カード一枚目
「冴え渡る知略」
「おー、ここにいたか。いやー、二軒目で見つかって良かった」
はっはっはと、御代金之介は、酒場の軒先で転がっているイレヴを抱え上げた。
「さあイレヴ、迷宮探索の時間だぜっ!」
笑った金之介の前歯が、朝日を受けてキラリと光った。
「ちょっとー、金之介さん。ようやく追いついたわよ、もう。……で、迷宮に潜るって、本気なの? というかバカでしょ」
両手を腰にあてて、アイリーンが立ちはだかる。
「なんで? だって、今日は自由にしていいって、城主のおっさんが言ってたじゃん。だったら迷宮に行くでしょ」
「ねえ、明日からわたしたち、王都に駆け上るのよ。決戦よ。サクリューン様は準備があると思って、そう仰ってくださったの。……そもそも緋の迷宮都市を出るときもイレヴさんとずっと呑んでいて、何も準備をしなかったわよね」
「あれはユージン師匠がわざと言わなかったんで、俺は知らなかったんだって」
「ならいま言ってあげるわね! ……さっ、金之介さん。明日の準備をしましょう」
「大丈夫だって、準備はできているよ、きっと。……ほらっ、こんなにいい天気なんだしさ」
アイリーンの小言も、金之介はどこ吹く風である。それどころか、朝日に手をかざし、眩しそうに目を細めている。
まるで主人に叱られている途中で、首筋をバリバリ掻きむしる愛犬のようである。つまり、人の話を聞いていないのだ。
「………………金之介さん、そんなに迷宮に行きたいの?」
「そりゃ、もちろん! だって、せっかく迷宮都市にいるんだぜ。やっぱ潜るしかないでしょ」
アイリーンがギロリと金之介を睨むが、本人はイレヴを小脇に抱えて、スキップしそうなほど上機嫌だったりする。
これが犬ならば、尻尾を激しく振っている所である。
「はぁ────」
それなりに付き合いの長いアイリーンは、分かってしまう。言ってもどうせ聞きやしない。こういう時の金之介は激しく面倒臭いのだと。
「もうー、明日から本当に大変なのに……わたしは知らないからね!」
「よし、じゃあ行こう、すぐ行こう!」
「ちょっと待ちなさいってば! 迷宮に行くって……わたしは言って……なっ!」
今にも走り出しそうな金之介の腕をアイリーンが引っ張るが、もちろんそのまま引きずられる。
「ちょっ、ちょっと……足をっ! 速いって、危ないわよ……ねえ、聞いてる? 聞こえているわよね……こらっ、金之介ぇ! 危険だから、止まりなぁさぁあああああああぁぁぁぁ……」
酒場の前から、アイリーンの悲鳴が徐々に遠ざかっていった。
金之介がこれから向かおうとする先は、水上都市にある蒼の迷宮。
一方、湖岸では、第三王子と周辺領主の連合軍が展開している。もはや一触即発の状態である。
ウォーターバード家の当主サクリューンは、第三王子軍とハナから戦争をはじめる気であり、現在は水軍の調整中である。明日には第三王子軍相手に大侵攻を予定している。
都市の住民も、開戦は避けられないことは分かっていた。むしろいま、都市をあげてその機運が高まったところである。
そんな中、金之介は……。
「いやっほぉー、着いたぜ! 迷宮が俺を待っている────」
いつもと変わらなかった。
迷宮管理部前。
「金之介さん……ゼエ、ゼエ……待ってって……ゼエ……言ったでしょ! ゼエ、ゼエ……」
「あー、何か聞こえてたかも」
「お、覚えてらっしゃいよ……ゼエ、ゼエ……この恨み……ゼエ……迷宮勝負で晴らしてあげるんだから」
「そんな怒るなって。……ほら、着いたんだし、中に入ろうぜ。イレヴもいいよな」
金之介が問いかけたちょうどその時、イレヴの首がカクンと揺れた。見た目には頷いたようにも見える。
ちなみにイレヴは、いまだ目を覚ます気配がない。
「よし、イレヴだって同意してるし、行くか」
「してないでしょ! いまのどう見ても首が揺れただけじゃないの……というか、さっきから階段をあがるたびにイレヴさんの首がガクンガクンしてるんだけど、平気なの? イレヴさんの首、おかしくなってない?」
アイリーンが覗き込むと、イレヴの目は大きくバッテンになっていた。
「すみませーん」
「はい、なんでしょ……えっ!?」
受付は、金之介の腕の中にある屍状態のイレヴを見て、目を丸くした。
視線はイレヴと金之介の間を交互に行ったり来たりしている。
「ちょっといいですか?」
朗らかに尋ねる金之介に、受付の女性は一瞬絶句するものの、職業意識が顔を覗かせた。
「……何でしょうか?」
「すぐに迷宮に潜りたいんですけど」
「えっと……新規の登録ですか?」
「いや、違うけど……以前の受付の人じゃないな。ローテーションで変わるのかな」
「そうなんじゃないの? 金之介さん。なんか、困ってるわよ」
「深層へ下りたいので、奈落の使用許可が欲しいんですけど」
「な、奈落でしたら、他の迷宮で許可を受けていれば、登録だけで大丈夫です。初めての場合は、試練の儀を受けていただきますけれど……その、お連れさんも……ですか?」
いまだイレヴは「きゅ~」状態である。
「おー、試練の儀ね、懐かしいな。けど、大丈夫です。……はい、自己カード」
「あっ、すでに深層の経験者ですね。えっと……緋の迷宮と……あれ、蒼の迷宮が載っているじゃないですか……って、えー!? め、めっ……迷宮踏破者ぁ!!」
最後は大音声である。
この叫び声は、その場にいた探索者の耳にとまった。周囲の視線が、一斉に金之介に集まる。
「………………ん?」
「ちょっと! 注目されちゃったじゃない」
アイリーンが嘆くのもそのはずで、彼らの目は驚きに見開かれ、いままさに大注目の的である。
「……す、すみません。軽率でした」
すぐさま受付が謝罪するが、もう後の祭りである。
「おい、迷宮踏破者だって? ……声かけてみろよ」「お前が行けよ」「さ、サイン……欲しい」「こっち振り向かねえかな」
探索者たちがヒソヒソと話をしながらにじり寄ってくる。互いに肘でつつき合い、血走った目で迫ってくる。その様子に、アイリーンは怖気立った。
「だぁ~~、ここにいると危険そうだから、迷宮に行くわよ。……ねえ、すぐにわたしたちの登録をして!」
「はっ、はい!」
「はやくお願いね」
「か、かしこまりました」
自己カードに印がなければ奈落が使用できない。もちろんなくても同乗することはできるが、何かあった場合に、奈落が使えなければ、一人で帰還できない。
ゆえになるべく全員が印を持つ、つまり深層に下りる資格を有していることが望ましいとされている。
ただし、迷宮先導者などが印のない若者を連れて行ったりする例もあるので、必ずしもパーティメンバー全員が持っていなくても罰則はない。
「あー、イレヴさんの分はどうしよう。自己カードを出せるかしら? まだ酔っているみたいだし、無理よね」
このメンバーで金之介が倒されるほどのカーディが出た場合、残ったイレヴとアイリーンだけでは、離脱と帰還は絶望的である。なので、あえて必要ないという考え方もできる。
「……おい、イレヴ。起きろ」
「………………」
「……起きないわね。でも考えてみれば、金之介さんはこの迷宮の踏破者だし、それを上回るカーディが出るわけないわよね」
だったら心配はないと、アイリーンだけ印をもらって、二人プラス手提げイレヴは奈落に向かった。
深層の第十層で探索を始めてすぐ。
「…………で、あなたたちはなに?」
ジト目でアイリーンは後方を睨む。
「へへへ……どうも」
探索者たちが苦笑いをしつつ頭を下げる。
「なにをしているのかって、聞いているんだけど?」
アイリーンは腕を組み、胸を反らせて、跡をつけてきた多くの探索者たちを睨んだ。
彼らは気まずそうに視線を外す。理由は明白である。彼らは迷宮踏破者の戦いをひと目見ようとついてきたのだ。
別にパーティの跡をつけてはいけないと明文化されていない。もちろん、邪魔だからと蹴散らしてもいいのだが。
「……ほんっとうに、もう!」
最近、自分でもプリプリし過ぎているなとアイリーンは感じるが、緊張感のない金之介や、明日の決戦を前に酔いつぶれているイレヴを見ていると、本当に現実を理解しているのか疑いたくなってくるのだ。
金之介は彼ら探索者の頂点、つまりアイドルである。その戦う姿をひと目見ようと、ゾロゾロと跡をついてくるのを見ると、自分だけ悲愴感を漂わせているのがバカらしくなる。
もちろん金魚のふんが連なっては、鬱陶しいことこの上ない。だが、探索者たちにとって、迷宮踏破者の戦いを間近で見られるなど、千載一遇のチャンスである。
夢の具現者、一線を越えた者、自分たちの憧れ、究極の目標……そんな存在が迷宮に潜るとなれば、可能な限り近くで見てみたいと思うのが探索者の性と言えよう。それだけに、いくらアイリーンに睨まれようとも、引き下がるつもりはないようだ。
「まったく脳筋たちの考えることは……いいわ、金之介さん、勝負よ!」
「…………ん?」
「扉のロックをどちらが速く外せるか、さっそく勝負をしましょう」
「いや別に……速さなんか競ったってしょうがないだろ」
「さっきのリベンジだから、拒否はできないわよ! じゃあ、開始ね」
アイリーンは台座にカードを置いた。
区画を隔てる扉には必ずロックがかけられている。
それをカードで解除するのがアイリーンの仕事である。
迷宮司令者と呼ばれるそれは、カーディと直接戦うのではなく、台座にカードを置いて、敵を殲滅するカード使いなのだ。
アイリーンが集中し、四体のパペットを生み出した。ロック解除の始まりである。
深層の第十層になると、生半可な力量ではたどり着くことはできない。
ゆえにこの深さまで来られる探索者の数はかなり少ない。ここで狩りをするのではなく、ここまで来ることができるパーティがである。
先ほど噂が噂を呼んで、多くの探索者が集まった。それでもいま金之介たちの跡をついてきているのは、四パーティ分の二十四名しかいない。
彼らは安全マージンを取っているわけではない。金之介たちの通ったルートから外れれば、そく命がけの戦闘になる階層である。
ちなみに金之介は迷宮を踏破しているので、どの階層でも下りることができる。今回は、イレヴ(酔いつぶれ中)やアイリーンがいるため、安全圏である第十層でということに決まった。
もちろんその時の会話を聞いて、探索者たちが絶句したことを金之介は知らない。
「お、おい。レベル十三が七体とレベル十四が八体出たぞ……」
「レベル十四が八体って……死ねるな」
「ああ、マジ死ねる……こんな深い階層をたった三人で大丈夫なのか? というか、左手でドワーフを抱えたままで戦うぞ」
「そもそも、ひとりはコマンダーだからカードバトル専門で戦力にならないし……って、ええ!? ということは、実質一人?」
「まさか……」
「は、始まった」
迷宮の各階層は、区画と呼ばれる六角形の部屋がいくつも連なった構造になっている。この区画間を移動するときに、探索者の離脱率が一番多い。大抵は大怪我をして引退し、運が悪ければ死亡する。
「ちょっと、金之介さん、速い! ウソでしょ、どういうことなのよ!」
扉のロックを外すときに、カーディが十数体出現する。それはいい。
アイリーンだって承知済みである。
余裕をもって探索しているパーティですら、このロックの解除作業には細心の注意を払う。
選定者でありカードさばきの訓練を積んだアイリーンだからこそ、勝負を挑めるのだ。だが……。
「ちょっと! なんでこんなに差がつくのよ! 金之介さん、何かズルしてない?」
「何もズルなんかしてないって。つか、この階層じゃ燃えないな……もっとほか行こうぜ」
「今から戻るのめんどい」
金之介(イレヴを抱えたまま)とアイリーンが言い合いをしながら、解除した扉をくぐっていった。
残された探索者たちは追うこともできず、呆然としていた。
「な、なあ……」
「あ、ああ」
「オレの見間違いじゃなければ……さっきの戦闘……カーディを瞬殺してなかったか?」
「してた。しかも巨漢のドワーフ抱えたままだった」
「良かった! おれの見間違いじゃなかったんだな。なんだか、自分の目が信じられなくってさぁ」
「分かるよ。というか、コマンダーの女の子。………………あれ、何者だ?」
「パペットをいくつ出したんだ? カードで処理するの、メチャクチャ速かったぞ」
「そうだな。カードの処理時間……ウチのパーティの五分の一くらいだった」
「おれんとこなんか、比べるのすら嫌になるほど差があったけど……」
「ああ……」
「それでも迷宮踏破者の方が圧倒的に速かったって、どういうことだ?」
本当にどういうことなんだ? と端で見ていた彼らは一様にそう思った。
一緒に扉をくぐれば跡を追えるのだが……誰もそんな気になれなかった。
それほどまでに、目の前で起きたことが衝撃的で、圧倒的すぎたのである。
「あれ? いつの間にかギャラリーが消えたわね。なんか、後ろがスッキリしたわ」
「ん? ほんとだ。どうしちゃったんだろな」
「さあ……でも清々したわ。それで金之介さん、また強くなってない?」
「そうか? カーディが弱かったんじゃないか?」
「そんなことないわよ。もう殲滅速度じゃ全然敵わなくなっちゃっているわ。これでもずっと修行を積んでいたのに自信を無くすわ。まったく……」
アイリーンは選定者の印が出てからは、来る日に備えて、厳しい修行を自分に課した。
その甲斐あって、近年まれに見るカード使いに成長したと自負している。
だが、緋の迷宮以来、金之介との勝負は惨敗が多く、いまの勝負に至っては、ほとんど相手にならないほど差が開いてしまっている。
あれ? 自分の力量って、こんなものかしらと、試練の本番を前に、アイリーンの心は折れかかっていた。
「おっ、ここ階段がある。下りてみようか」
区画の中には、ときおり下層に繋がる階段があり、どこへ繋がっているかわからない。そのため、下りた先がテラーキャッスルのような、強いカーディが出る階層に続いていることもある。普通の探索者は先の情報がない限り、見つけた階段を使用することはない。
もちろん金之介たちは下りる。アイリーンも別段気にした風でもない。イレヴは抱えられたままなので、文句を言えない。
つまり……。
「随分下りたなぁ。どこだろ、ここ」
「けっこう長い階段だったわね。……四層か五層分は下りたわよ」
岩がゴロゴロと転がっている区画に出た。
よほど冒険心に富んだ探索者でも、あれだけ長い階段を下りるならば途中で引き返す。
出現するカーディのレベルがひとつ上がれば、大怪我する確率は跳ね上がるのだから。
「金之介さん、なにか来たみたい」
「地面が揺れてるな。何だろ、これ」
「迷宮内部で地響きと言ったら、カーディの足音に決まってるでしょ。この階層の天井はかなり高いし、巨大なカーディが出ても、わたしは驚かないわね」
「そういうこともあるのか。おおっ、デケェ!」
獅子舞のような顔をしたカーディが、大岩の奥から顔を覗かせた。黒い鬣を持ち、上下二本ずつ計四本の牙がある。
そして金之介が注目したのは、額にあるもうひとつの目である。
「緑色の目が、額の真ん中にあるぞ」
「やばっ! 【碧王君LV16】じゃないの。ちょっとまずいかも。どこまで下りたんだろ」
「へきおう……どういうカーディなんだ?」
「全身が宝石みたいに固いのよ。手や足どころか、身体を失っても、周囲の岩を吸収して復活するの! 弱点は額の碧玉だけど、あそこが一番固いのよね」
アイリーンは数歩下がった。あれは完全な防御型のカーディで、どうやっても長期戦になる。
この区画の縄張りがどうなっているか分からないが、碧王君と戦っている間に戦場が移動すれば、他の強力なカーディの索敵エリアに入りかねない。そうなれば撤退も難しい。
「金之介さん、ここは一旦てった……なんで突っ込むのよ────!」
撤退を進言する前に、金之介は「ヒャッホー」と雄叫びをあげて突っ込んでいった。それはもう嬉々として。
だが碧王君の動きは速い。
巨体に似合わず俊敏な動きで、金之介めがけて一直線に咬み付こうとやってくる。
「おおっ、来たな! ……だったらこっちは、秘技、イレヴ受け!」
金之介は碧王君の前に抱えたイレヴを差し出した。
──ギィイイイイン!
碧王君の大口にイレヴの身体が支え棒となった。鋭い四本の牙をイレヴの鎧が受け止める。
「…………………………ん?」
全身を襲った衝撃でイレヴが目を覚ました。
──グルルルルルルルルルルルル。
ヨダレを垂らし、イレヴを呑み込もうと碧王君は顔を左右に揺らす。
「……………………ん? んんっ!?」
ようやく目の焦点があったイレヴが見たのは、自分を一呑みにしようとした、碧王君の口の中だった。
「……!? ムッフー!!」
無茶苦茶に暴れたイレヴの手や足がうまい具合に牙に当たり、かろうじて丸呑みは避けられた。
「ナイスだ、イレヴ。あとは任せろ!」
見事、金之介の蹴りが碧王君の胴体に決まった。
その後は金之介の連打(時々イレヴ入り)によるたたみ掛けで、碧王君はカードに転化した。
「なかなかいい戦いだったな」
笑顔の金之介とは対照的に、イレヴは隅っこの方で膝を抱えて泣いていた。
寝起きに見たものが、レベル十六カーディの口の中だったのだ。当然の反応と言えよう。
ここがどこなのか、なぜ自分はここにいるのか、いましがた死にかけた原因のカーディはどんな存在なのか、自分はここから無事に帰れるのかと、金之介が本気で謝るまで、イレヴは自らの膝頭に顔をうずめて泣き続けるのであった。
帰りしな、「これが寝起きドッキリってやつだな」と金之介が満足気に呟き、それを聞きつけたイレヴが戦斧を力いっぱい投擲した。
回転しながら飛来する戦斧を後頭部に受けた金之介に、イレヴもアイリーンも心配する素振りはまったくなかった。いつもの事と言えば、いつもの事である。
金之介たちの休暇、決戦前のつかの間の一日は、こうして過ぎていった。
◇
ウルスタン公城にある領主の執務室。
「では、練兵場になだれ込んだ敵領兵を軽くひねってきます。何も心配はありませんので、主はここにいて結構です」
「おいっ、それって王子たちに与した領主の兵のことだろう。もう少し穏便にできないのか?」
「主の居城に攻め入ってきた敵に情けをかけるのですか?」
モリンは眼鏡の縁をつまみ、心なし上目遣いでウルスタン公を見つめる。
「同じ人族領の兵どうしで戦うのもなぁ。お前ならば、戦わずに済ますこともできるだろう」
「そうですね。……ですが、この先を見据えた場合、この緒戦はとても意味があるのです」
「この先……また何か企んでいるのか。だが、我々がこんな所でいくら勝ったとて、王が誕生するのは王宮だぞ」
「ええ……ですから、主はここで黙って見ていてください」
「だ、黙ってって……お前、雇い主に対してそれはないだろ」
「それでは行ってまいります」
モリンはウルスタン公を一瞥すると、ヒールの音を響かせて執務室を出て行った。
モリンが廊下を歩くたび、次々とやってくる部下が、書類を差し出す。それを一読し、必要なものにサインする。流れ作業のような一連の行動に目を剥く者はいない。ここ、ウルスタン公城では日常的に行われている光景だ。
(さて、ここまではいいとして、問題は王城からドワーフ族領までの距離ですね。ここの戦いと水上都市の情報が王宮に届く……即日ドワーフ族領へ赴いた近衛兵を呼び戻すとして、日程的に間に合ってしまうのが頭の痛い所です)
現在、ウルスタン公城に第四王子とその取り巻きがいる。
いまこの領内には、ウルスタン公が動員できる最大兵力のおよそ四倍の敵兵が駐屯していると報告にあった。
まともに戦ったらとても勝てる数字ではない。
一人の部下が寄って来た。モリンは歩きながら書類を受け取り、サインをして手渡す。
城の広間まで出ると、兵装を揃えた数人の男たちが整列してモリンを待っていた。
「ご苦労様です。……さて、以前伝えたと思いますが、これより第六号作戦を決行します。各自、準備はよろしいですか?」
モリンは、集めた分隊長たちを眺めて、最後の確認に入る。
「第一分隊、準備完了しております」
「第二分隊、現地にて待機中です」
「第三、第四分隊はすでに配置済みと先ほど報告が入りました」
「……いいでしょう。あまり敵を待たせてもしょうがないので、さっさと片付けてしまいましょう。開始のタイミングは、第一分隊長のあなたに任せます」
「ハッ!」
「他は合図があり次第、行動に移ってください」
「「「了解しましたッ!」」」
分隊長たちが踵を揃え、一斉に敬礼をして去っていく。
「……あとは見ているだけで問題ありませんね。では、私は頭の痛い問題を片付けてしまいましょうか」
◇
ウルスタン公の動きを掣肘し、城に選定者がやってきたら確保すべし。
第四王子カンブ・スローファロガロは、そんな命令を第一王子から受けていた。だが今は、モリンと行った『勝者の要求』に負け、十日間、この部屋で何もしないことを約束させられている。
カードの神様が作ったカードゲームで負けたのだ。その結果を反故にすることはできない。仕方なく、カンブは部下たちの誰とも会わず、城の一室で今日も無為に過ごしている。
──ワァアアアアアアアア。
外から大勢の人が発する声が聞こえてきた。
「なんだ、この声は?」
カンブは窓際に立ち、外を眺める。練兵場から砂煙があがっていた。
「訓練……ではなさそうだが」
城の窓から見下ろすことはできたが、練兵場自体が壁に囲われているため、中で行われていることまでは、窺い知ることができない。
「誰かに様子を……って、くそっ」
勝者の要求で定められた期間はあと二日残っている。ここで動いて、約束を反故にしたと判断されてしまえば、カードの神様の加護を失うことになりかねない。その場合、わずかに残っている王位に就ける権利が喪失し、自己カードにも何かペナルティが書き込まれるかもしれない。
練兵場が気になるとはいえ、たった二日間が我慢できなかったことで将来を棒に振ることは、カンブにはできなかった。
外の歓声はさらに大きくなる。
「なにが起こっているんだ?」
その場で飛び跳ねてみたが、もちろん分からない。
「くそがぁ! ……痛ぇて!」
カンブは思いっきり壁を蹴り、つま先を押さえて飛び上がった。
「なにをやっているのですか。……いま、他領からやってきた領兵たちを拘束しているところですよ」
片足を押さえて飛び跳ねている所に、モリンがやってきた。
「兵を拘束だと? どういうことだ!」
「進軍に邪魔でしたので、排除することにしたのです、王子」
「だが、どうやって……武装した兵たちだぞ、そう簡単には行かないだろう」
「ええ、ですから、王子が連れてきた兵を利用させていただきました。そもそも、第一王子の口車に乗って軽々しく兵を動かした連中ですよ。虚栄心の強い領主が考えることなど、簡単に予想できます」
彼らが第一王子に恩を売るには、ただ兵を出せば良いのではなく、何らかの戦果が必要であるとモリンは考えた。しかもできるだけ損害が少ない形が望ましい。
そこでモリンは、第四王子が選定者に関する証拠を掴んだと噂を流した。選定者を不当に匿ったウルスタン公は政敵である。力を合わせて排除しようと。
第四王子が城の内部から決起するので、それに呼応してほしい。
そう偽の作戦案を提示した。
「選定者が水上都市にいる情報は、早ければ明日にはここにも届くでしょう。ですので、それよりも前に行動を起こす必要があったのです」
「せ、選定者が水上都市にいるのか? 私はドワーフ族領と聞いたが……」
「もちろん、そう思わせたのですけど、やっぱり勘違いしていましたか」
重要な事実をあっさりと言われ、カンブはわなないた。と同時に、選定者の居場所はもはや重要ではなくなった事実に驚いた。
自分の知らないところで、事態が進んでいるのだ。
「水上都市と言えば、ウォーターバード家だな。いつの間にそんなところに」
「それはまあ、色々と……それで、周囲にいた領兵ですけれども、偽の反乱計画にすっかり騙されて練兵場に突入。前後の出入り口を閉鎖されて完全に孤立しました。上から矢で脅したら、すぐに降伏しましたよ。ちなみにこちらは無傷です。あっ、それと王子が連れて来た兵たちですが」
「まさか……」
「大変心苦しいのですが、事前に拘束させていただきました」
「………………」
完敗である。ある意味、戦う前から終わっていた。
選定者はすでに水上都市におり、連れてきた兵は何もできずに拘束された。しかもカンブ自身もあと二日間は動けない。手も足も出ないとはこのことだ。
「それで、私がここへ来た目的ですけれども……」
「無力な私を笑いに来たのか?」
「いえ、見事に作戦に嵌まってくれたとは思いますが、決して笑うなどという気持ちはございません」
「だったら、何の用だ?」
「いくつか確認したいことがございます。それと、答えていただけるか分かりませんが、質問も少々……」
「…………ふん。言ってみろ」
どうせ何もできないのだ。少しでも会話を伸ばして、自分が知らない事情を聞き出そうとカンブは考えた。
「今回カンブ王子が連れてきた兵ですが、指揮権はどうなっておりますか?」
「……どういうことだ?」
「兵は三つのタイプに分かれていますね。カンブ王子に忠実な兵と、別の命令系統で動いている兵がいます。そっちは第一王子が付けたのでしょう。それと……」
「まだ他にいたかな?」
カンブは思いつかない。
「それとは別に、妙に垢抜けた兵がいますね。まるで歴戦の……そう、古強者のような印象を持った兵です」
「そんなの……いや、あいつらか。そういえば……」
モリンがカンブの兵を拘束するときに注意したのが、この連中であった。
実力も判断力も他の兵と段違いであり、下手に動くと、こちらの意図を察するだろうと思われた。
モリンはその兵の出処が知りたかった。
「彼らはどのような存在で、なぜカンブ王子と行動をともに?」
「あれは元カーディハンターたちだ」
「…………ふむ」
モリンの頭脳はめまぐるしく回転した。
三人の王子が相争ったとき、たしかに多くのカーディハンターが雇われた。それでも数合わせの意味合いが強い。
兵士とは、そもそも日々訓練を積むのが仕事である。生活のすべてを管理され、規律を守らされ、戦いに備えて鍛えさせられる。
集団で生活し、集団で行動する。そして事がおきれば、集団で戦う。
いかにカーディとの実戦経験が豊富であろうと、集団行動の苦手なカーディハンターたちは、優秀な兵士たり得ない。
金のために兵士に鞍替えしたカーディハンターに、モリンはそれほど価値を見出していなかった。
だが、カンブに付いてきたのは、その中でも一流と呼ばれる者たちなのだろう。
そこらの兵士が束になっても敵わない。そんな印象を受けた。
「私は奴らとはあまり話もしないし、どういう連中か詳しく知らんぞ」
「元カーディハンターの中には、とびきり優秀な者もいますね。おそらくはあの中の何人かがそうでしょう。……とすると、密命を帯びた特別な兵という認識でいいのでしょうか」
「密命? 兄上から密かに命令を受けているのか?」
「選定者が現れた場合、彼らが確保し、王宮まで連れて行くくらいは言われているでしょうね。……その場合、カンブ王子と敵対することに……なるほど、王子の抹殺要員も兼ねていましたか」
「まっ、抹殺……」
モリンの話が正しければ、カンブは自分を殺す人間を一緒に連れ歩いていたことになる。
「選定者がもし現れたら、王子は素直に渡しましたか?」
「むっ……それはだな」
確かに、選定者が目の前に来たら、自分はどう行動したであろうか。
第一王子に渡すことをためらった可能性は高い。
この地を拠点にして他の領主を味方につける。何しろ自分も王子なのだから、王になる権利はある。そして選定者を手に入れたいま、正義は自分にある。その事実を大々的に広めて、第一王子を追い落とす。
実際に考えていたことだった。
「信用されてなかったのだと思いますよ。選定者は物ではありませんので、本来奪い合うという表現は正しくないのですが……そのつもりだったのでしょう?」
指摘されて、カンブの目は泳いだ。
「……だ、だったら、どうなのだ」
「別に責めているわけではありません。第一王子がそのことを予想して、抹殺要因を随行させたのも頷ける話だと思っただけです。……カンブ王子を殺して、我が主のせいにするつもりだったのでしょう」
「……やりかねんな」
カンブはドンガラス第一王子の性格を知っている。血を分けた兄弟を潰すのに、遠慮する人間ではない。
「それでですね、あのレベルの兵が、王城にあとどれくらいいるのか知りたいのです。元カーディハンターならば、第一王子の私兵の中にもいますよね」
第三王子も第四王子も表向きは、第一王子の軍門に下っており、両王子とも独自の兵は持っていない……ことになっている。
もちろんそれが表向きであることも、第一王子は分かっている。だが、カンブが私費で雇った者は数も少なく、脅威にはならないと、今はお目こぼしされている。
「あのレベルならば、兄上のところにもそれほど残ってないはずだ。私の護衛ということで兄上がつけたときも、そのようなことを言っていた。チンディーの方にも同数をつけたようだしな。数については、私も詳しく知らないが、兄上の言動からすると、他にまだ多数いるとは思えない」
「なるほど……確かに高レベルのカーディハンターは貴重ですしね。しかも人族に限定しているようですし……では王城に残した元カーディハンターたちは、あまり外に出しにくいタイプの者たちなのかもしれません」
「その辺もよく分からん。もう残っていないかもしれんぞ。何しろあそこには……」
「ああ、黒犬公に率いられた近衛隊がいますものね。……ありがとうございます。いまのお話で充分です。彼らの数が貴重ならば、おいそれと他の領主に貸し出したりもしないでしょうし。私の戦略に変更はなさそうです」
「……逆に私が聞きたい」
「何でしょうか」
「こう言っては何だが、いくら選定者がそちらにいようとも、数は圧倒的に私らの方が上だ。協力する領主や上位貴族の数も合わせれば、差はもっと開く」
「そうですね」
「お前たちの味方をする者と言っても、口だけで簡単に兵を出す領主ばかりとも限らんだろう。勝てばいいが、負ければすべてを失うのだからな。そんな状態で勝てるはずがない。なのになぜ、戦いを挑もうとする?」
「……そうですね、答える前に勘違いしているようなので、ひとつ訂正しておきましょう」
「ん?」
「私は勝つつもりはありませんよ」
「…………えっ?」
「負ける戦を仕掛けているのです。『私は』ですけれども」
「どういうことだ? 相変わらず、言っている意味が分からん」
「カンブ王子とその兵、我が領へ侵入してきた他領の兵たち……他にも街道に展開している多数の領兵や、ドワーフ族領にいる近衛兵たち……彼ら全てを相手にして、勝てる見込みはまったくありません」
「…………」
「どうせ負けるならば、より多くの兵をこちらに集めて……そうですね、王城からも多数の兵もこちらへ進軍させたいですね」
「おまえまさか……囮になるつもりなのか?」
「戦術的には負けても、戦略的には勝てるかもしれないと思ってます。王手をかけるのは、少なくとも私ではありませんので。必要ならば、囮でもなんでもしますよ」
「………………」
「そういうわけで、私の負け戦をとくとご覧ください」
モリンは微笑んだ。