一章 初めて町を訪れるけど如何すればいいのだろう?


 すれば良いのだろう? 決まっている。取り敢えず、何も考えず、帰りの馬車を探し回る。

 町の観光? 挨拶回り? そんなの知らない。リズ、リズ、リズだ。最低限の食料調達だけ済ませ、最終の馬車に飛び乗った。

 二日間、延々焦っている私を見て、周りはさぞ奇異に思っただろう。村に着いたのは、かなり暗くなってからだった。

 馬車を飛び降りた私は、とにかく急いで家に駆ける。扉を強く叩き、おずおずと怪訝な顔で出てきたリズを見た瞬間、感情が爆発した。

「リズ、リズ、リズ、ごめん、リズ……」

 もう、何を言って良いのかも分からない。抱きしめて延々謝りながら、リズの名前を連呼するしかなかった。

「何があったかは分からないけど……。よしよし」

 リズはゆっくりと抱きしめ返してくれて、落ち着くまで背中を擦ってくれた。少し落ち着き、家の中を覗くと、アストとティーシアが共に驚いた表情で固まっていた。まぁ、大のおっさんが、家の前で泣き出すなど珍事だろう。

「少し、リズを裏切った事がありました。その自責の念です。もう吹っ切りましたし、同じ過ちは犯しません」

 そう伝え、家の食卓に着く。食事はもう始まっていた。ティーシアが慌てて料理を用意しようとする。だが、帰りの際に保存食を全然食べていないので、そちらを食べる事にした。正直食べる余裕すら無く焦燥していた。町に向かってからの二日間の様子を聞きながら、温かい雰囲気に焦りを溶かし、談笑にふける。

 話が落ち着いた辺りで、ノーウェに言われた男爵の件を話題に出す。

「子爵様と話をしました。結論としては、男爵となり、新規の町を立ち上げる事を希望されています」

 取り敢えず、三人は絶句した。無理もない。私も未だに信じ切れていないのだから。

「リズが望むなら、この話を受けたいと考えています。お許し願えますか?」

 真剣な表情で、アストの方を見る。本人も、予想しなかった話に戸惑っていたが、娘の苦労も考えているのだろう。普通に考えれば、新規の町の立ち上げなど重責、重労働だ。そこに娘が責任者の隣でのほほんと座っているだけというのは有り得ない。男爵夫人として、やらなければならない事は沢山ある。猟師とも農家とも、村のどの仕事とも違う重責だ。

 アストが苦り切った顔で、悩みに悩んだ末に、苦渋の表情を浮かべ声を絞り出した。

「リズの人生は、リズの人生だ。ただ、出来る限り守ってはやってくれ」

 娘を嫁に出す親の気持ちを本当の意味では分からない。結婚こそ一度はしたが、子供はいなかったからだ。この苦悩をいつか知る事になると、そう思った。

「私は決めているよ? ヒロと一緒に歩くって。だって、猟師をいつまでも続けられないでしょ? 旦那様が貴族でした。ただ、それだけだよ」

 リズが、あっけらかんと言い放つ。空気が少し、緩む。

「そうか……。そうだな……。そうだ……」

 アストが後は無言のまま、噛みしめる様な顔で黙り込んだ。あの時の選択を考えれば、私が何かを言える事では無い。それでも二人で幸せな人生を送れるように、一緒に歩いていける様に努力します。それだけは心の中で誓った。

 食事を終え、さっさと身を清める。正直、町の宿で泊まるつもりだったので着た切りスズメだ。もう体中が気持ち悪い。ティーシアが用意してくれようとしていたが、お湯の準備は遠慮し、自分の水魔術でお湯を出し、タライを満たす。移動の際、焦りを忘れるために一心不乱、水魔術の訓練をしていたのだが。やっとタライ程度にお風呂並みの温度のお湯を満たすところまでは習熟した。無駄な薪代を節約出来る事に、喜びを感じる。

 洗濯まで済ませ、ベッドの用意を調えていると、リズが部屋に訪れた。

「驚いたわよ。急に帰って来るし、男爵とか言い出すし。何があったのかと思ったわ」

「ごめん。ちょっと訳は詳しく言えないけど、リズを裏切った。まずはそこを謝りたくて急いで帰って来た」

「ふーん……。反省してる?」

「反省しています。もうリズだけが幸せならとか考えません」

「ばか……。まだ、そんな事言っている。あの時、私が言った事、まるっきり理解していない!!

「はい、その通りです……」

 後は延々叱られた。まぁ、当然だろう。でも、こうやって叱って貰えるだけありがたい。もう二度と失わない様に努力しないと。

「それで、子爵様への返事はいつまでにしなくちゃいけないの?」

「年末から国の予算編成だね。そのひと月前には返事しないと口が出せなくなる」

「という事は、ひと月半程度しか無いわよ……」

「うん……」

 そう、こちらに来たのが九月中旬辺り、ゴブリンの対応やその後の処理で現在十月中旬となる。

「どうするの?」

「男爵になるのが決まっていれば、返事だけでまずは大丈夫」

「それ以外は?」

「子爵と言うか、まぁ子爵が寄親よりおやになるんだけど、その上の公爵にもアプローチしたいかな?」

「知り合いなの?」

「そうではないけど……。予算編成の際の味方は増やしたいから。明日は休みだったよね? ちょっと準備する」

「準備?」

「内緒。言ったら面白くない」

 リズが憮然とした顔をしていたが、ベッドにころんと横になる。

「お父さんはああ言っていたけど、ヒロの事は信用しているわよ?」

 そう言われても、娘の苦労を考えると親も冷静ではいられないだろうな。

「それに私は、一緒に生きて、一緒に歩んでいくの。幸せはその先にしかない。覚悟してよね?」

 それを聞いて、やっぱり女って強いと、悩んでいた自分が恥ずかしくなった。

 久々の布団にくるまり、隣に温かさを感じる。あの時の焦燥感を思い出し、どれだけ大事になっていたのか改めて思う。

 安心したのか、旅の疲れか、横になると、すぐに睡魔がやって来た。

 ぼーっと窓の外の音を聞きながら、あぁ虫の音が大きくなっている。もう冬か。色々考えないと。そう思った。


 夜が明けて、ベッドから抜け出す。本日は、私が町で一泊する事を前提に、完全休業だ。

 食事が終わると、リズはかなりしぶっていたが、アストと一緒に狩りに出た。頑張れ。フィアはロットを連れ回しているらしい。流石、肉食系。ただ、それがメンバー間の友情に結びつくのか愛情に結びつくのかは知らない。それは神のみぞ知る。いかんいかん、婚姻を司る神辺りから、何かが来そうだ。

『ちっ……』

 ほら、舌打ちみたいな思考が降りてきた。舌打ちだけだと、どの神様かは分からない。

 という訳で、予定の無い私は大工の所に向かう。目的としては公爵への挨拶を早めにして、地盤固めをしたい。将を射んと欲すればず馬を射よでは無いけど、予算の決定権は国王が持っているし、寄親の子爵だけではちょっと弱い気もする。公爵なら侯爵と並んで最大勢力だ。多数派工作も出来るだろう。ポンプの利権は子爵の手柄にするという事で話を進め、こっちは別の手段を講じないと。

「いらっしゃいませ。本日のご用件は?」

 木工屋に来るのは初めてだ。壮年の男性が出迎えてくれる。

「すみません。ちょっと新しい玩具を考えているんですが」

 そう言いながら、紙を差し出す。紙に関してはギルドから安く卸してもらった。羊皮紙は高いのと、ペン先が引っかかる。まぁ、紙の質もそこまで良くないので、引っかかるのだが。

「塗料はあると聞いていますので、指定色に塗り分けて下さい。この線の部分は墨塗りで大丈夫です。あ、この丸いのの円周はマスよりちょっと小さめで。大きさは揃えて下さい。後、この丸いのを半分ずつ入れられるケースもお願いします」

 何かというと、リバーシだ。どうもこの世界、遊戯関係はとことん弱い。チェスでもあるかなと思ったが、軍事演習用のコマ程度までだった。それも自軍と魔物みたいな、超単純なのしかなかった。チェス、将棋、トランプ、色々考えたが、定番だけあって、開発の手間がとことん少ない。それにちょっと一工夫を入れれば贈答用になるかなと。後、チェスは対人戦がほぼ演習しかないので、楽しみが伝わるか、疑問だ。駒を彫る人を探すのも大変だし。

「んー。この丸いのは厚みも揃えますか?」

「はい。一枚板を上下で塗り分けて型で抜く方が早いと考えます」

「そうなると鍛冶屋とも相談ですね。時間は長めに見ておいて下さい」

「どの程度ですか?」

「鍛冶屋次第ですが、一週間ですね」

「価格は?」

「んー。鍛冶屋の機材次第ですね。ざっと二万はかからないとは思います」

「では、今後も依頼しますので、一旦二万をお支払いしておきます。余りは次回の発注の際に引いて下さい」

「分かりました」

 その後、仕様について詳細を決め、木の切れ端を加工して完成イメージを固める。双方が納得いった頃には、そこそこの時間が経っていた。別れを告げ、鍛冶屋に行こうかと思ったが、疲れたのと昼も近いので、休憩を挟んで昼を食べて、鍛冶屋かなと考えた。

 ぼけーっと、木陰にもたれかかり座りながら考え事をする。

 色々と先は考えているが、取り敢えずは地球への帰還に関してだ。自由に出来ると言われているが、だからと言って戻ってもする事が無い。何故かと言うと、私も若い頃に異世界に飛んだ場合にどうするんだろうと、色々知識を得ようとした頃がある。

 これが不毛なのだ。

 例えば、今喫緊きっきんに欲しいのは石鹸せっけんだ。学校の理科の実験でも作った事があるので、開発は容易だろう。そう考える。その時に使ったのが、油とせいソーダだ。この苛性ソーダが曲者なのだ。苛性ソーダは水酸化ナトリウムだ。じゃあ、水酸化ナトリウムの抽出ってどうすれば良いのか?

 一番簡単なのは、海水と純水の電気分解なのだ。機材も海も無い。無理だ。大体、この辺りで検索サイトも図書館も知識の経路がストップする。苛性ソーダを使わない石鹸作りとか見て、目を輝かせると、市販の無添加石鹸を崩してとか書いてあって凹む。他にも重曹やこめぬかを使うパターンもあったが、結局材料を揃えるのが難しい。材料の持ち込みも考えたが、数量の限定もあるし、量産も出来ない。一足飛びには出来ないのだ。

 で、古代石鹸の作り方にシフトする。正直、南の森を探索すればオリーブは見つかるかもしれない。綿の生産をしている村から種をもらい綿めんじつを作るのも良い。それに木のを混ぜていけば、その内出来る可能性はある。ただ、その生産コストが物凄いかかる。植物油のコストはとんでもない。よっぽど領主生活が成功しない限り、難しい。かと言って動物脂がベースだと、においがある。本当の知識チートなんて、金が有り余っているか化学系の知識がある人間しか無理だ。

 取り敢えず、機会を見て、イノシシの脂をもらって試してみるかと思いながら、立ち上がった。お昼は軽く済ませ、鍛冶屋に向かう。挨拶を交わし早速手押しポンプの状況を確認する。

「木型で稼働実験をしたが、吸い上げは確認出来た。研究員も納得いっていた」

 おお、正直現状では期待していなかったが、実験も成功か。

「後は、手作業で青銅製のを作ってみる段階だな。まぁ、先は見えた。もう少しだ」

 頼もしいお言葉が出る。

「研究員側は何か言っていましたか?」

「いや。この発想が出来るなら、他にもあるだろうって言ってやがったから、完成させてから言えくそがって答えてやった」

 いつものガハハ笑いが続く。いや良い性格をしている。

「後、お願いがあるんですが」

 公爵の略式紋章の焼き印を一センチ角で、後は数字の焼き印を五ミリ角で揃えてもらう。

「それは構わんが、公爵様の略式紋章なんて何に使う? 下手したら、国に睨まれるぞ?」

「あぁ、そこはご心配無く。公爵様への贈答品に押したいだけで、設計と機材ごとお渡しします」

 ざくっと事情を説明し、大工との連携も頼む。

「んじゃ、道中何も無かったですが念の為確認お願いします」

 槍を二本渡す。何故二本かというと、指揮個体戦の際に使った槍が結局見つからなかったのだ。しょうがなく、代わりのを買おうと思ったが、改造分の時間がかかる。三日もグレイブもどきは辛いので、二本買って、交互に改造してもらった。今は予備として持っているが、正直邪魔だ。どっちかは置いておきたい。

「んあ? どれどれ……。あー。いじってないなら大丈夫だ。刃も問題無い。そのまま持ってけ」

「ありがとうございます」

 刃の状態とバランスの狂いを見て、返してくれる。

「まぁ、ほとんど新品だから問題ぇが、巻き革傷んだら持って来いよ」

 いつも通り、細かい確認もしてくれる。

 別れの挨拶をして、鍛冶屋を出る。中途半端な時間が残った。リズがいればデートでもするのだが、狩りに出ていてはしょうがない。時間を潰す娯楽も無い。

 しょうがないので、修行でもするかと、北の森側の開けた空き地に向かう。まずは槍かと、延々素振りと、牽制の訓練をする。流石に腕の筋肉がついてきたのか、『剛力』の影響があるのか、振り回される機会は減った。ただ、持久力とお腹の脂肪は相変わらずだ。ちょこっと下を覗き、視線を上げる。凹む前に訓練、訓練。

 一時間強を使い、息も絶え絶えになりながら小休止を入れる。流石に持久力は一朝一夕にはつかないな。と、お腹の脂肪との差にげんなりした。しかし、本当に腹回りが変わらない。これだけ食生活も改善し運動も増やしたのにとお腹をつつくと、奥の方に筋肉を感じた。やばい、やっぱりお相撲さんみたいになってる!?

 戦々恐々としながら、休憩を止め、魔術の訓練に移行する。

 風に関しては、正直成長が鈍化し過ぎて、何をすれば習熟度が上がるのか謎だ。過剰帰還ぎりぎりで撃ってなんとか上がる感じだ。もう、最大値を放って規模を拡大するしかないのかと、辟易とはした。水に関しては、より高い温度で同量を発生するだけで、現状は上がる。出現場所等、座標を気にしながら、射程範囲を確認していく。

『術式制御』はじりじりと何を使ってもまだ上がる。現状で歩測二十メートルをちょっと超えたかなくらいだ。さいな差だが、それが致命的になる瞬間もある。射程の延長と把握は生命線だ。

 過剰帰還が出始めるまで繰り返していると、夕方も暮れて良い時間となった。さぁ、家へ帰ろう。いつの間にか、何のちゅうちょも無く家って思ってたなと、皆の顔を思い浮かべながら、少し幸せな気分に浸った。

 家に戻って、ティーシアに帰宅の挨拶をする。まだ、早かったのか、食事の用意も始まっていなかった。帰りしなに買ってきた薪を降ろしながら、ティーシアにお願いをする。

「イノシシの脂身や、内臓の一部をもらう事は出来ますか?」

 当惑した顔で返答された。

「その辺りは処分するから、余っているわ。昨日大物が捕れたの。処分がまだだから使っていいわよ。でも何に使うの?」

「ムクロジの実の代わりに使える物を作ってみようかと。後、身を清める時にも使えます」

「ふーん。面白そうね。手伝える事はあるかしら?」

「料理前でお手隙ならば手伝って頂けますか? 脂身と大腸を細かく刻んで下さい」

「あら? 料理みたいね」

「油を取ります」

 先程ぼけーと考えていた石鹸だが、試してみないと始まらないなと。明日からは一週間の森生活だ。その間乾燥させればどうなるかの実験もしたい。家計に迷惑をかける訳にもいかないので、薪も自分で買ってきた。ティーシアは納屋から処分する予定の脂身を持ってきて、手際良く刻み始める。流石主婦。

「あ、油を取った後は煮物に入れても美味しいので。今日は汁物作ります?」

「野菜のスープの予定よ」

「じゃあ、そこに入れましょう」

 関西人には油かすで有名だろう。牛や馬、豚の油を取った後の残った身を乾燥させる保存食だ。作られた経緯や過去を考えると色々な問題が出てくるが、今となっては食材として認められている。なるべく血合いが無い、純粋な脂身の部分と良く洗った腸が材料だ。血合いは確実に臭いの原因になるので、極力排除だ。中々ティーシアと料理する機会も無く、何やかやと話をしながら、作業を進めていく。

 少し大きな鍋に、呼び水として少しの水を沸騰させ、材料を投入する。外では並行して、大工からもらったかしの端材を高温で焼いていく。確かアルカリを強めるには樫材の灰汁が適していると聞いた事がある。鍋の中では、水分が蒸発し、揚げ物をしているかのような香りが漂い始めていた。

「美味しそうな香りね」

「生まれた地域では、よく食べられている物でした」

 ここまで進めば、焦げ付かないように調整するだけだ。ティーシアには今日の晩ご飯の準備に取り掛かってもらう。外で焼いている樫材も規模が小さいので、すぐに真っ白な灰になっていた。その灰を買ってきた小さなタライに移し、水でかくはん

 油の方も、身から抜け、カラカラと音を上げながら香ばしい香りを出している。途中は身に含まれる水分が爆発し、バンバン鳴っていたがもう大人しくなってきた。油の温度が落ち着くまで待ち、布で油をす。身の方の油が落ち切るまでしばし待つ。余った薪はティーシアにご進呈だ。恐縮はされたが持ちつ持たれつ。人間関係はこういう小さな積み重ねが大切だろう。

 ほぼ、落ちる油も無くなった所で、少し取り出し軽く塩をふりかけ、味見してもらう。

「まぁ、香ばしい……。それにさくさくした食感が気持ちいいわね。このままでも美味しいけど……」

「スープや煮物に入れると、柔らかく変化します。食べごたえも出ますし、この香ばしさと油のコクが出て、味に深みが出ますよ」

 故郷の兵庫県の南の方では、かすうどんの愛称で、よくうどん屋さんにも置いてあった。くにゅくにゅした食感が気持ちいい感じだった。実際は保存食なので乾燥の工程が入るが、それはその内に。将来的にアスト家の副収入になってくれればとの思いもある。ティーシアはスープに入れて煮立たせ、味を確かめているが評価は上々のようだ。

 油の温度も下がってきたので、木の灰から作った灰汁の上澄みを用意する。小さめのかめに油を流し込み、攪拌しながら、徐々に灰汁を投入していく。分量は過去の実験の際に様子を見て覚えていたので、ゆっくりと適量を計りながら投入する。徐々にマイルドに乳化されたような雰囲気になっていった。灰色のどろりとした液体だ。アルカリ性が強くないと駄目なのと水分は後で飛ばすのでとにかく所定の量より灰汁を多めに混ぜ、懸命に攪拌を続けた。一旦出来てしまえば、後は時折攪拌しながら乾燥を待つばかりだ。これは納屋の風通しの良い場所に置いて、たまにティーシアに攪拌をお願いする事に。鼻を近付けると思った程は獣臭くない。血合いを極力排除したのが効果を発揮したのか、揚げ物を繰り返した油の匂いに似ているかな。香ばしいようなくどいような、そんな匂いだ。ほんのり温かいかめを納屋に移動させ、ティーシアに今後の説明をしていると、二人が帰ってきた。

「何これ? 何か凄く良い香り。香ばしい香りがする。肉料理なの?」

 リズが、目を瞑りくんくんと匂いを嗅ぎながらキッチンに移動してくる。

「ヒロさんの故郷の材料を使ってみたの。さぁ、ご飯にしましょう」

 結果として、油かすは、大好評だった。

「うわー。香ばしいのに、食感はくにゅくにゅする。不思議だけど、満足感がある」

 アストですら、驚いた顔をしながら食べている。

「元々故郷の保存食です。揚げて油を抜いた脂身や内臓を干せば、乾燥食になります。油を取るだけでは薪代とそうさいが限界ですが、副産物のこれを売れば利益になります」

「うまいな……。肉を食べられない家庭でも気軽に肉が食べられるか。良く考えているのだな……」

「元々、た食材は余す所なく食べるのが信条でしたから。無駄は許しません。どうでしょうか、商材としては?」

 アストがしばし黙考する。

「現時点では何とも言えない。が、どの程度の量産が可能で、どの程度の利益が出るかは見てみるべきだろうな。作業はティーシアでも出来るのか?」

「今日も手伝って頂けましたし、薪の使用量と生産される油の量、油かすの量も資料は作れます。ろうそくの代替として獣脂灯を検討する事も可能です」

 獣脂灯はすすと臭いは出るが、蝋燭代も馬鹿にならない。猟師の家の副業が増えれば、それだけ生活の安定も増す。

「分かった。後で検討の時間を取ってくれ。このままでは村のお荷物と考えていたが、若干でも希望が見えるのならば、ありがたい」

 アストも若干ながらも見えてきた、明るい希望に顔を綻ばせる。

 私は、石鹸が出来た場合の利権が莫大になる事は現時点では伝えなかった。ムクロジの実が存在するといっても、収穫はしないといけないし、数の限度もある。どこかで石鹸の開発は必至なのだ。

 目新しい食材と美味しい料理に皆ほっこりとした表情を浮かべる。こんな温かい家庭が築ければいいなと、心の底から思った。

 食後、アストと話を進める。

 油かすに関しては、受け入れられるかが読めないため、一旦は新商品として各家庭に無償で配る。その際に利用方法も習熟させる。

 獣脂灯に関しては、元々概念はあるので、そのまま販売は容易だ。一部蝋燭の利権と被るが、小さな村の一部の話だ。そこまで目くじらは立てられない。

「脂肪の部分と、内臓部分に関しては、処理に困っていた折だ、助かる」

 アストが少しほっとした表情を浮かべた。

「いいえ。家の人間として、皆の生活が豊かになれば喜ばしい。それだけです」

 アストと微笑み合い、細かい話を調整していく。今後は油かすを干し、保存食化して冬のたんぱく源として利用する事も視野に入れていく。

「冬も獲物は捕れるが、細いというのはある。また、寒さの中での猟は危険もあるのだ」

 確かに、寒さで鈍った体で猟をするのは危険だ。とどめを刺すにしても危険が付き纏う。

「少ない獲物でも、再利用可能な部位が増えれば、その分助かる。改めて礼を言う」

 アストが頭を下げてくる。

 後は細かい内容を詰めていった。蝋燭利権は雑貨ギルドの領分だ。しんぱん行為とは言いきれないが、注意しておく必要はある。獣脂の利用に関しても、過去はそこそこの規模に対応していた。だが再利用方法が狭い為、すたれた技術のようだ。揚げ物が常態化しなければそんなものか。一部ラードをパンに付けて食べる程度だ。

 アストとの話し合いが終わり、納屋の石鹸の状態を確かめに行く。一部はけんしているようだ。表面に浮いているおぼろどうの出来損ないみたいな塊を少量すくい、水で濡らした手で擦ると、泡立ってきた。

「ひとまずは、成功かな……」

 正直、薬剤を使った場合の正確な分量は過去の実験で分かっていたが、その辺りの灰と油を使って実際にやるとなれば大違いだ。祈る様な気持ちで待っていた。水魔術で水を出し、手を洗い流す。久々の石鹸での手洗いに、懐かしさを感じる。ただ、アルカリ性が強過ぎると、肌には適さない。一週間後の様子を見て、リズとティーシアにパッチテストをしてもらおうか。この後は、石鹸にかわえんせきして、鹸化成分を抽出すれば、臭いも無い純粋な石鹸になるのだが……。

「塩……高いんだよな……」

 ここでは岩塩ベースの塩が出回っていて、海水由来の塩はほとんど流通していない。正直、鉄鉱床よりも海の方が開発活路が見えやすい。塩害があるので農作業には向かないが、網の概念はもうあるので、漁で食料生産の向上は図れる。その上、塩が量産出来れば、塩漬けや干した魚を内陸部に販売出来る。塩ギルドも存在するが、安価に大量の塩を生産出来れば、一気に資金繰りは楽になる。その辺りも一回子爵と相談するか……。

 取り敢えず、石鹸に関しては肌への適性を調べて、開発は一旦凍結だ。臭いは確かに感じるが、植物由来の香油や少量のオリーブオイルの販売は確認している。パッチテストに問題無ければ、この石鹸膠で体を洗ってみて、香りで誤魔化してもらおう。基本的には冷製法になるので、成分が全部維持された状態になる。保湿はあまり考えなくても大丈夫かな。

 明日から一週間は森に潜る。その間ティーシアには攪拌を頼み、鹸化を進めてみる事にしよう。

 目標が定まったので部屋に戻り、タライを用意してお湯を生み出す。

「あぁ、やっぱり便利だな。水魔術様々だ」

 水魔術は町までの往復の際に、延々訓練したおかげで一気に習熟度が上がった。焦った時の手慰み程度で考えていたが、助かった。過剰帰還まで覚悟すれば、四十度くらいのお湯を風呂桶いっぱいには出来る。お風呂計画も、順調に推移中だ。ただ風呂桶と言うか、大規模な桶の開発に関して、それはそれで難しい。小さな桶ならば問題無いが、大量の水の重さを支えられる桶は村では見ていない。ワインの生産に使う大規模な桶も話を聞く限りあるにはあるが、風呂桶の発想には至らないようだ。風呂桶を開発する手間を考えたら、小さな浴場として開発した方が早いかな。町にあった建築物を見て、そう思った。少なくともコンクリートに準ずるような物は開発されている。

 ここで『認識』先生で、組成をはっきり聞けば良いのではないかと考えるが、無理だ。『認識』先生、動物だとスキル構成と種族由来の詳細な生態が、植物を見ると詳細な生態が返ってくる。じゃあ、無機物はどうなるかと言うと。石だと『石の塊』とか、石垣だと『石を積んだ壁』みたいな答えが返ってくる。何と言うか、ゲームで言う所の『しらべる』コマンドに近い物を感じる。しっくいの組成を調べたくて覗いた時に、『石の壁』って答えられた瞬間、何を殴ろうかなとまで思った。見た事は無いが間違いなく、コンクリートか何かを混ぜている現場を見たら、『泥』とか返ってくる筈だ。

『識者』先生も含めてだが、初めにもらった各種のスキルは、答えは教えてくれない。きっかけまでなのだ。『識者』先生が便利かと聞かれればそうなのだが、過去にゴブリンの弱点を聞いた時に、


≪告。該当生物の生態は人間に近いです。人間の弱点と同等と判断します≫


 って返ってきた。まぁ、そうですよねぇとは思ったが、絶対の答えは返してくれない。そういう意味で、このスキル群はきっかけを得る為の物と認識している。ただ、何も無いよりは断然ましだ。

 そんな事を考えながら、体を清め、着替えてしまう。洗濯も済ませ外に干して部屋に戻ると、リズが訪れた。

「明日からの件、集まってから話すの?」

「食料や消耗品の件はそうかな。後、ロットの投げナイフは個人持ちよりパーティー資金から出した方がいいかな? 何だか申し訳ない気になってきた」

「んー。それは私も思う。管理の手間と、獲物に刺さったまま逃げられた場合の損失も大きいね。あれはパーティー全体で見るべき」

 ロットが入る際に、一旦パーティー資金は頭割りして、再度四人で募り始めた。ただ、この二週間弱で結構な額にはなっている。食料品や消耗品だけでは無く、パーティー全体に影響するものに積極的に投資しても良い段階には来ている。

 そんな話をしながら、ベッドに潜り込み、うとうとし始めた。

 明日も、野営か。日本にいた頃はキャンプと聞けばうきうきしたが、毛布に包まって寒空の下で寝るのは辛い。まぁ、油かすの残りもあるし、色々食生活を豊かにして、モチベーションを上げていくか。

 夢うつつの境をうろうろしていると、窓を風がガタガタ鳴らす音が聞こえてきた。

 もう冬は目の前まで来ている。色々用意しないといけないな。そんな事を考えながら、風のリズムに意識を溶かしていった。