が可哀想だが、垂れ流しだ。馬の誘導にどうしても人手がいるので護衛は三人だ。盗賊の世話はしない。水さえきちんと飲んでおけば死なない。

 馬の集団が走り出し、徐々に偽装兵の誘導と追い込みで速度を上げていく。取りあえずは一旦この件は私の手から離れた。一切の処遇に関しては、ノーウェの手柄にするという形でペルスとも話はついている。本人は何故、私が手柄を誇らないのか納得いかない顔をしていたが、この程度で誇れない。

 今になって思うと、あの程度なら皆に戦ってもらって訓練代わりにする事も出来た。終わったから言える事だろうが。しかし、それでもあんなものの為に、誰かが怪我するのは我慢出来なかった。

 あの後、仲間、調査団問わず、喝采を浴びた。自分の感情を制御出来なかった結果を褒め称えられる事がどれだけ苦痛か。顔では喜んでいたが、心の中で泣いた。

 ただ、集団に対しての一騎打ちはやはりこの世界でも誉れではあるらしい。また、指揮個体戦の時のように三十人の盗賊を一人で倒した者みたいなあおりで歌われるのはごめんだと思った。

 興奮さめやらぬ馬車の中で発車を待っている。御者達が目的地と時間の調整を行っていた。野営一日と考えていたので距離を稼いで若干不便な土地でもと考えていたが、明日まで待つとしたらもう少し手前の便利な開けた場所に変更するそうだ。

 御者達の相談が終わったのか、レイが馬車に向かってくる。

「川に程近い、野営地で有名な場所があります。本日はそこで休みます」

 御者台から馬車の中を覗き込みながら、レイが伝えてくる。

「地理は分かりませんので、任せます。お願いします」

 そう答えると、馬車を発車させる。スピードに乗ってくると、皆の雰囲気もほっとした物に変わる。しかし、今回の件はレイがいて助かった。ロットだともっとぎりぎりでの発見だった。

 集団を処理した後、道の先を確認したが、数本の丸太が転がされていた。やはり車止めを想定されていた。あのまま突っ切った場合は、良くて横転、悪ければ大破だ。ドルがごろごろと転がして道の横に寄せてくれた。切りたての生木の為、薪にも出来ない。なんと迷惑な。まぁ、思い出してみると問題が少ない対処の仕方だったのだろう。そこだけは間違い無いと思いたい。出発したという事で、仲間達はめいめいゲームで遊び始めた。

 ロッサが余ったのか順番待ちだったので、少し話をしようかと呼んでみる。

「今回は助かったよ。だが結果的に死人が出なかったから良いけど、ロッサがもしも殺していたらと思うと心配したよ」

 そう言うと、ロッサがキョトンとした顔で答える。

「今まで、ゴブリンを何匹も殺してきました。それが人であっても大差は無いです。今回射った時も、特に何も感じませんでした」

 物凄く普通の顔で、あっけらかんと言われた。あぁ、私のこの感情は日本の教育や慣習で作られた物なんだって、嫌って程認識した。頭を撫でてあげると喜んだ顔をしたので、よしよしとしておいた。

「分かった。これからもよろしくね」

 そう言うと、こくんと頷き、ゲームの輪に戻っていった。未成年者の方がよっぽどしっかりしているな……。そう思いながら、馬車の外に向かって苦笑を浮かべる。リズに見つからないように。

 その後は特に問題無く、馬車は進む。外を覗くと、偶に動物が走っているのを見かけたりする。林と言っても自然が豊かだ。大型の草食動物も生息していた。これなら、今日の晩はそれほど頑張らなくても獲物は捕れそうだ。そう思っていると、ゆっくりと馬車が、スピードを緩めていく。

「昼食の予定地です。先程の件で遅れましたが、大休憩に入ります」

 あぁ、言われてみると、お腹が空いていた。時計では十三時を半ばも過ぎた辺りだ。あの騒ぎも都合一時間強程度の話だったのか。そのままスピードを緩めながら、林の中の開けた場所に沿って馬車が緩やかに止まっていく。林の中には何ケ所か、こういう手が入った開けた場所が作られている。

 ここならば、大きめの馬車でも方向転換が可能だし、馬車同士も簡単にすれ違える。これが無い時は、大きな馬車同士だと、下位の片方が林側に突っ込むルールだ。民と貴族なら、民。貴族なら爵位順となる。同位の場合が面倒臭い。双方の話し合いになるのだが、基本譲らない。譲っても当事者間だけの話なのでどうでも良いのだが、こういう所は気位が高い。特に、仲が悪いとか、派閥争いの相手の場合は最悪だ。刃傷は原則禁止なのでそこまで行かないが、部下同士の取っ組み合いの喧嘩になる場合もある。正直、下の人間は堪った物じゃ無いだろう。私もどうでも良いと考えている。ただ、後続の馬車には子爵の紋章が描かれているので、この集団は子爵準拠で行動する。

 本当ならカビアの仕事なのだが、もし前方から馬車が来た場合はレイに確認してもらう事にした。色々な軍を回っている際に、紛争に巻き込まれる事もある。そういう時に目に見える敵味方、潜在的な敵味方を理解する必要がある。故に派閥間の確執と有力貴族の紋章、略式紋章をレイは覚えたらしい。

 そんな益体も無い事を考えている間に、完全に停車した。レイが車止めを車輪に噛ませて、恒例の馬可愛がりを始める。私も水生み当番だ。他の皆にもそれぞれ、採取、薪拾いをお願いしている。リズとロッサは狩り担当だ。昼なので重くないのを希望しておいた。また、ロッサが鹿を持ってぷるぷるしていたら、心臓に悪い。

 程無くして、皆がちょいちょいと帰ってくる。薪を組み、焚火の準備を始める。調査団側で食事も一緒に作ると言って来てくれたが、野営の訓練もあるので断った。まぁ、保存食料のバランスもある。あっちは食料の積載が多目なので、狩り、採取は控えめのようだ。

 調査団と同じ場所で複数の焚火が点く。鍋吊りの準備は完了している。後は何を狩ってくるのかだが……。そう思っていると、二人が一緒に帰って来た。何か、大量のウズラもどきを抱えている。群れか? 群れでもいたのか? というか、ウズラって群れたっけ?

 血抜きは済んでいるようで、布の上で次々と毛を毟っては捌いていく。その内、水鳥でも狩って来たら羽枕でも作ろうかしら。

 大きな骨は除いてくれている。まな板で細かい骨ごと粗微塵に刻み、すり鉢でミンチにしていく。あぁ、この世界に来た時は石ですり潰したなと少し前の事を思い出し、感慨にふける。ミンチ作業を仲間に任せ、大きな骨を熱湯に投入する。粗めに灰汁あくを掬い、蓋をする。野草は結構色々な種類を採って来てくれた。長いもも見つけたのか掘り出してくれている。長いもは皮を剥き、小さめのサイコロ状にする。馬車の食料から人参を取り出し、これも小さめのサイコロ状にする。後は採って来た野草の葉物をざく切りにする。香草は香りを確かめて、細かく刻んだ。後は出汁なので、様子見と灰汁取りを仲間に任せて、十二頭の馬の水を生みにいく。

 しかし、この馬達なのだが、賢い。兎に角、順番は守るし、いう事を素直に聞く。タブーを破ると後ろ脚キックだが、自業自得だ。もう、超可愛い。撫でても嬉しそうに顔をり寄せてきたりと、人懐っこい。他の馬が水を一生懸命飲んでいる横で、自分も欲しいなという目をしながらじっとこちらを見ているのを見ると心が痛い。まぁ、自分が世話をしないのに、可愛い所だけを味わっているようで気が引けるが。

 正直、どの御者の人も、マッサージ地獄中だ。水をやり、餌をやり、マッサージをしての繰り返しを延々こなしている。やっぱりその道のプロには頭が上がらないなと思ってしまった。

 そんな感じでやっていると、鍋の方から良い香りがしてきた。調査団側はさっさと食事は終わらせて、休憩中だ。

 鍋を開けると、若干白濁したスープが出来ている。ガラを丁寧に取り除く。これにミンチと長いも、人参、香草を混ぜたものを団子にして投入していく。中まで火が通る前に強火にして、葉物を投入する。一瞬温度が下がったスープも強火で一気に沸き上がる。葉物に熱が通り、鮮やかな色になった段階で準備完了だ。残った香草を投入し、香りをあげさせる。味見をして、塩しょうで最後の調整をする。最後に小麦粉を溶いた物を入れてとろみを付ける。ここで肉団子の芯まで火が通った計算だ。

 カップを受け取り、次々と注いでいく。肉団子たっぷりの鳥スープだ。野菜もどっさり具沢山だ。

「予想外の事もありましたが、何とか無事切り抜けられました。このまま野営地までいける事を祈りましょう。では、食べましょう」

 カップのスープを啜ろうとするが、冷えた唇が火傷やけどする程熱い。ふーふーと冷ましながら少しずつ啜る。まずは最後に投入した香草の香りが口に広がり、ウズラの出汁がじわじわと出てくる。それがとろみの中でいつまでも舌の上を踊り続ける。団子を頬張ると、噛んだ瞬間柔らかく解けて、中の肉汁を口いっぱいに開放する。上顎の皮が火傷して剥けそうに熱いが、美味うまい。

「これ、村の近くでも歩いてる丸っこいのだよね? え? こんなに美味おいしいの? マジで? ちょ、これ、今度捕まえる。うわー、悔しいー。今まで見逃してたー」

 フィアが叫びながら、スープの肉団子を食べていく。

「優しいお味やけど、しっかりとお肉の味もすんのやね……。噛んだ瞬間はふわっとしてんのに、その後、肉の味わいが広がって驚きました」

 チャットが幸せそうな顔で頬張る。

「貴方、本当に仕事何なのよ? 普通に料理人やりなさいよ」

 憎まれ口のティアナもにこにこと団子を頬張る。

「美味しいです……。あの鳥は、自分でも焼いて食べますが、いつもパサパサして美味しくなかったです……。本当はこんなに美味しいんですね」

 ロッサが満面の笑みで頬袋を作りながら、食べている。その頬袋は火傷の危険性がある気がする。

「男爵様……。いえ、食事の準備などなさらずというつもりでしたが……。食べてしまっては何も言えません。美味しゅうございます。あたたこうございます」

 レイも何か、しみじみと食べていた。体冷えてるから、余計にとろみが効きそうだ。

 リズが珍しく何も言わず肩に頭を乗せてきた。美味しかったのかな?

 次々と欠食児にスープを注いでいく。無くなる頃には、皆、両手を背後の地面について、空を見上げながらほっと息を吐いていた。そりゃ、あれだけ肉を入れたんだから、お腹もいっぱいになる。まぁ、自業自得だと思うが良い。

 そんな感じで、晩秋の林の午後は過ぎていった。