ACT1 ヒーローって何?
「なあ、母ちゃん。ヒーローって何?」
「はあ? ……ああ、アレ。二丁目の西川さんとこのおじさんでしょ。ほら、あんたがもっと小さい時に、戦闘員から助けてもらったじゃない。今はちょっとボケが進んでるみたいで夜中にうろうろしてるみたいだけど」
「……ヒーローってそんなもんなのかな」
「そんなもんよ」
「そうかなあ」
ヒーローってなんだ。
幼い頃の俺は辞書を引いたり、親に尋ねたりもした。そうして、自分なりに、子供なりに得た答えは単純且つ明快なものであった。ヒーローとは英雄であり、主人公である、と。ヒーローとは人知を超えた力を持ち、救世主的な行為をする者のことらしい。仮面をつけたライダーだったり、三分間だけ大きくなれる人間だったり、五人揃って悪を打ち滅ぼしたり。
じゃあ、どうすればヒーローになれるんだ?
そう思った俺は、やっぱり辞書と親に答えを求めた。でも、そいつは得られなかった。今でもそうだ。俺は何も分からず、何も知らず、ただ、ガキみたいに何かを求めている。しかし、しかしだ。思うに、ヒーローとはいわば正義。なら、その逆に位置するモノが必要になる。即ち、悪。悪い奴がいて初めて、正義ってもんが出てきて、ヒーローだと持てはやされるんじゃあないか?
正義と悪。
じゃあ、その二つは誰がどう決めるものだってんだ。俺には良く分からない。何が正しくて、何が間違っているのか。誰が正しくて、誰が間違っているのか。俺には分からない。
ヒーローってなんだ?
分からないまま今日が来る。見ず知らずの誰かが守り、作ってくれた今を生きる。俺に許されたのはそれぐらいのものだった。
「しつっこいんだよ!」
「怪人なら向こうにいんだろうがよ」
「下っ端狙うような狡い真似しくさりやがって」
地面を強く蹴っ飛ばす。夜の港を跳ねるようにして駆ける。後ろからは悲鳴と爆発音。鈍い音と高笑い。遠くの暗がりがぼうと赤い光で灯った。また一人誰かがやられたらしい。すまないとは思わない。残った俺たちは林立する倉庫の陰に急いで身を隠し、息を整える。
「ちくしょうが。何人残ってる?」
「……五、六……ああ、くそ。六人しかいねえ」
俺は息苦しさに耐えかねて、少しの間だけ戦闘員のマスクを外した。額の汗を拭い、長い息を一つ吐き出す。海からの潮風はべたついていたが、それでも火照った頬にはちょうどよかった。
安っぽい作りのマスクを右手で握り締める。ぐしゃりと潰れた黒いそれは、俺そのものだ。使い捨てられて、いつでも切り捨てられちまう。
誰かの声に反応して空を仰ぎ見れば、中空を飛ぶ男が見えた。もっとも、そいつだけじゃない。さっきからずっとだ。俺たちはずっと、やつらに追いかけられている。
理由ならある。俺たちが悪いやつで、あいつらがヒーローだからだ。
物音が大きくなり、何者かが近づいてくるのが分かった。これ以上じっとしていると頭がおかしくなりそうだった。俺たちは一斉に物陰から飛び出す。
「やべ……! 正面からでけえのが二人っ」
「全員散って逃げろ!」
「その後はどうすんだ!?」
「祈れ! こっちに来るなってな!」
今はごちゃごちゃと考えられる余裕がない。とにかく走って逃げるしかない。
そして、俺は祈った。こっちに来るな、と。誰かが叫んだ。ちくしょう、と。
もっと速く。もっと遠くへ。そう思って足に力を込める。同時、強い風が巻き起こった。俺はマスク越しの視界でそいつを捉える。
背の低い、空を飛ぶ男だ。赤みがかった茶髪に特徴的な高い鼻。目立ちたがりなのか、大して寒くもない時期だってのに真っ赤なコートを着ている。だが、何より気になるのは足だ。金属が擦れてぶつかるような、妙に高い音を奏でている。靴の裏からは炎が噴き出ていた。
「悪党が。せめて潔く捕まれ」
俺は周囲に目を遣る。空を飛ぶヒーローだけじゃない。どこから湧いて出やがったのか、他のヒーローにも囲まれている。どうやら、狙われたのは俺一人のようだった。
……祈るなんざあ、俺の性分じゃなかったな。神も仏もいやしない。俺みたいなクズを見守ってんのは死神か悪魔くらいのもんだ。
「ボケが。かっこつけてんじゃねえぞ。ザコ狙ってご満悦ってか? あ?」
黙れ、と空飛ぶヒーローは腕を組みながら言った。
「俺の敵を決めるのは俺自身だ。そしてお前は俺の敵だと今決めた。そもそも悪党に大きいも小さいもない。覚悟しろ」
「だあああ来んな来んな!」
「命乞いとクラシックは聞かない主義だ」
空飛ぶヒーローが突っ込んでくる。そいつの攻撃は躱せたが、反撃を狙ったところで横合いからでかいヒーローにしこたまぶん殴られた。最後の一発で俺の世界がぐるりと反転して意識が吹っ飛びかける。気絶するのは堪えたが、身体だけは言うことを聞かずに空を滑っていた。波音が聞こえる。黒い水が見える。あっと思った時には遅かった。
今日の仕事は楽なはずだった。港の倉庫から箱を奪え。俺たち下っ端に下された命令はこれだけだ。いつもそうだ。奪うか、壊すか。俺たちに出来るのはそれくらいのものである。だから見張りがいたって関係ない。適当にボコって適当にやりゃあいい。
だけど現場に到着した途端、俺たち下っ端を指揮するチーフは言った。いつもみたいにやる気のない風に。
『あー、すまん。やられた』と。
何でも上の連中の調査不足とやらで、俺たちはヒーローの待ち構えているところへノコノコと盗みに入っちまったらしい。怪人に出世したばかりの後輩はぴかぴかのスーツを着て張り切っていたが、ヒーローどもに囲まれて呆気なくボコられていた。俺たち下っ端は敵前逃亡を禁止されていない。十数名の戦闘員は上司や仲間を見捨てて、必死になって乗ってきたバスを目指して走った。その途中、ヒーローにボコられたわけだが。
「青井。おい、青井」
俺は名前を呼ばれていることに気付き、勢いよく上半身を起こした。辺りを見回すが自分が倉庫の陰にいるってこと以外、何も分からなかった。ただ、やけに静かだ。さっきまで騒がしかったのが嘘みたいだった。
「……よう、青井。生きてんな」
俺たちはみんな同じマスクをしているが、見分けがつくやつも何人かいる。その内の一人が桑染。俺の同期だ。桑染はマスクの下で人の好さそうな笑みを浮かべているに違いない。しかし油断をしてはならない。何故なら、俺たちは悪いやつだからだ。どこに出しても恥ずかしくない悪の組織の戦闘員である。
が、どうやら、これで一つ桑染に借りを作っちまったらしい。
「ああ。どうなった。俺は」
「どうもなってねえよ。そんな長いこと気ぃ失ってなかったしな。せいぜい二、三分ってとこか。……お前がぶっ飛ばされたところを隠れて見てたらよ、ヒーローどもはみんなあっちへ行っちまった。見捨てるのも後味悪いから引き上げてやったんだよ。感謝しろよな」
「借りならなんかで返すよ。それよか、バスはまだ残ってんのか?」
「たぶんな。まあ、バスがぶっ潰されてなきゃの話だけどよ」
「やめろよ、鬱になる」
「……いつまで『ごっこ』やってんのかね、俺たち」
俺は答えなかった。答えるまでもなかったからだ。いつまでなんて、そんなの決まってる。死ぬまでだ。俺たちみたいなクズやグズはなるべくしてこうなった。
戦闘員は体力が命だ。むしろ健康であればそれだけでもいい。若ければ若いほどいい。俺はまだ二十代で、体だって鈍らないように鍛えている。でも、来年は? 再来年は? 五年経てばもう三十も見えてくる。その時まだ走れるのか? まだ戦えるのか? 答えはきっとノーだろう。そうに違いない。
「粘った方じゃねえの?」
桑染は俺を見ずに言う。こいつだって辛いんだろう。何年やっても、いつまで経ってもうだつが上がらない。このまま安い固定給と雀の涙ほどのボーナスで死ぬまで働かされる。何も残らない。何も遺せない。明日どころか今日を生きるのに精一杯だ。潮時、なのだろう。
「……なんか、あっちで変な音しなかったか?」
耳を澄ませてみる。何だかしんみりしていて気付けなかったが、俺たちのいる方とは反対側から音がする。俺と桑染は顔を見合わせた。確認するまでもない。これは、戦いの音だ。
「ああ、くそ。さっきのやつだな」
桑染が空を指差す。夜の帳を真っ赤な線が切り裂いているのが見えた。……ブースターだ。飛行型ユニットを装着した者がいる。そして考えるまでもない。現れたのは間違いなく俺たちの敵、ヒーローだ。
逃げるか、戦うか。もちろん戦ったところで勝ち目はない。さっきだって呆気なく伸された。俺たちが着ているのは戦闘員用の安物のスーツである。力の差は歴然としていた。が、だからこそ逃げ切れるとも思わない。
俺は立ち上がって首の骨を鳴らした。
「行けよ桑染。俺が囮になってあいつら引っかける」
「いや、いい。ふらふらのお前が囮になっても時間は稼げねえからな。だったら俺が行った方が逃げ切れる確率も上がるってもんよ」
確かにそうかもしれない。今はあちこち体が痛いし、お言葉に甘えようって気持ちもあった。
「……分かった。けど、俺は借りを返す主義だからよ。ちゃんと戻ってこいよな」
「おう。じゃあ、またな」
桑染はそう言って駆け出した。やつが何事かを叫んでヒーローの注意を惹きつける。その隙を狙って、俺は倉庫の陰から飛び出した。
俺がバスまで辿り着いた時、一緒に逃げてきたはずのやつらの数は半分以下にもなっていた。途中でヒーローに捕まってしまったんだろう。運転手もこれ以上は待てないと、残った連中を見殺しにする形でバスを発進させた。咎めはしない。俺だって早く車を出せと煽ったくらいだ。
適当な席についてほっと息を吐き出した時、桑染がどこにもいないことに気付いた。
組織に戻ることの出来た俺たち下っ端は、へとへとになりながらも自分たちに割り当てられている控え室に向かった。
ここにはろくなものがない。ロッカーだって他のやつと共用しなきゃならない。そこに戦闘用のスーツを押し込めてるから、洗濯を欠かすとえげつない臭いが鼻を突き刺す。
埃っぽく、照明の切れ掛けた部屋。ロッカーと机、パイプ椅子。それ以外にゃめぼしいもんは見当たらない。ここが俺の仕事場だ。つっても、ここでするべきことは殆どない。実際、下っ端は現場でひいこら言いながら動き回るのが仕事だ。
何のことはない。俺の勤め先は、噛み砕いて言えば悪の組織である。詳しい実態は良く知らない。高校を卒業してふらふらしていた頃、組織の最下層の戦闘員としてスカウトされて六年。特に何かをやった訳でもなく今に至る。ちいせえ仕事を割り当てられて、二十歳を過ぎても走り回って、たまに正義の味方にぶちのめされるのが俺の仕事だ。
六年経っても組織の実態を掴めていないのは、俺がド下っ端であるのに加えて、そもそもここには実態なんて確かなものがないからだろう。悪の組織なんて言っちまったが、大それた目的なんかも聞いた覚えはない。世界征服なんて大層なもん掲げてたら、こんなところとっくに辞めてたろうが。
「……おい、誰か松田のバカを見なかったか?」
スーツを脱ぎながら、知り合いの行方を同僚に尋ねるやつがいた。きっと、そいつは友達だったのだろう。
「ああ、くそう。あいつ、せっかく怪人になったってのになあ」
「でも次は俺の番かもな」
そんなよく分からない組織にも一応は序列が存在する。縦割り社会はどこにだって存在するのだ。俺たち戦闘員を指揮、監督するチーフ戦闘員や、その上には怪人と呼ばれる奴らがいる。怪人ってのは特注のスーツをあつらえてもらった優秀な戦闘員なのだと俺は認識している。更にその上には四天王と呼ばれる怪人がいやがる。まだ見たことはないが。まあ、存在はしているんだろう。雲の上に住んでるような連中だから関係ないし、この先だって会うことはないだろう。んでもって、組織を束ねる親玉だ。勿論、会ったことも見たこともない。存在しているのかすら分からない。
「ああ、くそう、くそう。なんだってこんな目に遭わなきゃいけねえんだよ」
「もう寝ろって。あんま気にしない方がいいぞ」
こんな仕事をやってるから、誰かが急にいなくなるなんてのは日常茶飯事だ。良心の呵責ってやつに負けて辞めちまったり、ヒーローにとっ捕まっていなくなったり、理由は様々だが、どうだっていい。自分さえ生き延びることが出来ればそれでいい。
だけど、今日は流石に疲れた。肉体的にじゃない。将来のことを強く意識してしまったから、精神的にへとへとである。狭苦しい控え室の冷たく、固い床の上で横になるも、今日はなかなか寝付くことが出来なかった。
組織で仮眠をとった後、家に帰ることにした。帰ったって特にすることはないが、少なくとも控え室にいるよりはずっとましだと思ったからだ。
目の覚めている同僚に挨拶をして組織を出る。朝焼けは鳴りを潜めつつあって、その代わりに近所の犬や、電線に居座る鳥がぎゃあぎゃあと喚いていた。
途中、コンビニに寄って缶コーヒーを買い、店の前でぼけっとしながら時間を潰す。それからゆっくり歩いて行ったって目的地まではすぐだった。
早朝の駅前は混雑している。学校に行く学生。会社に行く会社員。各々があるべき場所に向かう。誰だって他人のことは気にしていられない。この時間帯は一分一秒だって無駄にしたくないんだろう。
「お願いしまーす!」
人の集まる場所にはそれを見越した者も来る。有り体に言えばチラシ配りの連中だ。ここ最近はそういった奴らが増えている。そんで中身も一緒。俺はこの手のチラシは、話の種になるかと思って、だいたいは受け取ることにしている。
もらったチラシを折り畳んでジーンズのポケットにねじ込む。受け取ったにもかかわらず、女の子からのお礼の言葉はなかった。少なくとも、俺には何も聞こえなかった。
ホームで電車を待っている間、俺はポケットに突っ込んでいたチラシを取り出す。『ミストルティン』と書かれていた。社名だろうか。どこも金や人手に困っているんだなあ。が、金に困っているのは俺もだ。と言うか、誰もが、今も何かに困っている。
……俺が生まれるよりももっと前、この国の国会と呼ばれる場所は崩壊した。詳しいことは未だに分かっていない。別段、知りたくもない。それよりも前は、今よりも随分と平和だったらしい。国民はのほほんと暮らしていたそうだ。いや、そいつは今も変わらないか。
ともかく、この国は一度無法状態となった。そりゃそうだろう。国民の代表機関、国権の最高機関、国の唯一の立法機関なんて呼ばれるところから壊れちゃったんだから。両親や爺ちゃんから聞かされた限り、それはもう酷いことになっていたらしい。学校でだって習った。人は死に、殺され、街は壊れて滅んでいった。国としての機能は既になく、他国だって見て見ぬ振りを通したそうだ。
でも、ちゃんとある。人はまだ生きてるし、街だってある。この国は今だってきちんと世界地図に載っている。
この国を救ったのはヒーローと呼んで差し支えない傑物だった。当時の内閣総理大臣である、御剣天馬だ。もっとも、形だけ。肩書きはあるがないに等しい。空っぽの総理大臣だ。けど、彼はやり遂げた。成し遂げた。日本という国を見事に再生したのだ。ヒーロースーツで。
ヒーロースーツだ。
何もふざけている訳じゃない。少なくとも、当時の総理大臣は真面目そのものだったに違いない。ヒーロースーツってのは、長ったらしいからとマスコミが縮めて広めた通称である。元の名前は身体強化なんちゃら甲殻だのと言うらしい。名前はどうであれ、性能は凄まじかった。何せ着るだけでいい。誇張ではなく、パンチは岩を砕き、ジャンプをすれば数メートル跳ねる。どこの科学者に作らせたのか、当時の人間にとっては夢の世界、お伽話にも思えただろう。テレビで見ていたような奴が、そっから抜け出して悪徳議員やら暴力団をボッコボコにしていくのだから。力には力だ。御剣は恐ろしい力を持ったヒーロー部隊を組織し、一年ほどで国を治めて纏め上げたのである。無論、反発する者も多く出た。無理矢理だもんな。思いつくだけならともかく、正直、内閣総理大臣なんて肩書き持った人間のやるこったない。変態の領域である。が、誰も、何も言えなかったのだろう。言えばデコピンで軽く数メートルは吹っ飛ばされるのだから。
しかしその後がよろしくなかった。凄まじい性能を秘めたスーツを御剣以外の人間が欲しがらない筈がない。勿論、御剣も自分だけのものにしたかったのだろうが、金の魔力には誰だって逆らえない。ヒーロースーツの技術は外部、民間にも流出してしまったのだ。力には力だ。力でもぎ取った平和なら力で奪われる。スーツの使用に関して、規制法案が可決されたが時既に遅し。好き勝手にやる者は後を絶たなかった。
そして、ヒーローは再び現れる。
だけど彼らを応援する者は誰もいなかった。もはやこの世界にスーツがあるのが当たり前になっていたからだろう。貴重であれば有り難がる。だけど、スーツを着た者が犯罪を起こすのだからとんでもない。犯罪者を取り締まる為に別のスーツを着た者が現れる。一般人からすりゃ、ある意味マッチポンプ。かくて、ここはヒーローとヒールが当たり前のように闊歩する国になってしまった。
『ヒーロー派遣会社、社員募集中』
俺はさっきもらったチラシを捨てた。
そう、当たり前なんだ。俺が生まれた時にはもう、悪の組織と呼ばれるような存在も、正義の味方と呼ばれる奴らも普通にそこにいた。毎日のようにどこかで誰かがスーツを着込む。スーツを着込めば犯罪が起きる。犯罪が起きればヒーローが飛び出す。
子供たちは蔓延るヒーローを見限ってしまった。今でも、大人になったらなりたい職業はプロ野球選手辺りが強い。ヒーローになりたいなんて言うガキは滅多にいない。もはやヒーローとは夢や憧れでなく職業なのだ。さっきのチラシみたく、ヒーローを雇い、有事の際に派遣する会社も珍しくなくなった。時給が幾らかを計算するような安い英雄はこの街にもいる。きっと、どこにだっているんだろう。
スーツは、一応は流通しているが、表立って売っている訳じゃない。それなりに高いし、許可なしに扱うのはやばい。七面倒な手続きを済ませて、そこで初めてヒーローを名乗れる。だけどすぐに活躍出来る訳でもない。石を投げればヒーローに当たるような世の中だ。ヒーローからすりゃ犯罪者は獲物に近い。報奨金や依頼金目当てで、砂糖に群がる蟻のようにいくらでも湧いて集ってくる。海千山千、鷹の目を掻い潜るのは至難の業だ。時にはヒーロー同士での小競り合いも起こる。……もはや、奴らをヒーローとは呼べないのかもしれない。
保険なんかない。
福利厚生だってない。
謝罪の言葉だって聞かされない。
俺たち下っ端には何もない。ヒーローだって同じかもしれない。とどのつまり使い捨ての盾なんだ。次から次に補充される消耗品でしかない。俺には何もない。残ったもんも、辛うじて握り締めてるもんも、いつかはなくなっちまうだろう。分かってるけど、どうすることも出来ないんだ。しょうがないだろう。金がない。力がない。友達だっていつの間にかいなくなる。
そんなことを電車に揺られながら考えていた。終わりにしようと考えていた。俺も、田舎に引っ込むかな。両親に事情を話して、俺も、畑を……。
「あ……」
そこまで思い至った時、涙が出てきた。情けなかったからか、悲しかったからか、分からなかった。俺、六年も何をしてたんだろう。うん、辞めちまおうか。悪の組織なんて、どうしてやってこられたんだ。あ、馬鹿だからか。グズだからか。クズだからか。
改札を通って駅前に出ると、ここにもヒーローを募集するチラシが落ちていた。誰かが何の気なしに受け取り、何も考えずに捨てたんだろう。さっきの駅と同じように、ここにもチラシを配ってるやつらが大勢いる。
「……お願いします」
その中で、むすっとした顔の少女を見掛けた。ここいらじゃあ初めて見る顔だ。小さな女の子が珍しいってのもあるが、彼女は車椅子だった。別に、同情を引こうとしている訳じゃないんだろう。だったらもっと愛想良くしているだろうからな。
しかし、なんでだろう。どうしてだろうか。
ただ、チラシを配っているだけ。たった一人で。誰の手も借りずに。自分の力だけで。それなのに、何故かとてつもなく崇高な行為に思えた。曲がりなりにも悪の組織の戦闘員であるこの俺がそう思わされたのだ。気付けば、足は車椅子の少女の方に向いている。この先について、俺は何も考えていなかった。ただ、彼女がチラシを配っている姿を認めた瞬間、憑き物が落ちたような、そんな気にさせられたのは確かだ。だから、だろうか。
「なあ」
馬鹿だ。
俺は馬鹿だ。
何を考えてんだ。
俺は悪の組織の戦闘員で、柄じゃないって誰より分かってるはずだろう。
「……ヒーローってのは、誰にだってなれんのか?」
車椅子の少女は俺を見上げて、にっこりと微笑んだ。