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「イベントが起きていない方にお聞きしますが、特定NPCとのイベントを発生し忘れている、という事はありませんか?」
「え、そんなはずは……だったよね?」
「ん? ちょっと待て。その前の……」
夜中の十二時を過ぎた頃、頭上の電気だけが灯った職場で、たった一人パソコンのディスプレイ越しに俺は対応していた。
GM──ゲームマスター──それが俺、藤堂正樹の職業だ。プレイヤーから色々恨まれる事もあるが、ゲームに関する事を職業に出来た事で、日々はそれなりに充実している。……人手が足りず、徹夜になる日もあるが、慣れた。慣れるしかなかった。
「こいつがミスってたみたいです。来てくれて有難うございました」
「あー……有難うございました。ちょっとダッシュでテレポートしてイベントやってくる!」
「いてらー」
「解決したようで何よりです。では、良きゲームライフを」
今回は割と楽な方だったな。よくいるんだよな。こういうイベントを起こし忘れて、いざボス戦でフィールドに入れない人。酷いプレイヤーの場合は、関係ないGMに文句言ってくるしな。
GM仲間にも、適当な対応をする奴がいるから人の事は余り強く言えないんだが……こうして礼を言われたり、行った事を歓迎されると少し嬉しくもある。
動物園のパンダみたいな扱いで、話を聞いて遠くのエリアから見に寄ってくる奴らもいた。
手を振ると皆が手を振り返し、それをSSに撮って掲示板に貼られてるのを何度も見てる。
やっぱり扱いがレアモンスターだよな。滅多に人前に出ないってのもあるけどよ。
「藤堂、お疲れさん。ほら、コーヒーだ」
GM専用の転送を使って管理画面に戻り、一息ついていたところ、後ろから声を掛けられた。
五つ年上の先輩だ。自分の休憩になった時に、よく皆にジュースやコーヒーを奢ってくれるいい先輩だ。
「有難うございます。今日は、難しい案件がなくて良かったですね。例の件もありませんでしたし」
椅子に座ったまま頭を下げ、缶コーヒーを飲んで再び一息つく。管理画面を見るが、GMコールもなかったので、こういう時は少しのんびり出来るのだ。メガネを外して休憩のスタイルを取る。
「そうか。しっかし……プレイしてたら行方不明になったとか言われても困るんだよなぁ」
全くだ。例の件というのは、都市伝説のようなもので、オンラインゲームをプレイしていた人が突然姿を消すと馬鹿馬鹿しいものだ。
「ですよねぇ。単なる家出だと思うんですが、捜せって言われてもそれはGMの仕事じゃなくて、警察の仕事でしょうに」
この件は俺達が管理している会社のMMOだけでなく、他のMMOや少数ではあるがVRMMOでも起きていると、他社のGMをやっている友人から聞いた。これもまた噂話に過ぎないんだがな。
「あ、そうだ。再来週の日曜と月曜ですが有休貰ってもいいですか?」
「再来週か。イベントもないし、いいぞ。どこか旅行か?」
「はい。昔のギルドからオフ会の誘いが来たのでそれに行こうかなと」
俺がGMを務める【ブリタリアオンライン】で、プレイヤーだった頃に世話になっていたギルドマスターから来たオフ会の誘いだ。
始めた当初、右も左もわからずにいた時に声を掛けてもらい、初めてパーティーでの狩りの仕方と楽しさを、そしてオンラインの面白さを教えてもらった大切な恩人である。
その後、彼のギルド「円卓」に入れてもらい、色々なクエストやストーリーミッションを手伝ってもらった。その逆に新しく入った人の手伝いをやったりもして、楽しい日々を過ごす事が出来たのだ。
ギルドメンバーとも仲良くやって、引退するメンバーの為にお別れ会なども開いた。
そうやってMMOを楽しんでいると、このゲームにもっと深く関わりたいとも思い始め、勉強して運営にGMとして就職が決まった時は全員が祝ってくれた。
それがプレイヤーとしての別れであっても。
GMになってからはプレイヤーとは一線を引いた立場になる。
新規キャラクターを作ろうとした時、今の先輩が今までのキャラが勿体ないと言い、上司に陳情してプレイヤー時代に使っていたキャラクターを外見と名前だけ変更して使う許可をくれた。理解のある先輩と上司でこの時から感謝している。
業務内容は一般プレイヤーのパーティーの中に正体を隠して交ざり、今望まれている事やクエストのバランスの確認。GM限定の設定で姿を消しながらパトロールなどをやっていた。
ギルドメンバーとは仲間としてはいられなくなったが、友達としてはいてくれて度々オフ会に誘ってくれている。当然、業務内容に関しては漏らさない。機密事項は大事だ。
ただ、今回は聞きたい事があると言っていたがなんだろう。
「全然有休も取ってないし、休みの方は大丈夫だぞ。その代わり、土産の方を宜しく」
理解がある先輩で本当に助かる。土産は芋焼酎でいいかな。
「あと、藤堂、晩飯まだだったろ? 後は俺がやっておくから食ってこい」
そう言われると空腹感が襲ってくる。対応に集中し過ぎて飯を忘れていた……腹減った……。
「はい。では飯に行ってきます」
「おう、気を付けてな」
先輩に軽くお辞儀してからメガネを掛け直し、省エネの為、明かりが落とされた薄暗い廊下を歩く。
今日の飯は何にするかなー。ラーメン辺りでいいかー。
そう考えながら深夜まで店を開けている近くのラーメン屋へと足を延ばす……あれ?
足が動かない。なんだこれ、と声を上げようと思ったが声も出ない!?
(金縛り!? いやまて、それなら倒れるはず……ってまてまて! どんどん暗くなって……! うっ……意識が……俺のラーメン……!)
晩飯の事を思いながら、俺は意識を失ってしまった。
◇◆◇
「無事────だ──。能力は───の──?」
「筋力───下──ね。魔───の─。平───下で──難─結果───う」
朦朧とした意識の中、何か聞こえる。……先輩の声……じゃないな。偉そうな爺さんの声だし。無事……? こんな状態で無事も何もない。
というか。地面が固くて冷たい。筋力? 太らない為に運動しているぞ。
くそっ……まだ身体が動かない……。
視界もぼんやりしたまま、地面が灰色で辺りが薄暗いという事しかわからない。
「ふん、───大───ら見るに期待が────外れだな。───と奴隷用の首輪を───従属させろ」
「はっ!」
期待外れ? なんの事……って奴隷用の首輪!?
このご時世に奴隷とか、何十年前だよ! そんなのプレイとしてだって死んでも嫌だ!
まだ視界がぼんやりとしてるが、誰かが近づいてくるのはわかる。
こ……こっちくんな! っ……身体がまだ動かない……! 動け……動け!!
足掻こうとしたが、身体が動かず、首輪が付けられようとした……が、そこで異変が起きた。
なんと首輪が弾け、消し飛んだのだ。
「何!?」
フードの奴と爺さんが驚いた声を上げている。
時間が経ったお蔭か、少しだけ視界も戻ってきた。
周囲を目だけ動かして見回してみると、明かりは壁に設置された蝋燭だけ。窓などはなく明かりに照らされた薄暗く石畳で出来た部屋だ。足元には魔法陣が描かれている。
出入り口も見えるが、警備の者がいて今この場から脱出するのは無理だろうな。
目の前にいる爺さんは、ファンタジー世界のゲームやアニメでよく見る豪華な分厚い赤マントと、金色の王冠。手には先端に宝石がついた杖を持っていた。
「これはどういう事だ?」
「不良品だったかもしれません。今すぐ予備をお持ちします!」
だんだん聴覚も戻ってきた。なんだか凄く慌ててるな。これで身体が動けば……ダメだ。動かない……。
そうこうしている間にフードの奴が新しい首輪を持ってきた。
新しい首輪を俺に付けようとしたが……新しい首輪も消し飛び、ボロボロに崩れ落ちた。
「従属出来ぬとはどういう事だ!?」
「原因はわかりませぬが……どうやら何かしら異能力を持っているとしか……」
「不可解な能力の原因は異能力か……。しかし従属出来ぬとしては、今のままでは使えぬな。力が判明してない以上、今はまだ殺すのも勿体ない。牢に放り込んでおけ」
「ハッ!」
聴覚が戻ってきたので耳をそばだてると、殺すとか物騒な事を言ってやがる。今はまだって事はとりあえずは大丈夫みたいだが……、何もしてないのに牢屋とかどういう事だよ。それに異能力って漫画やラノベじゃないんだぞ。
強引に起こされ、まだ声も出せず身動きも出来ないが、爺さんを睨めつけていると不機嫌そうにしていた爺さんが手に持っていた杖で俺の頭を殴ってきた。
「っ!」
「一週間だ。もし一週間以内に従属する術を見つけられなければ生贄に捧げ、新しい異世界人を召喚する。さっさとこいつを牢屋に連れて行け」
幼い頃に親に殴られた以来の衝撃が頭に響く。いってぇ……その痛みが夢じゃない事を示していた。当たり所が悪かったのか、再度俺は意識を失っていく。
薄れゆく意識の中、どうして、なぜこうなったのかと思いながら意識を手放した。
次に目を覚ますと、そこは薄暗い部屋だった。目の前には鉄格子が見える。手足こそ縛られていなかったが、頑丈そうな牢屋に入れられたようだ。
これが映画やゲームの中ならワクワクするところなんだが、今の俺はそれどころじゃない。何もしてないのにこの仕打ちはないだろ! 俺が何をしたんだよ!
はぁ……、怒りをぶつける相手もいないんじゃどうしようもないか。現状を把握しよう。
どうやら意識を失っている間に身体は動かせるようになったみたいだな。
「いてて……。あの爺、思いっきり殴りやがって……」
頭を押さえながら、出来たたんこぶを擦りつつ立ち上がって、辺りを見回す。
周囲がかび臭い石に囲まれ、ザ・牢屋という感じだ。
試しに、どこか触れたら崩れないかなと淡く期待しつつも触るが、壁も鉄格子もびくともしない。
「爺さんは異能力とか言ってたな……。どういう事だ?」
自分の手を見ているがホクロがある以外は普通の手だ。
真っ赤に光る事もない、何も起きない普通の男の手。
今度は、唯一外と繋がっている小さな格子窓から外を覗いてみた。覗く際に鉄格子が外れないかなと期待するが、ダメだった。
そこから見た光景に俺は目を疑った。
そこから見えた景色は俺がよく見慣れていたビル街とは違い、まさに王道ファンタジーの世界。
映画のような光景が広がり、空には大きな鷲のような化け物……グリフォンというのだろうか。それが塔の上に降りて、小屋の中に入っていく。
遠くに見えるのは海か。大きな船が何隻も見える。確かアレは大航海時代の軍船フリゲート艦だ。何隻もあると圧倒されるな。
そこから離れた所には商業船かな。見た目が海賊っぽいのまでいるぞ、おい。
明らかに現実離れをした光景に戸惑い、指を目頭に当てると、とある事に気づいた。なんでこんなに目が良くなっているのかと。目元に手を当てるとメガネがない。
辺りを見回すと寝転がっていた場所に落ちていたようだ。良かった、チタン製のメガネだから壊れていない。
「目が良く見えるようになったのは好都合だが……これからどうするか。召喚は一週間後とか言ってたな。期限までになんとか脱出するなり手段を見つけないと、召喚の生贄とやらにされる……恐らく殺されるだろうな。まずはここが何処なのかわかればいいんだが……」
硬い床に胡坐をかきながら目を閉じて考える。
すると目の前になんか見慣れたウィンドウが出てきた。
これはいつも仕事で使っているGMの管理画面!?
なぜ、ゲームの画面が目の前に……。もしかして、これがあいつらが言ってた異能力ってやつなのか?
それとも気絶しているうちに、VR系のゲームにログインさせられた? VRMMOが発展したと言っても痛みまではまだ、表現していないはずだぞ。
ひとまず操作してみよう。試しに指を当てると色々な項目が出てきた。
「マップ……装備……スキル……魔法……アイテム……管理画面……あった。無敵……ステルス……転送は……ダメか。ログアウトもないな」
目の前の空間には、普段見慣れたGMアカウント限定の設定画面が出てきた。
設定の《全状態異常無効》という項目にはチェックマークが付けられていた。《無敵》と《ステルス》には付いていない。首輪が弾かれたのはこれのお蔭か?
しかし、どういう理屈かわからんが、この設定が反映されるのならば……。どうにもならないかと思ったが、これならなんとかなりそうだ。
GMの設定には一般のプレイヤーとは違う大きな特徴がある。
まずはスキル。これに関しては全てのスキルをセットする事が出来る。システム上、枠は十個までだが、この世界でもその枠は変わらないようだ。パッシブスキルやアクティブスキルを付ければ恐らく使えるだろう。多分。
次に魔法だ。これもまた全部が使えるようになってるが……今はダメなようだ。全て暗く表示されていて使用不可能になっている。MPが足りない訳じゃないみたいだ。初期の段階で覚えられる魔法が使えないのはおかしいからな。
ゲーム的に考えるなら、この牢屋が魔法禁止エリアになってるってのが可能性としては高い。とりあえずそういう事にして、魔法を使うという憧れはここを出てからにしよう。
次に注目したのが装備だ。普段のプレイで稼いだ装備やアイテムが残っていたので助かった。アイテムの欄から敵から入手したミスリルソードを取り出そうと思うと……いきなり飛び出てきた!?
それを慌ててキャッチする。あっぶねぇ……音を立てたら警備の者に気づかれる。指先で選択しないで出てくるとは思わなかった。
冷や汗をかきながら手に取ったミスリルソードを眺める。家に模造刀はあるが、本物のソードは凄いな……。質感が全然違う。
試しに振ってみると、パッシブスキルの〈近接戦闘能力上昇(大)〉をセットしたお蔭か簡単に振る事が出来た。
普段なら模造刀でもこう簡単に振るう事は出来ない。爽快だ。
牢屋の中でなければもっと爽快なんだろうな。
ミスリルソードを仕舞うように念じてみると、あっさりと消えた。自分の所持品だからだろうか。試しに今度はさっき落としていたメガネを仕舞うように念じる。消えた。アイテムボックスの中に入っているようだ。
チタン合金製のメガネ:強度・軽さ・耐食性・耐熱性に優れたメガネ。どのようにして作られたか、謎である。レア度:R
レア度はC、UC、R、HR、UR、SRと分かれている。
たかがメガネにRまで付いているとは……。どうやら、それだけの価値があると認識されているようだ。
そりゃそうか、ゲームの中では存在しない合金だもんな。
次に脇に置いてある排泄用のバケツを仕舞うように念じてみる。消えない。
仕組みがまだ良くわからないが、俺の所持品じゃないからだろう。……っと足音が聞こえてくる。
警備の者の巡回か。ここは寝たふりをしておこう。
「異常なし……おい、起きろ。飯の時間だ」
警備兵が手に持った棒で鉄格子を叩くと大きな音が響いた。俺はその音で起きたように演技して、起き上がる。
「こ……ここは一体何処だ?」
「グランファング帝国の牢屋だよ。おら、さっさと食え」
差込口から食事らしきものが入れられる。明らかに固そうな黒いパンと、野菜クズのような物が入ったスープだ。警備兵は俺が食う姿も見ずにさっさと戻っていく。
この時間を覚えておこう。管理画面の中に時計が配置されていたので、アイテムの中から筆と用紙を取り出して書きこんでおく。
グランファング帝国……ゲームでも聞いた事ない地名だな……。まずは食事を頂こう。腹が減り過ぎた。
「頂きます。……かったっ……!」
食事はガチガチに固い黒いパンと、塩味が付いただけの素朴な野菜スープ……ラーメンとは果てしなくほど遠い食事を取り、夕日が沈む中、俺は一人牢屋で過ごすのであった。