プロローグ


 突如異世界へと飛ばされ、冒険者として薬草採りに励んでいたはずの俺は、なぜか巨大な金属製の魔物や古代文明謹製の空飛ぶ蛇と戦い、ついには『新世代の篝火』などという名の悪の組織により引き起こされた火山噴火を、火山ごと凍らせて阻止することとなっていた。

 ……どうしてこうなった?

 そんな疑問はおいといて、今は目の前の問題に集中しよう。

 問題は俺が凍らせた火山ではなく、そこから生えてきた薬草だ。

 ズナナ草。

 唐突に大量発生し、在庫のだぶついたその薬草の利用方法を探っていたところ、気付いたら従来の四十倍の効果を持ったポーションが完成していたのだ。

 四倍ではない。四十倍だ。

「ええと、何かの間違い……ですよね?」

 ズナナ草の利用方法探しに協力してくれている地元の美少女商会長、メルシアが困惑の声を上げる。

「……分からないな」

 俺のスキル【情報操作解析】が【鑑定】を失敗したことなど一度もないが、流石にこれは何かの間違いではないだろうか。

 このポーションの回復量は、八〇。一般人のHPが三〇程度、冒険者であっても、高くてせいぜい一〇〇程度だ。

 つまり【情報操作解析】が正しければ、今俺が持っているポーションは、大抵の人間を瀕死の重傷から全回復できる薬だということになる。

 ゲームじゃあるまいし、にわかには信じられない。

【情報操作解析】には実績があるので、九割方は信じられるが……こういった薬に関しては、残り一割を引いたら目も当てられない。

「んー、つよい!」

 考え込む俺に、リアが声をかけてきた。



「……リア、薬の効果が分かるのか?」

 リアが魔力を探知できることは知っていたが、そんなことまで調べられるとは思っていなかった。

「つよい、きがする! ……なんとなく!」

 そして実際、調べられないようだ。

『気がする』で薬を作られては、たまったものではない。

「だったら、実験してみればいいんじゃないかなー?」

 そう俺に言ったのは、火山の件から俺に協力してくれている狐族の考古学者、フィオニーだ。

「実験……? どうやってだ?」

 確かに武器や魔道具のたぐいなら、実験してみるのが一番早いだろう。

 しかし回復薬の実験というのは、そう簡単にいくものではないはずだ。相手は人間なのだから、もし事故でも起こったら大問題だ。

 かといって、魔物で試すのも難しいだろう。魔石などという人間には存在しない器官を持った魔物に、人間用の薬が効くとは思えない。

 仮に魔物に効いたとして、人間に効くとも限らないのだ。

「どうやっても何もー、町の治療院に行って実験台になってくれる人を探すだけだよー?」

「いきなり人体実験か!?

 動物実験やらをすっ飛ばして、最初から人間で試す?

 そのような蛮行、許されるはずが……。

「そうだよー?」

「他にどんな手があるんですか?」

 しかし俺の問いに、フィオニーとメルシアはさも当然というような顔で答えた。

 どうやらこの世界の医療に、地球の常識は通用しないらしい。

「それなら、とりあえず行ってみるか」

 治療院の人に聞いてみれば、フィオニー達の言うことが正しいかどうかも分かるだろう。

「それじゃー、いってみよー!」

 フィオニーに先導され、俺達はオルセオンの町を歩く。

 回復魔法の使える俺には縁のない施設なので、俺は治療院の場所すら知らないのだ。

「ついたー! ここだよー」

 そうしてフィオニーが足を止めた場所は、予想よりも大分近くにあった。

 というか、ギルドのちょうど裏側の建物だ。メルシアの店から歩いて三分もかからなかった。

「すみませーん。新しい体力回復薬を作ったんですけどー……」

「ああ。その実験でいらしたんですね。しかし体力回復薬となると、実験には時間と薬の数が必要ですよ?」

 フィオニーの話しかけた治療院の人は、人体実験に全く抵抗を持っていないようだ。

 しかし体力回復薬と聞いて、治療院の人は微妙な表情になった。

 体力回復薬は、実験がやりにくいらしい。

「そうなのー?」

「体力回復薬で治る程度の患者さんは、実験に参加したがらないですから。薬師ギルドを経由しない実験となると、そのままでは助からない病気の患者さんくらいですよ」

 ああ。それはそうだろうな。

 どうせ助からないなら、一か八か賭けに出てみよう、ということなのだろう。

「じゃあー、体力回復薬は実験ができないんですかー?」

「実は、そうでもないんです。重病は根治できなくても、症状を緩和できたりしますから。特に病気が長引いている人だとお金に困っていることも多くて、無料で薬が手に入る実験はありがたいんですよ」

『時間と数』というのは、そういうことか。

「じゃあ、薬を置いていけばいいのかなー? 今日は一本しかないんだけどー……」

「結果が出るかは分かりませんが、うちとしては一本でも大歓迎です。治療は薬師ギルドの薬師さんが……ホピッタさーん!」

「はーい! 今いきまーす!」

 治療院の人が呼ぶと、奥の方から一人の男が顔を出した。

 この人がギルドの薬師さんとやららしい。

「こちらの方々が、実験中の薬を提供してくださるそうで。協力を頼みたいそうです」

「ああ、実験薬か。この町では珍しいことだけど……君達は、薬師ギルドの会員かい?」

 その問いに俺達は顔を見合わせ、首を横に振った。

 どうやら、薬師ギルドの会員はいないらしい。元々分かっていたことだが。

「……会員がいないと、ダメなんでしょうか?」

 やはり素人が作った薬をいきなり人体実験に回すほど、この世界の治療院は無謀でないのかもしれない。

「いや、実験は大丈夫だよ。僕達薬師は、薬を見ればその薬が効くかどうか、少なくとも毒じゃないかどうかくらいは大体分かるからね。販売となると、会員が必要になるけど……とりあえず、薬はどこだい?」

 ……そうでもなかったようだ。

 薬の効き目って、見れば分かるのか。

「これです。容器と中身は違います」

 言いながら俺は、新しい体力回復薬の入った容器を差し出す。

 ホピッタさんはそれを受け取り中をのぞき込むと、困惑の表情を浮かべた。

「これは……よく分からないな」

 おい、さっきと言ってることが違うぞ。

「毒じゃないとは思うけど……そうだ。ディメックを呼んでこよう」

「ディメック?」

「研究や修行ばかりで治療院には出てこないけど、僕なんかよりずっと優秀な薬師だ。彼なら分かるかもしれない。ちょっと待っててくれ」

 そう言うとホピッタさんは、いそいそと治療院から出て行ってしまった。

 そのディメックさんを呼びに行ったようだ。

「薬師の人でもー、分からない薬ってあるんだねー」

「新しい薬だからな」

【情報操作解析】で出た結果を疑うほど、ぶっ飛んだ効果を持つ(可能性のある)薬なのだ。

 いきなり持ってきて『効果を見極めろ』などと言われても困るだろう。

「まあ、ディメックさんに期待だな」

 そんなことを話していると、いかにも研究者っぽいやせ型の男を連れて、ホピッタさんが治療院に戻ってきた。

「こちらがディメックさんだ。ディメックさん、この人たちは……」

「これが、その薬ですか?」

 ホピッタさんが俺達を紹介しようとするが、ディメックさんはそれをスルーする。……というか視線は完全に薬の方に向いており、ホピッタさんの紹介には気付いてもいないようだ。

 ホピッタさんの横を素通りしたディメックさんは薬の容器を持ち上げ、中をのぞき込む。

「これは……ホピッタさん。この薬、どう思いましたか?」

「僕の感覚だと、従来の二十倍は効果があると思ったんだけど……流石にあり得ないよね?」

「やはりですか。私には三十五……いや、四十倍あってもおかしくないように見えます」

 おお。【情報操作解析】の値を言い当てた。

「四十って……そんな薬、あり得るのかい?」

「普通じゃあり得ないけど、遺跡からの出土品には六十倍近い品があったはずだ。絶対にあり得ないって訳じゃない」

 そこまで話すと、ディメックさんはようやくこちらに向き直った。

「あなた方が、この薬の提供者ですか!」

 薬を見る前は完全にスルーだったディメックさんが、今はキラキラした目で俺を見ている。見事な手のひら返しだ。

「ええ。そうですが……」

「ぜひ実験させてください! 責任は私が持ちましょう!」

「おいディメック!?

「実験しない手はないでしょう! アーティファクトに準じる性能の回復薬が復活しようとしているんですよ!? それともホピッタ氏は『よく分からないから』という理由で毒にも見えない薬を放置するつもりなんですか?」

「……分かった。僕も協力しよう」

 説得は終了したようだ。どうやら実験に協力してくれるらしい。

 ここを逃す手はない。

「ぜひ実験をお願いします」

 俺が薬を渡すと、ディメックさんは笑顔で頷いた。

「任せてください! よしホピッタさん。早速この薬に向いた患者さんを教えてくださいよ」

「おう! ちょっと待っててくれ。希望者を募ってくる」

 言いながらホピッタさんは奥に入っていく。

「説明などがありますから、少し時間がかかると思います。その間に、この薬についてお聞きしても?」

「企業秘密の部分はありますが、ある程度はお答えできるかと」

 ズナナ草精製液の作り方さえバレなければ、こちらとしては問題ない。

 濃縮液を足した以外、特別なことは何もしていないのだから。

「まず、随分と雑な調合をした形跡がありますね。薬の構成にむらがあります。……一体誰がどうやって調合したんですか?」

 雑な調合か。

 確かに調合方法は、雑としか言いようがないな。

「えー。まずここに、普通の体力回復ポーションがあります」

「はい」

 説明しながら、俺はポーションを取り出す。

「……少し飲みます」

「はい?」

 怪我もしていないのに薬を飲み始めた俺を、ディメックさんが困惑の表情で見つめる。

 仕方ないじゃないか。実際にこうやったんだから。

「そして空いたスペースに、この液体を突っ込みます」

「ちょっと待ってください! 雑ってレベルじゃありませんよ!」

 上手くいっているか分からないので、完成品を【鑑定】してみる。

【情報操作解析】の示した回復量は、九〇。

 成功したようだ。というか、一〇増えた。

「完成です。分かりましたか?」

「とりあえず、あなた方が調合のちの字も知らないということが分かりました。こんなのでまともな回復薬ができるはずが……」

 そう言いながらディメックさんは容器をのぞき込み、呆然とした表情を浮かべた。

「……できて、います」

「でしょう?」

 もっとまともに調合すれば、もっと効果が出るのかもしれないけどな。

「つまり、その液体に秘密があるという訳ですか。その液体は、一体どうやって手に入れたんですか?」

「さっき入れた液体の作り方は──」

「教えられません」

 企業秘密です。と言おうとしたところで、メルシアが俺の言葉を遮った。

 今までは黙っていたメルシアだが、俺が余計なことを話さないようしっかりと見張ってくれていたらしい。

 こういう役割の人がいると、安心して交渉に臨める。

『静寂の凍土』の件でギルドのレーシアさんと話した時には、散々だったからな。

 ……いや、むしろ交渉に関しては、俺自身がいらないのではなかろうか。

 次はメルシアに丸投げしてみよう。俺は交渉なんて全くの素人な訳だし、優秀な商人ならば俺よりよっぽど上手くやってくれるはずだ。

「希望者が見つかった! それもなんと、あのエイヘさんだ!」

 そんな話をしているうちに、ホピッタさんが戻ってきた。

 無事、協力者が見つかったようだ。