気持ちのいい睡眠のコツは眠くなくなるまで寝ることだ。ハンター時代は早朝に活動することが多かったが、睡眠をたっぷり取れるようになったのはクランの運営に注力するようになってよかった点の一つである。
大きめのベッドの中で自然と目を覚ますと、大きく伸びをしながら明かりをつける。時計を確認するとお昼ちょっと前だった。
シャワーを浴び、身支度を整える。最後に鼻歌まじりで寝室にずらりと陳列しているものから装備する宝具を選ぶ。
外に出る予定はないので、身につける宝具は能力よりも最近気に入っているものを選んだ。
最後に姿見を覗くと、どこかぱっとしない青年の姿が映っていた。
転換する人面 が残っていれば顔も変えられたのに。そんな事を思ったが、もう終わってしまったことをいい続けてもし方がない。もとより見慣れた自分の顔である。僕は妥協することにした。
今日もいつも通り、いい朝だ。
§
「おはようございます、クライさん」
「ああ、おはよう」
クランマスター室の机につくと、まるで見計らったかのようにエヴァが入ってくる。
後ろで結われた髪にぴしっと糊のきいた制服。いつも通り完璧な副マスターだ。
僕と違って寝起きではない。副マスターには仕事が多いからな……。
今起きたばかりの僕の姿を見ても、エヴァは嫌そうな顔一つしない。
僕が彼女をクランに迎えられたのは何かと運が悪い僕にとって珍しい幸運だと言えるだろう。
椅子に深く腰をかけ、エヴァに確認する。
「今日はなんか予定があったっけ?」
「加入申請が七パーティ分来ています」
クランマスターの仕事は少ない。その数少ない仕事の一つが、新たなクラン参加希望のパーティの審査だ。
《足跡》はいつの間にか押しも押されぬ大クランになってしまった。それはエヴァや事務員さん達の尽力によるところなのだが、そのせいで加入を希望するパーティは後を絶たない。
クランの加入条件は所属パーティの推薦と僕の審査である。それは僕が最初に適当に決めた条件だった。
クランを作った時にはここまで大きなクランにするつもりはなかった。
幼馴染の社会性向上を求める関係で評判のパーティは集めこそしたが、僕はクラン運営は素人だったし、自信もなくコネもなかった。
土下座して大きな商会で働いていたエヴァを引き抜いたのだって確固とした理由はなく、最低限クランとしての体面を保つのには有能な人が必要だというぼんやりとした考えによるものだったし、当然エヴァがここまでやってくれるとは思っていなかった。やってくれるとも思っていなかったし、そしてあろうことか――やってほしいとも思っていなかった。
もちろん副マスターが有能なのはいいことである。だが、あまりにも有能過ぎた。
最初に、エヴァがいない時に決めたルールが足枷になっていた。クラン加入で審査必須にしたのは、変な連中が来た時への最低限のセーフティネットだった。もしもこんなに沢山、加入申請が来ると知っていたらそんな条件はつけなかった。
うんざりしながら、机の上に置かれた加入申請メンバーのリストを確認する。そこにはずらりと能力に評判、実績が並んでいた。
知名度の高いクランにとって所属メンバーの不祥事はなんとしてでも避けるべきことだ。その事は良く理解しているが、正直こんなに沢山申請がくると一つ一つ吟味してられない。
もともと、所属メンバーの推薦が前提にある以上、変なパーティが来たりはしない。僕はじっと側に佇むエヴァに腰を低くして伺いを立てた。
「加入条件は変えるべきだと思うな」
「駄目です。クランの力は所属ハンターの力です、一番大事な所を怠るわけにはいきません」
「…………」
毅然とした態度で断られたので、仕方なく中身を見た。面接までやるのは書類選考を通った者だけだ。
もうクランは十分大きいのでこれ以上メンバーを入れる必要はない。全部落としてしまおう。
リストの中には、以前何度か落としたパーティの名前もあった。巷では一度落ちても欠点を直してもう一度くれば受かる可能性があるとか、そんな噂が流れているらしい。そんな事ない……と思うけど、どうやら本当に落とした事を忘れて次に入れてしまった事があったらしい。
ラウンジで感謝されたことがある。僕の目は節穴であった。
「そういえば、最近メンバーを入れていませんね」
エヴァが日常会話のような雰囲気で圧力をかけてくる。どうやらクランは人数によって国から様々な優遇を受けられるらしく、エヴァはクランの勢力増大に非常に精力的だった。こうなると僕が折れるしかない。
僕がクランを設立した目的は既に達成できている。後はできる限り波風立たないように運営を続け、いずれエヴァにクランマスターの座を譲って引退するだけだ。
ぱらぱらとリストをめくると、僕は一番人数が少なく一番失敗の影響な低そうな人を指した。
ソロパーティの加入申請だ。問題パーティを誤って入れてしまえば取り返しのつかない事になりそうだが、ソロならば問題を起こしたとしても大したことはないだろう。
「この人、面接しよう。後は却下で」
「……知名度のあるパーティの加入申請もありましたが……理由を伺っても?」
エヴァが目を瞬かせ、尋ねてくる。彼女はまだ僕が適当にリストを捌いている事を知らない。……そろそろ察してもいいはずだが。
僕は深刻そうな表情で頷いた。
「まぁ色々理由はあるけど――簡単に言うと、気に入らなかったんだ」
「承知しました。…………では、この方の面接の予定を――」
適当極まりない答えにも、真面目なエヴァは何も言わなかった。
エヴァが僕のスケジュール帳を捲り始める。僕が忘れっぽいせいで完全に秘書みたいになっていた。
そこで僕は気が変わった。
自分で面接とか言っておいてなんなんだが……面倒くさいな。人間じゃなくてチョコレートと面接したい。
どうせ推薦があるのだ、もうそのまま入れてしまっていいのではないだろうか。
これまで適当にやってきたのだ。今更、少し手を抜くことを躊躇うわけがない。僕は指を組み、真剣な表情で言った。
「いや、待った。面接はいらない。合格通知出しといてよ」
「……え? 正気ですか? まだ会ってもいないのに?」
正気? 正気だよ。僕はいつだって正気だ、まともな能力がなくて少し面倒くさがりなだけで。
僕はリストをばんばんと叩き、力説した。
「いや、会わなくてもわかる。ソロだとか知名度がないとかも関係ない。そりゃ欠点もあるかもしれないけど、総合的に見たら悪くない。合格だ、合格だよ」
エヴァは僕の仕事したくない一心で出した言葉に、鳩が豆鉄砲を食ったような表情をしていたが、やがて小さく頷いた。
「は、はぁ…………そういう事ならば……」
よし、仕事が一個減った。
§
クランマスター室の置物になっていると、時間がすごい勢いで過ぎていく。
宝具を磨き、貰い物のチョコレートを食べ、世界地図を眺めて冒険した気になったり、本棚に入っていた強い武器辞典や宝具辞典を眺めたりする。
既にクランマスター室に篭もるようになって二年あまり。外に出ずに過ごすのにも慣れていた。色々用意してあるので暇つぶしには事欠かない。もしもどうしてもやることがないのならば、訓練場に行ってクランメンバーの訓練を眺めたりしてもいいのだ。
エヴァが早足で駆け込んでくる。焦ったように口を開きかける。
「クライさん、リィズさんが――」
「ふむ……久しぶりに僕が土下座する時が来たか」
「――が、こちらでなんとかしておきます」
エヴァが仏頂面で踵を返し出ていく。
リィズが何をしたのかわからないけど、せっかく最近習得したスターダスト土下座(星屑のように儚く輝く土下座)を披露できると思ったのに……。
僕なのんびり座っているだけだが、エヴァは忙しない。
事あるごとに用事を告げに部屋に入ってくる。ある意味彼女が僕に来る仕事のフィルターになっていると言えるかもしれない。
今度時間を作って労おう。
「ガークさんが来ています」
「僕はいない、いいね?」
「事務員を増やそうと思うんですが……」
「任せる。全部任せるよ。予算が足りなくなったら言って」
「…………何故か新作のチョコレートケーキの試食依頼が……何かの間違いだと思うんですが――断っておきます」
「! ちょっと待った。市民と交流を深めるのもクランマスターの仕事だ。甘い物は苦手だけど、受けるのはやぶさかではない」
「後、遺物探索院から呼び出しがかかっています。見慣れぬ幻影が見つかったらしく、見解を聞かせてほしいと。場所も近いですし、ついでに済ませては?」
「――と思ったけど、忙しいから試食依頼はティノに回そう。遺物探索院からの依頼はアークが適任だ」
「《聖霊の御子》は探索に出ていて不在です」
「なら……スヴェンだ」
「《黒金十字》も護衛依頼で町を出ていていません」
「……仕方ない、聞かなかったことにしよう。どうせ時間経過で解決する案件だ。僕は……その、少し忙しい」
「わかりました。そう伝えておきます」
やれやれ、皆僕を頼りすぎだ。……勘弁してください。
僕はエヴァが消えるのを確認すると、最近のマイブームである《 犬の鎖 》に芸を仕込むことにした。
§
すっかりも日も暮れ、夜がやってくる。時計の単身が八と九の間を指した辺りで、いつも通りエヴァが入ってきた。
どれほど忙しくても、彼女は毎日この時間にここにくる。だから僕も用事がない限りこの時間は部屋にいるようにしていた。
エヴァは昼間と変わらない制服姿だった。
丸一日、ずっとクランマスター室に座っていた僕とは違って動き回っていたはずなのにその表情に疲労はない。
「今日もお疲れ様でした」
「お疲れ」
軽くねぎらいを入れると、エヴァが今日の仕事の報告を始める。僕はぼんやりしながら聞き流す。
どうやら、今日も概ねうまく乗り切れたらしい。お疲れ様とか言っているが、僕は忙しいと言いつつぼんやりしていただけなので全てはエヴァの実力だ。
賞与には色をつけることにしよう。…………賞与の額を決めるのもエヴァの仕事だけど。
「部屋の掃除はしておきました」
「……エヴァさ、働きすぎじゃない? 少しくらい手を抜くべきだ。僕みたいにね」
エヴァを酷使したいわけではない。
部屋の掃除ぐらい自分でできる。この間試しにやってみた時には、もう掃除されている事に気づかれずにもう一度掃除し直されたけど。
色々心配になって出した言葉に、エヴァは一瞬目を丸くして、小さく唇を持ち上げ笑った。
「いえ、これは私の仕事です。好きでやっていますからお気になさらず」
本当に物好きだ。
§
時計が夜十一時を示している。
今日も一日が終わる。宝具を片付け、シャワーを浴びて寝巻きに着替える。
ベッドの中に入ると、すぐに眠気がやってきた。疲れていなくてもすぐに眠れるのは僕の数少ない自慢できる点だ。
何もない一日だったが、平和な一日だった。どうか明日も平和でありますように。
「クライちゃん、おはよー! あれ、もう寝てるの? もー、せっかく来たのに、早すぎ…………まぁ、いいや。私も寝よっと…………」