冒頭


「一番の問題はな?」

 口を開いた男の眉間には、頼りないろうそくの灯りにもかかわらず、くっきりと影が落ちている。

 地面に水をまいて「不機嫌なヤツ」とでも唱えればこの男が生えてくる。そう思えてしまうほどあからさまな苛立ちは、控えめにも若いとは言えない風貌によって拍車がかかっていた。

 両腕を組み少しだけ身を乗り出した男の、ものの見事にへの字を描いた口元は続ける。

「一番の問題は、ほんの些細な事象でも、歴史が大きく変わる可能性があるって事なんだよ。

 それくらい異世界人ってのは、一挙一動の与える影響が甚だし過ぎる。明確に悪影響のある行為はもちろん、今の人間にとってありがたく思える行動ですら、長い目で見りゃ大問題ってコトが往々にして起こる。……ぶっちゃけ大迷惑だ」

 頭を掻きつつ言い捨てた男の半端に開かれた視線の先には、頬杖をついた少女の姿がある。

 年の離れた中年男を前にして、これまたつまらなさそうに、それでいてどこかからかうようにクルクルと筆記具を回している。不機嫌そうな男の目が、それでも自分の手遊びを追いかけている事に気づき、彼女は心の中だけで少し笑った。

 そして、見る者によっては愛嬌があると感じるかもしれない十代後半の少女は、手にした筆記具をピシッと男に向ける。

「んじゃ、アナタの考える、理想的な異世界勇者の行動ってどんなのです?」

「そりゃお前、テキトーに観光とかしてればいいだろよ。『目立ちたくないんだけどなぁ』詐欺とかじゃなくて、本気で目立つな、なんにもするな。んで、満足したらさっさと帰れ」

「えぇ~、それだけです? せっかく召喚されたってのに?」

「お前等の暢気な欲求満たす為に、この世界が存在してるワケじゃねぇんだよ」

「んじゃ、モンスターをバッタバッタとかは?」

「やらせんなぁ」

「……モノづくりとか! お手軽便利グッズいろいろ知ってますよ?」

「出来た端から闇に葬る」

「ちょっと頑張って、行政改革は?」

「大混乱の大元だ」

「せめて、異世界の美味しいお料理とかっ」

「一人で食ってろ」

「それじゃあなんにも出来ないじゃないですか!」

「何もするなって言ってんだ!

 頼むから、お気楽に異世界見物してろよ。いろいろあるぞ、自然あふれる景色とか」

「タダの田舎じゃないですか。

 まぁ、言っても私は、自分から何かするってタイプじゃないですけどねぇ。

 …………でも、ちょっと位のチートなら良くないです?」

「いやいや。

 チートとか、マジで勘弁してくださいね!?


プロローグ ~転生男の場合~


「ハインツ閣下。至急のご報告がございます」

 王城の執務室に入った俺に向かって部下が告げたのは、三週間に及ぶ長期の視察から戻ったその日のことだった。


「すぐに王のもとへ帰還の報告に向かわねばならんのだが、その後ではいかんのか?」

「その前にお耳に入れとうございます」

 俺はこの男を、自分が留守にしている間の一切を任せるほどには重用している。その人物がここまで言うのだ、一抹の不安を抱えたまま続きを促した。

「実は……メリッサ王女殿下が、勇者の召喚に成功いたしました」

「待て、今なんと?」

「はっ。一昨日のことでございます。メリッサ様にあらせられましては、古文書による勇者召喚の秘術に成功。異世界より、四人の勇者を召喚されたとのことでございます」

『あっ……』

「閣下?」

『ぁんの、くされアマ~! 何してくれやがってんだっ!』

 数十年ぶりに出た生まれ故郷の言葉で、俺はこの国最高位者の愛娘を罵倒する。だが、そんな俺の不敬極まりない発言が咎められる事はなかった。その内容を理解出来る人間がいないためである。

 いや正確には、いなかった、が正しいな。今じゃ四人いやがるんだった。

 この俺と同じ世界からやってきた、召喚勇者という災難が。



 ──自分がこの世界にとって異物だと気が付いたのは、物心ついてすぐのことだったと思う。

 考えるという行為と、思い出すという行為を結び付けられるようになった頃、俺は自分という物を否応なく理解させられ、胃液で喉が焼けるまで吐き続けた。

 誰かが仕組んだことなのか、ただの偶然の結果なのかはわからない。

 けれど、一時期は己の妄想なのだと思い込もうとした事象が、やっぱりどうしても自分の中での真実に違いないと諦めたその日。その日から現在に至るまで、俺は一度たりとも神に祈ったことは無い。

 もしも人の人生を決めている存在がいるのだとしたら、ソイツは憎むべき対象でしかなくなったからだ。


 誰にも言ったことはないが、俺には生まれる以前の記憶がある。ここではない世界、日本という国で生きていた俺は、三十代半ばにして死んだ。交通事故だった。

 一時帰宅すら許されぬ二十日近くの連勤地獄から解放され、独身住まいのアパートへと帰る途中、気が付いた時には目の前に車が迫っていた。恐らく、過労で意識がおぼろげだったのだろう、運転手には本当に悪いことをしたと思う。


 強い衝撃と痛みに意識が遠のいて、気が付けば俺はこの世界で新たな命として生まれていた。

 こういうのを何というのだったか? 転生? 生まれ変わり? まぁなんだって良い。

 なんにせよ俺は、この世界でハインツという名で新たな生を受け、成長した。

 幸いそこそこの身分がある家に生まれたらしく、生活に不安はなかった。まぁそれでも、電化製品とネットにまみれたそれまでの生活から一転、中世さながらな発展途上の世界に叩き込まれたのだから、不満がないわけじゃなかったが。


 科学技術がほとんど発展していない代わりに、この世界には『魔法』という技術が存在した。世界中に満ちている魔素という謎物質を、体内に流れる魔力を操作することで動かし、ありとあらゆる事象に干渉する力。

 結論から言うと、俺は生まれつきこの魔法の使い方に長けていた。まぁ無理もない。この世界のニンゲンは、魔力という超常の力があるばかりに、物理的な法則には疎いのだ。前世で高等教育まで詰め込まれた俺と比較するわけにはいかない。

 その結果俺は、幼少のみぎりよりその魔法の才を遺憾なく発揮し、気づいた頃には国内で有数の立場になっていた。そんな俺を慕う者たちもいてくれた。


 それからの長い年月を、俺はハインツとして生きる。

 色々なことがあった。前世に引っ張られて、人を傷つけたこともあった。俺が生きていた時代からすれば、数百年は遅れている文明にやきもきしたこともある。下手に文明の行き先を知っていたからこそ、取り返しのつかない失敗をしてしまったことすらあった。

 過去を持ったがゆえに、今を生きられない。


 やがて俺は、自分自身を持ち直す為、世界中を見て回りはじめた。幸いというかなんというか、その時自分には、生まれ故郷に縛り付けられるような存在が無かったのだ。時折戻り、それでも従ってくれる者たちに方針を示してさえいれば、誰にも文句は言われなかった。

 なんというかな……。上にいる者は、君臨すれども統治せず。生まれた土地の者たちが、そんな意識でいてくれたからこそ、自由に出来たんだろう。


 そしてかなりの年月が経ち。今はここ、マゼラン王国にて貴族の地位を得ている。

 人族と穏便ではない関係にある魔族の支配領域と、唯一国境を共有するこのマゼラン王国は、世界の大多数を占める人族国家間での発言力も相応に大きい。

 そんな大国の、しかも実質的に魔族領域と接する『リーゼン』という辺境地域の支配権を持つ貴族が、この俺。リーゼン辺境伯ハインツというわけだ。

 自分で言うのもなんだが、そこそこたいしたモノだろう?


 確かにこの世界じゃ、魔法の力が強いってだけでそれなりの地位につける。けれど、ここまでのし上がるのはなかなか大変だったんだぞ? 俺のような出自の怪しい人物が今のような地位につく為には、長年の積み重ねだとか目に見える功績だとか……当然、誰にも知られちゃならない色々も、それなりにやった。


 そして現在の俺は、自分の支配する領域とそこに暮らす人々の安寧を守る為に奮闘し、今日までこの国で様々な政治工作に従事してきたわけだ。そしてそれは、これからも続くはずの未来予想図だった。

 ……この国のアホ王女が、余計なマネをしてくれるまでは。



 異世界からの勇者召喚だと? 本当にふざけたことをしてくれる。

 絶対にそいつらの好きにはさせん。俺のもとに集った人々の生活を、どこの馬の骨とも知れん勇者なんかに邪魔されてたまるかってんだ。

 俺は自分の執務室にて、思いを新たに拳を握る。

 人族の国の中で、人族の王に仕え、人族を守り導き統治する。誰からも人族であることに疑いすらかけられていない、魔族である俺。

 魔族のもとに生まれ、魔族として成長し、魔族を従え君臨する。いつしか王と呼ばれるほどに強い力を持ってしまった俺。

 人族からは『リーゼン辺境伯ハインツ』と呼ばれ、魔族からは『魔王ハインツ』と称されるこの俺の目が黒いうちは、勇者なんぞに魔族も人族もうちの領民を好きにはさせんぞっ!


プロローグ ~召喚女の場合~


 私の名前はきぬかわと言います。高校二年生です。……いえ、高校二年生でした。

 数日前のある日、私は学校近くの図書館で勉強中でした。定期テスト直前の大事な時期でしたので、とてもじゃないけど落ち着いて勉強の出来る環境ではない家には帰らず、静かな図書館で集中しようと思っていたのです。


 図書館の自習スペースで教科書を広げていると、学内でも有名なイケメン男子である和泉いずみひろあき君が、その恋人と噂される二人の美少女を引き連れてやってきました。

 つややかな黒髪と、雪のような肌の百合ゆりさわさん。明るくふわふわな髪に、愛くるしい笑顔のあずささん。タイプは違えど、共に超絶級の美少女と現れた和泉君は、隣のブースで勉強を始めます。勉強なんてつまらないと甘える宇佐美さんに、それを咎める百合沢さん。そんな彼女らをいさめつつ、だだ甘な雰囲気を垂れ流す和泉君。

 正直言って邪魔でした。いちゃつくなら他所でやって欲しいと思います。僻みと思われるのがオチですので言いませんけど。

 どうせ集中出来ないのなら、今日はもう帰ろうか。そんな風に考えたその時でした。私たちは、突如として強い光に包まれたのです。


 そして私たちはこの世界に呼び出されました。急に足元が光ったと思ったら、目が慣れたときには一面真っ白な世界。ふと気が付くと、私たちの前にはびっくりするくらいの美女が立っていました。

 彼女は言います。貴方たちは勇者である、と。

 これってアレでしょうか? 物語の中なんかでよくある、異世界に勇者が召喚されるというヤツ。とするとこの美女は……。

「アンタはいったい……?」

 和泉君が、後ろ手に他の二人を庇いつつそう尋ねます。こういうさりげに女の子を守るしぐさが、彼の人気の秘訣なのでしょう。もっとも、私は庇護対象に含まれていないようですが。

「私は女神アルスラエル。あなたたちが向かう、フィードランドの神です」

 なるほどやっぱり神サマでしたか、そうですか。彼女は、異世界に召喚された私たちを手助けするために、召喚の途中でこの場に呼んだのだそうです。


 私たちが呼ばれた世界『フィードランド』はいわゆる剣や魔法が存在し、魔物や魔族といわれる人の敵が蔓延はびこる世界らしいです。そして私たちは、その世界における大国の一つ、マゼラン王国の王女によって、魔族から人々を救う勇者として召喚されている最中だそうです。

 どうして私たちだったのか? という質問には答えてくれませんでした。きっと誰でも良かったのでしょう。


 予想外だったのは、元の世界に戻ろうと思えば戻れるということ。召喚と送還の秘術は対になっているので、望めば帰してくれるだろうということでした。

「それじゃすぐに帰して──」

「良いぜ。オレ達で力になれるってんなら」

 私の訴えは、女神サマのお気には召さなかったようです。かぶせるように言う和泉君の言葉にのみ、女神サマは反応します。

「世界を浄化する運命を背負うあなたたちに、私からささやかな祝福を贈りましょう」

 そう言って女神サマは力を授けてくれました。言葉や文字を理解する力。身を守るための身体能力。普通の人の何倍もの威力で魔法を扱う力。そして、一人一つずつの特別な力。一応、私にも同じような力が与えられたのがわかりました。

「魔族は狡猾で、そして何より邪悪な存在です。世界に蔓延る忌まわしき存在から、どうか我が愛し子たちを救ってください」

 女神サマは最後にそう言って私たちを送り出します。和泉君を筆頭にした私以外の三人は、誇らしげに女神サマに応えていました。


 次に気が付いた時、私たちは見知らぬ石畳の上に寝ており、今度は豪華そうなドレスを纏った美少女と、西洋の鎧姿の大人たちに囲まれていました。美少女さんは、どうやら私たちを呼び出した王女サマだったらしく、興奮気味に私たちを歓迎してくれました。

 王女サマのお話は省略しますね? だって、女神サマのお話と大体おんなじでしたから。


 その日はそのまま宛がわれた部屋で過ごし、次の日に王サマとの謁見。またも、同じような話を聞かされます。喜色満面といった王女サマとは対照的に、周りの大臣さん達が厳めしい顔つきだったのが気になりました。

「オレ達で、この世界を平和にしてやろうぜッ」

 昨日から王女サマにチヤホヤされまくった三人は、そんな微妙に温度差のある人達の前でも堂々としています。


 そして私たちは、名実ともに世界を救う勇者という役を負わされたのです。

 私の意志? もちろん黙殺されましたよ。

 私に意見を求める人なんて、そもそも誰もいませんでしたからねぇ。